ことほぐ

 茜が寝ている。

 美夜古は冷たい石の床を這って茜に近づいた。

 何か赤いものが茜の胸から流れ出していて、その匂いは初めて食べたものに似ていた。茜の胸から飛び出しているこれは何だろう。どうして茜の顔は半分抉れて散らばってしまっているんだろう。

 茜、茜。またお話を聞かせてよ。今度はちゃんと名前を呼んでおくれ。

 真っ白くなってしまった頬を叩いてみたけれど、猫の姿になって喉を鳴らしてみたけれど、動かなった。

 ――馬鹿者が

 声がした。美夜古に似た、もっと大きいものがいた。続けて、お前は本当に馬鹿だなと言った。

 死んでるんだよ。私たちは自由だ。術者が死んだから、どこへでも行ける。

 餞に邪魔なものを全部壊してやるよ。

 縞模様の獣に変じた大きいものが、茜の頭に棒を振り下ろし続けている人間に嚙みついて、疾風のように暴れまわった、狭い石室は血の霧が立ち込め、残った者も石段まで追い詰めて全部壊した。

 ――お前はこっちから出ていった方がらしいよ。なんぜ胎道お胎の道だ。今日から生まれるお前にはもってこいじゃないか。

 じゃあなと赤黒い目が笑って、大きいものはさっと石室の穴から消えていった。

 大きいものがバラバラにしてしまった人間の手足を拾って、茜の欠けた手足につなぎ合わせてみたが、やっぱり茜は起き上がらなかった。

 美夜古は途方に暮れて、茜の姿になってみた。

 美夜古。と茜の声がした。どうしたのだ、茜。そんなに透き通って。茜も姿を変えることができるのか。さあ、茜。一緒に行こう。美夜古が手を差し出してみると、茜は首を振った。一人で行くのよ。美夜古。私のかわいい子。

 それっきり茜が消えてしまって、さっきのはどうやら自分の中に残っていた思い出というものらしいと美夜古は気が付いた。茜はどうやらもういないらしい。両の目から塩辛い水が出てきて、美夜古は驚いた。なにか暖かくて頼りないものが美夜古を満たしていた。その名前を感情というのだと、美夜古はまだ知らなかった。

 美夜古はゆるゆると続く石段を上った。

 塩辛い水がずっと2つの目から溢れていて、元の姿でなくてよかったと思った。たくさんの目があるからこんな穴倉はすぐ海になってしまおう。

 生臭い血の匂いがした。

 血まみれで生まれてくる赤子のようだった。

 やがて、朝の光が美夜古を迎える。世界は美夜古の誕生を祝福する。

 美夜古の世界は茜に見せてもらった美しいものでできていた。

 美夜古は一羽の鳥に転じた。

 翼が風を捕らえる。血に染まった村が遠ざかる。なるほど、あれが太陽というものか。随分と丸くて熱いな。琥珀色の目が世界を見る。


 美夜古はこの日、世界にうまれた。


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巣立ち いぬきつねこ @tunekoinuki

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