第60話 ジェムジェーオン伯爵襲名

 帝国歴628年3月30日、ジーゲスリード講和会議の2日目の閉会後。

 タイガ・ニューウェイ子爵とミランダ・ジェムジェーオンが、グランドキルン龍巣殿を出て行ってしばらくの間、静寂が部屋のなかを支配した。


 嵐の後の静けさ。


 ショウマ・ジェムジェーオンは疲れていた。ソファに背中全体を預けて、何も言わずに目を瞑り、宙を見上げていた。

 沈黙を破ったのは双子の弟カズマ・ジェムジェーオンだった。


「びっくりした」


 ギャレス・ラングリッジ元帥がカズマの言葉に大きく頷いた。


「そうですな」


 ギャレスの言葉にイアン・ブライス内務大臣とアンナ=マリー・マクミラン大佐も相槌を打った。

 ショウマは身体を起こした。

 カズマが訊ねてきた


「本当に、ミランダ様をニューウェイに送ってしまっていいのか? 事実を隠蔽することになるのではないか」


 ショウマは罪を告白するような気持ちで、笑顔を取り繕いながら言った。


「実は、ドナルド・ザカリアスから証言は取れていない」


 えっ。カズマが絶句した。

 ブライスが半ば呆れ顔で言った。


「随分と思い切った賭けにでられましたな」

「様々な調査が、この結果を裏付けていた。自信はあった」

「そうだとしても……、カズマ様が仰るように、ミランダ様の措置は本当にこれでいいのでしょうか」


 ショウマは重荷を降ろすような思いで、説明した。


「ミランダの扱いに関して、いくつか、シミュレーションを行った。事実を追求し、ミランダに罪を認めさせる。個人的な感情を優先すれば、これが望ましい。だがな……」


 アンナ=マリーが悲しい顔で呟いた。


「そうね。ユウマ様の扱いが難しくなるわね」

「マクミラン大佐の考えている通りだ。ミランダをジェムジェーオンの国法に照らせば、死罪を適用しなければならなくなる。そうすると、タイガ・ニューウェイ子爵が反ジェムジェーオンの立場をとるだけでなく、ユウマの扱いが問題となる。いずれ、ユウマは母殺しの恨みを、私に対して抱く可能性がある。かといって、潜在的脅威という理由で、私が幼いユウマを処分すれば、周辺諸国はもちろんのことジェムジェーオンの市民さえも、反感を抱くかもしれない」


 カズマが真剣な表情でショウマの手を握った。


「兄貴、ありがとう。確かに、親父を殺害した人間を裁けないのは不満だが、その代償にユウマを殺害するなんてあってはならない」

「私はカズマから、褒められる資格はない。ジェムジェーオンを背負う立場として考えた時、この選択が最良と判断しただけだ」

「それでも、ユウマの命は助けるのだろう」

「ああ、そうだな」


 ブライスが頭を抱えた。


「この選択がジェムジェーオンという国にとって、最良であることは理解できたのですが、ショウマ様やカズマ様の無念を推し量ると……」

「せめて、副産物として、ニューウェイをジェムジェーオンのコントロール下におくことができたことを喜ぼうじゃないか。それに……」

「それに?」

「ミランダとザカリアスだけでは、計画を実行することは難しいのだ」


 ギャレスがショウマに同意した。


「小官も疑問に思っていました。ミランダ様やザカリアスが、アスマ・ジェムジェーオン伯爵の国書を捏造することで、国内の軍隊を動かしたことはともかく、どうやってバルベルティーニを動かしたのかと」


 ギャレスの言葉に、カズマが疑問を口にした。


「何でだ? ジェムジェーオン伯爵の妃であるミランダが国書を捏造したのだろう。講和会議で、バルベルティーニ伯爵代理人も国書を受取ったことをジェムジェーオン派兵の理由に挙げたと言っていたではないか」


 ショウマはカズマに訊ねた。


「カズマ、考えてくれ。仮に、カズマがバルベルティーニ側の立場にたったとする。普段、交流が乏しく親好の薄いジェムジェーオンから『後継者を変えるため、軍事行動を起こしたい。ついては、貴国も協力のため、派兵してほしい』という依頼を受けたら、どんな反応を示すか」

「まず、真偽を確かめるだろうな」

「そう対応するのが、自然な反応だ。だが、バルベルティーニは国書を受取ったあと、1週間のうちに、ジェムジェーオン派兵を完了している。あらかじめ、決まっていたからこそ、可能だったのではないか」


 ん、カズマが首をひねった。


「疑問なんだが、ミランダ様が国書を捏造したとするなら、日付は自由に設定することができただろう。なぜ、あの日の1週間前という期日を選んだんだ」

「もし、書簡の日付が1ヶ月前だったとする。それだけの時間が空けば、カズマが言った通り、両国間で何らかの交流がなければおかしい。ギャレスやイアン、国の最高武官と最高文官が揃って、バルベルティーニとジェムジェーオンの交流を知らないというのは不自然すぎる」

「なるほどな。つまり、兄貴はミランダ様とザカリアスでは、事前にバルベルティーニを動かす計画を決められないと言っているんだな。じゃあ、誰なんだ」

「ザカリアスから証言は取れていないが、ジーゲスリードの無窮光教司教と頻繁に接触していたのは事実だ」


 ショウマの言葉に続いて、ブライスが独り言のように囁いた。


「現在、バルベルティーニを牛耳っているといわれる宰相、ジャン=ルイジ・アコスタは元々は無窮光教大司教でしたな」


 ギャレスが苦笑いした。


「今回の事件の始まり、ニケロニア暴動は無窮光教徒住民との争いから生じたものです。アスマ・ジェムジェーオン伯爵はマクシス・フェアフィールド元帥に南部戦線の鎮圧とともに、無窮光教の本拠ジョーナムへの侵攻も認めていました」


 カズマの目に憤激の炎が灯った。


「流石の俺でも、裏で誰が手を引いていたのか判ったよ」

「解ったとしても、この段階では矛を収めるべきだ」


 カズマが語気荒く、ショウマに迫ってきた。


「どうしてだ。兄貴が命令を下してくれれば、オレがジョーナムに攻め込んで無窮光教の天主を仕留めてみせる」


 ショウマは静かに答えた。


「下手にこちらから無窮光教徒に手を出せば、多くの老若男女が立ちはだかる。文字通り、最強最悪の敵となってな。いま、全面対決すれば、ジェムジェーオンは沈む。今この瞬間は対決を避けるべきだ。だから、ここだけの秘密としたい」

「それでいいのか!」


 カズマの言葉は虚しく響いた。


 ――いいわけがなかろう。


 ただ、傷ついた現在のジェムジェーオンには、無窮光教徒と対決する余力がなかった。カズマ以外のギャレス・ラングリッジ、イアン・ブライス、アンナ=マリー・マクミランは、この現実を理解していた。ショウマの意見に賛同する以外に、選択の余地はないと判っていた。


 ショウマはカズマに誓った


「必ず、落とし前は付ける」


 無窮光教だけではない。父アスマ殺害にはまだ他の人間が関与している。それを暴くことができないのは、現時点における、ショウマの実力の限界だった。

 ショウマは右手の拳を痛いほど握りしめた。




 アクアリス大陸両脚地方南部ジョーナム。地下深くに築かれた石造りの集会所。黒衣を纏った無窮光教の最高幹部たちが一同に会していた。

 金が装飾された黒衣に身を包んだ老人が、一同の前に現われた。

 最高幹部たちが一斉に頭を下げる。

 老人が中央の台座に置かれた椅子に座った。


「ショウマ・ジェムジェーオンは我らの関与に気付いたか」

「そのうえで、我らとの交戦を避けたようです」

「若い身ながら聡明なことだ」

「天主、お言葉ですが、ここでジェムジェーオンを叩いておかねば、将来我々にとって、脅威となる可能性があります」


 声の主は、天主の息子であり最高幹部のひとりだった。熱い口調で主戦論を展開した。

 天主は落ち着いた表情で応えた。


「血気盛んに直接的なやりかたで物事を解決するのは、必ずしも賢明な選択となりえないことを学ぶのだ」

「しかし……」

「我々も手持ちのカードのいくつかを使ってしまった。いまは、奴らの望み通り、束の間の停戦を享受しようではないか。我らには、まだカードが残されている」

「天主、ここで戦いを止めることは、奴らを利することになるだけでは」

「案ずるに及ばない。これまでも、これからも、間違いなく、時は我々に味方する」


 ハハハ、天主と呼ばれる老人の高笑いが、石造りの集会所に反響した。




 帝国暦628年4月1日、ジェムジェーオン伯爵国首都ジーゲスリードの宮殿グランドキルン。

 ショウマ・ジェムジェーオンは、皇帝代理人ヴァイシュ・アプトメリア侯爵を立会人として、第18代目のジェムジェーオン伯爵を襲名した。


 ショウマはジェムジェーオンの国民の前に姿を現わした。


 歓声が沸き上がる。

 ジーク! ショウマ・ジェムジェーオン伯爵万歳!

 グランドキルンに列席しているジェムジェーオンの武官と文官の高官たちが、一斉に頭を下げた。龍棲殿前の大広場は人々で立錐の余地がなかった。グランドキルンに入ることができなくとも、大勢のジェムジェーオンの国民たちが城外に詰めかけていた。ジェムジェーオン国中に流されているライブ映像の前では、もっと多くの人々が祝っていた。


 すべての人々が、この若く美しいショウマ・ジェムジェーオンを注視していた。

 ジェムジェーオン伯爵襲名式は、アクアリス前脚地方の名門ジェムジェーオン伯爵家の家名に恥じない立派なものだった。

 昨年11月から5ヶ月間続いた『ジェムジェーオン騒乱』によって、ジェムジェーオンの国民は傷ついていた。国民は内乱の終結を喜びながら、類希に美しいこの新しい君主である伯爵に、安定と希望を願っていた。


 各国の諸侯や代表も、新しい君主に拍手を送っている。

 本当に心から喜んでいる者。

 形式だけの歓喜を取繕っている者。

 憎悪に似た感情を抱く者。

 誰一人として同じ想いはない。

 無数の想い、願い、思惑が交差していた。


 ショウマは人々に向かって、手を振った。

 もちろん、単純に喜びに浸っているわけではない。多くの犠牲と、叶わなかった夢を背負って、見果てぬ夢の終着地へ歩み続けることを覚悟していた。

 それぞれの想いが何処に行き着くか。今日の主役であるショウマを含め、誰もがまだ知り得なかった。

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亡国の貴公子 ~国を奪われた双子が、英傑たちと競い、国の奪還を目指す~ 芳田たかみ @kurukuruland

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