第3話

「あ」

 得心がいった。

「岡氏の奥方。あれ、後妻だろ。うわ、だからだ。あの人、私のこと、いつもにらんでくる」

「ああ、もう」

 橋本は握りこぶしを縁側に叩きつける。

「先を越された。可愛い女の子を二人ももうけた。悔しい、悔しい、悔しい」

 歯ぎしりする橋本。

「でも、仏様は私たちの味方なんだ。人生一回分ではあがないきれなくとも、俺は絶対に諦めない。そう、岡先生だって、仏教系の中学に進んでから、お経を寺に納めているんだ。今回は無理でも、いつか」

 私は笑う。

「気の長い話だな」

 気を抜いた橋本は、寝転がる。

「本当に」

「せっかく側に居られるのだから、とっとと愛してもらってはどうか」

「それはしない約束だ」

「黙ってるからさ」

 橋本が視線だけこちらに寄こす。

「俺はKとは違う。恋したことを間違いだなんて、決して思わない。そして自決もしない。できるだけ長生きして、修行して懺悔して許しを請う。来世でまたあの人と恋するために。何度でも」

 キラキラした瞳。あの時と変わらない輝き。

「恋する乙女は、最強だな」

「当然。あの人の子供を産むまでは、死んでも死にきれない」

 かの乙女の夢に現れたという仏様よ。何故、橋本は男なのか。なかなか意地悪をする。前も、今も、紙風船のごとくふんわりとした性格。一体、あの子が何をしたというのか。確かにあの子の旦那様は、裁かれて当然であろう。前世に引き続き、旧華族の出である岡氏。一方、高貴な血筋は確かではあるが、孤児には違いない橋本。これでは、あんまりではないか。私は頬を膨らませる。

「橋本が幸せになれないなんて、こんな世の中、嘘だ。紛い物だ」

「いいんだよ。前回、お前はひ孫まで連れてきてくれて。どんなに嬉しかっただろう。今は、美少女の婚約者も居るし。順風満帆ではないか」

 にっと笑う。私は橋本の手首を掴む。

「それだよ。正直、私は怒っている。前回はともかく、今回は橋本だって健康な男子だ。子供の一人くらいもうけろ。そして、父親同士の話をしよう。いいではないか。岡氏にだって、娘が居るのだぞ。橋本が結婚して、子供を作る。そのことを非難されるいわれはない」

 困り顔の橋本。目を泳がせる。

「だから、岡先生以外とは交わりたくないと思っている」

「馬鹿だな。その純潔に何の意味がある」

 橋本の頬に、かっと紅が差す。

「国見の分からず屋」

「橋本の分からず屋」

 二人して、にらみ合う。案外、ということもないだろうが、橋本は頑固だから。

「だったら、孤児を育てろ。何なら、美陰に相談すれば条件にあぶれた子供を紹介してもらえるのではないか」

 ほう。橋本は感心する。

「それはいい考えだ」

「やっぱり、橋本も子供が欲しかったんだ」

「俺が欲しいのは、あくまでも、岡先生との子供だ」

「それは、今回は無理だ」

「だから、諦めると言っている」

 いつか、こんな言い合いをした。あの時、あの子は「でも、私にはあの人が居るから」と言った。全ての貧乏くじが帳消しになる最愛の人。ああ、やっぱり、馬鹿だ。あの時のように、私は息を吐く。

「何」

 橋本が不思議そうに見上げる。

「馬鹿は死んでも治らない」

「違いない」

 私たちは笑った。

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接吻とお砂糖 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho

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