君は海月の出会う骨
藤咲 沙久
海月に骨はあるか
「なぜ、そうしようと思ったの?」
正直言うと、僕は彼女の質問に面食らった。
書店を出たら軒先で女性が雨宿りしていた、だから傘を差し出した。それ以上の理由なんてない。木曜は夕方から雨が降ると先週から予報されていたのに、こちらこそなぜ持っていないんだと聞いてやりたかった。
改めて少女をまじまじと眺める。制服は着ていないが、幼さの残る顔立ちを見るに高校生だろうか。そうなると自分より十は若い。強い湿気に踊り跳ねない髪を羨ましく思った。
「君、傘がなくて困ってただろ」
「困ってたわ」
「見える所にコンビニはないし」
「本当残念ね」
「駅へ着くまでには屋根もない」
「その通りよ」
「骨は曲がってるが、まだ差せる。使いなよ」
テンポよく返事をしてくる少女は、突然にっこりと笑った。愛想笑いだとわかる表情だ。
「悪条件はあなたも同じ。傘は一本、今度困るのはあなた。なぜ、そうしようと思ったの?」
重ねられた問いは、まるで僕にも理解できるよう噛み砕いてあげた、と言っているように感じられる。親切を断られることはあっても、親切の意図を聞かれたことがない。戸惑いは隠せなかった。
なんと答えるか迷う僕のことを、書店から出てきた男性が邪魔そうに避けて傘を差した。
「……困ってる人には、親切にするべきだから。それも年下の女の子なら尚更だろ」
昔からキツく言い付けられていた。この歳になって親の躾を理由に出すつもりはないが、事実でもある。そうしなければならなかった。そうであるべきだった。なにも悪いことじゃない。自分が損するだけでいい、それでいいじゃないか。
もう一度傘を差し出す。対して彼女は首を左右に振った。
「世の中はしたくなくても“やらないといけない”ことばかりよ。せめて“しなくていい”ことくらい、自分の好きになさい」
「な──」
見栄と、意地と、建前と、本音。すべて見透かされたのがわかった。子供が大人を嗜めるなんて馬鹿げてる。なのに僕は震えた。身体というより、背骨が揺れた。そんな錯覚。そして込み上げてきたのは羞恥だ。
(好きでしたんじゃ、ない)
刷り込まれただけの義務感、その薄っぺらさを認識してしまう。彼女の言葉は、僕を支えるモノがいかに脆いか露呈させたように思えた。ぞくり、ぞくり。震える背骨。身体の中心を揺さぶられる。不安が胸を埋めた。
「……僕は、僕の骨は、脆い」
思わず声が零れた。何のことかわからないだろうに、少女は驚く素振りもしない。長い睫に飾られた目が僕を見上げただけだった。
「そう? よくわからないけど、折れてなければ平気だわ。少し丈夫にすればいいだけよ」
「丈夫に、なるかな」
「簡単ね。牛乳をたくさん飲めばいいわ」
あまりにもシンプルな回答は、僕をあっけらかんとさせた。先程までの大人びた物言いはなんだったのか。神妙になっていた分可笑しく感じて、つい笑ってしまった。
(ああ、僕はまるで
僕を構成する、僕を支える骨は脆い。何も考えず言い付けを守るだけの思考回路。でも、もしかしたら骨どころか、それは海月が持つ“骨のような役割のある”だけの軟骨組織のように、曖昧なものだったのかもしれなかった。
ならば、彼女は海月が会うという骨のようなものか。僕に自分の在り方を気付かせた
まだ震えは感じている。でも、同じリズムで揺らした肩は少しだけ軽く思えた。このままいつか振動が同化すればいいなと、思えた。
ほんの数分で僕の存在をユラユラさせた不思議な少女に、僕は三度目の申し出を試みた。
「これ、使いなよ」
「あら。なぜそうしようと思ったの?」
「君に困ってほしくないから」
ジッとこちらを見つめていた大きな瞳が、柔らかく細められる。今度は優しい笑顔だった。それから彼女はこう続けた。
「あなた、これからどちらへ?」
「駅だ」
「ならこうしましょうか。私はあなたにも困ってほしくない、私たちは同じ場所へ向かう。だから親切の半分こよ」
ほっそりした指先で僕の傘を受け取ると、彼女は腕を伸ばして僕の頭を招き入れた。相合傘だなんて発想は僕になかった。
身長差を考慮して僕が傘を握ることにする。歩き出すと、曲がった骨の部分から滴る雫が肩を濡らした。
「傘、ちゃんと買い換えようかな」
「いいわね。なら私は、私のことを年下の子供とでも思ってるあなたに牛乳でも奢ってあげましょうか」
告げられた言葉に、僕は今度こそ身体ごと震えることとなった。
君は海月の出会う骨 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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