Text 5. CEO of CNT Corp._電脳屋シロガネ

 圧巻。その一言に尽きる。

 地方の田舎とは比類できないほどの人の数。一歩進めば飲まれ、融け込んでしまいそうなほどのそれに、酔った感覚を覚える。手首に装着したアイヴィーの表示画面に目を向ける者も少なくない。HMDの如く、眼前に立体投影ホログラムを表示させる若者が目の前を通りすぎていった。


 忙しなさから目を話すように見上げる。空を埋め尽くす高層機能構築物スマートビルディングスは組織的に空間を彩る。張り巡らされた透過材料は空間映像ホロディスプレイと電気を流す薄膜樹脂ポリマーデバイス。しかしその強度は防弾ガラスと大差ない。まさに、硝子の時代に終焉を告げていた。

 アスファルトは電光を示し、老朽を感じさせない。そういえば、自己組織化微細機構ナノデバイス高機能微生物アーキテクトバクテリア複合材コンポジットが開発されたと昨日のニュースで観たな、と赤松は思い出す。


 窮屈そうな外観に反し、空気は澄んでおり、赤松の住んでいる地域とそう変わらない。自律型自動車から排出するガスがクリーンであることに加え、一部の建造物の外装に人工光合成ゲルが組み込まれているからだと黒部は言った。葉緑素クロロフィルの役目も終えつつあることに、信じられない顔を赤松は浮かべる。


 寛和市。国内第3のメトロポリスとも称されるそこは、"試験都市"の側面も有する。国や大企業の先端科学技術的アドバンストな実験場とネットで揶揄されているが、赤松には興味のない話であった。

 

 この都市は高校時代住んでいた地域を凌駕している。彼の感想はそれだけだ。


「さ、ここだ」

 徒歩に自律バスに……慣れた足取りで往く黒部の後ろを必死についていった先、高層ビル群とは少し離れた区域に着く。先鋭的の風貌を纏うも、どこか古典的レトロチックな影を潜めている。人混みもホログラムも比較的少なくなり、赤松の気は落ち着きつつあった。

 どこにでも見かけるようなガラス張りのファサード。鉄筋コンクリート造りの無難な5階建てオフィスビル――の横の路地裏に回る。階段を上った2階の扉の前で、黒部は言った。

 診療所にしては小ぢんまりとしていて、まるで隠れ家のような。看板もなければ立体位置情報でも"CNT"としか手のひらの画面上に表示されないことに違和感を抱く。それ以外の階層では、タップすればその店や子会社の情報がそれなりに入ってくるというのに。


「CNT株式会社。平たく言えば"電脳屋"かな」

「電脳屋さん?」聞いたことのないような顔をした。「サイバー的な仕事をしているあれですか」

「そう。僕の友達がここでお世話になったことがあって。まぁ、いまは僕のバイト先になってるけど」

「へぇー」と関心しつつ改めて前へと目を向ける。電脳という言葉がひとつの技術や学術的分野として確立されつつある以上、それの専門に特化した職があるのもおかしくはない。そう赤松は捉えたが、少なくとも、

「診療所じゃなさそうっすね」

「うん、赤松君のそれは病気じゃないからね」

 そう淡々と返した。

「……? 電脳系ってこと? あ、まさか毒電波もらったとか。俺通信業やってますし、あとめちゃくちゃ感電しまくってますし」と冗談めかして笑う。

「んーそこはどうなんだろ」と苦笑で返されたが。


「で、どんな人なんすか、先輩おすすめの先生って」

 途端、黒部の顔が曇る。

「おすすめかどうかはコメントしにくいな。その専門家というかここの社長なんだけど……見た目もだけど中身も相当変わっている。傍若無人だし、失礼な態度で接するめんどくさい人だけど、腕は確かだから」

 思い出したのか、苦々しい顔を浮かべた。さすがの赤松も察したようで、表情が移る。

「信頼できる要素が皆無に等しいっすよ。あの、先輩。これめっちゃ高額なやつ請求されるとかないですよね」

「そこは大丈夫。一般的な診察料とそう変わらないよ」

「都会基準じゃないっすよねそれ」

 南の土地とはいえ、吹いてくる風はどこにいっても肌寒い。パネル上に出現したホログラムに手を当て、ドアがスライドされる。息をのむ思いで、赤松は宿泊用の大きなリュックを背負い直した。

 一気に雰囲気が変わり、アンティーク調のレトロな内装だと素人目の赤松にもわかった。木の床の廊下一本の奥と左手に扉が一枚ずつあった。右手に飾ってある抽象画は、赤松の眼に映り込んでいる輪郭のない世界を彷彿とさせた。じく、と眼球が痛むが、我慢できる程度だ。

 左手の扉に案内され、黒部はドアノブを回す。


「うっわ、きったな。てか暖房効きすぎ」

「散らかす才能もピカイチなんだよねぇ」

 客間と書斎をひとつなぎにした広めのリビング。暖色の照明は赤茶系統の壁紙に合う。左手には西洋風の暖炉があり、燃える薪がくべられている。立体投影でもない、本物の火だ。己の皮膚のように身に着けていたダウンジャケットもここでは煩わしく思うだろう。

 ただ、カーペットが敷かれているであろう床のほとんどは時代遅れの紙束で埋もれており、応接間に置かれているようなソファと卓上テーブル、奥の作業デスクに至るまで大量の分厚い書籍が積まれていた。壁際の本棚も本で詰まっており、せっかくのスマートな雰囲気が台無しだ。

 紙を踏む音に反応した赤松はぎょっとする。


「……羊?」

 コード付きのガスマスクを口に装着させた、全長1m程度の家畜。真白の羊毛は雲のようであり、4の蹄は容赦なく書類を踏みつけている。この部屋には不釣り合いで、しかし悠然とそれはそこにいた。

 アモン角を生やしたメリノ種の羊だと、アイヴィーのホロディスプレイを通じたカメラ認識より、手首の上に表示される。

「先生のペット。電気で動いてるけど一応生きてる」

 ごく当たり前のように述べ、それの頭を撫でた黒部の方へ、視線を追った。

 絶対変な人に洗脳されてる。確信といってもいいくらいだと赤松は一抹の不安を覚える。

 いつ逃げようかと考えたが、この人をこのままにしておくのも忍びないという思いがあったのか、

「先輩まさか洗脳されてませんよね」

 彼は直球に訊いた。すると爽やかな笑い声が返ってくる。

「あっはは、やっぱりそう思うよね。僕が赤松君だったら穏便に逃げるよ。それでも信じてくれた赤松君には本当に感謝してる」

「え、じゃマジで……」

「そっちの方が幾分かマシだったろうね。僕も何かを信じることにすがりつきたいって思うときはあるよ」


 そう言い残し、部屋の奥へと進んだ。申し訳程度の観葉植物とカーテンをバックに、デスクの上に積まれた本の山。よく見れば、4枚ほどのホロディスプレイが空間中に投影されていた。デスクの横へと回った黒部はいつもの調子で優しい声をそこにかけた。ようやく、そこに人がいることに赤松は気づく。

「シロガネ先生、起きてください。勤務中なんですよね」

 

 本の山の隙間から見えた、シロガネと思わしき人。一瞬だけ、その白髪頭を見て老婆かと赤松は思った。

 だが、違った。唸るような中性的な声は音色のように澄んでおり、そして芯の通ったそれだった。ゆっくりと気怠そうに起き上がる声の主はここから見ても十分に、その人が美しい女性だと赤松の目に認識される。驚きと意外の目を浮かべていた。

「んぁ? あぁ、クロベか。確か今日はシフト休みだったろう。相変わらず君は早起きだな」

「いまは昼の1時です」

「それと私は別に居眠りをしていたわけではない。無意識の海で己の不可侵領域の信号を観測しようとしていた気がするんだ」

「それを居眠りというんでしょう」

「御託を並べて楽しいかい? 早く用件を言ったらどうだ」

「彼を診てほしくて」

 そう手を赤松の方へ差し述べる。背もたれを起こし、組んでいた長い足をデスクから降ろす。彼女の赤い目が赤松へと向けられた。

「ど、どうもー」

「……」


 気まずそうに、しかしそれを濁すように気軽なふるまいで返事するも、彼女の真紅の瞳は鋭いままだ。途端、すっと立ち上がっては赤松の方へ迫ってきた。

 黒いレギンスと白いアンダーは彼女のスタイルを明確に浮きぼらせた。そのプロポーションは人類の理想といえるだろう。ただ、豊かな胸部は男性の理想に近いものであったが、絵に描いたようなスタイルと美貌さは一周回って現実味を帯びていないほど。その証拠に、こちらに近づいてくる事実に赤松が遅れて気づくほどだ。

 蛇に睨まれた蛙のように、なぜだか赤松の体は一歩も退けなかった。せいぜい重心をのけぞるくらい。背中まで流れる白銀を帯びた髪を揺らし、その女は眼前にまで顔を近づけた。

 

 きめ細かい肌。スッと筋の通った高い鼻梁。薄いピンクを帯びた、柔くも潤った唇。さらりと前へ垂れる白銀の髪は絹のようで、ふわりと甘美でやさしい香りが漂う。白銀の長いまつ毛の先、相反するような真っ赤な瞳は赤松の瞳をのぞき込んでいた。

「な、なんすか」

「そこ座って」

 細く長い指は紙束に積まれたソファを指している。どう座れと、赤松は訝しげに思うが、従った。その紙束が国外の言語とグラフでびっしりの書類だと気づいた彼は拒絶した目で、それらすべて目の前の卓上に積まれた本の上に置く。


「名前は」

「あ、赤松圭一郎です」

 彼女はかまわず、黒部が書類をどけたばかりの椅子にどっかりと座る。黒部も手際よく、卓上の本の山を少しずつどけた。質問を繰り返すうち、徐々に互いの顔が見えてくる。

「アカマツ。ここに来るまでに刺さるような頭痛は10分あたりに3回以上起きたか?」

「えっ? あ……まぁ、頻繁に」

「視界が一時的にゆがんだり、波紋のような揺らぎで正常に視界を得ることができなかったことは今日の内に1度でも発生したか」

「は、はい」

「色、あるいは空間の輪郭の認識が曖昧だと感じたことは」

「頻繁にあります。この町を歩いてるときも何度か」

「視界の端から何色に染まったことがある」

「し、白と緑。一回だけ全部赤色に染まったときもあったけど」

「ここ数日で聞きなれない音、味、皮膚感触、匂いを感覚的に得たことは」

「ありますね。ヘドロが詰まったような音というか、人とも動物とも区別がつかない声が遠くで聞こえたり、味や臭いはなんか、焦げ臭さと甘みが混じったような」

「いつごろ」

「今朝からです。今も頭痛激しくて、ぼーっとするときもあって。まぁ昨日初めてお酒を飲んで、二日酔いが続いているのかと思――」

「職は」

「通信設備業です。いろいろな通信機器を扱ったり、各地の波長を計測したりする仕事をしています」

「君の血族でこれと似た症状および医師でも特定負荷と判断された病状を訴えたことはあるか」

「いえ、特に何も聞いてないです」

「最後の質問だ」

 立て続けに訊かれた赤松もようやくか、と気を緩めたとき。


「一度死んだことあるか」

 数秒の静寂が訪れる。羊の歩く音が耳に届き、唖然とした赤松もようやく思考を取り戻した。

「え? いやないですけど」

「そうか」

 静かに返した彼女は、視線を落とし、瞳を閉じた。またしても訪れた静けさに、理解ができない赤松は腰を上げようとした。

「えーと。今の質問ってどういう――」


 銃声。それは目の前で起きた。

 重い衝撃。局部的にそして全身へと畳みかけて伝わる激痛。吹き出るような熱は腹部からか。発砲の方角は――彼女の手元からだ。

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シロガネ ~ストリートゴーストは電子と踊る~ 多部栄次(エージ) @Eiji_T

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