第30話 絶望

 かつての私は絶望が恐ろしかった。

 人は絶望に憑りつかれたとき、これ以上ない不幸に見舞われる。

 小さいとき、私はこの気味の悪い考え方に頭を悩まされていたことを覚えている。

 子供心にそれは際限なく轟いていた。

 けれども、このときの私にとって絶望というものはまだ、空っぽの器だけのようなもので、それを知る由もなかった。


 少し大きくなるとようやく絶望というものを全身で体感する。

 誰に教えられたわけでもなかったが、私はこれが絶望なんだと勝手に自覚していた。

 ただしそこにはひとつの障害があった。

 それは、その体験が私にとってはじめての絶望だったにも関わらず、私にはその正体というものが一向に掴めなかったということだ。

 未熟ながらに難儀して、必死になって探ってはみたものの、結局、何も分からず終いとなっていた。


 それから絶望は私をたびたび襲うようになった。

 その都度思った。

 絶望のなかみとは一体どんなものだろうかと。

 こういうことが往々にして起きるようになっていた。

 そうした繰り返しのなか、ぼんやり呆けていると、ふとあることに気がついた。

 絶望の入った器にはどうやら蓋があるのだということに。

 それからだろうか、私はその器のなかみが一体どういうものか、ますます気になって、手元にあったこれまでのいくつかを並べて物色してみたりもした。

 だが、そこにあるのはいつも徒労と立往生だった。

 茫然と見据えたままの格好になることが常だった。

 それでもあるときに、また別のあることを見つけた。

 蓋はこじ開けないとならないものらしい。

 それも自らを傷つけるような覚悟でである。

 いつしか私の持っていた器はホコリを被ってすすけたようになっていた。

 そうした中でも私は思い続けていた。

 いつしかその中身を確認しなければならない日がやってくるかもしれない。

 そう思いながら、それを開けたとき、その時点にあった絶望よりも性質の悪い絶望を目の当たりする予感もして、そのことに別の絶望を感じたりもした。


 やがて私は一丁前の仲間入りをした。

 一丁前の主体性を身につけて、一丁前の判断を下すことができる大人になった。

 そんな風になった私はいつしか自己と他者との間に曖昧さを持ち合わせるようになっていた。

 それまでは自己の問題として扱ってよかったものが、他者の存在によって容易に片付けられないものとなり、時に、元あった形とは全く異質なものに成り果てるということもざらにあった。

 そうしてからあるとき、自分が絶望について考えると、ある事柄に行き着いた。

 絶望はやはり在り、それは疑いようもなく、世のなかではるつぼのようにそれが煮えたぎっているということである。

 けれども、絶望そのものに対して、私なりの感触は以前と違ったものになっていた。

 言うならば、絶望というものは、その母体こそ存在しているが、それを直に言葉に乗せようとするとたちまちそれではなくなるもの。

 もしくは絶望を何らかの記号に直接的に表せようとする行為はその意図に反してそれと全く見当違いなことを試みていることだということ。

 これに尽きているような気がしていた。

 もちろん、それを語る行為や意志そのものには意味がある。

 そこには希望への転化がこの上なく感じられるからである。

 そして私にとって、絶望というのはそういうものに、もはやなっていた。




 ――はい、とりあえずひと月分。

 そういうわけで小休止しましょう。

 遊びすぎても人間駄目になりますしね。

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