街のクマさん ー故郷の味は石狩鍋編ー

一矢射的

八十パーセントぐらい幸せ



 山手線がホームに滑り込み プシューと音を立てて扉が開くと、中から出てきたのは縦ジマのカジュアルスーツを着込んだ屈強な「ヒグマ」でした。

 革靴をはいた二本足で立ち その身長は二メートルちょっとあったので、電車の乗降ドアはとても狭く、おっちらせと頭を下げねば出られませんでした。周りの人たちはちょっと驚いた顔をしたものの、何も言わずヒグマに道を譲ってくれました。


『言葉をしゃべれる動物はヒトと同じように税金を納めなくてはならない』


 三年前の国会でそう法律が定められたことを皆が知っていたからです。


 税金を納めるということは働いてお金を稼ぐということであり、山奥で鮭をかじっているだけでは国民の義務が果たせないのです。


 ヒグマの鬼熊おにぐまさんも職を求めて北海道から東京へと出てきたクチでした。

 現在、鬼熊さんの勤め先は家電メーカーのフラット。

 「目の付け所がフラットでしょ?」で有名なあの会社です。

 商品開発部に所属するイチ社員です。


 昔からの夢だった「全自動ヒメマスとりマシーン」を実現させたいのですが、なかなか企画が通らず夢は夢のままなのでした。

 今日も企画会議で手痛い敗北をきっし、鬼熊さんは意気消沈の帰宅途中。

 今夜はちょっと一杯ひっかけていきたい気分でした。


 おっと、その前に行きつけの宝くじ売り場に顔を出さねばなりません。



「おばちゃーん、十枚セットをおくれ」

「あら熊ちゃんじゃないの。アンタ妻子持ちがこんな店に入り浸って! お小遣いを大事にしたらどうなの? 奥さんからマイホームを建てようってせっつかれているんでしょ」

「だから宝くじなんだよ。三億円当たれば大豪邸が建てられるでしょ」

「……アタシが言うのもなんだけどね。アンタもっとしっかり考えた方がいいよ。理想の家はどんなイメージか、奥さんと話し合ってみたら?」

「ケセラセラさ。人生なんてなるようにしかならないって。理想の家は愛する家族が僕を出迎えてくれる家に決まっていますよ」

「やれやれ……」



 鬼熊さんはいつもこんな調子です。

 家族想いの良い熊なのですが、ちょっとノンビリ屋さんなのでした。


 飲み屋街でちょいと一杯ひっかけて理想の我が家に帰宅したのが午後九時。

 そろそろ児童は寝る時間ですが子どもたちはお父さんが帰るのを今か今かと待っていました。



「お帰りなさい、パパー」

「もう遅いよー。お風呂いっしょに入るって約束したでしょ」

「おう、ごめんごめん」

「ヤダー、お酒くさーい」

「ごめんよぉ。でも、お風呂に入れば臭いもとれるさ」

「今日こそはタオルで泡がぶくぶく、成功させるからね」



 子ども熊の太郎くんと健太くんはお父さんが大好きなのです。

 お風呂の中では今日あった学校の出来事を話し、そこからあがって ドライヤーで毛皮をかわかした後には 本を読んでもらいながら温かいフトンへ入るのでした。

 寝入った子どもたちの柔らかい毛を撫でていると鬼熊さんには昼間の苦労なんて何でもないことのように思えるのでした。


 そうやって子どもを寝かしつけてもまだ鬼熊さんの一日は終わりません。

 まだ一番手強い奥さんとの対決が待っています。

 鬼熊さんの奥さんはホッキョクグマの君江さん。雪のように真っ白な毛皮と頭の上でピンとはねたアホ毛が可愛らしい、しっかり者の妻なのです。君江さんの遺伝子は子ども達にも受け継がれており、太郎くんが茶色の毛皮なのに対して健太くんが白い体毛なのも奥さんがホッキョクグマだからなのです。

 どういう経緯で夫婦が知り合ったのかは永遠の謎ですが。


 しっかり者であるがゆえに、クタクタに疲れた鬼熊さんを尚も君江さんは攻め立てます。

 「人間性」と書かれた面白Tシャツとスラックスを着た君江さんは、マイホーム関連の資料をドサッとテーブルに並べるのでした。



「アナタ、よく聞いて! 今が住宅購入のまたとないチャンスなのよ。今なら『住宅ローン控除こうじょ』制度が適応されて、住宅ローンを組むとその額に応じて所得税や住民税が減額されるのよ。なんと最高で四百万も減税されてお得なのよ(特例は二〇二二年の十二月まで)」

「そういう難しい制度は興味なくてさぁ」



 ―― そもそも、我が家は四百万も税金を払っていたっけ?


 正論ですが、口にすれば火へ油を注ぐだけです。


「もう! アナタったら! この手のお得情報は知っているモン勝ちなのよ。活用しないとせっかくの権利を放棄したとみなされてしまうのよ」

「変な国だね、普通なら権利者全員に通知がいくものだろうに」

「仲間意識が低いんじゃないの? とにかく! 私達も人間社会で暮らす以上、そのやり方に慣れなくてはいけないでしょ? 有益な情報を集めて、このチャンスを逃さずにマイホームをゲットするのよ~」



 難しい書類とにらめっこするのは苦手なのですが。

 こう毎日つめよられては逃げられるものではありません。

 まして相手は自宅の玄関で待ち構えているのですから。


 とうとう次の日曜日に住まい探しの物件巡りをすることが決まってしまいました。











 不動産屋さんで鬼熊一家を出迎えたのは、前髪を七三にわけポマードでガッチリ固めた眼鏡の好青年でした。まだ二十代そこそこで愛想は良いのですが、やたら姿勢の低い感じなのが玉にきずでした。



「どーもど-も、本日はお日柄も大変すばらしく。空の太陽もお客様の住まい探しを歓迎いるようですね。ワタクシ、住宅と人の出会いをサポートする案内人、堂道愛里と申します」

「ドウドウメグリさん? 予約しておいた鬼熊です」



 何とも嫌な名前で、早くも不吉な旅立ちを象徴しているかのようでした。

 これから何が始まるのかと、子ども達もどこか不安そうです。


 いけない、いけない、自分が内心オドオドしているから子ども達にまで不安が伝染してしまうのでしょう。初めての事でドキドキしていますが、ここはドッシリ構えていなくてはいけません。それが大黒柱のつとめというもの。

 鬼熊さんはニッコリ笑って太郎くんと健太くんの頭を撫でてやりました。

 頭の毛皮は胸のあたりと比べて逆毛で少しゴワゴワしているのですが、それでも手触りが良くて心地よいのでした。



「大丈夫、だいじょうぶ。ちょっとお家を見学するだけだから」



 子熊を勇気づけているようで、実は逆に子ども達から勇気をわけてもらうのです。

 二匹の子熊を意識することで鬼熊さんはどこまででも強くなれるのでした。


 そんな親子の様子をお母さんは微笑ましく見守り、ついスマホで写真撮影を始めてしまうのでした。店員さんの笑顔がひきつっていますが、そんなの知ったことではありませんでした。


 その日は君江さんもピンクのスカートスーツでバッチリ決めていました。

 恐らくはどこに出しても恥ずかしくないニューファミリーに見えたでしょう。

 鬼熊さんは「早く家に帰って人間の服なんて脱いでしまいたいなぁ」などと考えていましたけれど。


 実際、モデルハウス行脚あんぎゃは苦行でした。

 大型動物向けの物件はまだまだ大都会東京でも数が少なく、その安全性や快適さも発展途上だったからです。今は時代の移り変わりに必ずやってくるレイメイ期という奴なのです。真に住み心地の良い家が建てられるのはまだずっと先のこと。


 予算に合って満足のいく家など、そもそもどこを探しても存在していないかもしれないのです。


 担当の堂道さんも一生けん命に物件の素晴らしさを紹介してはくれるのですが。



「この家はバスルームが立派でして。どうです、広いでしょう?」

「北海道で暮らしていた頃はよく温泉に入っていたなぁ。猿と混浴だったりして。日本酒をチビチビやりながら火照った体を雪で冷やすのが最高だった。どこかに露天風呂つきの家なんてないかな?」

「それはちょっと……」


「こちらの家は庭が広いですよ。家庭菜園なんかやりたい人におススメですね」

「ああー、都会ではわざわざ野菜を育てなきゃいけないそうですね。地元の山では栗やドングリ、キノコなんかが食べ放題だったのになぁ。山の幸って素晴らしいですよ。いっそ森の中に建っている家とか、ありませんかね?」

「う、ウチが扱っている中にはありませんね」

「もう、アナタったら」



 鬼熊さんはどこの家でもこんな感じでした。

 どうしても生まれ育った北海道のことを忘れられないのです。

 そしてそこに残してきた母親のことも……。


 午後になると今度はマンション巡りが始まりました。

 君江さんは「マンションなんて近所づきあいが大変よ!」と口をとがらせましたが、鬼熊さん本人から強い希望があった為にそうなったのです。


 日本ではまだまだ「マンションは借りるもので購入するものではない」という偏見が根強いですが、実は一戸建てを購入するよりもメリットは案外多いのです。

 まず、第一にセキュリティが一戸建てよりもしっかりしています。

 第二に立地条件がよく、駅や公園が近いケースが殆どです。

 第三に耐久年数が長く、資産価値が失われ難いのです。(建築後五十年くらい)それはつまり将来そこから引っ越すことになった場合、その部屋を売ったり、誰かに貸したりがしやすいということなのです。


 鬼熊さんの頭にあるのは「将来、子ども達が独立したら故郷の山でノンビリ暮らしたい」という思いでした。その願いこそが、古くなれば売れなくなってしまう一戸建ての購入をこばむのでした。


 ただし、言えば都会好きな奥さんに反対されるのは判り切っていたので、その思いを口に出すことはありませんでした。


 そんな気分でいくら物件巡りをしても決められるはずもなく……結局その日は資料だけお土産にもらって帰宅したのでした。


 みんな足が棒のようで疲れ切っていました。

 でも帰り道、偶然たちよったラーメン屋がとても美味しかったので「この店を探すために一日歩き回ったんだ」と一家は気持ちを切り替えて幸せな気分になれたのです。


 ところが、その晩のことでした。

 鬼熊さんの携帯に北海道から連絡があったのです。

 母の知人である、ご近所のキムンカムイおじさんからでした。



「大変だよ、君のお母さんが病院に運ばれたみたいなんだ。何でもキノコ採りをしている最中に木から落ちたらしくて。すぐに帰ってきた方がいい」



 鬼熊さんは頭が真っ白になりました。

 とにかく家族を起こして事情を説明して……。

 学校や会社にも連絡して休みをとって……そうだ、飛行機の席が空いているか予約状況を確認しないといけません。


 ショックで茫然自失ぼうぜんじしつの有様である鬼熊さんに代わって君江さんがテキパキとすべきことを済ませ一家は翌日早朝の便で北海道へ向かったのです。


 道中、電車にガタンゴトンと揺られながら鬼熊さんは終始無言でした。


 ―― なんでこうなっちゃったんだろう? お母さんには、いつか楽をさせてあげるつもりだったのに。親孝行するつもりだったのに。


 ―― いつかいつかって、全然できてないじゃないか。こんなのって……まるで立派なお父さんじゃないよ。ああ、どうか無事でいてくれ!


 いつもはお父さんにベッタリの子熊たちも、この時ばかりは君江さんに寄り添っていました。真ん中にお母さんを挟んで電車のボックス席に腰かけながら、対面の沈んだお父さんを見つめるばかりでした。



「パパ、どうしちゃったんだろう」

「あんなパパ、初めて見るよ」

「仕方ないのよ。今はそっとしておきましょうね。すぐいつものパパに戻るからね」



 重苦しい雰囲気ふんいきの中、電車と飛行機を乗り継ぎ一家は北海道の大雪山までやってきたのです。ここにはアイヌの民が「神々の庭」と呼ぶ地域があり、そこはヒグマが数多く暮らす彼らにとって楽園のような場所なのでございます。


 忠別岳ちゅうべつだけの奥にある崖下の洞窟、そこが鬼熊さんの実家です。

 とりあえず荷物を置いて、キムンカムイおじさんに母がどこの病院へ運ばれたのかを聞かなければいけません。久しぶりの山歩きで息を切らせた一家が洞窟に辿り着くと、彼らを出迎えたのは他ならぬ母親の菊子さんではありませんか。



「あら、久しぶり。どうしたのさ、突然」

「と、突然って。母さんが木から落ちたっていうから帰ってきたんじゃないか」

「やだよ、アタシがそのくらいでどうにかなるもんかい。どこかで話が食い違ったようだね。念のため病院で検査してもらっただけだよ」

「な、なんだよー。仕事を休んだっていうのに……でも、無事でよかったよ」


「わぁー祖母ちゃん、元気だった」

「どうもお義母さん、ご無沙汰しています」


「おやおや、みんなよく来てくれたね。せっかくだから美味しいものをご馳走しようか。ほらほら、パパさんはボーっとしてないでさわから鮭でもとってきな」

「まったくもう、熊づかいが荒いんだから……仕方ない、太郎、健太、行こうぜ。お父さんがカッコいい所みせてやるよ」



 実家の近くには毎年鮭が遡上そじょうしてくる渓流けいりゅうがあるのです。

 鬼熊さんは子どもたちが見守る中、服を脱いで腰まで水中に入りました。


 久々の野生に正直興奮を隠せません。

 水面をじっくり見つめ、泳ぎ行く黒い影に神経を集中させます。

 剛腕をブン! 見事、六十センチはある大物が宙を舞い河原へと落ちました。



「わぁーい、パパ凄いや!」

「本物の鮭って初めて見た! さっきそこの枝にリスも居たんだよ」


「そっか……太郎と健太は都会で生まれて育ったからな。田舎も悪くないんだよ」



 とってきた鮭をさばいて今夜の晩御飯は石狩鍋です。

 味噌とバターで味付けした鍋には、ジャガイモ、ホウレンソウ、キャベツ、シメジ、そして豪快にカットした鮭の切り身が入っています。

 お味はクリーミーかつジューシー。キャベツにしみ込んだダシの味や、切り身を噛みしめるとあふれる肉汁がたまりません。

 電気すら通ってない洞窟なので、鍋をかけた焚火が照明の代わりでもあります。ユラユラ揺れる炎と影も、慣れてしまうと心を落ち着かせる「なごみ」があるものです。


 みんなで鍋を囲んで体の芯まで温まる石狩鍋をたっぷり堪能したのでした。

 これで長旅の苦労もいくらか報われるというものです。


 ですが、鬼熊さんには一つ気がかりなことが残っていました。



「なぁ、母ちゃん。やっぱり母ちゃん一匹でこんな山奥暮らしをさせるなんて気が引けるよ。丁度いま街で新しい家を購入しようとあちこち動いている所なんだ。母ちゃんも一緒に暮らせる家を探すからさ、東京に来ないか?」

「あらあら、やだよ。この子ったら」



 菊子さんが感動で目頭を熱くする一方で、奥さんの君江さんが何かを言いたそうにコチラをにらんでいます。けれど鬼熊さんは怯みません。



「そうしようぜ。オレ、まだ親孝行なにもできてねーよ」

「馬鹿だね、気を使っちゃって。私は一匹の方が気楽でいいよ。それに、もしお前が野生を懐かしく思った時、私がここに居ないと帰る口実がないだろう」

「あー、うん。流石は母ちゃんだ」



 鬼熊さんの心は何でもお見通しのようです。

 菊子さんは息子の肩をバンバン叩きながら言いました。



「あんまり悩みなさんな。人間に習って言えば、人生なんてなるようにしかならんものさ。幸福に百パーセントはない。自分に与えられた分を噛みしめればそれでいいのさ」

「ガキの頃からよく言われたっけ、ケセラセラね」

「それにお前は十分に親孝行な息子だよ。自分で気付いてないのかい?」



 君江さんも静かにうなずきました。

 満腹で横になった子ども達の寝顔を焚火の炎が優しく照らしていました。











 帰路、飛行機の中にて。

 座席に深く身を沈め鬼熊一家は疲れた体を休めていました。

 思いがけぬ長旅と山登り、大人だって大変なのです。

 ましてや子どもでは ――。


 うつらうつらと子ども達が居眠りしている横で、君江さんと鬼熊さんは窓の光景を眺めていました。どこまでも続く雲海とそこを照らす朝日は幻想的で、目を奪われるような美しさでした。


 君江さんはそんな美しい景色から夫の方へと視線を移し、厳かな調子で口を開きました。



「ねぇ、アナタ」

「うん、なんだい?」

「お義母さんは幸せに百パーセントはないとおっしゃっていたけれど、それは幸せになる努力を放棄してよいって意味じゃないと思うの」

「ああ、そうだろうね」

「これからも限りなく百パーセントに近い幸せを目指して頑張りましょうね」

「頑張ってマイホームを探さないとね」



 子ども達が大きくなれば今の家だと手狭てぜまになるのは判り切っていました。


 ―― あーあ、現実に逆戻りかぁ。


 久しぶりに味わった野生を懐かしく思いながらも、鬼熊さんの心は都会の現実へと引き戻されるのでした。

 考えても仕方のないことですが、もしも、もしも自分が大富豪であったならば、大雪山のふもとに豪邸を建ててみんなで仲良く暮らすのになぁ……そう思わずにいられないのでした。


 ―― あの宝くじ、当たっていないかぁ?


 天国のような光景を眺めながら、鬼熊さんは虫のいい夢想をするのでした。

 真に彼らしい逃避です。ですが、そうした逃避すらも実のところは「幸せを嚙みしめる」行為の一環いっかんに過ぎないのです。


 張りつめ過ぎずノンビリ生きるのもまた幸福なのですから。


 飛行機は風を切って大空を進み続けます。

 素敵な我が家を目指して。



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