こがねの記憶

桐中 いつり

第1話

つるつる、かめかめ、めでたい、めでたい。 


ちょっと、うるさいかな……。

理人りひとは天井を見上げた。

ここは中学校で今は英語の授業中だ。高校受験を控え、少しピリピリした雰囲気の中、理人の頭上では法被を着たお爺さんと、五歳くらいの着物を着た金髪の女の子が、歌を口ずさみながら足踏みをして踊っている。


五日前の中秋の名月の夜、理人は塾へ行く途中、大きな交差点でトラックに轢かれそうになったところを地縛霊と妖精に助けられた。それまで見える体質ではなかったので数日、戸惑っていたが、昨日から一緒に暮らしている。


「名前は一応、鶴亀つるかめです」と、名乗った幽霊のお爺さんは、記憶喪失だった。ずいぶん前に交差点で交通事故にあったらしい。理人が助けてもらった礼を述べると、いやいや、と手を振った。信号機のない時代からずっと交差点から出られなかったが、理人が向かう場所には移動できるようになって嬉しいと言った。

「あたしはナナっていうんだよ。ニジュウ・ナナ。小麦の妖精です」

ナナは面長の顔に金髪おかっぱで肌が白い。

鶴亀さんが亡くなる時、持っていた空っぽの小麦粉の袋から出てきた。地縛はなく、どこへでも行けるが、袋から出る前のことはわからないそうだ。

「わしはまだ成仏する気にはなれん。何かを見届けなければならんと、そればっかり思っておる」

鶴亀さんは語気を強めた。しかし、何を見届けるのか自分でもわからないらしい。

鶴亀さんは背は低いが、ガッチリした骨格で、紺色の法被と半ズボンを身に着けていた。目を凝らすと、足元はゴム草履を履いている。

昭和初期の人だろうか。

理人は助けてもらったお礼に力になりたいと思った。


一緒に暮らすうちに、鶴亀さんは料理が得意だとわかってきた。母の腕を霊気で引っ張って調味料の加減をしたり、何かと世話をしている。おかげで味噌汁をはじめ、他の料理も味が良くなっていった。何も知らない母はご機嫌だった。


理人はこれまでの観察から鶴亀さんの職業を特定した。踊りに見えた足踏み、料理が得意である事実、ナナの小麦の妖精が本当ならば、鶴亀さんの職業はこれしかない。

「うどん屋さんだったんじゃないですか?」

「え?」

ポカンとしている鶴亀さんに、手打ちうどんの動画を見せると、顔つきが変わった。

「こっ、これは、うどん、うどんだ! 思い出したぞ。コシを出すために、こねた小麦粉を足で踏んでいたんだ」

理人はよしっとガッツポーズをした。 

「結婚式にうどんを作ったのも思い出したぞ」

お祝いの席にうどん?

放課後、学校の図書館でスマホも使って調べてみると、あの交差点の西に広がる武蔵野台地では水田に向かない土地のため、小麦が盛んに栽培されていたことがわかり、鶴亀さんの記憶を刺激した。 

「小麦は売り物だったから貴重でな。小麦で作ったうどんは冠婚葬祭の特別な日に食べたもんだ」

そんな風習を今に伝える武蔵野台地の市町村は多い。鶴亀さんはどこから来たのだろう。

「交差点に着いた時は、焦っていたな。早く帰らねばと考えておった」

鶴亀さんは腕を組んで目をつむった。

「今も見届けなければ死ねんと強く念じておる。見届けなければ、届けなければ……、薬を」

そう言うとカッと目を見開いた。

「そうか。薬をなんとしても届けなければいけないと思っていたんだ」

鶴亀さんがそこまで思い出した時、小柄なつり目の女子に声をかけられた。

「理人、久しぶり」

「あ、春香はるかちゃ、いや、透野とうのさん。久しぶり」

幼なじみの透野春香だった。

「今、一人で喋ってなかった?」

「え? 喋ってないよ。独り言が出ちゃったのかな。アハハ」

理人は鶴亀さんのことがバレないように誤魔化した。春香はお祓いで有名な寺の娘で、浮遊霊を見つけると除霊せずにいられない気質だった。

図書館の出入り口で連れの女子が、春香、と呼んでいる。

「今行く! じゃ、またね」

春香は理人の背中をポンと叩いて去って行った。


「理人、鶴亀さんがヘンだよ」

学校から帰り、塾へ行こうと靴を履いていると、ナナが困った顔で降りてきた。二階へ上がると、鶴亀さんが床に大の字なって倒れている。

「どうしたの!?」

「わからん。急に眠くなってきた」

体がスカスカに薄くなっていた。

「理人の背中に何かついてるよ」

ナナの指摘に服を脱いで確かめると、「強制成仏」と記されたシールが貼ってあった。理人はすぐに春香へ電話をかけた。

「春香ちゃん困るよ! この人は命の恩人なんだ。やり残したことがあってこの世にいるんだよ。僕はその手伝いをしたいんだ」

理人はこれまでの経緯をまくし立てた。

「そうだったの。ごめん。早まった」

春香は素直に謝った。そして、一つヒントをくれた。

「ね、理人にはハッキリ姿が見えていて地縛を解いたんでしょ? 理人の血にそうさせるものがあるのかも。親戚だったり」

「ええっ、鶴亀さんと僕が?」

「理人の親戚の間で薬を融通しあったんじゃないかな。昭和初期って、物がない時代だから」

つまり、鶴亀さんは理人の家か、親戚の家に薬を取りに来て、おそらくお礼にうどんを振る舞い、その帰りに事故にあった。鶴亀さんは、病気の誰かが薬を飲んで元気になるのを見届けたかったのではないか。


理人は途方に暮れた。一時間もすれば母はパートから帰るが、母が、そして父も、戦時中にうどんを振る舞った親戚のことを知っているだろうか。仏壇にお祖母ちゃんが遺した日記はあるが、膨大な量だから調べるのに数日はかかる。


理人とナナが立ち尽くしていると、ピンポーンとインターホンが鳴った。宅急便かと玄関のドアを開けると、茶色のシルクハットに茶色の燕尾服、片眼鏡をかけ、白い手袋をした紳士が立っていた。口元にはくちばしが付いている。

「ひいっ、どちら様ですか」

理人が怖さのあまり尻込みしていると、ナナが「トンビさんだ! この前、友達になったの!」と、飛んできた。

「やあ、ナナ。人間の家を訪問する時はこれで良かったかな」

「あの、どのようなご用件で?」

理人は何とか質問した。

「ナナから記憶喪失のお爺さんがいると聞いてね。家がわかったので伝えに来たのだよ」

トンビは理人の部屋にあがると背中の羽を部屋いっぱいに広げた。パチンと指を鳴らすと、理人たちはとある店の前に立っていた。


年季の入った建物に「武蔵野うどん 正太郎」と書かれた比較的、新しい看板がかかっている。

「ここは、鶴亀さんの店?」

「おそらく。蔵元正太郎くらもとしょうたろうという人物がいたが、八十年前に馬車とぶつかって亡くなったそうだ。位牌の戒名は何度入れても消えてしまうという噂だ」

「それ、成仏してないってことですか」

理人の質問にトンビは頷いた。

「何だか、懐かしいのう」

横たわっていたー鶴亀さんが立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。いつの間にか周辺には霧がたち込めていた。


「いらっしゃいませ」と、出迎えた女将さんは理人たちを見て驚いた顔をした。

かてうどんを四つ頂きたい」

トンビは席に着く前に注文した。くちばしは消えていた。

「肉汁うどんじゃないの?」

「昔、ここでは糧うどんが主流だったそうだ。糧とは野菜のことで、貴重なうどんをたくさん食べすぎないために添えられているらしい」


皿に盛られたうどんとつけ汁、人参、大根、茄子などの茹でた野菜の小鉢が運ばれてきた。

うどんは理人が普段、家や近所で食べるのと全然コシが違った。茶色がかった噛みごたえのある硬めの太麺で、濃いつけ汁とよく合って美味しい。実体化した鶴亀さんとナナは夢中になって食べている。

「いやあ、美味いうどんだった」

鶴亀さんは薄めたつゆを飲み干した。

そこへ、五歳くらいの男の子が女将さんとやって来た。作務衣姿で、頭にタオルを巻いている。

「正太郎お祖父さんですか。僕です。正二しょうじです。お祖父さんのおかげで こんなに元気になりました」と、鶴亀さんに深々と頭を下げた。

「正二……? 正二か! 生きておったか。薬が効いたんだな。こんな美味いうどんが打てるようになって、良かったのう」

言いながら鶴亀さんの体が光だし、あたりは白い光線に包まれた。次に突風が吹きつけると、鶴亀さんとナナの姿は消えていた。

作務衣を着た幼児はこの店の店主だった。「わたしは五歳の頃、風邪をこじらせて衰弱していてね」

話しながら少年、青年、中年と目まぐるしく姿が変わり、最終的にはポンッと鶴亀さんそっくりの老人が現れた。

戦時中で薬が手に入らず、正二の母親と親戚関係にあった理人の一族が、薬の余りを持っていると聞いて、祖父の鶴亀さんこと、正太郎が分けてもらいに行ったそうだ。父親は兵隊に取られて不在だった。祖父の亡骸と共に薬が届けられて、正二は助かった。


「あのう、ナナっていう小麦を知りませんか。本名はニジュウ・ナナって言うそうなんです」

鶴亀さんのことは大体わかったが、ナナの存在は謎だった。

「埼玉二十七号のことかな? 正太郎祖父さんは栽培から麺作りまでやっていたから、作っていた小麦のことだと思う。一時は台湾にまで作付けされた人気の品種だよ」

「このうどんも埼玉二十七号ですか?」

「いや」

店主は首を振った。

「戦争が長引くと化学肥料が不足して、収穫量が一気に減ったそうだ。今では栽培されているのか知らないな。うちで仕入れているのは農林六十一号という品種だ。アミロースという成分が多くて硬めだが、味と香りが良くてね。全粒粉にして使っている。低アミロースの小麦だとモチモチした麺になる。埼玉二十七号を使うと、どんな麺になったのか、残念だが、わからないな」


あの二人にはもう会えないのかな。

目標は達成したのに寂しくなった。帰りはトンビが背中に乗せてくれた。眼下の暗がりに畑や森、ネオン瞬く遊園地が見えた。

「小麦は秋に種を撒いて六月から八月に収穫されるんだ。今、栽培されていなくても、かつての記憶がお盆の頃に形になって現れる。また会えるよ。元気を出したまえ」

トンビは理人を励ました。

月のきれいな夜だった。
























































 









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こがねの記憶 桐中 いつり @kirinaka5

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