第7話 5月13日早朝 リョウイチ√ チカコ√ ツトム√

        リョウイチ 

 眠れそうで眠れない

 眠っていないようで、気付くと時計は15分ほど進んでいる

 隣に、本当にすぐ傍に、可愛らしく、美しい寝息を聴きながら

 このまま深く深く、遠く遠く、沈んで行きたいのに

 永い永い時間を感じながら、僕は、身動きが出来ない

          ◇


 ふとベッドの頭上のデジタルアラームに目を遣ると、「AM5:07」。

 まずい、起きなきゃいけない。今すぐ飛び起きて、6:00にここを出てもギリギリの時間に違いない。

 千賀子さんは可愛らしい寝息を漏らしながら、まだ夢の中みたいだ。千賀子さんの寝顔は、少し微笑んでいるように見えた。

 このままその寝顔に見惚れていたいという思いもあるのだけれど、そういう訳にもいかないことは分かっている。

 もう一度デジタルアラームに目を遣ると、あれから更に10分進んで「AM5:17」。

「ちかこ・・さん・・・」

 小さく声を掛けると、千賀子さんは薄く目を開け、一瞬泳いだ視線が僕の眼差しに戻って来た時、今度は瞳をいっぱいに広げて「あっ」と声を上げた。

「ごめんなさい、完全に寝落ちちゃってた・・・」

 それから僕がさっきしたように、頭上のアラームに目を遣り、更に「やだぁ」と言いながら僕の方に視線を戻した。

「シャワー、浴びてくるね」

 千賀子さんはそう言うと、何故か僕の鼻先に唇を寄せて、可愛くキス・・・と思いきや、僕の鼻先をペロッと舐めた。

 僕はちょっと驚いて思わず「うわっ」と声を漏らすと、千賀子さんは可笑しそうに笑って「騙されたぁ、良いリアクション」と言いながら、今度は僕の鼻の頭を人差し指でちょんと突いて更に笑う。

 僕が何と言って良いか分からずに言葉に詰まっている間に、千賀子さんはベッドの奥の方からバスローブを手繰り寄せ、それを羽織ると、「すぐ浴びてくるね」と言い残して、バスルームに消えて行った。

 取り残された僕は、何故か変な気分になる。



         チカコ

 思っていたより痛くなかった。

 そう、あたしは目出度く?処女喪失してしまった。

 熱いシャワーを浴びながら考える。

 遼一さんは、良かったのかしら?

 満足したのかしら?

 あたしは・・・恥ずかしい・・・

 シャワーから出て、どんな顔して遼一さんに向き合えばいいのかしら・・・

 いや、そうじゃない。

 本心で向き合えばいいのだ。

 素直になればいいんだ。

 がんばれ、あたし。

 ん?頑張ることじゃないか。

 ははは、あたしはどうかしている。

 でも、大好き。

 そんな自分も、大好き。

           ◇


 バスルームを出て、びっくりするくらい大きな鏡のある洗面台の前で下着を付けて、ジーンズを履いた。

 鏡に映った自分が、昨日までのあたしとは違うあたしに見えるのは気のせいかしら。

 ブラウスを羽織って、ベッドルームに戻ると、もう着替えを済ませてベッドの端に腰かけて携帯をいじっていた遼一さんが、顔を上げ、こちらに目を向けた。

「シャワーはいいの?」

「うん、僕は大丈夫、帰ってから浴びるよ。それより、もうここ出ないと。今、ルート検索してたんだけど、今出れば、7時過ぎには家に着きそうだから、そしたら、会社、間に合うかな、千賀子さん?」

 あたしは何も迷わず遼一さんに飛びついた。

「遼一さん、大好きっ」

 あたしが飛びついて抱き着いた勢いそのままに、ベッドに仰向けに倒れ込んだ遼一さんに覆いかぶさるようにして、あたしは遼一さんの頬といわず唇といわず、キスをする。

 そして最後に、彼の鼻の頭をペロッと舐めた。

 遼一さんがさっきと同じように驚いて目を大きく見開いた瞬間、今度はすごい力で一気に反転させられて、あたしの背中がベッドに沈み込み、遼一さんの向こう側に部屋の天井が見える。

「悪戯はそこまで、です。本当に会社、遅刻しちゃうよ」

 あたしはワザと遼一さんの視線から目を逸らし、そしてすぐまた元に戻す。

「遼一さん、リョウイチさん、りょういちさん・・・」

「なにそれ、さん付けって、変な感じだよ」

「嫌?でも、もう決めたの。遼一さんって呼ぶことに」

 遼一さんは少し怪訝そうな顔をしたけど、そのあとニッコリ笑って、あたしの頬にキスをしてくれた。

 ふわっと身体がベッドから浮かび上がる。

「きゃっ」

 あたしは思わず遼一さんの首に両手を回してしがみついた。

 お姫様抱っこされて、あたしはまた無重力状態。

 そして月面着陸宜しく、ふわぁって床に着地。

「千賀子さん、僕も、君が大好きだよ。もっと好きになるよ・・・多分」

「多分って、なによ」

 意地悪を言ってみる。

「いや、きっと。いや、絶対」

 慌てて言い直す貴方は、凄く可愛い。

「遼一さん、かわいい」

 遼一さんは少し照れたように、「なに、それ」と嘯いて見せたけど、それがまた愛おしい。

「やっぱり、かわいい」

 あたしは遼一さんのことが好きだ、そして、自分のことも好きになっている、昨日よりずっと。


          ツトム

 人は、何時か、大切な何かに出会う。

 それは人かもしれないし、物かもしれない。仕事だったり、趣味や学びかもしれない。

 それまで知らなかった自分に出会うかもしれない。

 まあ、何にせよ、何時か、その大事なものに出会って、人生は一変する。

 昨日まで灰色だった世界が、瞬く間に総天然色の世界に変わり、身体を巡る血液の熱量を感じる。

 タイミングとチャンス。時間と切っ掛け。

 時間は計り、備えることが出来ても、切っ掛けはそこら中に転がっているにも拘らず見逃してばかりだ。

 どんなに努力をして態勢を整えたところで、曇った瞳や心では決してチャンスを見つけることは出来ないのが常だ。

 そういった意味では「正直者は馬鹿を見ない」のかもしれない。

 正直であり素直であれば、クリアな視界と感性が、確りとチャンスを拾い上げることの出来る確率も上がるというものだ。

 人間の社会というものは極一部を除いて、基本、大多数の「性善説」によって成り立っていると考えると、当たり前のことなのだろうが、それがなかなか理解し実践するのは難しかったりもする。

 何故だろう・・・。

             ◇


 また今日も仕事上がりにIWハーパーを片手に、堂々巡りの自問自答を繰り返す。

 人に話して聞かせるのは簡単でも、自らが出来ているとは到底思えない。そこは自嘲気味に笑うしかない。

 それでも正直、人に感謝されたり褒められると嬉しいものだ。特に何の利害も無く、ただ単純に自分の出来ることを行った結果、それが人の為になったことを知ると、そこはかとない充実感に満たされる。

 例えば先日、千賀ちゃんから感謝されたサッカーチームとの契約の話なんかもそうだ。

 俺の交友関係なんて、決して広いとは言えないが、たまたま大学時代のサッカー部仲間で現在はプロチームのマネジメントをしているヤスダが店に来た時、チームの宿泊施設の話になり、丁度そこにあった千賀ちゃんのところのパンフレットと、自分が以前に千賀ちゃんから貰っていた宿泊優待券を渡したことが功を奏したって話だ。

 そして千賀ちゃんに「ありがとうございます」と感謝されて、俺は大したことはしていないと謙遜しながら「お役に立てて嬉しいよ。今後ともうちのお店も宜しくね」と、充分に満足が得られるのだ。

 そう言えば、昨日、あの二人はどうなっただろうか。

 千賀ちゃんには、嘘ついちまったな・・・遼一くんに何もアドバイスしてないって・・・。

・・・そんなことより、もう帰ろう。

空も白んできた。朝だ。


 最終話へ つづく


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