#4―②
◇◆◇
(
口ほどにもない
生前、働き詰めでなまっていたことに加えて、『クレハ』の身体に入ってからは
(ん? 免疫力あんま関係ないか。まあいいや。さあ帰ろ帰ろ。暗くなると道順わからなくなりそうだし)
汗ひと筋かくことなく、呉葉は大きく伸びをする。テオバルトは夕方に戻ると言っていたから、それまでには部屋で寝ているふりをしなければ……。
──と。
そこでクレハは、こちらに向けて誰かが近づいてくる気配に気づいた。足元にはごろつきたちの
(まずい。派手に
言い訳をしきりと考えながら振り向いた呉葉の目に飛び込んできたのは、──黒い
(うわイケメン!)
わずかに毛先の跳ねた黒髪といい、ミントグリーンの
(この世界に来てから、美形とのエンカウント率が
状況はさておき呉葉は感心する。
こちらに歩み寄ってくる見知らぬ青年は、どこか
「お前、誰だ……?」
(そっか、私の見た目って今『クレハちゃん』だもんなあ……)
この様子だと彼は、先ほどの
「……いや、じゃなくて。えー……むしろ、俺が誰かはわかるか?」
「はい? いや名前聞いてないのにそれは無理でしょ。まず名乗ろうよ」
思わず
深々とため息をついて、額を押さえた。
「じゃあ名乗るけど。俺の名前はイザーク・ナジェド。聞き覚えは?」
「……いざーく……なじぇど……?」
その響き、どこかで聞いたことがあるような──
『イザーク・ナジェドと言ってな、僕たちにとって最も気心の知れた相手だ』
「あ」
思い出した瞬間。
ざあっと顔から血の気が引いた。
(ク、クレハちゃんの知り合いの方だ──!!)
そしてテオバルトともども親しくしている長年の友だと。
(え、どうしよう、どう
「毒の
「うっ」
「テオに『妹が
一気に
(ううっ……まずい、これはまずい!)
そもそも呉葉は、人を
ああ本当にまずい、このままじゃいけない。
どうしよう、どうしよう、とひたすらぐるぐる混乱した結果。
「ごめんなさい、これには深い深いワケが……!」
──何も思いつかなかった。
あからさまにドン引きしながらジト目を向けてくるイザーク青年に、呉葉は
◇◆◇
「え……じゃああんた、別世界から転生してきたってことか!? クレハ嬢の身体に!?」
「転生……? ええっと、なんだろ。そういうこと……になるのかな?」
本名に、生まれ故郷の説明に、川で
一から十まで全部白状し、呉葉は
(つ、
話すこと自体に疲れたというより、まぎれもなく事実のはずなのに内容が
しかし、
なお、テオバルトは妹が邸から
かくして、裏路地から表通りに戻ったのち、
だが、疲れてはいるものの、今の心情はスッキリしている。なお、なんらかのハーブティーと
(すごい。イケメンくん、中身もめちゃくちゃイケメンだ!)
そして年下と思えないほどしっかりしている。呉葉はつい感心した。
おまけに、
しかも今はエーメ王国に遊学中の身って、なんですかその特盛り設定。どこの少女小説ですか。よもやそのリアル皇子様と、個室で二人きりでお茶する機会が
「上下左右もない不可思議な青い空間で、クレハ嬢自身に会って、身体と残りの人生を
さて。
呉葉の話を聞き終えたイザークは、
ポーズ的に察するに、なんぞのサスペンスに出てくるどこぞの
(けど)
見たこともないような深いミント色の眼差しを、じっとこちらに
(単に頭が良さそうというより──むしろ、すごく
真正の脳筋ばかで
そして呉葉の目に映るイザークは、さっそくあたう限り正確に、呉葉のひととなりや気質を
さっきから、親切なイケメン皇子様とおしゃべりティータイムをしているというより、
(まあ、訊かれたらなんでも答えるし、好きに
あれこれ先んじて気を
相手の考えや出方はこの際もう気にしないことに決め、呉葉は明るく切り出した。
「えーと。イザークくん、って呼んだらいいのかな?」
「……落ち着かないから呼び捨てで頼む」
「じゃあイザーク。いやー助かったわ。実は、いきなりやってきて右も左もわからないし、テオバルトお兄さんとか他の人たちをみんな騙してるみたいだしで、もーめちゃくちゃ心苦しかったの。話を聞いてくれてありがとうね!」
「念のため確認するが……テオは、あんたのことを知らないんだな?」
「うん、……まだ。というか、テオバルトお兄さん見てたら、とても言えないよ……」
「まあ、それで正解だろうな。あいつは何よりも妹が優先だから、あんたと中身が
複雑そうな表情に、呉葉の口の中は思わず
「……ごめんなさい、クレハちゃんじゃなくて。でも、とりあえず本物の彼女が戻ってきてくれるまで、代理で身体を預かっとこうと思って」
ポツポツと考えを話す呉葉に、顔を上げたイザークは
「本物のクレハ嬢が戻ってくるまで?」
「うん、
「……本物が戻ったら、あんたはどうするつもりなんだ?」
「そりゃまあ、私も元の世界に戻らなきゃ。帰れるかはわからないし、帰ったところで、死んじゃってるかもしれないんだけどね」
迷いなく断言すると、彼はぎょっとしたように目を
「死んじゃってるかも、って。えらく簡単に言うが、いいのか? それであんたになんの見返りがある?」
「えっ、見返り!?
あっけらかんと返す呉葉に、イザークはなぜか
「だが、……あんたにあまりに不利だ。損ばかりで、なんの得もないじゃないか」
「損得なんてどうでもいいよ。自分が気持ちよく過ごしたかったら人に
呉葉としてはごく
「損得はどうでもよくて、見返りは要らない……?」
なぜかイザークがものすごく不思議なことを聞いたような、まるで
「コホン。……えーっと、とにかくそういうことだから。
ほっとする呉葉に、イザークは「で」と話を振った。
「いまだに信じがたくはあるが……あんたが来たのが別世界から、ってのが真実だとして。だったら、こっちの習慣やら世界情勢やらなんか、全然知らないんじゃないのか?」
「そう! そうなんだよ! それで今まさに困ってて! どういう
(ああ、……でも)
勢い込んで話しながら、呉葉は思案してみる。
(そりゃあ、貴族ならではの習慣とか世界情勢も気になるけど。本当のところ、いちばん気になっているのは……クレハちゃんのこと)
「
思わず、
「引き継ぎ?」
首を
(そもそもクレハちゃんは私の半分しか生きていない。こんな
どうしたら、自分は元通り、彼女にこの身体を返せるのだろう。
彼女に、何をしてあげたらいいのだろう。
どうするのが、彼女のためになるのだろう。──正しいのだろう。
本物のクレハ・メイベルに身体を返すまでの間、この世界でそもそも一体何をしたらいいかがわからない。
「本物のクレハちゃんは、私にどうしてほしかったんだろう……って不思議なのよ。クレハちゃんってすごく病弱だったっていうし、だからといって身体を託された私が同じように寝込むだけっていうのもなんか違う気がするし。かといってこの世界のイロハが全然わからないから、そもそも何をやったらいいのか謎すぎて!」
そうだ。そうなのだ。いちばん引っかかっているのは、まさにそこだった。
兄のテオバルトは「とにかく寝ていなさい」とばかり言うけれど、寝ているばかりでいいはずがない。
「とりあえずは記憶喪失だから、なんて言って一時的に誤魔化してるけど、それは自分自身にまで言い訳に使っちゃダメだと思うし。けど何かしようにも情報は
「なるほど。つい、な。あんたの『つい』で、公爵邸は今、上を下への
「本当にごめんなさい! お兄さんの心配はもっともだし、我ながら
転生前は
最後は
「となると」
ややあって、イザークは冷静に
「今日で騒ぎになったから、自分で情報を集めるのはますます難しくなると思うぞ。テオの
「ですよね!」
(いきなり詰んだ)
どうしようかなあ、と頭を
「そこで、だ。俺があんたの家庭教師になるってのはどう」
「えっ」
「文字は読めるって言ってたよな。これから、
「ほんとに……いいの!?」
「いや、いいのか、っていうかさ。じゃないと困るんだろ? 俺も、妹の毒殺騒ぎで参っているテオに、これ以上の心労かけたくはないのはあんたと同じだ。要は、あんたがこの世界の常識を身につけるのは、俺にとっても利はあるってだけ」
「めちゃくちゃ助かる! イザークって
とりあえず今後の見通しも立って、安心するとまたぞろお
タイミングよく運ばれてきたパイやサンドイッチを「
「あんたの武術、すごかったな。ごろつきを秒殺したのを見たが、あんな動きは初めてだ。目で追えないほど
「わ、ほんと? いやぁ、そこまでおっしゃっていただくほどのものでも……あるんだわこれが! 我ながら結構
「あんたも名前がクレハ、っていうんだよな。『クレハ・ナルカネ』? だっけ。……じゃ、今後は一応、俺もクレハ嬢って呼んだらいいかい?」
「あはは、嬢はやめてよ! あなたみたいないかにもな皇子様にそんな呼ばれかたされたら落ち着かないわ。私も呼び捨てなんだから、そっちも呼び捨てで構わないよ」
「わかった、じゃあクレハ。改めてよろしく。……って、それを言うならそっちこそ『いかにもなお嬢様』だろ。今の中身がそうでもないのは知ってるけど」
納得しかねるように眉根を寄せるイザークに、一瞬面食らったあと。「違うよー!」と呉葉はカラカラ笑って手を振った。
「クレハちゃんと私はまるっきり別物だから! そもそも顔や身長どころか
「え……っと。そうなのか。……女性に対してこういう質問が失礼なのは重々承知している上で。もし問題なければ、実年齢をだな……尋ねても……?」
「二十九だけど」
「に……」
聞いた答えを、イザークは復唱できずに黙った。
思ったよりも上だったらしい。
(まあ、それもそうか。この子が二十歳だっていうんなら、私が大学生の時に小学生だもんなぁ、年齢)
こうして。
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