第8話 2018年3月 最終話 遼一√

 僕はこの7年間、怒涛の忙しさの毎日を過ごしてきた、様な気がする。家事と育児がこんなに大変なものかと、初めて知った。

 あ、初めてって、当たり前か。だって本当に「初めて」なんだものね。しかも最初の1年目は家事に育児に、自分の学校だって有った。

 3月の初旬に生まれた千賀子さんと僕の子どもは、男の子。

 前の年の丁度僕が教育実習の時期に、千賀子さんの妊娠が発覚した。「発覚」って言い方はおかしいな、妊娠が「明らかになった」にしておこう。

 忘れもしない、まだ僕が大学生だった7年前の教育実習明けの土曜日、いつもの様にTomyさんの店で待ち合わせたのだけれど、その日の千賀子さんはジンジャーエールを頼んでたっけ。

 逆算すると、あの日、あの時、なんだよなぁ。ある意味、運命感じるな。

 にしても、その後のドタバタ加減は今思うと笑ってしまう。

 大学どうする?両家の親には何て報告する?千賀子さんの仕事は?これからの2人の生活は?何処に住む?

 そう言えば、あの時、僕は初めて千賀子さんに本気で怒鳴ったな。怒鳴ることなかったのに、それは今でも反省している。

 その日は珍しくカウンターの席ではなく、一番奥のテーブル席に2人座って、ジンジャーエールを飲みながら余り浮かない表情の彼女がそこに居た。

 そんな彼女を気にしながらも、教育実習明けで緊張感から解放されてほっとして、久しぶりに千賀子さんに会えて高揚している僕は、生ビールを立て続けに3杯も飲んで、気分よく教育実習で起こった奇天烈な体験談を話していた。

 確かに千賀子さんも面白そうに聞いてくれてはいたのだけれど、どこかしらそわそわ落ち着きがないというか、本当は何か自分から話したそうな雰囲気はありありだった。何せ、ジンジャーエールを飲んでいたのだから。

 その後直ぐに千賀子さんから「赤ちゃん、できちゃった」と告白を受け、僕は椅子から滑り落ちそうになるくらい驚いて・・・。

「堕ろそうと思う」と言い出す千賀子さんに、僕が「何バカなこと言ってんの!勝手に決めるるんじゃないよ!」と怒鳴って店中を凍りつかせた後、「産んでください」と言って千賀子さんが泣き出し、「心配ない、何とかなる、いや、何とかする」と僕は言いながら、内心はどうすれば良いのか分かる訳もなく・・・。

 それから約1週間くらいだったか、兎に角2人で「ああでもない、こうでもない」とドタバタしていたように記憶している。細かいシチュエーションはもう忘れてしまったけれど、千賀子さんが「本当は産みたいよ」「ありがとう」「良かった」と言った、この3つの言葉だけは、今も鮮明に覚えている。

 今思うと笑い話の様でもあり、よくもまぁあんな決断したものだなと自分達に感心してみたりもする。

 僕等それぞれの両親にも感謝している。特に何の反対もせず、彼らは僕等の思いを聞き入れてくれた、と思っていたが、最近家族4人で僕の実家に里帰りした折に、母は笑いながら僕等にこう言った。

「だってあなた、あの時のあなた達って、認めなかったら、そのまま駆け落ちでもしそうな勢いだったじゃないの。こっちは脅迫されてるみたいで気が気じゃなかったわよ。あ、でも千賀子さんは違うわよ。遼一の目が血走ってたから。ねぇ、お父さん」

「ははは、まぁ良いじゃないか、今となっては笑い話だ。寧ろ滅多にない良い話だ」

「いやだぁ、お義父さん」

 千賀子さんは後で僕に言う。

「良いご両親でよかったわ、本当に」

「いやいや、君のところのお義父さん、お義母さんだって大したもんだよ」

 思い返すと、あの日、もう当分着ることもないだろうと思っていた教育実習の為に購入したスーツを、その僅か1週間後には着用して臨んだ千賀子さんの両親との初対面。

 よくあるテレビドラマの様に、僕はお義父さんに怒鳴られ、殴られることくらいは覚悟の上で、ガチガチに緊張して正座していた。

 お義父さん曰く

「・・・2人のことだ、2人で決めなさい。私たちは親として出来る限りの支援はするけれど、2人は2人で決めたことを精一杯やり切りなさい。なぁ母さん、良いだろう、それで」

「はいはい、もちろん」

 お義父さんもお義母さんもニコニコ笑っていた。

 僕はその笑顔を見て、ひょっとしてこの仮面の下には沸々と煮えたぎる怒りの表情が隠れているのではないかと、密かに怯えていたのだけれど、帰りに千賀子さんがタネ明しをしてくれた。

「実はあたしね、今迄2回、お婿さんを貰う為のお見合いをしてるの。あたし、一人娘じゃない?でも、2回とも断っちゃったんだ。あたしもあんまり乗り気じゃなかったし、うちの親も相手がうちの財産目当てみたいに見えちゃったみたいで、それ以降は諦めていたの。

 あ、これ言ってなかったけど、うちのお父さんも、一応婿養子なの。今のところは名字だけだけど、行く行くはおじいちゃんの会社から何から継がなきゃならないんだって。あたしにはあんまり興味の無い話なんだけど。そこにきて、遼一さん、『できちゃった』報告で大学生で次男坊、ストレートに打算なく挨拶に来てくれたって、うちの両親、喜んじゃって・・・いいの、婿養子なんて考えなくて。勝手にあの人たちが期待しているだけだから」

 それでも僕は、結果、婿養子になった。

 その後も大変な日々は続いた。いや、過ぎてしまえば大変でも何でもなかった。それにその時ですら、今思い返せば、兎に角目まぐるしくて、大変と感じるよりも毎日があっという間に過ぎていったというだけだ。

 僕が大学4年の夏まで千賀子さんには産休を取って貰い、その間に僕は卒業に必要な単位は卒論以外、全て取得した。その後の後期からは千賀子さんには会社に復帰して貰い、僕は卒論の作成作業に入った為、学校の研究室に1時間程と図書館に本を借りに1時間程度、自宅との往復に1時間、合計3時間、週に3回の登校生活をしながら、それ以外は家事と育児に専念する毎日だった。

 学校に行く間は、お義母さんが来てくれて、お昼過ぎまで赤ん坊の面倒を見てくれた。

 そう言えば、お義母さんの都合がつかずに一度だけ、大学事務局に奨学金か何かの書類提出の為に行った際に、僕は赤ん坊を抱いていたなぁ。書類の確認をしてもらっている間に、赤ん坊が泣きだしてしまって、てんやわんやの大騒ぎになったってことを思い出した。

 その赤ん坊も来月には小学2年生だ。生島 素哉という。

 そして、実は子どもは1人ではない。

 素哉の生まれた2年半後、次は女の子だった。生島 直美。

 千賀子さんが直美を妊娠した時には僕等も慣れたもので、千賀子さんは「また、出来ちゃったみたい」と、とても素敵な笑顔で報告をしてくれた。

 僕はわざと眉毛を八の字にして、唇を尖らせて見せてから「えー、まだ続くの?この楽しい生活が!」と、恍けた風に答えると、2人で顔を見合わせて声を上げて笑った。

 そんな2人を不思議そうに見比べていた素哉も、突然きゃっきゃと手を叩いて笑い出したので、僕等は3人で大いに笑った。

 そうそう、感謝と言えば、Tomyさんにも言葉では言い表せないくらい感謝している。

 こんな素敵な人生は、僕にとって多分他では考えられない。

 育児、掃除、洗濯、料理をして、本を読み、文章を書く。千賀子さんは優秀なキャリアウーマンで、もし僕が教員になっていたとしても、彼女の収入には遠く及ばなかったことは簡単に想像がつく。

 千賀子さんの会社にも感謝だな。充分な産休も取らせてもらって、会社でのポジションも変わることなく、そのあと部長職にまで昇進して。

 まぁしかしそれは彼女が優秀だったからか?やはり。

 そこのところは会社員になったことのない僕には少し分かりかねる部分であったりするけれど。

 素哉と直美にもだ。生まれて来てくれてありがとう。

 名前を付けたのは千賀子さんだった。初めの子は、男の子だったら「素哉」、女の子だったら「素子」って、言っていたなぁ。

 次の子が出来た時、やっぱり同じように「直也」か「直美」だって・・・。

 千賀子さんは「素直」って言葉に拘っていた。そして僕も「素直」って言葉が好きになった。

 何にせよ、今現在、素敵な人生に違いない。

 そんなことを思いながら、僕はPCを閉じた。


 さて、シャワーを浴びて着替えをしたら、素哉と直美を小学校と幼稚園へ迎えに行ってと・・・、それからTomyさんのお店で千賀子さんと待ち合わせだ。

 素哉の誕生日と、僕等の結婚記念日。

 そうだ、千賀子さんに花束を買って行こう。

 TomyさんにはIWハーパーを。



 END

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すなお・・・(素直) ninjin @airumika

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