Text 4. The Murder Girl_忘却の少女

   *


 母親に連絡し終えた赤松は右手に表示された立体投影ホロディスプレイを閉じる。さっそく最新型のI-visionアイヴィーも使いこなせて赤松は満足げだ。胸のリングネックレスを一瞥しては窓の外の動的な風景を見眺める。

「久しぶりだなぁ、都会にいくの」

「高校以来、行ってないんだっけ」

 LMT線――いわばリニアモーターを動力として移動する自律型AI内蔵特急列車に乗るのは二年ぶり。まさしく高校卒業して帰省したのを最後に乗って以来だった。車を使えば半日以上費やすところを30分程度で到着する。あっという間の車窓旅だろう。


 ガラスチューブを通る細長いカプセルのような列車は、企業の好みか否か、サイバー的なデザインが施されており、傍から見れば一筋の青い光が閃光の如く走り抜けることだろう。そこから見える開放的な景色はあっという間に自然豊かな大地を置いてけぼりにさせる。

 隣に座る黒部の一言に、赤松は首を向けては返事した。


「ずっと地元で配線いじってばっかでしたからね。最近はどんどん進化して、こっちでも通信だけは電脳化するべきだのなんだのでついていくだけでも大変っすもん」

「インフラもいま大変だもんね。資源やパイプラインも無線通信のように飛ばす技術が実現可能だなんて、とんでもない革命だよ」

「そのぶん、川下や末端の現場組はロボットと一緒にひいこら言ってますけどね。天地ひっくり返すような作業なんすから。まぁ俺んとこはまだいいっすけど」

 半ば愚痴のような言い方をしては再び左手の景色へと目を向ける。幾度か過ぎていく街並み。あまりにも速すぎて、かえって楽しめないと田舎者は思ったことだろう。しかし反対側を見たところで、天井や内壁に広告のホロディスプレイが映るのを目にするだけ。

 ただただ、静かな時間が流れていく。一度SNSを開くも、先輩の前だしな、とすぐに投影画面ディスプレイを閉じた。


 ふと、思いついたような素振りで、黒部に尋ねる。

「そういえば先輩、彼女っているんすか?」

「いないよ」と一切動じずにすんなり返す。「意外っすね、絶対モテてると思ったんすけど」と一言。

「人付き合いもあんまり気が進まないからね。?」

 気兼ねない一言に、赤松は違和感を抱いた。思わず視線だけが強く黒部をとらえた。たまたまかもしれない、だけどもしかしたらとひとつの間をおいて口を開いた。


「全然っすね! 男社会ばっかりなもので」

「そっか、それは大変だね」

「……そうなんすよ。あ、そうそう。"鳴園奏宴めいえんかなえ"って覚えてます? 俺が高1,2年の時同じクラスだった奴なんすけど」

「んー……いや、。どんな人?」

「……っ」

 思わず身動きが止まるように固まる。疑念が確信になった瞬間の電撃は、認めたくないと信じていた赤松の心を揺るがした。


(先輩もだ。なんで、みんな鳴園奏宴あいつのことを忘れてるんだ)

 高1の冬に、黒部に彼女のことを話し、応援してくれたことは赤松の中で鮮明に覚えている。会うたびに進展はどうかってからかったほどだ。そもそも、あのような事件もあればOBでも耳に入るはず。

 

 その犯罪者は当時の12月半ば、校舎内の廊下にて担任教師をカッターナイフでめった刺しにして殺害した罪で刑務所に入れられた。だが、本人は「やった覚えはない」と否認。

 それだけでも違和感を生じ、赤松は何度も面会を希望した。しかし自暴自棄になっていたのだろう、彼女は助けを求めることなくひたすらに面会を拒んだ。一度だけ顔を合わせることが叶ったときもあれ、彼女からかけられた言葉は暴言の雨だった。


 最先端の技術によって、殺害行為は確かに彼女自身の明確な意思によって実行されている。複数の人格を有しているわけでもない以上、れっきとした罪を犯していた。だが、赤松はそれでも疑った。恋は盲目という言葉が彼に似合うが、攻撃的な言葉の雨の中に、確かに怯え、混乱している目がそこにあったことを思い出す。

 

 しかし、彼女に関する情報はそれだけではない。信じがたいことに刑期一年弱という短さで釈放。そのあとどうなったかは知らない。知る権利がないと躊躇っていたのもある。だが、それが後悔を招いた。

 現在、彼女は失踪している。事件ごと、その存在を人々の記憶から消し去って。


 今年の11月あたりを境に、突然彼女の存在は忘れられた。いや、消されたのだ。それに気づいた発端は先月、ネットで突然彼女に関する情報が削除されていたことにある。

 あれだけの事件を学校で起こして、なぜそこの学校や周辺地域の誰もがなかったことにしているのか。ネットに書き込まれた記事も、いつのまにか消え去っていた。逮捕歴どころか、どこにおいても彼女の名前は残っていない。紙媒体も廃れつつあるこのご時世、自分が記録した紙のノートしか記憶媒体がなかった。

 高校時代、かかわりがあった鳴園家すら、彼女の存在がなかったことにされている。途中からではない。最初からだ。姉妹であるはずなのに娘一人しかいないといわれたとき、赤松は背筋が凍った。


(俺以外、全員の記憶や情報の履歴からあいつの存在がさっぱり消えている。まさか政府の陰謀論とか……いや、普通にありえねぇし、そもそもやる理由もわからねぇ)


「赤松君?」

 思考に耽っていたようで、黒部に声をかけられてようやく我に返った。前の席に座る優し気な青年に、咄嗟に明るくふるまう。

「……あ、いやなんつーか、俺が部活で怪我した時あったじゃないっすか。そんときに知り合ったやつで、まぁ俺の好きな人っていいますか」

「あぁ! 赤松君言ってたね! 僕にも相談持ちかけてたこともあったよね確か。顔も見たはずだし名前も聴いてたはずなんだけど……ごめんね忘れっぽくて」

 思い出しては申し訳なさそうな顔に彼は手を振る。この反応だと、本当に記憶にないのだと心のどこかで認めてしまっていた。

「いやいやいやいや全然いいっすよ! 俺なんか昨日の晩飯すら思い出せないんすから」

「昨日相当飲んだみたいだね」

「あっ、そっか。昨日飲み会だったわ」

 そういって、互いに笑い合う。頭をかきながら照れ臭そうに歯を見せる後輩と、口を押えて控えめに笑う先輩は、傍から見れば微笑ましいことだろう。だが、赤松の心情は複雑であった。


「それで、どっかの病院紹介するんすか? わざわざ向かわなくても診察くらいはその場でできるのに」

 いまどき、直接の診察は遅れている。そもそも準先天的な医療施術により一般的な病気にかかるほうが珍しいこのご時世、治療するとしても診察は遠隔リモートであり、来るとしても医療従事アンドロイドがほとんど。薬剤処方もドローンで運送される。とはいえ、赤松のいた田舎町では時代遅れの診療科はあるにはあったが、眼科ではない。


「診てもらっても、痛み止めが届くくらいさ。最悪のケースを潰してから病院に行くのも遅くはない」

「……そんだけやばいんすか、俺の症状って」

 だんだんと不安になってくる。思ったより深刻なのだろうかと一度視線を落としたとき、なだめるように黒部は否定の声をかける。

「いや、赤松君が思うような重病を患ってはいないよ。ただ、君と似たような事例をひとつ知っている。放っておけば死に至るケースもあると、そのとき診てくれた先生に言われたんだ」

 何の前触れもなく告げられた「死」の一言。紙一重と言えど実感のない、人類共通に訪れる事象。それに敏感に反応した赤松はゆっくりと視線を上げた。信じられないような目だった。


「……死ぬって、どういうことですか」

 だが、黒部はそれ以上のことを濁した。躊躇うような素振りに思わず問い詰めたくもなったが、浮きそうになった腰を抑えるため、手を組み、肘を膝の上に置いて前かがみになる。

 それが焦りを示すと察していた黒部は申し訳なさそうに、しかし明確な意思をもって口を開く。先ほどの穏やかな声色とは異なり、はっきりとした話し方だった。


「ごめんね。説明が難しいし、にわかに受け入れがたい話だから、どう話せばいいかわからないのが正直な気持ち。僕は医者でもその道のプロでもないから信憑性に欠けるだろうし、説得力がないのもわかってる。でもこれだけは信じてほしい」

 何が何だかわからない。もしかしたら質の悪いドッキリかもしれない。だが、あの黒部にそのような企てをする度胸も頭もない以上、本気なのだろう。何かを知っている彼ならば、それに従うしかなかった。

 これだけの真剣な黒い瞳を向けられたのならば。


「絶対に君を死なせたりはしない」

 赤松はこれ以上、何も言えなかった。

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