愛すべき軽口たち

鹽夜亮

愛すべき軽口たち

「カフェオレ?」

「うん」

「じゃあブレントとカフェオレで」

「承りました」

 洒落たわけでもない、どこにでもあるチェーンのコーヒー店。平日の昼下がりは客も疎らになっている。

「久々じゃん。まぁあたしが帰ってくるのが久々なんだけど」

 三条は大学時代と大して変わらぬ様子で、コップに注がれた水の中ををストローでクルクルと回している。

「ご時世考えてもなかなか帰ってこられねぇだろうしな。…お前ちょっと太った?」

「ねぇ。あんたデリカシーって知ってる?」

「知ってる。けどお前に使う必要はねぇだろ」

「都会のストレスで太ったわ馬鹿」

「当たり」

「うざ…」

 運ばれてきたカフェオレに三条は砂糖を入れて、さらに甘くした。どこかでみた光景な気がする。大学時代のことだろうか。俺の注文したブレンドは、良くも悪くも当たり障りがなく、美味しい。

「あんたはまだ無職なわけ?」

「んー、厳密には自営業手伝いになるのかな」

「お父さんの釣り堀?」

「そう」

 心身の病を機に退職したことは伝えていた。今俺は親父の釣り堀を手伝っている…実質無職と言えば無職なのかもしれない。

「それにしても、玲ちゃんと別れたって話聞いた時はびっくりしたわ。あんたら大学時代からでしょ?五年?」

「五年ギリギリいかないくらい。まぁしゃあない話さ」

「甲斐性なしの無職だもんねぇそりゃ」

「うるせぇけど否定できねぇ」

 三条はカラカラと笑っている。こうして笑い話にしてくれる方が、俺にはよほどありがたかった。

「んじゃあお前彼氏は?」

「相変わらずいねぇようるせぇな」

「スペック悪くねぇのになお前。やっぱあれだろ。口の悪さと気の強さか」

「口は相手選んでるわ」

「相手選んでるってことは…つまり俺らが付き合えば…」

「死んでも嫌」

「知ってる。期待通りの返答ありがとう」

 軽口のやりとりに楽しさを覚える。社会に出た後は、良くも悪くも学生時代と多くのことが変わってしまう。それは人との関わりの距離感であったり、形であったり。三条との会話は学生時代のままのようで、居心地が良い。

「つかさぁ。あたしたちの歳になってくると周りで結婚だー子どもだーって報告増えてくるじゃん?あれ来るたびに死にたくなるよね」

「死にたくはならねぇけど歳は感じるな。てかそもそもだけどお前って結婚願望あるの?」

 三条はどこか不思議なほどキョトンとした目で一度こちらをみて、カフェオレを一口飲んだ。眉間に皺を寄せて、何やら真面目に考えている様子だ。なんとなしに釣られて、俺もブレンドを口に含む。

「考えてみたけど理想の男性そのものがいきなり空から降ってこなきゃないわ」

「そりゃつまり無理ってやつだな」

「だって一人の方が楽じゃん…?あたし仕事好きだし、別に相手いなくて困ることないし。一人の時間無くなる方が嫌」

 あぁ、やはりこいつは俺と似ている。どこかが似ている。大まかには違ったとしても、芯の部分というか、深い部分というか。

「同意」

「あんたは相手長年いたけど振られただけでしょ」

「お前デリカシーって知ってる?」

「知ってる。けどあんたに使う必要ない」

「ナイス返答。満点花丸あげるわ」

 気を使わない会話というのは、どうも久しぶりな気がする。中途半端に大人の世界に入り込むと、取り繕ったりフィルターをかけたり、オブラートに包んだりとずいぶん面倒になる会話というものだが、それらを取っ払えば楽しいものだ。

「そろそろ出るか」

「うい。どっか行くあてあんの?」

「ない。っていうかこの県に女連れで行く場所なんざラブホテルかショッピングモールくらいしかねぇのはお前も知ってるだろ」

「知ってる。んじゃ適当に運転して。横で適当にダベるから」

「はいはい」

 車を走らせて、何かを話した。内容は覚えていない。どうでもいいことだったのだろう。楽しかったことだけを覚えている。よく笑ったかどうかは、覚えていない。

 やがて、三条の実家付近の公園の駐車場へ車を滑り込ませた。今夜は実家で一泊してから東京へ帰るらしい。

「あー喋った。ありがとね車」

「気にすんな。お前の家こっから徒歩どんくらいよ?」

「ん〜……五分?くらいかな」

 時刻はすでに二十三時を回っている。田舎といえど、夜道を若い女性一人に歩かせるのは、気が引けた。

「一緒に行こうか?流石に夜道は危ねぇだろ」

「いいよ。あたし襲うやつなんていないでしょ。つか彼氏でもないのにそこまでしなくておっけーだから」

「…んじゃお前が家着くまでここに車止めとくから着いたら連絡だけよこせ」

「………優しいんだか心配性なんだかよく分からんやつ。わかった」

 三条が車から降りる。助手席のウインドウを下げて、夜の闇の中にぽつりと浮かぶ三条の顔を見る。

「じゃあね。次いつ帰ってくるかわからんけど、まぁ気が向けば連絡はするよ」

 ふらふらっと適当に振られる手に、彼女らしさを感じて思わず笑みが溢れた。

「帰り気をつけろよ。なんかあったら連絡よこせ」

「うっさいなぁあんたお父さんかよ」

「お前が子どもとか胃に穴が開くわ」

 軽口に笑う。明日にはお互い日常へ帰るだろう。お互いのいない、日常へ。

「またね」

「ああ、生きてたらまた会おう」

「ばーか。またねって返せばいいんだよそういう時は。だからモテねぇんだろあんた」

「……お互い様だろ」

「うっせ。ばいばーい」

「はいよ。じゃあな」

…………

 宵闇に消えていく三条の背を見送って五分後。しっかり携帯の通知が鳴った。

『無事つきました。車ありがとうパパ』

『無事で何より。語弊のある表現やめろや』

『笑』

『体には気をつけろよ。俺みたいになるな』

『はいはい。ありがと。あたしがまた帰ってくる時まで死ぬなよ馬鹿』

………………

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