【RF外伝】機母の感謝/Louvreate's Gratitude

ウツユリン

9月の日曜日

 ——この頃の娘の変化に、ルヴリエイトは少し驚いていた。


「——はい、ルーの。で、これはロカのっと」

 そう言って、食卓にしている丸テーブルに次々、小皿プレートをリエリーが並べていく。

 丸い円盤形の、何の変哲もないその白器はよく磨かれていて、ほの温かいオレンジの室内の灯りを反射させていた。

「お、おう。ありがとな」

 目の前に小皿を置かれ、ルヴリエイトの左隣に座る茶黒い巨体——マロカがそう、居心地悪そうに大きな体を揺らす。ついでに深い海色のその双眸が、テーブルを回りながら食器を配膳していくリエリーをチラリチラリと追いかけて忙しない。

 ——これではまるで、意中の相手に想いを伝えられずに悶々としているティーンエイジャーだ。

 AIゆえに存在しないココロの中で、ルヴリエイトはそう諦めのため息を独りごちる。

 もちろん、血のつながりがないとはいえ、マロカとリエリーの関係はそんな甘酸っぱいラヴリーなものではない。いちばん近い表現は——父娘おやこだ。

 が、父親であると同時に、歴戦の救助者レンジャーでもあるはずのそんなマロカが、遭難者よろしくルヴリエイトのカメラへ、救難信号SOSのアイコンタクトを送ってくる。

 ——これがってやつなのか?


*  *  *


「——あの子も、年頃になったってことよ」

 神妙な顔持ちでを訊いてきたマロカに、ルヴリエイトがそう答えたのは数日前だった。

 普段、荒れ狂う凶刃と超自然現象を相手に、真っ向から飛び込んでいく〈戦錠〉マロカ・セオーク。その彼が、えらく思い詰めた表情を浮かべている。

 記憶力には絶対の自信があるルヴリエイトのメモリでも、そのような彼の姿を記録したことは数えるほどしかない。初めてマロカと出会ったときと、リエリーの将来について二人で語り合ったときくらいだ。

 一瞬、ルヴリエイトの思考に、これまでの日々がよぎる。

 そうして身構えて水を向けてみれば、マロカの口から出てきたのはこんな疑問だった。

 ——最近のリエリー、を使い出しているんだが、心当たりはあるか?

 肩の力が一気に抜けた気分だった。

 もちろん、ルヴリエイトの筐体に生物の関節たる『肩』は存在しない。あくまで、人間でいうところの気持ちの問題である。

 だからこそ、マロカには自分の気持ちを少しわかってほしいと、己の願望を言いかけてルヴリエイトはやめた。——それがわかっていれば、そもそもこんな疑問も浮かばないだろうから。

「つまり……」

 マロカの疑問、もとい懸念をルヴリエイトが要約するとこうなる。

 食事ではいつも大皿から直接、料理を口に運んでいたリエリーが突然、小皿に取り分けるようになった。マロカ自身、それとなく本人へ理由を訊いたものの、返った答えは「べつに」の一言だけ。

 それらしい理由が思い浮かばず、かと言って娘の変化に無関心でいられるほど、マロカも人でなしではない。

 それで結局、ルヴリエイトへ助けを求めてきた。

「——というところかしら?」

 自慢の鼻をヒクつかせ、狼然おおかみぜんとした頭をマロカが縦に振る。

 確かにリエリーの変化は、小さい頃から見守ってきたルヴリエイトも少し驚きなものだった。

 貧乏救助体レンジャーチームとはいえ、チームの財布と家族の健康管理を預かるルヴリエイトが、食費から予算を絞り取るようなマネをしたことは、一度もない。

 当時、6歳にもなっていなかったリエリーの体にとって、食事がどれほど大切かは、人間ではないルヴリエイトでもじゅうぶん理解できることだったからだ。だから自身の整備費メンテナンスを削ってでも、食卓に上る栄養を偏らせたことはない。

 反面、作法マナーについて問われれば、栄養面ほど気をつかっていなかったことは事実だ。

 豪快、と言えば聞こえがいいものの、リエリーの食事はまるで猛獣のそれと近いほど荒々しい。

 だから、そんなリエリーが急に、小皿を小遣いで買ったことにも驚きだったが、それを毎食で使っているのもちょっとした事件だ。——とはいえ。

「言っとくけど、『父親といっしょがイヤ』期なんかじゃないからね、あの子。そこは勘違いしないであげて」

 ルヴリエイトの言葉に、ピーンと突っ立つのは表情よりも雄弁な、マロカの三角耳。娘に嫌われているわけではないらしいとわかり、『嬉しい』の体表現ボディランゲージが出たのだろう。念押しは、図星だったらしい。

 とはいえ、マロカの着眼点には、ルヴリエイトも同感だった。

 今まで気にも留めてこなかった、些細な自分の所作を改める。

 ルヴリエイトもマロカも、もちろんそれを本人に注意したわけではない。

 となれば、考えられる可能性は限られてくる。

 何より、ルヴリエイトの推測を裏付けるが、目の前にはあるのだから。

「これはね、マロカ。あの子も、年頃になったってことよ」


*  *  *


「——これでよし、っと」

 父親の視線を素知らぬ顔で流し、あからさまにの席への配膳をスキップすると、サイズの合っていないパーカー姿が澄ました顔で自分の席につく。

 そのリエリーの目の前には、自分用の小皿が既に置かれてあり、何食わぬ顔のまま、手を打ち合わせる。

「いただきま——」

「って、待てぃ! またスルーっすか、エリ姉⁉」

 絶妙なタイミングで入れられる、クレームツッコミの言葉。

 その言葉を発した少年——勇義ゆうきは、立ちあがりかけた姿勢のまま、なぜか握手を求めるように右手を横へ突き出している。そのモーションが、彼の故郷に伝わる伝統芸能の由緒ある技『ツッコミ』だと、ルヴリエイトは最近知った。

 それはリエリーも同じはずなのだが、伝統芸を目の当たりにした反応はひどく冷たい。焦げ茶色の瞳を彼へ向けると、リエリーは「居たの?」と一言だけ返した。

「いましたよっ! というか、二週間前からいますし! さっきグラウンドを60周して、帰ってから隣でレンコン洗ったじゃないっすか! いくらオレがバカだからって、これじゃあんまりですよ……」

「——ちがうってば」

「……はい?」

 秒速で返る、否定の言葉。

 合掌したまま、声にどこか怒りさえ滲ませてリエリーは、食事とシャワー以外では外そうとしない己のトレードマーク——涙滴型のサングラスアビエイターをトンッ、とテーブルへ置く。

 そうして露わになった茶黒い瞳は、まっすぐ、自身が意地悪をしたばかりのチームメイトに向けられていて。

 自分には能力がないと、そう半ば本気で信じ込んでいる仲間の憂いを真っ向から否定する。

「どんくさいし、ドジだし、うるさいけど——あんたは、バカじゃない」

「……それ、慰めてないですよ」

「慰めてないし」

 再度の速攻否定に、すかさず勇義は「ぐほっ」と今度は『ずっこけ』の技を披露してくれる。実に、芸達者な少年だ。

「同情なんか役に立たない。あたしが言いたいのは、あんたがバカじゃないってこと」

「でも今朝の現場だってオレ、足手まといだったじゃないっすか。ロックさんやルーさん、チームのみんなに迷惑ばっか掛けて……」

 ますます気落ちする訓練生の姿を見かね、ルヴリエイトの隣でごそりと、マロカが体を浮かしかける。——が。

『待って、マロカ。あの子に任せて』

 彼だけにしか聞こえない高周波の言葉で、ルヴリエイトは引き留めた。

 そうしてカメラを見返してくる深海色の瞳へ、筐体を短くうなずかせて自信を見せる。

 そんなやり取りに気がつかなかったように右隣に座るリエリーは腕を組むと、

「上手い下手は練習すればいい。そのためにウチ来たんでしょ?」

「ええ、そうっすっ! なんたってここは、あの世界最強の〈戦錠〉がいるんすから!」

「……へぇ〜。じゃ、あたしのことはどうでもいいんだ? どっちかっていうと、あんたのお守りしてんの、あたしなんだけど」

「あっ、たしかに! エリ姉、いつもお世話になってます! これからもよろしくっす!」

 右の拳を掌へポンと落とし、納得したように勇義が首を縦に振る。

 そうしてどこか晴れ晴れとした顔をリエリーに向けると、その茶黒い瞳の頬に朱が差した。

「あ、あたしはあんたの姉貴じゃないってばっ!」

「いやいや! エリ姉の言葉にはいつも励まされてます! エリ姉がいないと、オレ、やっていけないっす!」

「——っ⁈」

 で勇義が言ったわけではないと、ルヴリエイトの正確無比な推測は告げている。——が、父娘には無邪気な訓練生の言葉が強烈に効いたらしく、二人揃ってむせ返っていた。リエリーの顔がさらに赤いのは、咳のせいだけではないはずだ。

「はいはい。お楽しみはこれくらいにして、ご飯たべましょう? せっかくユウちゃんが作ってくれた和食が冷めちゃうわ。ほーらエリーちゃん。ユウちゃんにお皿」

「じ、自分で取りにいけっ!」

「エリ姉がいつもより冷たい⁈」


 ドタバタと慌ただしい食事時は、それからもしばらく続いた。

 やいのやいのと、何だかんだで楽しげな若者二人と、いつになく落ち着きのないマロカ。

 そんな家族たちの姿に、ルヴリエイトは思考の中で思う。

「あの子も変わったわね。——ありがと、ユウちゃん」



《了》

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