今度返して
電話は手短だった。集合場所のみ。しかしそれで十分だった。訓練生なら、上官からの緊急招集には三十分以内に応ぜよということが叩き込まれている。私は報告書の束を机に放りだすと足早に向かった。道中、こんなことを思いだした。
*
「ショウギは知ってるかな? 古い駒遊びだ。知らない? ではイゴは?」
格闘訓練所。拳の突きを軽くいなされ投げ飛ばされた私を見下ろしながら、師匠が訊ねてきたのを覚えている。
「君がまず右足を一歩出した。この時から既に決着はついていた」
「どういうことですか?」
師匠の手を借りて立ち上がる私に、彼は告げた。
「勝負は一瞬の時の運のように思える。だが実際は違う。積み重ねなのだ。どの場面でどのような判断を下し、どう動いたか、のな。戦闘の最中、両者は共に様々な動きを見せる。非常に複雑な、数学でも説明が難しい動きをね。では勝つのはどちらか? 相手の動きに対しより多くの解決策を持っている方、だ」
*
王都から少し離れた場所。徒歩で向かって少し骨が折れるくらいの場所だった。近いと言えば近いし遠いと言えば遠い。絶妙だった。さすが、としか言いようがない。
通りの長椅子で新聞を読んでいると背後に気配があった。私が読んでいる新聞は地元の情報誌くらいのもので、一か月も二カ月も前の情報がさも昨日起きたことのように伝えられるのだが、私はその亀のようなのんびりさが嫌いじゃなかった。
ぱちりと音がして、甘い匂いが鼻をくすぐった。喫煙しているのはらしくなかったが、逆に言えば抜群の目くらましだった。
「お久しぶりです」
振り向くことなく告げる。背後の男も応じた。
「元気そうだな」
「平和になりましたからね」
「だが我々は監視されている」
「軍人でしたからね」
「当時の私は現役ではなかったんだがな」
師匠はただの師匠だった。教官だ。我々訓練生に軍事技術を叩きこむ。つまり現場要員ではない。
彼がどういう経緯で軍に入ったのかは誰も知らない。本来なら、クレイ王国のあの地方出身だとか、どの街出身だとかいうことは何となく分かる。地方の訛りや、好きな酒、好きな料理、などなど様々な特徴で。だが彼についてはそういう手がかりは一切ない。そもそもが寡黙だし、話す言葉も都会的、つまり標準語、食もただの栄養摂取くらいにしか考えていなさそうである。噂によれば元他国の軍人だったとも、凄腕の傭兵だったとも聞いたことがある。正体は誰も知らない。
分かっているのは異次元の強さ。カムイを行使せずに「カムイを行使している」人間を制圧できる。あり得ないことだが、仮に彼がカムイを行使できたとすればもはや人間じゃない。単純な武力だけでなく、その場にあるもの、状況判断、敵からの接触、全てを加味した上で無駄なく動くことで確実に仕留める。それが彼のやり方であり、そう動くように我々訓練生は仕込まれた。
ドバシ・ジュウゾウ。通称「師匠」。多くの訓練生が彼と特別な関係、つまり師と弟子のような関係になりたくてつけた名前だ。通常は何々教官、と名前に「教官」をつけて呼ぶのだが、師匠は「師匠」とだけ呼ばれていた。もちろん公式の場、例えば訓練中などはドバシ教官、と呼ばれていたが、そうでない場では私たちは必ず「師匠」と呼んでいた。戦闘の技術だけでなく、心構えや生き方、人生哲学についても、ぶっきらぼうながらも真摯に教えてくれるいい教官だった。当人も訓練生たちが「師匠」と呼ぶことをさして嫌がっていないというか、特に気に留めるつもりもなかったようなので、この呼び方が定着していった。
そんな師匠がカムイを行使しているところを、私は見たことがない。それは当たり前のことなのだが、彼がカムイを行使しているところを想像したくなるくらい、彼は強かった。師匠が戦場を駆け抜け、並み居る敵兵を片付けていく様子を見ることができたらどれだけ爽快だろう、と。
「特性に囚われるな」
カムイを用いた実戦演習の時の言葉だ。師匠はカムイを使えないが簡易防具で防ぐことはできた。しかしその防具は配備されたばかりのピカピカの新品のように見えた。誰も師匠に一撃を、与えられないのだから。
「得意だからと言ってそればかりをするな。特化は弱点を作る。常に自分の裏をとれ。得意な部分を苦手で隠せ」
師匠に一撃でも与えられたら昼飯のイモを譲る。
訓練生の間でそんな賭け事が流行るくらい彼は強かった。今でも覚えている。当時まだ訓練一年生。同期のタケキが師匠に一撃かましたのだ。
「いい筋だ」
模擬剣の一撃を浴びせることはできたものの、訓練中に行使できるカムイの量が底を尽きていたため、たんなる打撃に終わったタケキに師匠は冷静に告げた。
「手が尽きても手を尽くす。その姿勢が大事だ。諸君も見習いたまえ」
かくしてタケキは同期連中から大量のイモを送り付けられたのだが、しかし彼は苦笑いをした。
「時間切れ、だったな」
「惜しかったよ」
私はイモを譲りながら笑った。
「カムイが足りていれば勝ちだった」
「計算されてたよ」
タケキも笑った。
「あそこでカムイが尽きるように動かされていたんだ」
「ある意味、時限爆弾だね」
私がつぶやくとタケキがイモを口に入れた。
「『放火魔』のお前がそれを言うと物騒だな」
私は同期の間で「放火魔」と呼ばれていた。どういうわけか揉め事に巻き込まれやすく、「火事が起きれば大抵真ん中にいる」と揶揄されたことがきっかけだ。三つ子の魂、というか、現に私は今も、揉め事に巻き込まれる人生を送っている。
私がそんな思い出を振り返っていると、長椅子の背後に立っていた男が四枚の紙切れを私の隣に落とした。一瞬の間を置いてから、拾う。
胴と首が離された死体。その写真が二枚。
手首と喉に鋭い一撃を加えられた死体の写真が一枚。
手巾で首を絞め上げられた死体の写真が一枚。
どれも軍関係者だと分かった。年頃の女性にしては鍛えられた体。線を隠す服に包まれていても分かる。直感にすぎない理解だったが、しかし間違っていない自信はあった。背後の男が告げた。
「ツバキ、ミナミダ、オオノ、シンドウ」
「その順で殺されたんですか」
「ああ」
背後の男は静かに続けた。煙草の甘い匂いがした。
「分かるな?」
「軍人ですね」
「……それだけか?」
まさか。
言われてみれば、確かに弱々しい印象はあった。
それは「軍人にしては」という意味で、一般人よりは確かに強そうなのだが、逆にその中途半端さが妙に私に迫ってきた。
私には言葉が出てこなかった。
しかし背後の男は……師匠こと、ドバシ・ジュウゾウは無情にも、私が口に出せなかった言葉を告げた。冷たく、だが正確に。
「カヅキだ」
*
「どんな依頼だったんだ」
その日の夜。
行きつけの酒場で一杯やりながらジョウジと話した。
「旧友と会って浮気調査を任された」
適当な嘘だった。よもや殺人事件の捜査だとは言えまい。しかも私と師匠とは政府から接触を危険視されている仲で、私のいる事務所に直接電話をかけてきた師匠の行動が異常すぎて、当局が見落としている可能性さえあるのだから。
「その友達って美女か?」
下卑た顔でジョウジが訊いてくる。私は答える。
「あんたにはなびかないよ」
実際、師匠がジョウジになびくとは思えない。
だがジョウジは人当たりがいい。それが彼の最大の長所だった。私のような落ちこぼれの女とは違う。若手ながらに一人で事務所を経営しているし、私に仕事を振れるくらいには案件をとってくる。そんな友を危険に晒したくない。私はそう判断していた。ジョウジはこの件にはかませない。
「明日から一週間、仕事する」
ジョウジは杯を傾けた。
「出張費はずむぜ。ついでに息抜きもしてこい」
「そういう楽しみ方もありかもね」
私も酒を飲んだ。銘柄は忘れたが私のお気に入り。ここの主人は私の顔を見ればこれを出してくれる。
「今日はこれで十分?」
私の分の支払いを出す。ジョウジが笑う。
「俺の分まで出してるぞ、お前」
「今度返して」
ある意味、餞別のつもりだった。
私はこれから、死と向き合う。
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