37.願いを誓いに

 ケーキを食べ終えて、コーヒーもすっかり温くなった頃。

 わたしはジルと寄り添うように座っていた。肩を抱いてくれる腕に甘えて、体を預ける。


 穏やかな時間が心地よい中で、わたしは部屋の中を揺れ動く光を目で追いかけていた。

 窓辺に飾った光水晶が、陽光を受けて煌めいているのはやっぱり綺麗。


 そこで、はっと気付いてしまった。

 ジルに聞きたい事があったのだと。


「ねぇ、ジル。あの光飾りを覚えている?」

「もちろん。僕が誕生日にあげたものだよね」

「ええ。あの水晶に飾られている花を……ジルは知っていたのね」


 寄り添ったままではジルの表情が見えにくい。

 そう思って体を離そうとするけれど、ジルの腕に力が籠って引き寄せられてしまう。そのままで何とか視線だけを向けると、彼はわたしを見つめて微笑んでいた。


「あれは……シオンの花。フィーネちゃんはいつ分かった?」

「ジルに気持ちを伝える、少し前。図書館で花の図鑑を借りたでしょう? あれで調べて分かったの。ジルは分かっていて、贈ってくれていたのね」


 ジルはただ頷くばかり。わたしを見つめる紺碧の瞳はどこまでも優しい。

 その眼差しが想いを伝えているようで、わたしの胸は締め付けられるように切なくなる。

 触れているのに、まだ足りない。気持ちだって伝えているのに、それでもずっと足りなくて。もどかしい想いを抱えながら、わたしはジルの肩に頭を擦り寄せた。


「それと……白鳥の小物入れも分かる?」

「分かるよ。それも僕が誕生日に贈ったから」

「あれは、どうして白鳥を選んでくれたの?」


 鼓動が早くなっていく。

 わたしの好きになったのは、ジル・アーレント。前世や前々世のことは気にしないと、そう思っていたはずなのに。

 あの時・・・、ジルの首筋に浮かび上がった薔薇のような痣。あれは……ノクスとイヴァンの薔薇ではないのだろうか。そう思ったら、確認をしたくなってしまったのだ。


 ジルはゆっくりとわたしの肩から腕を下ろす。

 向かい合うように座り直すと、その両手でわたしの頬を包み込んだ。顔が近付いて、目元に唇が触れる──ちょうど、泣きほくろのある場所に。


「白鳥の贈り物をするって約束を、果たせなかったから」


 間近に見るジルの瞳が揺れている。

 震える唇が吐息を漏らして、それからゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。


「ノクスとイヴァンの夢を見て、シオンとルゼットがフィーネちゃんだっていうのはすぐに分かったよ。でも僕はその時にはもう、君の事が好きだった。前世や前々世に関係なく、君を好きになったというのは、分かっていてほしい」


 ジルの唇がわたしの頬に触れる。それからわたしの事をぎゅうぎゅうに抱き締めるものだから、わたしからも背に両腕を回して抱き着いた。

 この切なさも愛しさも、全て溶かしてしまえるように。


「君が恋をしないと言っているのを聞いて、きっと君にも記憶があるんだと思った。そこで前世の相手が僕だったなんて言ったら……君は、僕から離れてしまうんじゃないかって。そう思ったら言えなかった。……黙っていてごめんね」

「ジルが謝る事じゃないわ。逆の立場なら、きっとわたしも言えなかったから」


 ジルは少しだけ笑って、わたしの髪に唇を寄せた。愛おしむかのようなその仕草に、わたしの鼓動は跳ねるばかりだ。


「もしかしたらまた前世のことを繰り返すかもしれない。でも僕は……それでも君と離れたくなくて。だから、君を失わなくて済むように出来ることがないかを考えたんだ。それが……研究だった」

「魔石に回復魔法を込めて、応急処置を出来るように……」


 植物園で聞いた、ジルの研究を思い出す。

 あの時に、そんな魔石があったなら前世も前々世も大切な人を失わないで済んだかもしれない。そんなことを思っていたけれど……ジルは、今世でそれを繰り返さない為に研究をしていたんだ。


「そう。起きるか分からない事を防ぐのは難しいけれど、それが起きると思って準備をしていたら対処が出来るだろうから」


 ジルはわたしと共に在る未来を、掴み取ろうとしてくれていたんだ。

 胸が詰まって苦しい。嬉しいのと、切ないのと、愛おしいのと。様々な感情が綯い交ぜになって、どうしていいか分からなくてジルにぎゅっと抱き着いた。


「……ありがとう、ジル」

「僕の方こそありがとう、でしょ。君は恋をすることが怖かったのに、それでも僕を選んでくれたんだから。フィーネちゃんが刺繍のハンカチをくれた時、僕がどれだけ嬉しかったか分かる? 君も前世を乗り越えようとしてくれているって、泣きたくなるくらいに嬉しかった」


 ジルがわたしの額に、自分のそれをこつんとあてる。吐息が触れてしまいそうな距離が何だかとても恥ずかしいのに、離れたくないと思った。


「わたし……逃げてばかりだった。ジルは前世と向き合おうとしていたのに」

「きっとそれも必要な時間だったんだよ」


 優しい言葉にわたしの方が泣きたくなってしまいそうだ。

 ジルはわたしの目元に唇を落としてから、抱き締める腕の力を緩めていった。それでもわたしは彼から離れずに、その胸元に頭を預けた。聞こえてくる鼓動はどちらのものなんだろう。


 頭を撫でてくれる手が心地よい。

 ふと視線を上げるとシャツの襟元から覗く首筋が目に入った。喉仏にそっと触れると擽ったそうにジルが笑う。


 ──そういえば。

 確かにあの時・・・、わたしは薔薇をこの目で見た。今は何も浮かび上がっていないけれど、あれは一体何だったのだろう。


「ねぇ、首に薔薇の痣が浮かんでいたような気がするんだけど。あの薬を飲んだ時……」

「んー? あの薔薇って魔力を一気に使うと出てくるんだよね。あの時は薬を飲んで、傷を塞ぐのに魔力を消費したから出てきちゃったかな」

「いつもは出ていないのね」

「うん、でもそれで良かったよ。もし僕の首に痣があったら、君は逃げちゃっていたかもしれないから」


 くつくつとジルが低く笑う。

 否定が出来ないから、ただ肩を竦めるだけに留めておいた。


「僕は前世でも前々世でも、君を守る力が欲しいって願いながら死んでいった。また巡り逢って、今度こそ君を守り抜くって。薔薇はそれを叶えてくれたのかもしれない」


 溺れそうなほどに深い紺碧の瞳に見つめられて、わたしの息は恋慕に染まる。

 胸が切なくて、何を言えばこの気持ちは伝わるのだろう。


「好きだよ、フィーネちゃん。君と逢えて良かった」

「そ、んなの……わたしだってそう思っているわ。ジルに逢えて、こうして傍にいて、触れ合えているのが嬉しい」

「顔が真っ赤だ」

「うるさい」


 言われなくても分かっている。

 何度気持ちを伝えられたって、その言葉を聞く度にドキドキしてしまうのだから仕方がない。まるで何か魔法を掛けられたんじゃないかと思うくらいに、胸の中がジルへの気持ちでいっぱいになる。


「好きよ。大好き」

「……可愛い」


 溢れる気持ちをそのまま言葉にすると、思ってもみなかった返しに目を瞬いた。

 蕩けるくらいに甘い顔をしたジルは、わたしのことをきつく抱き締めながら頭に頬を寄せてくる。


 息が出来ないくらいに苦しいのに、もっと抱き締めてほしいだなんて、わたしもどうかしているのかも。でもそんな自分も、嫌じゃなかった。


 

 陽だまりのように暖かな部屋。

 重なる鼓動。触れる吐息。

 恋に染まる眼差しが絡み合う、この距離が愛おしい。


 陽射しを受けて、水晶の光が部屋を踊る。

 ジルの長くて青い髪が光の欠片で煌めいてるのがとっても綺麗。


 これからも、ジルと共に。

 そう願ってぎゅっと抱き着くと、応えるように抱き返される。それが嬉しくて笑うと、ジルもつられたように笑っていた。


 穏やかな世界に心が救われるのを感じた昼下がり。わたし達は確かにここに居る。

 もう二度と離さないと、願いを誓いに変えるように──口付けを交わした。

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巡る恋に愛を乞い 花散ここ @rainless

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