月花夢想パラノイア 〜夢読姫綺譚〜

愛野ニナ

第1話


 お前は、俺を眠らせてくれるか。

 夜の闇の中で眠れたら、俺にも夢が見れるのか……。

 眠らない街を徘徊する眠れない男が深夜のコインバーで聞いたとりとめのない話さ。

「夢読姫はね、一緒に眠って夢占いをするの」

 そこにいた中学生くらいにしか見えない少女は言った。

 別に占いなど興味はないが、それ以前に俺は不眠症だ。眠れもしないのに夢占いも何もないだろう。

「誰かその夢読姫ってのに会ったのかい」

 俺が苦笑を殺しながら訊ねると、少女は即座に答えた。

「今は、この街にいる…」

 おまえさ、自分が会ったとでもいうのかよ。だがそれを聞こうとしたら、少女は既に消えていた。いつのまにか店を出ていったらしい。

 それともそんな会話を交わした少女など初めからいなかったのかもしれない。

 俺もコインバーを出て始発待ちの駅へと向かう。効きもしない錠剤をミントキャンディーのように噛み砕きながら、夜明けのガード下を通り抜ける。またいつもと同じ、眠れないままに忌々しくも朝を迎えようとしている。

 コインバーの少女の話はその場限りの退屈さえも紛れなかった。

 どうせ新手の都市伝説の類いだと、気にも留めなかったのだが。

 でも俺は、会ってしまった。

 夢読姫に。

 よりにもよって、蝶子に憑いていたとはな。



 蝶子がどんな夢を見ているのかなんて俺には知る由もないが、ただわかるのは、蝶子も俺と同じようにまた、闇がもたらす静かな眠りから見放された人種であるということだけは確かだった。  

 真夜中に人通りの途絶えた公園で、俺は蝶子に出会った。

 この公園では昼夜問わずホームレスがうろついたり寝ていたりするので、子連れでレジャーを楽しめるような場所ではないが、繁華街の中に位置しているのでそれなりの利便性はある。昼間はまだ一般の人が通り抜けたりもしている普通の公園であったが、夜になれば女であれば尚更に、まともな神経なら近寄ろうとはしないだろう。

 その頃俺はどうせ眠れやしない不眠の夜を持て余し、ナイトクラブの店員としてアルバイトをしていた。休憩中に夜風にでも当たろうとホームレス公園と俺が勝手に名付けていたこの場所を偶々歩いていたのだ。

 初めは幽霊でも見たのかと目の錯覚を疑った。

 初夏とはいえ真夜中に、あれはネグリジェとでもいうのだろうか、下着みたいな薄物姿の女が、水の止まった人工池の噴水設備の下で舞うように体をくねらせていた。

 異様な光景だった。

 丸い銀の盆のごとき月光に照らされ、女の姿は青白く幽玄めいていた。

 俺以外にもホームレスや僅かな通行人もいたはずだが、誰もその女に目を向けている者はいなかった。気狂いの類だと関わらないよう敢えて目を逸らしていたのか。

 俺は魅了されたように自分の意思かどうかもわからないままに女に引き寄せられた。

 美しい女だった。だがその目は現実の景色を映してはいなかった。

 女は夢遊病だったのさ。

 俺の横にはいつしか蝶子の護衛だという見知らぬ男が立っていて、俺にその役目を引き継ぐよう半ば強引に押し付けていったのだが、

 別にかまわないと思った。

 人生設計など元より無い。俺は流されるままにその役目を引き受けた。

 こうして俺は彼女に雇われることになったのだ。

 奇妙なことに、その眠りの番人として。

 俺の知らない時代のことだが、蝶子はかつて女優だったらしい。出所は不明だがそこそこの金も持っていた。

 俺はといえば、昼間は蝶子の気まぐれに付き合い車を走らせる運転手役。

 夜は眠る蝶子の傍らに護衛の騎士のごとく控え、彼女の夢遊が発動するたびベッドに戻しその眠りを見守った。

 美しい蝶子と過ごすそれは蜜月のようでもあった。

 だがその日々は長くは続かなかった。

 俺はまた突然にお払い箱となった訳だが、気分屋の蝶子を問いただしても無駄であることもわかっていた。その時は新しい男でもできたのかと思ったが、それも違った。

 ただ俺はまた不眠症の街を無意味に彷徨う日々に戻った。



 薄闇に時折吹き抜ける心地良い西風。アテネの森は、これから訪れる出来事への期待と波乱の予感に熱気を孕み、ざわめいている。

 日が落ちれば黒い森には次々と鬼火が浮かび上がる。まるで祝福さながらに、金色の火の粉が宙を舞う。メイ・イヴの宴にようこそ。長い夜の始まりだ。

 若い男女達がやってくる。闇に紛れて恋を語っているが、少しいざこざもある様子だ。職人達もやって来た。パーティーの出し物にする劇を練習している。

 皆、夢中で気づいていないが、森の奥では妖精の王と女王が夫婦喧嘩中。たくさんの妖精や、幻獣達がその夫婦喧嘩も我関せずと、気ままに歌い踊り騒いでいる。妖精王がパックをつかまえ何事かささやけば、恋の媚薬は若い男女に、職人達に、そして女王ティターニアにも、でたらめにふりかかった。

 恋の魔法とはなんて激しいのだろう。突然に恋に落ちた。好きになるのに理由なんてない。ひとめ見た瞬間から、驢馬の頭のあなたが好き。

 嗚呼、その仮面をとって、その素顔をわたしに見せて。

 でも本当は、見なくてもわかっている。あなたが誰なのか。だからその顔は絶対に見たくない。

 それなのに、なぜかどうしても目を閉じることができない。

 必死で視線を逸らせば、アテネの森は絵の具を塗りたくった書き割りに、鬼火の光は扇風機の風に流れる紙吹雪のラメに。

 真夏の夜の宴は、照明のトリックがみせた幻に過ぎず、魔法がとければチープな舞台劇に戻る。だけどそれは失望でありながら同時に安堵でもあるのだった。



 深夜を過ぎて、蝶子はまだ眠っている。明かりは点けていない。蝶子は気にもとめていないが今夜は新月。部屋は完全に近い暗闇だ。

 蝶子のベッドに並んで寝ていたミヨミはそっと起き上がった。

 かすかな寝息をたてて眠っている蝶子を確認するようにしばらくその顔を見つめた後、ミヨミは部屋を横切りバルコニーへ出た。

 蝶子のマンションの部屋は六階だ。月は無いが、薄くなった大気から透ける頼りない星明かりと眼下に広がる街のイルミネーションで深夜でもそれなりに明るい。

 バルコニーに黒い鳥が止まっている。

「バベル」

 ミヨミが呼びかけたそれは、カラスに似ていたがカラスではなかった。

「ずいぶんと自分勝手な女のようだ。お前を付き人だと思い込んでいるとは笑止。己で呼び寄せたことさえ気付いてもいない。己のみにしか関心がない人間の典型だな」

 カラスに似た何か、バベルは少し嗄れたような低い声で人語を喋った。姿はカラスよりひとまわり大きい。黒い羽は先端がかすかに青みを帯びている。目は炎を宿しているかのように時折赤く光った。

「蝶子みたいな人間なんて別に珍しくもないよ。多かれ少なかれ人にはそういうところはあるもの。それにね」

 ミヨミは微笑する。

「今日、服を買ってもらったの。もちろん蝶子は何もわかっていないけど」

 蝶子が見立てたアイスブルーのワンピースが夜風にひらめいた。生地に縫い込まれた小さなビジューが淡い星明かりに煌めく。袖と裾を飾る繊細なレースが、ミヨミの白い肌によく似合っていた。

「新月の契り、…契約成立というわけか。だが、実りの時まで気を抜くなよ」

 ミヨミの返答は待たず、バベルは言葉を続ける。

「この女、女優だったな」

「わざわざ調べたの。ご苦労様ね」

「情報収集はしておいたほうが良い。占いの役にも立つだろう」

「…それで?」ミヨミは続きを促した。

 蝶子は、大学生の時にサークルで演じたシェイクスピア劇を、たまたま観に来ていた芸能事務所の役員にスカウトされて女優となった。

 まさに妖精さながらの現実離れした天性の美貌と、艶めいた女らしさをも併せ持った蝶子は圧倒的な存在感を放ち、劇中では主役を差し置いて注目を集めたのだ。

 だがその後、映画の主役を一作つとめたが美貌とは裏腹の演技力は不評に終わった。本人の傍若無人ぶりも相まって、芸能界から遠ざかること二十余年が経過している。すでに忘れ去られた女優である。

「彼女の時は止まっている。今更、女優としての再起を望んでいるわけでもあるまい」

「表層の夢は既に読めた。でもそれは蝶子の本当の望みとは違う…」

 ミヨミは視線を遠く、地平線に向けた。

 東の空がわずかに薔薇色に染まり出している。ミヨミの瞳が夜明けの空と同じ色を映す。

「ミヨミ、お前の思うようにやるがいい」

 低く囁きを残してバベルは明け始めた暁を背に、空に残る闇の方角へ向かって飛び去っていった。



 確か月の明るい夜だったな。蝶子に出会った日からもうどれくらい経ったのだろう。

 俺には時の経過がうまく捉えられない。それどころか自分の過去の記憶も未来へのイメージにも欠け、今現在の自己像すら曖昧にしか認識できないのだ。

 だからといって自分探しをしようと思うほどの渇望も情熱も持ち合わせておらず、ある種の諦念のもと刹那的に日々をやり過ごしていた。

 それでもたぶん何かを求めていたとは思う。

 陳腐なメロディーに適当な詞をのせた曲を作り、ライブ毎にメンバーチェンジを繰り返しているようなロックバンドで、俺は歌い、ギターを弾いた。

 誰の魂にも届かないくだらない音楽だった。当然メジャーシーンに出ることもなく、地下室のような箱の中で、持て余していた若さのエナジーを爆音で発露していたに過ぎない。

 そしてそんな陳腐な音楽を勝手に解釈した挙句に無い意味を見出したつもりの少女達が、数こそそれ程多くは無かったとはいえど、狂信者のように群れた。陳腐なバンドに、否、おそらくは、この俺にだ。

 空虚なだけの俺に彼女達が求めていたのはものは何だ?本当は己自身の価値ってヤツを認めて欲しかったんだろ。こうあってほしいと願う大半を妄想で作り上げた虚構の俺の内に、お前らは自分のアイデンティティーとやらを勝手に見出そうとする。空虚な俺にお前らの、それもまた空虚であるそのものを満たせるはずなど無いのだが。

 俺は少女達の暴力的なまでに歪んだ自己愛の投影であった。その暗い情熱を帯びた想念が、ただひたすら重く苦しかった。

 月明かりが記憶を呼び覚ます。

 嗚呼、確かに此処にいたんだ、狂える踊り子、俺のサロメ!お前だけは俺の内に何事も求めようとはしなかった。それどころか、俺を見ようともしなかったな。

 愛しい蝶子、もういちどだけ会えないだろうか。

 俺はそう願っていたのか。

 傍らにいつのまにか白い姿があった。月明かりに照らされた輪郭線が背景に溶けるくらいに淡く白い少女の姿。

 だが、蝶子ではなかった。

「…貴方には夢が無い」

 ひそやかな囁き。この少女をどこかで見たことがある気がした。

「お前、夢読姫なのか?」

 少女は答えなかった。

「教えてくれよ。蝶子が見ていた夢って何だったんだ」

「…貴方も一緒に行く?」

 少女は少し考える様子で俺を見つめた。

 会話がかみ合わない。透き通ったガラス玉のような瞳に感情は読めなかった。

「したことなかったけど、できるかもしれない」

 言葉の意味もよくわからなかった。その少女…夢読姫の手が俺の指に絡まった。



 日が落ちれば黒い森には次々と篝火が灯される。まるで祝福さながらに、金色の火の粉が宙を舞う。ワルプルギスの夜にようこそ。この世ならざる背徳の宴だ。

 踊り狂う妖精達、恋を謳う若者達、好色な半獣達、媚薬の甘い香り、追い追われて逃げまどいもつれ合う狂騒。

 あの驢馬の仮面を着けた男は誰だ。村から来た職人風情などではあるまい。

 月と霧が織りなす虹色の光の輪の中に、ブロッケンの怪物よろしく暴き出されたその姿はどう見たって獣そのものだ。見よ、あの汚れた脚を、爪先を、悪魔の蹄に違いないではないか。

 頭に花の冠を戴いた妖精の女王が現れる。

 女王はミントグリーンのドレスも軽やかに嬌声をあげながらその白い腕をのばし、汚らわしい驢馬の首に抱きつき何事かを囁いている。

 これはいったい何なのか、此処は……、そうだった、これは蝶子の見ている夢なのだと思い至る。

 その夢の中での俺は、自分の形を具現化できない曖昧な存在だった。自己を曖昧にしか認識出来ないという点においては、夢でも現でもたいして違いは無いのだが。

 形の無い思念体とでもいうべき俺にも、夢読姫がいることは認識できた。

 容貌は現で見た時と同じ、涼しげなアイスブルーのワンピース姿の彼女は、神話のニンフェそのものといえた。この夢の世界でも違和感なく調和している。

 夢読姫に連れられて俺は蝶子の夢の中に来たのだ。久しぶりに訪れた蝶子の部屋。眠り姫のベッドの傍で、夢読姫は、右手を蝶子の腕に触れ、左手を俺の指に絡ませて、共に眠った。

 あの驢馬の仮面の中は暴いてはならないパンドラの箱さ。

 蝶子はあの中身が何か本当は知っている。そしてそれはたぶん俺にもわかっていた。

 だから、見たいと願いながら見ようとしない。見れば終わりだ。妖精郷の住人ではいられなくなるから。

 それは蝶子も、俺も、俺の陳腐なバンドに群がる少女達だって同様だ。

 この救い難い現実世界に幻想を重ねることでしか生きられないのだから。

 蝶子は夢から覚めることを望まないだろう。

 美しく無邪気な妖精の女王。

 それが、蝶子の望む夢。

 驢馬の仮面は永遠に暴かれることは無い。



 真夜中を過ぎた満月の冴えた光が、ビルの屋上を銀色に照らしている。

 コンクリートには白いスプレーで描かれたらくがき。

「HEAVEN」

 かろうじて判別できるアルファベットの文字と、その先に延びた矢印が一箇所だけ破れた金網のフェンスを指し示している。

 ミヨミはその矢印に従って進み、破れたフェンスをくぐり抜ける。

 フェンスと宙の間の数十センチの地面を、天使の境界線とひそかに名付けたのは誰であったか。

 ここは確かに生と死の境界線なのかもしれない。

 死の側へと飛んだ彼にとっては。

「…眠り姫の番人には役不足だったね」

 境界線のミヨミは下界を見下ろし微笑む。

「でもよかったじゃない。これでもう、ゆっくり眠れるね」 

 黒い大きな鳥が旋回しながら降りてきて、ミヨミの華奢な肩にとまる。その様はまるで、彼女自身に黒い羽でも生えているかのようにも見えた。

 ミヨミの手には小さな月光とでも形容すべき蒼白い光の球があった。

 妖精の女王が見た美しい夢の結晶。

 この輝きこそMWの内に統合されるに相応しい。

 虚空に浮かぶ実りの満月を仰ぎ、ミヨミは手にしていたもうひとつの月のごときその夢の光を捧げた。


 *** **** ***


「ねえ、知ってる?ライブハウスにね、死んじゃったバンドマンの霊が出るって噂」

「そのバンドマンて誰だっけ?」

「なんてバンドだったかな。お姉ちゃんの友達がそのライブ行ってたみたいだけど」

「ちょっと思い出した。確かギタリストが飛び降り自殺したとか。けっこう人気はあったんだよね」

「そうそう、インディーズだったけど熱狂的なファンもいてさ、何人かのファンの子が後追いしたって、確か事件にもなったよ」

「怖いねー。霊が出るライブハウスって、まさかここだったりして」

「でも飛び降りがあったビルってライブハウスが入ってるビルじゃなかった気もするけど」

「そうだったかもね。あ、開場だって。もう行こう…」


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