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書き方に関する作法的なことについて

小説を書く上で、段落の使い方、記号の使い方、間の取り方、とかいろいろな作法を調べてるんですが、中にはその作法に則ってないと、読む価値すら認められてないこともあるようですね。

正直なところ、まじでか!と思ったんですが、まぁ、常識的な範囲ではそうなのかもしれませんね(これも感嘆符のあとに空白がないのでアウト、ブラウザバックを)。

でも、なんで?
と思う作法もあると思いませんか?

例えば、三点リーダーは奇数個で使わないとか…(あ、使っちゃった…あ、また
そこにどんな合理性があるというのだろうか。

慣習的なものに合理的な背景を求めること自体ナンセンスなのかもしれませんが……(これなら、いいんでしょ

個人的には、それらの慣習は古き良き印刷技術にも背景があるんじゃないか、と。

インデントとパラグラムを設けるのは体裁のためにも理解できるんですが、用いる記号の自由度が少ないことはその煽りを受けているような気がします。

組版で、こんな記号ねーよ、ちゃんと規程のやつ使えよ、という具合でしょうか。

現代バージョンだと、環境依存文字なんかに市民権を与えすぎるとフォント同士の互換性に支障がでる、みたいなもんですかね。

フォント作るのも大変に違いないし。

それにしてもなぜ三点リーダーは奇数個で使ってはならないのでしょうか?
やっぱり、わかりません。

改行規則や禁則処理に関しても、TeXなんかではいくらか緩めて設定できていたので、これから先にシビアになる必要なんてあるのかな、と思うことも。

なんなら書式スタイルをまるごと個性として反映させてもいいんじゃないの、と思ってしまいます。

横書き、縦書き、斜め書き、なんでもあり。
それだと、さすがに見にくくてしゃーないかもしれませんが^^;

とりあえず、あんまり細かい規則に縛られたくないな、緩々のプレプリント感覚でいいんじゃないの、と思う今日この頃です。





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