第58話 ジーゲスリード講和会議2日目 5
帝国歴628年3月30日、ジーゲスリード講和会議の2日目の閉会後。
昨日に引き続き、各国の代表団が散会した後、ジェムジェーオン伯爵国代表団は、グランドキルン龍巣殿に残っていた。
講和会議に出席したショウマ・ジェムジェーオン、双子の弟カズマ・ジェムジェーオン、ギャレス・ラングリッジ元帥、イアン・ブライス内務大臣に、ジェムジェーオン武家御三家のひとつマクミラン家当主のアンナ=マリー・マクミラン大佐が加わっていた。
ブライスが講和会議でのやりとりを、アンナ=マリーに説明した。
アンナ=マリーが血の気を失った顔で、ショウマに謝罪した。
「ドナルド・ザカリアスが、このようなかたちで復権を狙ってくるとは思っていませんでした。小官の失態です」
講和会議に出席するショウマ、ギャレス、ブライスが、会議準備に時間を取られたことで、新しい軍部の立ち上げ準備や旧暫定政府軍の尋問対応は、アンナ=マリー・マクミラン大佐が担当していた。
ショウマはアンナ=マリーを気遣った。
「マクミラン大佐は悪くない。ジーゲスリード奪回から講和会議まで時間がなかったとはいえ、その気になれば、私たちにはザカリアスを召喚して話をする機会を設けられた。結局、対応が後手に回ったのだ」
咎はないと諭されても、アンナ=マリーの意気は消沈したままだった。
カズマがふわりと包み込むような笑顔を作った。
「そうさ、兄貴の言う通り、マリ姐のせいじゃない。だって、アプトメリア侯爵がザカリアスとの面会を希望して、たまたま臨席したパイナス伯爵が、ザカリアスのイル=バレー要塞の廃棄案を知ったのだろう。つまり、アプトメリア侯爵がザカリアスと面会することを阻止しなければ、防げないことだった。それとも、ここにいる誰かが、パイナス伯爵が悪知恵を働かせるので、面会に臨席させないでくださいと、アプトメリア侯爵に伝えることができたのか?」
ハハハ、ショウマは笑いながら言った。
「カズマ、珍しいこともあるな」
カズマが不思議そうな顔をして、応えた。
「何がだ?」
「全面的に、カズマが言ったことが正しい」
「『珍しい』が余計だ」
カズマの言葉に、場の重い空気が軽くなった。
アンナ=マリーの表情も少し柔らかくなっていた。
「でも、パイナス伯爵に対しては、兄貴が『パルブラインの和約』を認めさせた。あれは痛快だったな。一勝一敗で五分に持ち込んだ」
すぐに、ショウマは首を左右に振った。
「そうとは言いきれない」
意外そうな顔をしたのは、カズマだけでなかった。この場にいる全員が首を傾げた。
「そうではないのか? どういう意味か、聞かせてもらえるか」
「あれは、……そうだな。パイナス伯に対する、ただの嫌がらせに過ぎない」
ブライスが疑問を抱いたような表情をして、尋ねてきた。
「ショウマ様は、パイナス伯に嫌がらせをする目的で『パルブラインの和約』を認めさせたのですか?」
「考えてみてくれ。実質的に、パイナスは何ひとつ失っていない。現実を見てみれば、何年も前からパイナス伯の意思とは関係なく、ライヘンベルガーの独立と男爵位は確固なものとなっている。『パルブラインの和約』に調印しようがしまいが、この事実は変わることはない」
ブライスが何とも言えない表情で、言葉に詰まった。
「確かに、そうですが……」
うん、カズマが大きく頷いた。
「たとえ、嫌がらせだったとしても、兄貴がパイナス伯爵に一矢報いてくれたおかげで、オレの気持ちは晴れたよ」
「カズマ、そう単純なことではないのだ。先程言ったように、パイナス伯は、実利的に何も失っていない。私がアプトメリア侯爵の前で発言したことで、パイナス伯は『パルブラインの和約』に再調印させられたという心のシコリが残った。これが、私の言うところの嫌がらせだ」
カズマが首をひねった。
「余計、分からなくなってきた。兄貴はそこまで判っていながら、なぜ、パイナス伯爵との関係を悪くする行為をとったのだ?」
疑問を呈するカズマに対して、ギャレス、ブライス、アンナ=マリーの表情は違った。ショウマの意図を理解し始めていた。
「カズマに聞きたい。私の発言に対して、パイナス伯と反対の感情を抱く者が存在するとしたら誰だ」
ん、カズマが一瞬考えたあと、言った。
「それは……、オリバー義兄さん。そうか。兄貴はライヘンベルガーのために、パイナス伯爵に『パルブラインの和約』を、再調印させたのか」
「そうだ。ライヘンベルガーのためであり、私たちジェムジェーオンのためでもある」
ショウマが『パルブラインの和約』の再調印をパイナス伯爵に迫ったのは、ジェムジェーオン伯爵国とライヘンベルガー男爵国との関係を考えての行動だった。
「たしかに、ライヘンベルガーにとって、パイナスは領地を接する隣国であり、旧宗主国で国力もライヘンベルガーよりも大きい。無視するには存在が大きすぎるよな」
「カズマにしては判っているじゃないか。ライヘンベルガー男爵国の安定を顧みたとき、オリバー義兄さんは、国主として、『パルブラインの和約』が破棄された現状を改めたほうがいいと考えていたと思う」
「オリバー義兄さんの性格だと、自ら頭を下げてという訳には、いかないものな」
「だから、ジェムジェーオンが仲介することに意味がある」
「でも、兄貴はオレたちジェムジェーオンのためとも言ってたよな」
「ああ、その通りだ。ライヘンベルガーは今回の騒乱の解決にあたって、謝礼金の受け取りを不要と言っている。ありがたいことだが、タダより高い物はない。現在のオリバー義兄さんは、何も求めなくても、今後何かを求めてくるかもしれない。その時、両国の関係が悪くなる恐れもある。恩義を返せるのであれば、少しでも返しておくのが最善だ」
今回のジェムジェーオン騒乱で、ライヘンベルガー男爵国はジェムジェーオンのために軍役を担ったにもかかわらず、利を得ていない。オリバー・ライヘンベルガー男爵自身はともかく、ライヘンベルガーの臣下や国民が納得するものを与えるべきと、ショウマは考えていた。
「兄貴は心配し過ぎだと思うけれど……。今後より一層、オリバー義兄さんと連携を強めていかねばならないのは、確かだしな」
「パイナスは今回の騒乱を通じて、バルベルティーニを完全にパイナス陣営に取り込もうとしている。だからこそ、ジェムジェーオンはライヘンベルガーとの協力を、一層強める必要がある」
「なるほどな。兄貴はそこまで見越していたのか」
「私たちは否が応でもそういう立場に立たされているのだ」
ん、カズマがしかめ面を作った。
「俺には、政治は難しいな」
「そうは言っても、カズマも考えねばならない時が来ているんだ」
「そういうのは兄貴に任せるよ」
ショウマはカズマがどうすれば真剣になるか伝えるべき言葉を探した。
――カズマにも理解してもらわねば。
その時、ギャレスが壁の時計を視ながら言った。
「ショウマ様、そろそろお時間です」
ショウマはギャレスの方に振り返った。
「そうだったな」
タイガ・ニューウェイ子爵たちを別室に待たせていた。
講和会議の終了後、タイガ・ニューウェイ子爵は、ショウマ・ジェムジェーオンと会談するため、グランドキルンの龍巣殿控室に移っていた。
会談開始までの時間、控室で休んでいた。傍らには、ジェムジェーオン伯爵アスマ夫人で、タイガの実子ミランダを伴っていた。ショウマとの会談には、ミランダも出席することになっていた。
タイガは、ミランダの顔に怯えが浮かんでいるのを認めた。
「ミランダ、何をそれほど恐れているのだ」
「お父様。……正直に言います。私はショウマさんが怖いのです」
「余がついておる。何も心配いらない」
タイガは大きな手でミランダの頭を撫でた。
この会談を申し込んできたのは、ショウマ・ジェムジェーオンだった。
ショウマのタイガに対する講和会議の態度は、許容範囲を超えた無礼なものだった。だが、ショウマは若い。新たにジェムジェーオンの当主となるのに、気負いもあることだろう。タイガは、情状酌量の余地を与えることも、ジェムジェーオン一族の年長者としての度量と捉えていた。
重要なのは、暫定政府に担ぎあげられた不幸なミランダとユウマの将来だった。
――余が娘と孫を守らないで、誰が守るというのだ。
コンコン、部屋のドアがノックされた。
「タイガ・ニューウェイ殿下。ショウマ・ジェムジェーオン様が龍巣殿にてお待ちです。お越しいただけないでしょうか」
「よかろう」
タイガは自身の立派な身体を立ちあげた。
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