ゼッツァの青

埜埜

ゼッツァの青

その時代、染師は卑しいものとされながら、何よりも求められた存在だった。

染師の最高の栄誉は、今までにない最高の色に布を染め上げ、自分の名を冠することだった。





生まれたのは、暗く、滅多に太陽を見ることも叶わない、霧に囲まれた街だった。

その頃の記憶では空は一年のほとんどを鉛色の雲に覆われて、青い空など見えなかった(見えたとしても、煙ったその色は青ではなかったと今では思う)。


だから、あの乾いた地で、俺は本当の 青 に出会った。






初めて異国の地を踏んだ。船旅の疲れか高熱を出し、故国でつい先日出会ったばかりの男の背に背負われて、周りの様子を眺める余裕は毛ほどもなかった。

男の歩みが止まり、姿勢を正したのか視界が変化した。


「あれが ルブルムレーギア だ」


異国の言葉の意味は解からず、それが伝わったのか燃える宮殿だと男が続けた。

燃える?

尖った塔。目に映るのは黄色味を帯びた色の城。勿論、燃えているような様子はない。奇妙な名。浮かされた頭でそれだけ思った。


頭が揺れ、くらりと脳が浮いた。

視界が傾き、空を仰いだ。


視界の端から侵入し、直ぐにそれは全てを占めた。


空 青 





墜ちていくと思った 昇っていくのかもしれなかった



















                   青




深い 煌く 吸い込まれそうな


 







その日、初めて青に出逢った。







砂は、靴底を通して足底を焼いた。

風は吹かず、息をするだけでのどが渇いた。

こめかみを汗が流れおちていく。

右手に見える宮殿の、今まさに赤い夕日に姿を変えた太陽の一光が届くと同時、城壁は赤い火焔に包まれ、あの日抱いた疑問を解いた。敵味方を識別する魔術の焔に守られた不落の城。

確かに 赤い城だ。

横目で見つつ帰路を急いだ。

取引に赴いた先でちょっとした手違いがあり、随分と予定の時間よりも遅くなった。

目的の品を手に入れることができたのは僥倖だった。

師はそれで納得するだろうか?

無理だと経験が告げた。そうであってくれと感情が呟いた。



「晩飯は抜きだ」

左半身に土を感じる。地面に押し付けた左頬がジャリッと音をたてた。

蹴りあげられた腹を抱えてその声を聞いた。

感情のない声だ。否、烈しい声だ。

男は―師はもう背を向けて今日自分が一日を費やして受け取ってきた品を手に作業場へと消えようとしていた。


起き上がることなく、地面に頬を寄せる。

どうせ痛みに縮こまった胃は今夜一晩食べ物など受け付けないだろう。





染色は危険で汚く嫌な匂いのする作業だ。

暗い屋内でぐらぐらと煮立った大鍋の前でタイミングを計り、むせかえるような悪臭が立ち上る。

しかし、その結果生み出される布は匂いを纏いながらも美しい色。

煌き輝く色。

それが嬉しい。






『血のような赤』と師は言った。それが欲しいと。


幼子のようなか細い声で。


墓は荒れるまでもなくそこにあった。まわりの風景と共に風化して。

標として特徴のある石を据えたのは正解だった。でなければ見つけることは出来なかっただろう。



白くぼやけた、一抱え程もある上向きにとがった三角形の石に、持ってきた絹布を巻き付けた。

「約束した赤だ」

白みを帯びた石に血が映えた。否、血のごとき見事な赤が。

「公爵夫人はこの赤で染めたドレスに城一個と同じだけの値をつけた。

王はどのような褒美でも獲らすから自分のお抱えになれと誘ってきた」

狂乱と言っていい騒ぎだったと青年を過ぎつつある男は笑った。子どものように、ずる賢い老人のように。


「貴人の供をしている遥か南の国から連れてこられた黒檀の肌をした子どもが」

純真な、光を宿すその瞳には恐れと畏怖があった。

「『血の色だ』と呟いた」



「あんたに権利がある。」


並みいる貴人を避けて、彼の地を後にした。

ここに来る前に、調合法を書いた羊皮紙は暖炉にして灰にした。

自分でも、もうこの色は造れないだろう。似た色は作れても、この煌くような色は。

「あんたの追い求めた色だ。あんたが俺に造らせた」

この血のような赤は。


「呉れてやる。あんたが俺に与えてくれたものの対価として」

ほんの一瞬、息をつめる。


「俺にも欲しいものがある」


空を仰ぐ。あの日のように。

くらりと脳が揺れた。


「俺はこの青が欲しい」







後のことを語ることが許されるならば、『アウズの赤』と称される赤いドレスが公爵夫人の元から王宮に献上されてから(公爵夫人はそのドレスをその日の朝手に入れ、夕方には王のたっての望みで泣く泣く手放したという)数十年の後、ある老人がとても美しい青を染め上げた。『この青だ』老人はその青が完成したとき、そう呟いて喜んだという。老人は死衣にもその青を望み、青に包まれて墓に葬られた。この時代の卓越した染師としては特異なことに、その老人の名は伝えられていない。ともかく、その青は老人の住んだ都市ゼッツァの特産となり、長くその製法の秘密は保たれた。これが今日にも残る「ゼッツァの青」である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゼッツァの青 埜埜 @nono_ten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ