第59話 ジーゲスリード講和会議2日目 6

 帝国歴628年3月30日、ジーゲスリード講和会議の2日目の閉会後。

 ショウマ・ジェムジェーオンとカズマ・ジェムジェーオンは、約束の時間通りに龍巣殿に参上したタイガ・ニューウェイ子爵とミランダ・ジェムジェーオンを厚く迎えた。


「ご足労いただき、ありがとうございます」


 ショウマが発した歓迎の言葉に、巨体のニューウェイ子爵タイガが破顔した。両手を広げ、まるで自らがホスト役であるかのように構えた。


「気付けば、余もジェムジェーオン一族の最長老となってしまった。その立場を踏まえたうえで、今後のジェムジェーオンについて、ショウマ殿とじっくり話さなねばと思っていたところだ」

「ぜひ、御傾聴させてください」

「ショウマ殿、いや、ジェムジェーオン伯爵と呼んだ方がよいかな。伯爵襲名式の準備で時間もなかろう」


 タイガの表情は尊大で、厚遇を受けたことに満足している様子だった。

 ショウマはそっと右手を差し出し、着席を促した。


「私に対する気遣いはご無用です。さあ、お座りください」


 タイガとミランダが座ると、ショウマとカズマは対面の席に座った。

 ギャレス・ラングリッジ元帥、イアン・ブライス内務大臣、アンナ=マリー・マクミラン大佐は、ショウマとカズマの後で起立した。

 タイガが姿勢を正した。


「改めて、アスマ・ジェムジェーオン伯爵が亡くられたことに対して、お悔やみ申し上げる。余はアスマ伯正妻のミランダとともに貴殿のジェムジェーオン伯爵位継承を支持している。困ったことがあれば、何でも相談してほしい」

「ありがとうございます。ニューウェイ子爵がご支持してくださることは、私にとって心強い限りです」

「余が後見するのだ。大船に乗ったつもりでいてほしい」

「ありがたいお言葉です」


 ハハハ、ニューウェイ子爵タイガが哄笑した。


「前置きはこの程度にして、本題に移ろうではないか」


 ショウマは表情を整えて切り出した。


「はい。早速ですが、このたび、私がお二人をお呼びしたのは、弟ユウマの将来についてお話したいと考えてのことです」

「さすが、新たにジェムジェーオンの当主となるショウマ殿だ。余もユウマの今後のことを話したいと思っていたところだ」

「ジェムジェーオン、ニューウェイ両国にとって、重要なことです」

「その通りだ。余とショウマ殿の間だ。回りくどい前置きは無しにして、単刀直入に余の意思を伝えよう」

「解りました」


 タイガが真剣な表情を造った。


「ユウマをニューウェイの後継者として迎えたい。今後のジェムジェーオン、特にショウマ殿にとっても、悪い話ではなかろう」


 タイガ・ニューウェイ子爵の実子は、娘のミランダひとりだけだった。現在のニューウェイ子爵家の後継第一位はタイガの腹違いの弟だったが、タイガは自分の血を受け継ぐ者に、ニューウェイ子爵家を継がせたいと願っていた。父アスマの時代から、将来、ユウマをニューウェイ子爵家の後継に迎えたいという話が挙がっていた。


「タイガ・ニューウェイ子爵は、弟ユウマをニューウェイ子爵の後継に迎えたいということですね」

「そうだ。この際、誤解を生まぬためにも、お互いに本音で話したい」

「承知しました。私も本音で話します」


 うむ、タイガが大きく頷いた。


「今回の不幸な騒乱で、ユウマは自らの意志に関係なく、ジェムジェーオンの当主として祭り上げられてしまった。ジェムジェーオン国内に置いておけば、ショウマ殿も扱いが難しかろう。ユウマはニューウェイ子爵家の後継として、国外に出すのが最善と思う。いかがかな」

「ニューウェイだけでなく、ジェムジェーオンにとっても、ユウマがニューウェイの後継となることはメリットは大きいということですね」


 ユウマの母であるミランダがショウマに懇願してきた。


「ショウマさん、わたしとユウマが新たなジェムジェーオンにとって、邪魔者になるであることは重々承知しています」


 タイガが続いた。


「貴殿たちと血の繋がりのないミランダについても同様だ。ユウマと一緒にニューウェイが面倒をみよう」


 タイガはあくまで高慢だった。ジェムジェーオンとショウマのために一肌脱ぐことで、恩を売りつけようとする意図を隠そうとしなかった。


「私も、ユウマは自らの意志でジェムジェーオンの当主の地位に就いたのではないと思っています」

「当然だ」

「解りました。ユウマをニューウェイに改称させたうえで、ニューウェイ子爵家の後継とすることに同意します」


 タイガとミランダが顔を見合わせ、表情を綻ばせた。


「話が早くて助かる。あとは、余に任せておけば、悪いようにはしない。では、ユウマとミランダは貴公のジェムジェーオン伯爵襲名式のあと、ニューウェイに移ることで進めることにする」

「お待ちください」

「何だ」

「私、ショウマ・ジェムジェーオンは、ユウマのニューウェイ子爵家後継の話を承諾しました。しかし、ミランダ様とユウマがニューウェイに移動することを認めていません。ふたりはジェムジェーオンに残ってもらうつもりです」


 これまで上機嫌だったタイガが血相を変えた。


「なんだと!」


 ショウマは臆せずにタイガの顔を見詰めた。


「もう一度、同じことを繰り返した方がよろしいですか」


 タイガが目を充血させながらショウマを睨み付けてきた。


「ああ。もう一度頼む」

「解りました。ユウマのニューウェイ子爵家後継は承知しましたが、ミランダ様とユウマのニューウェイ移動は許可できません」


 ミランダの顔は、血の気が失せて青ざめていた。

 横に座っていたカズマは、何も言わずに、おろおろと目を大きく見開いて、ショウマを見ていた。

 タイガがショウマを睨みつけた。ぐつぐつと湧き上がる怒りを必死に抑えながら、沸点間近の表情で迫ってきた。


「念のため、確認させてくれ。ショウマよ。自分の発言が意味することを理解しているのだな。そのうえで、自らの言葉を撤回する気はないのだな」

「はい。撤回する気はありません」

「本当にそれでいいのだな」

「自分の発言が意味することは理解しています」


 タイガが勢いよく立ち上がった。ショウマを指さして、叫んだ。


「ショウマ、貴様はやはり、ジェムジェーオン伯爵たる器ではないな」


 座ったままのショウマは、目線だけを動かし、タイガを見上げた。


「ニューウェイ子爵の言葉の意味が判りません。説明していただけますか」

「考えてみれば、貴様は講和会議の時からずっとそうであった。何も解っていない。大恩あるこのタイガ・ニューウェイに対して、無礼なことばかりを述べている」

「申し訳ありませんが、私はニューウェイ子爵に無礼をはたらいた憶えがありません。正当な主張と、間違いない事実を述べてきました」


 立ちあがったままのタイガが、ショウマを見下ろしつつ、ますます顔を紅潮させた。


「ショウマ、貴様は何も解っていない。貴様が口に出した発言は余を侮辱し、敵に回そうとしているというのが解らないのか。理解できないのであれば、教えてやる。貴様の発言は、この余に向かって、ミランダとユウマ、ふたりの人質をジェムジェーオンに残せと脅しているのと同じだ。これで自分の発言の愚かさを理解できたであろう!!」


 座ったままのショウマは、涼しい顔で答えた。


「私の言葉は、その意味で述べたものです。ニューウェイ子爵の理解は、私が述べた意味を取り違えていません」

「何だと……」


 ショウマの対面に座っていたミランダが表情を歪ませ、両手で顔を覆って伏した。

 ひとつ間をおいてから、ショウマはゆっくりと明瞭に言葉を発した。


「ミランダ様、顔をあげてください。あなたが父アスマの殺害に関与したことは解っているのです」

「な……」


 タイガが言葉を失った。驚天動地の目をショウマに向けた。

 同時に、カズマ・ジェムジェーオン、ギャレス・ラングリッジ、イアン・ブライス、アンナ=マリー・マクミランの驚愕の目も、一斉にショウマに向けられた。


「いつまでも立ち続けるのは、お疲れになるでしょう。ニューウェイ子爵。座られたらどうですか」


 タイガが、ミランダとショウマを、キョロキョロと交互に顔を向けた。

 何か言おうとしたが、結局、口をつぐんだ。力なく、着席した。

 この部屋にいるミランダ以外の視線は、ショウマに向けられていた。

 そのなかで、ショウマは何も言わず、顔を伏せているミランダに向けて視線を集中させていた。

 ミランダは伏せたままだった。

 やがて、一同の視線も、無言のミランダに集まっていった。


 ようやく、ミランダがゆっくりと手を広げて顔を覘かせた。


「何を言っているのです? ショウマさん」

「それはこちらの台詞です。ミランダ様、お認めになってはいかがですか」

「ショウマさんが何を言っているのか、私は全く理解できません」

「ドナルド・ザカリアスが喋りました。あなたが主犯であると主張しています。バルベルティーニやマクシス・フェアフィールド元帥に渡した国書は、あなたが国妃の立場を利用して捏造したと」


 ミランダが小首を傾げた。


「ドナルド・ザカリアス? 暫定政府のザカリアス大将のことですか。私は面識がなく、存じ上げません」

「ミランダ様は、直接ザカリアスに接触していない。自らの存在を掴ませるミスを犯していないと思っている。しかし、ザカリアスも無能ではありません。しかも、今回の事件にザカリアスは自身の人生を賭けていた。自分の人生という大切なものを賭けるにあたって、裏をとるとは考えませんでしたか」

「何を言ってらっしゃるの? 意味が判りません」


 ショウマはミランダの言葉に構わず続けた。


「ザカリアスはこうも言いました。『自分に接触してきたジーゲスリードの無窮光教司教の裏に、ミランダ様が存在していた』と。ザカリアスが無窮光教司教が示した計画に参加することを決心したのも、あなたが介在すると判ったからだと。あなたが加わるならば、計画の実現性は高いと判断した、そう言っています。不幸なことに、ジーゲスリードの無窮光教司教は、暫定政府が樹立した後、行方不明になっていますが」


 ショウマの発言は、ブラフだった。ザカリアスは何も口を割っていない。だが、ショウマの直感は間違いないと告げていた。そして、レオン・ジェムジェーオンが調査した資料とスン・シャオライ中佐の言葉が、ミランダとザカリアスの関与を、ジーゲスリードの無窮光教司教を通じて、示唆していた。


 ミランダの顔から一切の表情が消えた。

 ショウマはじっと、ミランダを見詰め続けた。ミランダの目に怒りの火が灯ったのを見て取った。


 ――落ちる。


 ショウマは確信した。もう一押しだ。


「ザカリアス曰く『自分は計画の一部、登場人物に過ぎない』と、『すべてのシナリオはミランダ様が画策した』と、『目的はユウマ・ジェムジェーオンの伯爵位後継』と、主張しています」


 ミランダの美しい顔が歪み、言葉が零れた。


「……あいつ」


 隣に座るニューウェイ子爵タイガの顔に、狼狽の色が浮かんだ。


「ミ、ミランダ」


 ショウマはミランダだけでなくタイガ・ニューウェイの様子も注視していた。


 ――やはり、タイガ・ニューウェイは無関係か。


 タイガは演技ができるタイプの人物ではない。そのタイガがこの事態にあたふたと当惑している様子を見せている。ということは、ニューウェイは今回の事件に関与していないということだ。ショウマはそのように断じた。


「私は何もしていないわ。ショウマさん、ザカリアス大将の主張を裏付ける物証はあるのかしら」


 ショウマは目を凝らした。


 ――これがミランダの素顔か。


 頼りなげではかないという仮面を脱ぎ捨てた真の顔はかくも醜くかった。

 しかしながら、ショウマは明確な物証を持っていなかった。レオンの調査内容も、状況証拠に過ぎない。こちらの虚勢に気付かれる前に、この状況を利用して、有利にことを運ばねばならなかった。

 ショウマはターゲットをニューウェイ子爵タイガに定めた。


「ニューウェイ子爵」


 タイガが身を竦めるようにして、ショウマを伺った。


「な、なんだ」

「私たちは、ジェムジェーオンとニューウェイのこれからについて、話さねばならないと考えています」

「そうだな」

「ユウマのニューウェイ後継は認めます。直ちに、ニューウェイ子爵の後継者として、ジェムジェーオンとニューウェイの連名で発表しましょう。そのうえで、ユウマの身はジェムジェーオンに置かせてもらいます」

「……」

「その代りと言っては何ですが、ミランダ様の身はニューウェイに返してもよいです」


 タイガが面食らった表情をした。


「本当にいいのか」

「ただし、もうひとつ条件があります。ニューウェイの宰相はジェムジェーオンから人を送らせてもらいます」


 タイガが気色ばんだ。


「後継者をジェムジェーオンに置かれ、宰相も送り込まれる。ニューウェイを属国扱いにするつもりか」


 ショウマは努めて冷静に言った。


「では、ミランダ様をジェムジェーオンの法規に従わせる方を望みますか」


 タイガの勢いは失われた。


「いや、それは」

「では、この方向で決定していいですね」


 タイガは沈黙した。

 目が左右に小刻みに動いた。数秒間の熟考のあと、口を開いた。


「判った。これでいいな、ミランダ」


 タイガがミランダを覗った。

 ミランダがショウマを睨み付けてきた。

 ショウマも真っ向からミランダの視線を受け止めた。

 少しの間のあと、折れたのは、ミランダだった。


「ユウマの命は保障してくれるの」

「私はジェムジェーオンとニューウェイとの将来のため、ユウマを生かす。約束します」


 ミランダが顔を宙に向けた。

 しばらく顔を上げた後、顔をショウマに向け戻して、見詰めてきた。


「仕方ないようね」


 そう言った後、ミランダがショウマから目を逸らした。そして、項垂れた。

 タイガがミランダの肩をぽんと叩いた。


「ミランダは連れて行くぞ」

「解りました」


 ニューウェイ子爵タイガとミランダ・ジェムジェーオンが席を立ちあがって、肩を落としながら部屋をあとにした。

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