第78話 琥珀に酔わされてからの後日談(バレンタインSS)

※バレンタインSSの続きになります。

※内容はない




 当初、ルードの滞在期間は二日間のみで、すぐにセレーヌへとんぼ返りの予定だったらしい。

 ところが、セレーヌ支社の商会社員たちに『結婚式まで一ヶ月切ったのだし、新婚生活を前倒しで送ってきてはどうか。式の準備もあるし、周囲への挨拶回りも必要だろう』と説得され、少し長めの夏季休暇のつもりで帰国したとのこと。


 お陰で式の準備も直接相談し合えるし、社交場にも揃って出席できる。

 こと夏場の今は社交が最も盛んな時期。式が近いこともあり、ナオミはルードと共に社交パーティーへ赴く機会が増えていた。

 昼間の家庭教師の仕事後、慣れない華やかな場での社交に正直疲れることもある。けれど、これもある意味仕事だと割り切れば、乗り切れないこともない。

 結婚式を一週間後に控えた今宵も、とある商会主催の夜会へ出席する。

 会場の控室でずっと纏っていた黒いローブを脱ぎ、ナオミはルードが待つ廊下へと出ていく。


 今宵は、夏らしいパシフィックブルーを基調とした白と黄色の小花模様のドレス。

 胸元からオーバースカートへと広がったドレープの裾や袖口には淡いパールシルバーのひだ飾りがあしらわれている。耳にはオパールのイヤリング。髪はお馴染みのハーフアップ、ひだ飾りと同じパールシルバーのリボンで横髪を結い上げている。


「ナオミさん。イヤリングが外れかかってますよ」

「え、うそ。どっちの耳!?」


 慌てて直そうとして──、直す前にルードの指先が耳朶に触れる。

 びくり、肩が跳ねる。思わず目を閉じれば、軽くくちづけられ、低く囁かれる。


「嘘ですよ」

「ちょっ……!」


 耳朶を押さえ、噴煙上がりそうな勢いで真っ赤になったナオミに、ルードは笑いながらディナージャケットの腕を差し出す。

 耳が弱点だと知られて以来、隙を見ては揶揄ってくるのだから堪ったもんじゃないったら!悔しいので腕を組む前に思いっきりつねってやるっ!!


「不意打ちでそういうことするの、本っっ当にやめてちょうだい」

「善処します……、痛い痛いっ」

「調子に乗ってると本気で怒るわよ??」

「わかりました。気をつけます」


 素直な反応が返ってきたので、ひとまずはよしとしよう。

 パーティーが始まる前からケンカだけはしたくないし。


 などと、始まる前から砂糖を吐きそうなやり取りを交わしていた二人だったが、会場入りした瞬間には、デクスター商会副会長とその婚約者としての顔へと切り替わる。

 この夜会にはデクスター商会と関わりが深い関係者も多数参加している。こちらから出向いて挨拶をすることも、逆に相手から挨拶をしてくることもあり、いつになく絶えず誰かと会話している状態だった。


 そして、会話の内容も挨拶めいたものから徐々に、デクスター社や相手方の商会の詳細な仕事の話へと移っていく。

 紳士同士の話に女性は決して口を挟んではならない。ましてやナオミはまだ正式な妻の立場ではない。おまけに黙って話に耳を傾けていると、どんどん話は深掘りされていく。少し外した方がいいのでは、と気が咎め始めたので、飲み物を取りに行く振りをして場を離れることにした。


 シャンパングラスを片手に、壁際の椅子に腰かける。座った途端、どっと疲労が押し寄せる。ひと口、ふた口、グラスに口をつけただけで頭が少しぼうっとする。酒に弱い質じゃない筈なのに。


「レディ。お一人ですか??」


 ふう、と軽く息をついた時、頭上から知らない男の声が降ってきた。

 警戒心を滲ませて見上げれば、金髪碧眼、彫刻画のように整った顔立ちの青年紳士が、笑顔でナオミを見下ろしていた。この国の典型的美男子ね、と、何の感慨もなく至極冷静に青年紳士を値踏みする。


「いいえ。今は席を外していますが、婚約者と一緒ですの」

「今この場にいらっしゃらなければ、おひとり同然ですよね??お隣よろしいですか」


 随分強引で不躾な人ね。

 だって、まだ座っていいとも駄目ともいう前に、もうちゃっかり隣に座ってくるし。不快が表情に出そうだ


「レディ。もしや貴女の婚約者とは、デクスター商会の副会長なのでは??」

「ええ。仰る通り、ルードラ・デクスターは私の婚約者ですわ」

「でしたか。いえ、やり手の若き副会長と婚約された令嬢がどのような方なのか興味がありまして」

「まあ。どうしてですの」


 感情の籠らない声で問う。

 面倒くさい。面倒くさいが、もしもルードや商会と関わりある者なら無下にできない。


「失礼ながら、彼はではありませんよね??その肌の色や血を受け入れる決心に至るには、余程の覚悟があったのでは、と」


 頭が、心が、スッと冷えていく。


 目の前のこの男は悪びれるどころか、何の疑問も感じていない。

 口にしていることが差別だとも自覚していないだろう。


 青年紳士がまだ何やら喋り続ける傍ら、ルードと初めて触れ合った夜を思い出す。

 純粋なインダス人より薄いが、この国の人間より明らかに濃い肌を、彼は隠そうとしていた。


 悪気なく好奇の目で見る者が少なからずいるのだ。隠したくなるのも当然でしょうよ。


「私は貴方が思う程、強い覚悟など持って結婚を決めたわけではありませんわ」


 ナオミは青年紳士の顔を、初めて真正面から真っ直ぐ見て、告げる。


「と、いうことは、少なからず後悔していると??」


 ナオミが告げた意味を青年紳士は曲解した。なぜ。

 自分の言い方が悪かったのか。この青年が都合よく解釈する質なのか。


 答えは両方だ。

 加えて、ナオミ自身はまったく無自覚だが、以前と見違えるほど綺麗になった上に、初めての夜以降も何度かルードと秘密の逢瀬を繰り返したため、匂い立つような色香を漂わせている。

 そのせいで、これまで彼女に見向きもしなかった男性……、今目の前にいる青年紳士の気をそそってしまったのだ。


「では、結婚前の最後の自由を楽しみませんか??」

「……はあ??」


 大変失礼とは思いつつ、露骨に顔を顰めてしまった。

 心なしか青年紳士が距離を詰めてきている気がする。

 そう言えば、一年前のルードもこんな感じで迫ってきたような……、なんで私にはこんなのばっかり寄って来るの。否、ルードとこの人を一緒にしてはいけない!


「すみませんが、そろそろ彼のところへもど」


 戻ります!と席を立つ前に、「彼女に何か用でも??」と、真夏なのに凍りつきそうな響きを持って、聞き慣れた低い声が背後から聴こえてきた。

 おそるおそる顔を上げる。そこにはゾッとする程冷然としたルードがナオミを庇うように立っていた。

 目線一つで皮膚を突き破り、心臓を凍てつかせそうなルードの様相に、青年紳士はたちまち震え上がる。


「貴方はメイフィールド商会の副会長でしたね。我が社の商品の包装箱意匠デザイン担当していただき、ありがとうございます」


 怜悧さから一転、ルードはにこやかに微笑む。


「実は新たな商品の意匠をご依頼するつもりでしたが……、少し考えさせてもらいます。ナオミさん、お疲れのようですね。一度控室に戻りましょう」


 呆然と立ち尽くす青年紳士を尻目に、ルードはナオミの肩を抱き、会場を一旦出て行く。


「いいの??仕事に私情なんて挟んで」

「セレーヌでメイフィールド商会よりすぐれた意匠を手掛ける商会を見つけまして。父とも相談した上でいずれ断りを入れるつもりでしたし、いい機会かと」

「あっそう」

「公衆の面前で、堂々と人の妻を口説く不届きな輩に、仕事とはいえ頭下げたくないですし」

「……そっちが本音なんじゃないの??」



 それにまだ『妻』じゃないのだけど。

 喉まで出掛かったが、すぐに思い直し、ナオミは黙ることにしたのだった。

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将来は外国の片田舎でお一人様スローライフ送りたいのに、前世恋人だった(らしい)イケメン紳士に迫られて迷惑してます! 青月クロエ @seigetsu_chloe

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