後悔するぞ
シンドウ・ツバキが殺害されていた現場に向かった。昔の国境。かつてモウヤとの激戦地だった場所だ。砂利道。碌に整備されていない。道の端には墓石らしきものがいくつか。きっと戦死者を弔っているのだろう。
国の力がほとんど及んでいない、ドがつく田舎の片隅にその廃校はあった。かつてここで子供たちが勉学に励み、そして誰もいなくなったこの建物を、シンドウが買い、再び子供たちに勉強を教えていた。よもやここで殺されるとはシンドウ自身も思っていなかったに違いない。
建物に警備は入っていなかったので、用心しながら潜入し、調べた。かつて子供たちが集っていた数々の教室を見て回った。何もない。机と椅子すらも。おそらく戦争の時に資源として回収されたのだろう。椅子や机に使われている金属さえ惜しいような戦局だったのだ。そんな戦争に、いやそんな戦争にでも、私は力になりたかった。運命と自分自身に微かな怒りを覚えながら、シンドウが見つかったという部屋に入って、本棚を眺めた。手帳が一冊転がっていた。血の池は綺麗に拭われていた。
廃校から出て、話を聞いて回った。こういう田舎には、大抵地元の人間しか寄り付かないさびれた居酒屋がある。そこに向かう。
当然余所者は歓迎されない。そこでこう言う。
「皆さんにも一杯」
それだけでみんな笑顔。喜んで口を開く。
「シンドウさんにはよくしてもらったんだぁ」
白髪禿頭の男性が酔いつぶれながら告げた。
「俺に字を教えてくれてよぉ。おかげで柄にもなく、ほら、本なんて持ち歩いて……なかなか読み進まないけどよぉ」
「俺んところは孫が世話になってた」
眼鏡の男性だった。
「孫のフウヤは先生のことが大好きだったんだ。いつも笑顔で勉強しに行って……それが、こんなことに」
「碌な場所じゃなかったのさ、ここは」
品のいいベストを着た老人がため息をついた。
「国境だからね。しょっちゅう人がいなくなった。帰ってこなかった奴もいる。そんなこの村に、シンドウさんは……」
意外だった。
命のやりとりが発生する軍人は、当然ながら冷酷無情であることを求められる。躊躇っていたら殺されるし殺されるくらいなら殺した方がいい。そんな殺伐とした存在であったはずの軍人が、例えカヅキの一員だったとしてもこんな片田舎の廃校で、子供に勉強を教える。
シンドウのことを知ろうと思って訪ねた酒場だったが、しかし却ってシンドウの像がぼやけたまま終わってしまった。仕方がないので、私はこの地域を担当していた治安維持局の人間を訪ねた。
「非常に重くとらえている」
職員はそう告げた。
「当局の理解できないことが起きている。首尾一貫していない。頭と胴が一致しないんだ。迅速に対応したいが手がかりが少ない。何か知っているのか」
逆に尋問されそうな勢いだったので、私は適当なことを言って避難せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。師匠が見たら笑うだろう。「維持局に足を運んだ段階で決まっていたのだよ」と。
結局シンドウについては何も分からず、続けてオオノ、ミナミダ、とそれぞれの現場を巡っていった。手首と喉を掻き切られていたのがオオノ。手巾で絞め上げられていたのがミナミダ。シンドウとツバキは首と胴を切り離されていた。どこの現場に赴いても一向に手がかりがつかめないまま三日が過ぎ、頭を抱えていると連絡があった。泊っている安宿に伝言があったのだ。宿の主人から声をかけられたので何事かと思っていたら、あんたにだ、と小さな紙切れを渡された。そこにはこうあった。
「ジュウジ、ニシ、ヒロバ」
軍人らしい書き方だった。特にこれといった根拠はなかったが、軍関係者の伝言だとすぐに分かった。私は宿泊していた宿の安いベッドの上に身を横たえると休眠をとった。起きたのは翌五時半だった。
*
詳しい場所は伏せるが、私はミナミダが殺害された現場の近くの宿にいた。伝令の発信者が何故これを送ってきたのか、私如きでは当然推理することはできなかったが、誰から送られた伝令か、くらいは推理できた。候補は三人しかいない。その内、あんな上官らしい伝令ができる人間は一人くらいのものだろう。
「たった三つの単語だけでこの場所に来てくれて嬉しいよ」
夕方四時。東の森の中央。草原の中。暗号というのは大体ひっくり返すのだ。
町の市場で万全の準備をしてから向かった。度数の高い酒と、手巾。それから道を切り開く用の鉈。中古のスクーターを一台。燃料をつけてくれなかったので、油槽一杯分のそれを別途買って荷台に積んだ。
背後に気配があったのと、私が口にしていた酒瓶を放ったのとはほぼ同時だった。夕方とは言えまだ明るくて、私の正面の森の向こうでは陽が沈んでいる最中だった。
背後をとられているので、当然ながら動けない。
私如きの(実際訓練生程度なら背後を取らなくても倒せるだろう)背中を取ったのは、この件で二人。
一人目、私の背後をとったのは師匠だった。これはむしろ、私の方から背面での接触を希望したいくらいだった。面と向かって会うと当局に睨まれる。私の平穏が崩れる。
二人目、すなわち今私の背後にいる人間だがこちらも「背後をとってもらわないと困る」人間だった。
立派な軍人だからだ。それも只者ではない。
「クシバ指揮官」
私の言葉に背後の男が反応した。
「おや、分かっていたかね」
「消去法ですが」
「話は早い」
背中には何も感じなかったが、逆に感じないことこそが脅しだった。素人は武器を背中に突きつけ脅す。そんなのは武器の位置をこちらに知らせているだけだし、ちょっと接触点をずらせば致命傷は避けられる……そう師匠に習った。
背中に敵がいるのに何も感じないのは「こちらから見えない位置に武器を置き、かつ適切に使える状況にある」ことを示しているのだ。私は素直に応じた。カヅキ唯一の男性にして指揮官兼試験官。カヅキを支配する大人。
「目的は何です?」
「この件から手を引け」
意味が分からなかった。だから私は笑った。
「どうしてですか」
「上官の命令には従え」
「ご存知ないようならお教えしますけどカヅキはもう解体されているんです」
それに私はカヅキにさえなれてない。
しかしクシバ指揮官は続けた。
「命が惜しければ従え」
クシバ指揮官は低い声で続けた。だから私は返した。
「暑いですね」
この言葉で気づいたようだ。クシバ指揮官の声に変化が表れた。
「……焼いたな」
先程放った酒瓶。
度数の高い酒。
そして手巾。
火をつけて放ったのだ。
手元で布に火をつける。
そんな些細なことは自分の体で隠してできる。小柄な私でも、だ。背後からは見えなかっただろう。
火炎瓶のいいところは炸裂しても音が大してしないところだ。分かりやすく爆発しないからこうして不意打ちに使える。
クシバ指揮官が私の背後をとったその時。
私もこの草原に火を放ったのだ。周囲には燃料を僅かに、少なくとも帰りにスクーターに乗れる分だけは残して、撒いておいた。臭いで勘づかれては困るからだ。
私の正面には夕日があった。私の背後から近づくということは逆光になる。光源が一つ増えたくらいじゃ目がくらんで分からない。故に火炎瓶を投げても気づく人間の方が少ない。
「……カムイを使わずに状況を打破しようとするその姿勢は評価する」
じりじりと熱を持ち始める辺りを見渡しながら私は答えた。
「一応、カヅキへの入隊を希望していた時期もありましたので」
それどころかカミガカリになろうとしたことさえある。
「何故入隊試験に落ちたのか、教官の意見を聞きたい気分だよ」
「師匠ですよ。ドバシ教官です。私を落としたのは。カムイの行使が雑だったんでしょう。私は大雑把な性格だから」
沈黙。お互いに何も言わなかった。
「死人が出る」
「そうかもしれませんね」
「死体を増やしたくない」
「同感です」
「協力しないか」
「断ります」
背後で明らかに苛立ちを感じた。舌打ちまではしなくとも、ピリピリした気配は感じる。
そうこうしている内にも火は草原を焼く。お互いに時間がなくなってくる。
「後悔するぞ」
「もうしてます」
しかしその声はどうやら、届いていないようだった。
気配が消えてから、私は振り返りすぐに駆け出した。
火の手が回っていないところ。それは発火点から一番遠いところだ。瓶を投げたのは私だ。どこから火が付いたかくらい、分かっている。そしてほら、鉈の出番だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます