違いますね

 サクラが殺されたのは私がクシバ指揮官に脅された翌日だった。彼女もカヅキの一員だった。


 ただ、奇妙なことがあった。

 カヅキの一員であるシノノメ。彼女の死の報告が入ってこなかった。国内の情報網にはアンテナを張っていたにも関わらず、だ。それどころか、一応だが命は救った方がいいと判断してシノノメを助けようとすらしたのに、安否は愚か居場所さえも分からない。


 彼女の死が判明したのは、彼女についての情報が入ってこないことに痺れを切らしてカヅキについて調べていた時だった。


 シノノメは戦争中に亡くなっていた。記録上は「戦死」となっているが、カヅキが実戦に登用されたとは思えない。実験中の事故、か、あるいは実験台であることを悲観して、か。


 これは完全敗北と言えるだろう。結果として私は誰一人カヅキを守れなかった。敗者は私だ。そう、いつだって私だ。


 喪失感、だろうか。

 私は町を彷徨った。ふらりと立ち寄った店で使い道もない油絵の具を一式を買った。油剤と色材を混ぜて絵の具を作る本格的なもので、油剤は火気厳禁、酸化注意とのことだった。意外と取り扱いが難しいんだな、と思った。心に穴が開いている時は意味もない買い物をする。この時の私もそうだった。


「後悔は、していたんですよ」

 シノノメの死を確認した場所から、少し離れたところにある安宿。


 夜。暗い部屋の中。女の部屋だが窓は開けていた。窓掛け(もうカーテンと呼ぶんだっけか)がたなびいていた。

 私は休眠から起きたところだった。特に理由もなく、長椅子の前に立ち尽くしている。迷彩柄のズボンに簡易下着という格好だ。とても戦闘なんてできたものじゃない。


「協力しない方針でよかった、とは思っています」

 私は淡々と続けた。

「シノノメの死を確認しました。彼女についての情報も調べた。やはりカヅキの一員だった」

 ズボンのポケットに手を入れた。何もない。湿った空気が指先を包む。


「正直、私の命も、危ないんだろうな」

 静かだ。とても静か。

「目的が、見えてこなかったんです。カヅキの構成員を殺していく理由が。で、私の立場になってほしいんですけどね」


 ポケットから手を出す。湿った空気から乾いた空気に触れた落差で涼しく感じた。指が宙を泳ぐ。


「そっちはカヅキだろ? と思うわけですよ。つまりですね、自衛してほしかったんです。落伍者とはいえカミガカリに届きそうだった人たちだ。一方の私はカミガカリどころカヅキにさえなり損ねた訓練生崩れでしかない。こっちにできることも自衛だったんですよ。だから調べた。どうしてカヅキが狙われるか。あの部隊に何か後ろ暗いところはなかったか」


 私は振り向かず、ただじっとして、長椅子の向こうにある机の方に意識を向けた。意識を向けただけなので物理的には何かがあったというわけではないが、しかしそれだけで十分なはずだった。私は続けた。


「国境へ行きました。モウヤとの激戦地だったあの地へ。シンドウが死んでいたところですよ。こう言っちゃあれですけど、あの人趣味が悪いですね。それか、せめてもの罪滅ぼしだったのか」


 長椅子の向こう。机の上には日記があった。一人の少女が残した日記だ。それは親に向けた謝罪文だった。日記を読む限りだと、筆者である少女は自決したらしい。


「その日記にはカヅキが犯した罪についてまとまっています」

 私は端的に告げた。

「きっと好奇心の目を向けられて鬱憤が溜まっていたんでしょうね。発散する先が必要だった。そして彼女たちはそれを自分たちの中に見出した」


 少女の日記は、ある時点から悲しみで満ちていた。彼女が軍に強制徴用された少し後からだ。私はその日記を、シンドウの死体が見つかった部屋の本棚で見つけた。教室の本棚。この手帳以外一冊も本が置かれてなかった本棚。


「いじめがあったみたいです。カヅキに所属していたシノノメ隊員は非道な扱いを受けていた。その日記によれば散々ですよ。食事に虫を入れられたり、持ち物を汚物入れに捨てられたり。クシバ指揮官も関係していたみたいです。彼はシノノメに性的虐待を加えていた。その日記の筆者はシノノメなんです」

 誰も応えない。何も言わない。


「終戦後、私も含め軍関係者は徹底的に管理された。経歴の調査も含まれるでしょう。子女の虐待は立派な犯罪です。クシバ指揮官は隠そうとしたはず。だが痕跡はどう足掻いても残る。そもそも関係者であるカヅキが生きている。先ほども言いましたが、軍人は基本的に諜報部の監視下にある。後ろ暗いことがあると、退役年金に響く」

 口封じでしょ? 私はそう続けた。


「まぁ、状況を考えるにクシバ指揮官が隊員たちを殺して回ったというのが本筋でしょう。もしかしたらシノノメもクシバ指揮官が殺したのかもしれない。そして昔犯した少女のようにカヅキの面々を殺していった。カヅキとは言え軍人崩れを始末するのは苦労はしたでしょうけど、カグラを含めカムイの装備もなく、終戦から五年もたって腕も錆びつき、男女という体格差もあり、しかも下手すれば信頼関係さえある人間を殺すのは、一対一ならそれほど難しくはないと思います。隊員たちが徒党を組む前に迅速に処分したというのもいい点ですね。徹底的に卑劣だ」


 ため息が出た。下らない。この話だけは、本当に下らない。


「でもね、クシバ指揮官が殺していったとなると、納得のいかない箇所がひとつだけあるんですよ」


 私は顔を上げた。ここからの話は、下らなくは、ないのだろうな。


「『ツバキ、ミナミダ、オオノ、シンドウ』この順番で殺された、ということでしたね」

 夜の静寂は少しも崩れない。

「シンドウが『シンドウ・ツバキ』だから紛らわしかったんですよ」

 私は記憶を掘り起こした。治安維持局に行った時のことだ。


「『首尾一貫していない。頭と胴が一致しない』」

 多少、文言は違ったかもしれないがおおよそそのようなことを職員は言った。


「シンドウの死体であることを判定できたのはそこに『シンドウの頭』があったからです。当然、近くにある胴体は『シンドウの胴体』だと思われた。だが治安維持局は『頭と胴が一致しない』と言った。シンドウの頭の近くに落ちていたのはシンドウの体じゃなかったんです。では誰の体だったか? 同じ状況で死んでいた人間とすり替わっていたと考えるのが妥当です。シンドウと同じ方法で殺されていたのは、ツバキです。彼女も首と胴を切り離されていた。シンドウの首の横に転がっていたのはツバキ・マリの体だったんです。両者の首と胴が入れ替わっていた。捜査当局も混乱したはずです。シンドウが死んだと思われるのにシンドウじゃない体が転がっている。だがシンドウが死んだことに間違いはない。首が転がってますからね。よってそう発表する。つまり世間的には『シンドウ、ミナミダ、オオノ、ツバキの順で死んだ』はずなのに一人だけ『ツバキ、ミナミダ、オオノ、シンドウの順で死んだ』と言った。シンドウとツバキが入れ替わっている。治安当局ですら、『首と胴体が一致しない』程度のことしか知らなかった。『シンドウとツバキが入れ替わっている』。そのことを知っているのは犯人とその関係者だけです。そしてこれはおそらくですが、クシバ指揮官がその入れ替えを、共犯者の許可なく勝手に行った。だから共犯者のあなたは『殺した順序』という中途半端な情報だけ持っていた」


 クシバ指揮官が首と胴を入れ替えた理由は、と私は続けた。

「カヅキの中には死体を検めることに慣れている人間がいたことが推測できます。一応訓練を受けた人間ですからね。そんな人間に、首と胴が入れ替わった死体を見せたらそれだけで頭の中に疑問符を作れる。疑問は解消されないと気持ち悪い。その違和感が隙を作る。考えている間にことを進めてしまうんです。おそらくクシバ指揮官はそういう意図でシンドウとツバキの首と胴を入れ替えた。現場を、組織をまぜっかえす意味で。ところが実行犯じゃないあなたはそこで情報の錯誤を起こした」


 クシバ指揮官も始末したんでしょ? 

 私はまた思い出す。


 ——死人が出る。

 ——そうかもしれませんね。

 ——死体を増やしたくない。

 ——同感です。


 あの時、クシバ司令官は私を脅しているのだと、そう思った。死体を増やしたくない、とは私のことを指しているのだろうと、そう思った。


 しかし死体は私のことじゃない。クシバ指揮官自身のことだったのだ。

 彼は自分の身に危険が迫っていることを察知していた。だから私に接触してきた。


「師匠。いえ、ドバシ教官」

 私は告げた。

「クシバ指揮官を殺して来ましたね? そしてクシバ指揮官にカヅキを殺して回るよう指示……いえ、脅したのもあなた。クシバ指揮官に一通りやらせた後にクシバ指揮官自身を自決に見える殺し方で始末する。外見上は発狂した退役軍人の奇行、ぐらいにしか見えないんじゃないかな」


 私は話を続ける。

「あなたが私に調査を依頼してきたのは……」

 振り向かない。振り向く必要がない。

「依頼者、という立場に立つことで犯人ではない、という主張をしたかったのでしょう。犯人が自分の殺人の調査をさせるわけがない。それか、もしかしたら答え合わせの意味があったのかな。自分がした犯罪の計画に綻びがないか。当局が動き出す前に私に調べさせて、隙が見つかったらそこを埋め、対処した後に私も殺す。そんな算段だったのかもしれませんね」


 ため息。夜の闇に吸い込まれていく。

 私は師匠について語った。私が知っている師匠についてだ。


「あなたの出自は謎に包まれていました。異国の軍人だとも凄腕の傭兵だとも言われていた。これは完全に、もしかしたら、ですが」

 机の上の日記に再び意識を向ける。


「あなたはその日記の少女の関係者なんじゃないですか? まぁ、年齢を考えるに父親、が妥当だろうな。どうです? 当たりですか?」


 カヅキ含め、カミガカリ訓練生には親がいない。ある者は親に捨てられ、あるものは親を亡くしている。私は後者だ。カミガカリ候補生になる子供には親がいない。


 でも例えば、後から親が「この子は自分の子だ」と認知する場合もある。自分、あるいは関係を結んだ女性によく似た子供が、身に覚えのある地域から連れてこられたら。自分と子供は、簡単に結びつくのではなかろうか。


「これは復讐ですね? 娘を傷つけられたことへの。娘を傷つけた当人同士に殺し合いをさせて、残った一人を確実に殺す。そういう筋書きでしたね?」


 夜の闇から声が飛んできた。

 師匠のものだ。


「私はずっと、君は背後をとられやすいんだと、訓練生の頃からずうっと、そう思っていたんだがね」

「……ショウギって知ってますか?」

 私は知っている。こう見えて遊び事が好きなんだ。

「あるいはイゴは?」


 背後で笑い声がした。満足そうな、嬉しそうな声だった。

「背後をとらせていた、のだね。優位に立っていると思わせて不意を突くのが君のやり口なわけだ。となると事態は見え方が変わる。これは罠だったわけだ。窮地に立っているのは私だ」


 特別なことはしていない。だが私は「放火魔」だ。いつも、いつだって、渦中にいた。

 絵の具を買った。油絵の具の、だ。油剤と色材を合わせて絵の具を作るような、本格的な。

 油剤の方は火気厳禁だ。酸化注意、とも書かれていた。調べたのだが、油絵の具の油剤は不飽和脂肪酸というらしい。空気と反応して発火しやすいので、取り扱いが難しいそうだ。


 そう、これは完全に例えば、の話なのだが。

 この不飽和脂肪酸をカーテンのような表面積の大きな布に染み込ませて、放置したら、どうなるだろう。空気との接触面が大きくなると、酸化は……。


 首筋に熱を感じた。床に幾筋もの光。橙色の光。すると光源が見る見る増えた。背後で音がした。パチパチ、パチパチ、という、まるで拍手のような。


 火の手が上がっている。「放火」は成功した。熱気が後ろから迫ってきた。見なくても分かる。窓掛けが……カーテンが燃えている。背後の声が霞む。


「やられたよ」

 ここに入った時から決着がついていたわけだね。師匠が饒舌になった。


「素晴らしい。君はカヅキどころか、カミガカリになるべきだった」

「私を落としたのはあなたですよ、師匠」

 すると背後の声が小さくなった。炎の音にかき消されてよく聞こえなかったが、おそらく、師匠は、笑っていた。


「きっと怖かったんだろうな。私が君をカヅキに入隊させなかったのは、小柄で戦闘には向かないから、ではない。頭が恐ろしく切れるからだ。君は脅威だった。君に力を与えると、軍どころか国全体に対して疑問を抱く。それに君は飄々としている。草原に一本だけ、それも堂々と生えている若木のようだ。つまり国にも、囚われない。君は危険だと私は判断したんだ」


 もう、振り返っても大丈夫だろう。そう考えて私は振り向いた。私の視線の先で、師匠が続けた。


「人は時代に囚われるのだよ。我々軍人なんてその最たるものだ。戦っていた頃の記憶に縛られる。戦争の頃現役だった、いや現役になろうとしていた君たちは、モウヤとの戦いの日々に囚われているのだろうな。だが私は違った。私はもう一線を退いていた。私が囚われていた時間はもっと前だ。最愛の女性と、クレイでもモウヤでもない、小さな小さな国境の村で、のんびり農作業をしていた頃の記憶だ」


 片田舎で農作業。

 そんな彼が何故、人殺しを生業とする軍人になったのかは分からない。

 だが彼には彼なりの事情があったのだろう。私は正面から彼を捉えた。


 燃え始めたカーテンを背後に、小刀を手に持った一人の男性がそこにいた。暗殺用の小刀。命を刈り取る特殊な形をした小刀。師匠でも、訓練教官でも軍人でも何でもない、ただの父親としての男がそこにいた。


「人は時代なんだ。逆もまた然り。時代は人なんだ。これは揺るぎない」

「違いますね」

 苦しそうに告げる師匠に、私は断言した。

「私たちは時代で生きているんじゃない。個人で生きているんだ」

 強く、ハッキリと。


「私のかつての仲間たちは、もう今を生きている。戦争の記憶を後ろに残して、あるいはそれと向き合いながら、今という時間を生きようとしている。それを無碍にすることは許さない。例えあなたが、師匠でも」


 父親が笑った。悲しそうな笑顔だった。


「ひとつだけ質問が」

 私は挙手した。かつてのように。訓練の頃のように。

「カムイを使えるって噂、本当ですか?」

 すると師匠は寂しそうに笑った。

「使えないよ。あれは心のある者にしか使えない。心のある者にしか力を与えてくれないんだ」

 そして私は……とつぶやいて、師匠は両手を広げた。小刀を持った手も。


「心がなかった。死んでいたんだ。そう、死んでいたんだ。娘が無惨に殺されたあの時から。本当を言うとそれよりももっと前に一度死んでいたのかもしれない。妻との生活を捨てて軍に行くことになった時、私の中で何かが壊れた。それが心だと気づくのに時間はいらなかった」

 師匠もため息をついた。しかしその吐息は背後の熱に吸い込まれていった。

「決まっていたんだ。私が徴用されたあの時から。あの時既に妻のお腹には子供がいた。娘がいたんだ。あの時から決まっていた。こうするしか、なかったんだ」

 悲痛な声だった。

「こうするしかなかったんだ。ずっとこうしたかった。苦しかったんだ。耐えられなかった」


 彼は小刀を自分の首に当てていた。

 師匠らしい、と私は思った。


 火災に駆け付けた消防団が、階下で騒がしくしていた。私は元訓練生として、可及的速やかにこの場を去る必要があった。


 証拠は隠滅しなくてもよかった。何せ炎が、赤く染まった部屋も全部、焼いてくれるから。



「セイアの安宿で火事だとよ。お前出張その辺じゃなかったか?」

 日常が、戻ってから。

 ジョウジが机に足を乗せながら声を飛ばしてきた。私は報告書を整理していた。

 地元の情報誌は情報が少し遅れる。一か月も二カ月も前のことがさも昨日起きたことのように伝えられる。


 さぁね、と私がすっとぼける前に電話が鳴った。ジョウジがすぐに受話器をとって、にこやかに応対した。それからこっちを向いた。受話器に手を添えて。


「お前に電話だぞ」

「誰から」

「サガミとかいう……おっさんっぽいぞ」


 私は笑った。

 彼がおっさんなら、私も歳をとったに違いない。


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君の姿と、この掌の刃 外伝 〜落伍者はカヅキの痕を追う〜 飯田太朗 @taroIda

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