五千円おじさん

金糸雀

ちょっと聞いてもらってもいいですか?

 ちょっと聞いてもらってもいいですか? なんか、いいのか悪いのかわかんない話が最近、私の周りで起こって。いや――いい悪いで言えば悪い話になるのかな。それにそもそもの出来事は最近でもないのか。発覚したのが最近? みたいな話。



 三ヶ月前に今住んでるとこに引っ越したんですけど、それまで住んでたのが、家賃管理費合わせて三万いくらの部屋。四年半くらい前かな、失業やらなんやらでホントにお金なかった時に、とにかく安さ最優先で選んだところで、駅近なんだけど築年数何十年の、昭和に建てられたようなチャチな木造アパートです。

 断熱材とかあんまり使ってなかったのか、冬はホント寒かったし、線路沿いに建ってるもんだから、快速電車が通るとなんか部屋がガタガタ揺れて、慣れない頃は地震かと思ったりもしましたよ。


 大きさ的には、二階建てで、一階と二階に四部屋ずつ。まぁ、よくある小さなアパートって感じかな。とにかく安くて駅近だから人気なのかと思いきや、いつも一部屋か二部屋は空きがあったみたいですね。ほら、人が住んでない部屋って玄関の郵便受けをビニールテープで塞いだりするでしょ、それで、外から見てわかったんですよね。


 他の住人との付き合いは、正直全然なかったなぁ。誰が住んでるのかも知らない、たまに出入りのタイミングがかぶった時にチラッとみる、それくらい。今時は、みんな、どこでもそんなもんじゃないですか。

 たまに見る他の部屋の住人、こういう言い方は差別してるみたいでよくないかもしれないけど、まぁなんというか貧相というかうだつが上がらないっていうか。あんまり積極的にお付き合いしたくなるような感じじゃなかったし、正直、こんな安アパートに住んでるような人ってまぁお察しだなぁと。いやまぁ住み始めた頃の私だって、人のことを言えたようなもんじゃなかったですけどね、多分。



 住み始めて二年と少し経った頃に、孤独死があったんですよ。なんでも、病気か何かでお亡くなりになっちゃって、発見されないまま何日か経っちゃったっていう。だから、最後に生きてたその人を見掛けた人はいないかって探してるんだって言って、警察の人がウチにも来ました。

 孤独死の件はそれで初めて知りました。場所的には、ウチの斜め下にあたる部屋だったんですけど、虫が増えるとか変なニオイがするとか、そういうのはなかったなぁ。真夏じゃなかったし、あんまりひどいことにならないうちに発見されたんでしょうね。まぁ、よかったんじゃないかなと思います。


 その頃はもう仕事見付けて、収入も安定してきてたから、次の更新のタイミングでもう少しいい部屋に引っ越そうかなぁ、なんてぼんやり考えてたんですけど、そんなことがあったから、もうホントに引っ越そう、って思いました。やっぱり、なんとなく、嫌じゃないですか、孤独死があったアパートに住み続けるのって。なんかこう――縁起が悪いっていうか。

 いやいや、別に幽霊とか信じてませんよ。死が連鎖する、みたいな話も。ただ、なんとなく嫌ってだけなんですよ、ホントに。だから、一日も早く出て行きたいって感じではなくて。部屋の更新にお金払っちゃったばかりだから勿体ないし、あと二年しっかり貯金して、次の更新をしないで退去して、どっか他のところに移ろうかなぁって。


 悠長? いやだって、引っ越しってお金掛かるじゃないですか。部屋の初期費用に引っ越し代、ちょっと家具家電も買い替えたりしたら五十万とか掛かる。普通、家具とか、そこまでは買い替えなくていいのかもしれないけど、前の部屋に住み始める時はほんっとお金なさすぎて家具もロクに揃えられなくて、持ってるものはすごい安物か、十年以上使い続けてるやつかって感じ。

 だから、生活費や老後の資金とかとは別で、部屋を整えるためのお金貯めなきゃなぁと。家賃安い部屋で頑張って節約して暮らして、今は一回り広い部屋に移りましたからね、犬も一匹飼うことにして。そうそう、ミニチュアダックスですよ。前に写真見せましたよね。


 ……っと、ごめんなさい。話が逸れちゃいましたね。孤独死があった後、他の部屋でも死人が出た、みたいな話はなかったですよ。これ、そういう話じゃないんで。

 じゃあどういう話かっていうと――なんか、変な人が訪ねてきたんですよ。


 孤独死の件から三ヶ月くらい経った頃かなぁ、ちょうど真夏のことでした。夜中九時回った頃に、チャイムが鳴りました。といっても別にUberイーツとか頼んだわけじゃない。荷物が届くとしても、さすがにそんな時間には来ない。訪ねてくる友人知人の心当たりもなかった。

 だからまぁ、普通だったら出ないですよね、居留守使って。でも、まだ孤独死の時に警察が来たことを覚えてたもんで、また何か起こったのかなと思って、出ちゃったんですよ。インターホンも使わずに。不用心なのは重々わかってます。なんかめんどくさくて、チャイムが鳴るとちょくでドア開けちゃうことが多いんですよね私。今でもやっちゃう。駄目ですよね。


 まぁでもさすがにこんな時間に人が来るっていうのはちょっと怖くて、ドアを細ーく開けたんですね。そしたら、なんかおじさんが立ってました。

 多分男の人にしては小柄かな、六十代くらいに見えました。たまに見掛ける、他の部屋の住人と雰囲気が似てるというか、なんか貧相というか。ポロシャツとチノパンみたいな、ラフな恰好がすごくだらしなく見えましたっけ。


 「どちら様?」

 って小声で訊いたらその人、どこの誰とも言わずに手に何か持って、こっちに伸ばしてくるんですね。何持ってるのかと思えば、四つに畳んだお札でした。


 で、もぞもぞと言うんですよ、

 「いつも世話になってるから」って。


 お金もらう心当たりなんかなくて、ていうか相手が誰なのかもわからなくて。もちろん、お世話した心当たりなんかあるわけもない。

 一つ思い当たったのは、このお金で私を買いたいのかな、って。


 いやいやいや勿論、そんな商売してないですよ?

 もしかしたらこのアパートか、近所のどこかに個人でお客を取ってるような女の人がいて、その人と間違えたのかな、って思ったんですよ。そんな違法行為に手を染めてるような人がそこら辺にいるかどうかはよくわかんないですけどね。


 だけどまぁ――まさかそんな直截ちょくせつ的なことを訊けるわけもない。だから、

 「これ、何のお金ですか?」

 って、普通に訊いてみたんですけど、おじさんはなんかもぞもぞよくわかんないこと言ってて。

 よくわからないんだからそんな人には帰ってもらえば良かったんだけど、私、またちょっと考えちゃったんですよね。いかがわしい商売関連じゃなきゃ何だろう、と。

 そこで、部屋の設備にトラブルがあった時になんかこんな感じのおじさんが修理に来てたかも、と思い出して。大家さんか管理会社か何かが連絡して、それで来たのかなぁこの人、と思いました。

 その時は別に部屋に不具合はなかったし、お金持ってくる理由はやっぱりよくわかんないですよね、ていうか管理会社の方から来た、なんて全く説明にもなってない。うん、今なら私もそう思います。


 まぁともかく――いつまでもこんな要領を得ないおじさんの相手はしたくなかったし、ちょっと強めに、

 「そのお金、よくわかんないんですけど、部屋の、大家さんに渡せばいいんですか」

 って確認したら、“うん”とも“ううん”とも付かない返事が返ってきて、でもお札持った手は引っ込めないから、仕方がないんで受け取っちゃいました。


 そしたらおじさん、一言

 「どうもありがとうね」

 って言ったので、私はもう何も言わずにドアを閉めて、すぐに鍵掛けちゃいました。なんかホントよくわかんなかったから。



 受け取ったお札は、五千円札でした。

 私を買いたかったんだとしたら安すぎますね、いやそもそも売る気ありませんけど。

 これ、後々管理会社が集金に来るか何かで預けたつもりのお金なのかなぁ、おじさんが渡したかったにしても、間に私を挟む意味が全然わかんないけど、と思いながら二週間くらい、一応は連絡を待って、待ったけど連絡はなかったから私から管理会社に電話してみました。


 これこれこういうことがあって、今私の手元に五千円あるんだけど、これは何なのか、どうすればいいのか、ていうかそちらから何か連絡してウチに来させたんですか、って、そんな感じの話をしたら、


 「ウチはそんな話知らないですよ。

 それは……警察に連絡する方がいいのでは?」

 って言われちゃいました。


 正直何もわからん、って感じでしたがその時はわかりました、って答えて電話を切りました。管理会社の人を問い詰めるような事案じゃないと判断しましたし。多分向こうは私以上にわけわかんない状態に陥ってるだろうな、とも思いました。


 その後? 警察に電話とかは、別に、しませんでしたよ。確かに不審な人がウチに来ましたが、被害かって言われると微妙だし、むしろお金もらっちゃってるから得してるような気もして。

 それにこんなわけわからん話、警察に聞かせてもどうにもならないと思ったんですよ。私はおじさんの人相とか覚えてなかったし、証拠として出せるのも、もらった五千円札くらい。だからなんかまぁ――別にいいかなぁって。


 聞けば良かったんですかね。

 「この近所で、知らないおじさんが訪ねてきて五千円くれる事案は他に起こってないですか」

 とか、なんとか。


 もしかしたら謎の五千円おじさんみたいのが、私が知らないだけで、この辺りには出没してるのかもしれないでしょう。でも、なんかアホらしい話ですよね。何ですか名付けるなら五千円おじさんですか? どうしてそんなことするのか、意味わかんない。お金盗るならわかるけどお金くれるって、何。 警察だってそんなもの、被害とは認定しないんじゃないですか。


 仮に警察に、五千円おじさん的な事案がないかどうか確認したところで、すごく呆れながらそんな話知らないって言われそうだなって、それでなんかもういいことにしちゃった。

 唯一、証拠品になるかもしれなかった五千円札も、別に誰かに渡したりしなくていいんだということはわかったから、すぐ生活費に回しちゃったし。いやだって、お金には罪はないじゃないですか。



 それっきり、その件はなんか儲けたんだか地味な嫌がらせを受けたんだかよくわからん話があったなぁ、くらいの認識で。まぁよくわからん人が訪ねてくるくらい、やっぱり近辺、っていうか当時住んでた部屋は民度がアレだったのかもなぁと。


 五千円おじさんのことをはっきり思い出したのは、引っ越し準備してた頃ですね。要らない家財道具、自分で粗大ゴミに出すのちょっと大変だから、処分業者に頼むことにしたんですよ。

 もう、引っ越し先に持って行く荷物は半分くらい詰め終わってたかな。ダンボールがそうだなぁ、十箱くらい積んである状態で、自分で捨てられるものはだいぶ捨てたから部屋の中はすっきりしてたんですね。

 捨てるつもりだったのが、へたれたベッドとか、二十年もののレンジとか、なんか背板が歪んじゃった本棚とか。使って使えなくはないけど、わざわざ新居に持ち込みたくなような感じのやつです。

 

 処分業者さんに見積もりに来てもらって、捨てるものはこれとこれと、って指差しながら指定して、業者さんは品目やだいたいの大きさをメモして、ってやり取りしてたんですけど、台所の二口コンセントのとこで、なんか「あっ」って声を上げたあと、小声で

 「これ、盗聴器ですよ」

 って教えてくれました。


 コンセントには電源タップが挿してあったんですけど、それ、電源タップに見せかけた盗聴器だって。確かに言われてみたら、その電源タップ、私は挿した覚えがないような気がして。

 いや、さすがに不気味ですよね……

 

 もう固まっちゃって

 「マジですか」

 とか呟く私を、業者さん、ちょっと可哀相なものを見るような目で見てましたよ。


 で、業者さんは、他にもないか調べた方がいいけど、自分は詳しくないからって、電気工事とかの資格持ってる人を紹介してくれました。


 結果? 他のとこからも盗聴器見付かりました。合わせて三つかなぁ。トイレにも仕掛けてあったの、ホント最悪。そんな音聴いて楽しいと思う変態、いるんですねぇ。びっくりです。あと、隠しカメラも一つ出てきました。荷造りが終わった分はすぐには調べられなかったから、引っ越しが終わってから荷物を確かめたらもう一つ出てきましたね。


 誰がいつの間にこんなものを仕掛けていたのか、よくわかんないです。

 でも、思い当たることがあってね。あの、五千円おじさん。はっきりは思い出さないまでも、ふとした時に何者だったのなぁとか、一体どういうつもりでお金くれたのかなぁとか、なんとなーく考えてみることはあったんですけど、あれは純然たるだったんじゃないかなぁ、って、気が付いたんです。

 結局あのおじさん、大家さんと関係ある人だったのかどうかすら全くわからないんですけど、まぁ大家さん関係なかったとしても、何らかの手段でウチの鍵を手に入れるなりして中に這入って、盗聴器とかカメラとか仕込んで、そして――さすがにあんまりリアルに想像したくないですけど、私の、その、音声とか映像とかで愉しんでいたんじゃないのかなって。


 だってあのおじさん、お金くれた時に言ってましたし。

 「いつも世話になってるから」

 「どうもありがとうね」って。


 いつからか知らないけど、仮におじさんが盗聴器やらカメラやらで私を愉しんでいたんだとしたら、やっぱり五千円じゃ安すぎますけどね。でも、まぁお金くれただけ良心的……なのかな?

 あ、いやいやいや、なんか駄目ですね、私、感覚バグってますね。あーあぁ、五千円渡してきてすぐのうちに警察に連絡しとくべきだったかなぁ。まぁ、したところで「じゃあ」って部屋の中を捜索するような展開には、ならなかったでしょうけど。ていうかこれやっぱり悪い話……で合ってますかね。ホントのところは謎のままなんですけど。


 あーやだやだやだ、二度とこういう目には遭いたくないです。ちょっともうわけのわからなさと気持ち悪さが絶妙に、こう……ほんっと嫌。

 だからね、犬を飼うことにしたんですよ。怪しい人が這入って来たとしても、吠えて追い返してくれるかもしれないじゃないですか。ミニチュアダックスって、狩りに使われることもあるんだから気が強いし、ちっちゃいけどよく吠えるんですよ。きっと安心です。


 あの子がいれば、変な人が這入って来ても、きっとうまく追い払ってもらえる。

 

 


 

 


 


 


 


 



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