そして当日

◆◇◆◇◆◇



 翌日、目覚めてからすぐに、この塔へ幽閉されるようになってからクラウディアの身の回りの世話をしてくれていた修道女アンナが来たので、沐浴を手伝ってもらい着替えた後、簡素な食事をいただいた。

 今日の正午には火刑になるというのに、今までで一番とても穏やかな時間を過ごせたクラウディアは、部屋の鉄扉を叩く音に「はい」と答える。


「時間です」


 何の時間かは、推して知るべしというか。

 この時がついに来たのだ、と思いながらも、クラウディアは掛けていた椅子から腰を上げ、唯一の出入り口である鉄扉の前へ進んだ。

 歩みを進めている間に、いくつか付けられている外鍵が次々と開けられる音がして、扉の前へ着いた時には、目の前の鉄扉が開き──クラウディアを迎えに来た騎士がそこに立っていた。

 長く伸ばした前髪で右目が隠れていたが、整った顔立ちの黒髪黒目の長身の美丈夫だ。彼が纏う白と紺を基調にした騎士服サーコートは、今までクラウディアが幽閉されていた部屋の出入り口の警備をしていた騎士たちのそれよりも上質だったので、彼らの上官か、或いはもっと上の地位にある人物だろうと推測された。


(ん? この人、見覚えがあるんだけど誰だったっけ……?)


 どこか見覚えのある騎士だったので、目の前の相手が誰だったか一瞬思案してしまったが、すぐに正解が出たのでクラウディアは思わず瞠目してしまった。


(うわ、ディミトリアだ。いつもと雰囲気が違ったから、わからなかった……)


 ディミトリアはヒロインサイドのキャラクターで、黒ずくめなので黒騎士と呼ばれていた。

 普段の彼は髪をオールバックにしていたので、現在前髪で隠されている右目は黒革のアイパッチで覆われている筈だ。目の前の彼が髪を下ろしていなければ一目でわかったかもしれない。

 悪虐皇女クラウディアが黒騎士と対峙する場面は常に平時でなかったので──ディミトリアがクラウディアに無言で斬りかかったり、彼の愛剣で壁ドンされたりとかなり物騒だった──悪虐皇女モードになっていれば、出会い頭に皮肉の一つや二つ投げているかもしれないなと思っていたら急にオートモードが発動した。


「ごきげんよう、黒騎士。今日は黒を纏っていないのね」

「両手を出せ」


 黒騎士はクラウディアの言葉を無視して端的に命令してきた。

 口は動くものの反抗する姿勢は皆無らしく、クラウディアが言われた通りに両手を差し出したので、手錠を掛けられた。手錠には長い鎖がついていて、鎖の先はディミトリアのベルトに繋がっている。


「ついて来い。下の教誨きょうかい室へまず行く。──足元に気を付けろ」

「黒騎士にしては珍しく紳士なのね」


 ディミトリアの後に続くように部屋を出たクラウディアは皮肉を投げるが、ディミトリアはスルーする。

 火刑されに行くというのに好戦的なクラウディアの態度を目の当たりにした警備の騎士たちは、どう反応したら良いかわからないと言わんばかりの表情をしていた。幽閉されている間のクラウディアは物静かだったので、この変化に驚くのも無理もない。


「…………」


 ディミトリアは黙ってついてこいと言わんばかりに鎖をくいっと引っ張った。

 思いの外その力が強かったのでクラウディアは少しよろめいてしまうが、何とか踏ん張る。思わず非難がましい目線を向ければ、ディミトリアは声のトーンを落として「……すまない」と謝ってきた。


「下へ降りる前に、少し宜しいかしら」

「何だ」

「警備の騎士様へご挨拶を」


 そう言うとクラウディアは立ち止まり、話を向けられて戸惑っている警備の騎士の方へ振り返った。


「お世話になった全ての方に直接感謝を申し上げたいところですがそうもいきませんので、そちらにいらっしゃる名もなきお二人に。──警備の騎士の皆さまには紳士に接していただき感謝いたします。今後の益々のご活躍を願っておりますわ。ごきげんよう」


 クラウディアは警備の騎士二人へ向けて完璧なカーテシーをし、艶然と微笑む。

 その微笑みは、「黙っていれば女神様」と言われる外見のクラウディアがやると、非常に破壊力のあるものだった。

 見惚れてしまった警備の騎士二人が我に返った時にはクラウディアの姿は階下へ消えており──狐につままれたような状態で顔を見合わせていた。

 



 クラウディアはディミトリアに先導されて長い螺旋階段を降り、塔の途中にある教誨きょうかい室と呼ばれる部屋へ移動する。

 教誨室の前にも警備の騎士が二人立っていたので、彼らはディミトリアとクラウディアの姿を認めると片方の騎士が教誨室の扉をノックして「司祭様、皇女クラウディアが来ました」と中へ声をかけていた。

 声をかけていた方の騎士が開けた木製の扉の向こうには二人掛けのシンプルなテーブルセットがあり、奥に置かれた椅子に高齢の司祭が腰掛けて待っていた。この老司祭がきっと、昨夜ヒースクリフが便箋に書いていた『司祭に扮した私』なのだろう。その背面には、この世界を創造した女神の一人アドラステアのタペストリーが飾られていた。

 聖母マリア像のように両手を広げるポーズでタペストリーに描かれている女神の姿は、クラウディアと同じ、煌めく黄金の髪に夕暮れから夜に変わる夜空の色に似た紫がかった深い青の目をした妙齢の女性だ。この色合いで描かれる事が多いので、クラウディアが「黙っていれば女神様」と言われる所以でもあった。

 老司祭と目があったので、クラウディアが軽く会釈していると、ディミトリアが手錠に付いている鎖の鍵を外してくれた。


「部屋の外で待機している。最後の祈りを済ますといい」


 ディミトリアに促され、クラウディアが一人部屋へ進むと、背後で扉が閉まった。


「お待たせしました」

「いいえ」


 柔和な表情をした好々爺といった雰囲気の老司祭と向き合うように、クラウディアは空いている椅子へ腰掛ける。気が付けば、悪虐皇女モードが解けていたので、ほうと一息ついた。


『外に聞こえるとまずいので、一部念話で会話いたします。話を合わせて下さい』

『……本当に、ヒースクリフなのね』

『はい』


 いきなり脳内に送られてきた声に、クラウディア思わず息をのんでしまったが、モブ顔なのにチートキャラだったクラウディアの最古参の従者ヒースクリフはにこやかに笑う。


「教会から派遣された司祭のシメオンです。レガトゥス帝国皇女クラウディア、刑の執行前にお尋ねする事があります」

「何でしょう」

「刑の執行後に残るであろう貴女の所持品の処分方法に指定があれば、こちらで処理します」

「所持品と呼べるものは無いので、処分するものはありません」

「了解しました。皇女クラウディア、遺書は書かれますか」

「遺書は書きません。こちらへ来たばかりの頃に切った髪を伯父である皇帝ガイウスに届けていただいていれば、不要でしょうから。──届いていますでしょうか」


 事務的な会話の最後に確認するようにクラウディアが問うと、シメオンという名の老司祭に扮したヒースクリフは頷いた。


「シスター・アンナからの申請があり、

「でしたら、私から申し上げる事は何もございませんわ」

「そうですか。──ところで、ロザリオはお持ちですかな」

「持っていません」

「では、これをお供にお持ちください」

「ありがとうございます」


 クラウディアは木で作られた素朴なロザリオを渡されたので、それを受け取る。これが、便箋に書かれた『司祭に扮した私がお渡しするもの』なのだろう。

 ロザリオを左手首に巻こうとしたものの、手錠のせいでうまく巻けなかったので、ヒースクリフが巻いてくれた。


「女神アドラステアのご加護があらんことを」

「司祭様のご配慮に感謝します」




 教誨室を出るとまた手錠に鎖を付けられたクラウディアは、先導するディミトリアの後を追うように螺旋階段を降りて、塔の外へ出た。

 雲一つない晴天が広がる広場には、悪虐皇女クラウディアの火刑が行われるのを今か今かと待っている新生ラステア王国の民が待ち構えていた。


「女神様……?」

「え? あれが悪虐皇女……?」


 黒騎士ディミトリアに連れられて姿を現したクラウディアを見た人々がどよめく。

 二度見、三度見して、目をゴシゴシしてしまう顔文字を群集で再現したような状況に思わず内心、クラウディアは笑ってしまう。


(漫画で見ているからわかっていた事だけど、悪虐皇女ってどぎついイメージしか湧かないから、それとは真逆の化粧っ気のない清楚な美女が出てくれば、驚きますよねそりゃ。でも、これからオートで悪虐皇女クラウディアがフルスロットルで降臨するだろうから、その時になって「本物だ!」ってみんななるんだけど)


 心の中で笑った事によって緊張がほぐれたクラウディアは、準備万端の火刑台をまっすぐ見つめて足を進める。

 火刑台は磔スタイルではなく、燃料の丸太が積まれた上に足場になる木製の台が載せられており、罪人を縛り付けられるように一本の柱が立てられていた。

 火刑台の前まで進むと、ディミトリアと繋がれていた鎖が外されたので、階段のように作られた段差を上って火刑台に自ら乗る。

 点火後に逃げられないように、他の騎士が持ってきた鎖で、柱にぐるぐる巻きにされた。


「レガトゥス帝国皇女クラウディアの火刑を執行する。──点火!」


 準備が整うと、ディミトリアが号令を下し、松明を持った数名の騎士が、足下に積まれた小枝や油を含んだ薪に火をつけていった。

 途端に、周囲は火の熱気と煙に包まれていく。


「…………」


 肌を焼くような熱と、立ち上る煙が目に来たりと、最悪な環境だったけれども、ヒースクリフが渡してくれたロザリオのお陰か咳き込む事はなかった。火傷してもおかしくない状況なのに、炎の熱は感じても肌は焼けていない。


(あ。来た!)


 オートモードが始まる気配がした瞬間、クラウディアの口が開く。


「おーっほっほっほ!」


 いきなりの高笑いである。

 気が触れたと思われるかもしれないが、これが『悪虐皇女クラウディア』の通常形態だ。

 漫画ではあまり触れられていなかったものの、幼い頃宮廷で毒殺未遂にあった時の毒の影響でこうなった説が考察サイトであったなと思い出しながらクラウディアは、オートモードが始まったクラウディアの中から悪虐皇女の高笑いを傍観する。


「旧ラステアの民よ! お前たちはよくやった。我がレガトゥス帝国から祖国を取り戻し独立したのだから誇るといいわ」


 ここで謝らないのもある意味すごい事だけど、一応、帝国の皇女なので下々に頭を下げる事はしないのだろう。客観的に見れば悪虐皇女クラウディアにしてはかなり褒めていると感じるので、実はツンデレだったのかと新たな発見をしてしまった。

 言葉が上から目線なので、褒められているようには感じないかもしれないけれども、「敵ながら天晴れ!」と快哉する戦国武将のように、悪虐皇女クラウディアは新生ラステア王国の人々への餞の言葉を放つ。


「また国が無くなるかどうかはお前たち次第でしょうから、頑張って国を盛り立てるのね! 私はここで終わるけれど──我がレガトゥス帝国に栄光あれ!」


 叫んだ瞬間、どこかでカチリと何かのスイッチが入った音をクラウディアは聞いた。その刹那──炎の熱や煙が全く存在しない、静かな場所に瞬間移動していた。


「お帰りなさいませ、クラウディア様」

「……ただいま、でいいのかしら?」


 見知らぬ室内へ移動したクラウディアは、キングオブモブと呼んでもいいくらいに、どこにでも溶け込めるのではないかと思える中肉中背の茶髪で凡庸な外見の青年ヒースクリフに出迎えられていた。

 彼には聞きたい事が沢山あった。

 




 その日の正午、悪虐皇女ことクラウディア・フォン・レガトゥスは旧ラステア王国の中庭にて行われた火刑で爆死した。

 クラウディアは、世の中に鮮烈なインパクトを残して表舞台から姿を消した──。

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火刑前夜 和泉 沙環(いずみ さわ) @akira_izumi_kayo

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