better off dead

つくお

better off dead

 何か変だと感じながらも具体的にどこがおかしいのか分からないままFに会いに出かけた。おでこに冷えピタを張りつけて改札から出てきたFは、こちらの顔を一目見るなり表情を曇らせて私が死んでいることを指摘した。そういえば今朝目が覚めたとき、まるで死から甦ったような妙な心地がしたのだった。Fは私から距離を置いて鳩たちと一緒にヤンキー座りになり、こちらを横目に見るようにした。いつだったか、マリオカートでふざけて進路妨害をしているうちにお互いにむきになり、友情にひびが入ったのだ。私たちのどちらもそのときのことを忘れていなかった。どうしてこんな奴と今更会うことにしたのか自分でも思い出せなかった。

 再会はほとんど言葉も交わさないまま終わった。去り際、Fの背中に「ちゃんと仕事探せよ」と声をかけた。言いながら失敗したと思ったのは、ニートのFにとってそれは最もセンシティブな話題だったからだ。よせばいいのについ余計な一言を言ってしまうのが私の悪い癖だった。Fは一瞬肩をびくっとさせたが振り返ることはなかった。

 外に出たついでに祖母のところに寄ることにした。親戚に暇人と決めつけられている私は、施設がたまたま私の家の近くにあるのをいいことに祖母の世話を押しつけられていた。祖母が立ちっぱなしになってから六年が経つが、その間祖母は文字通りに立ちっぱなしだった。食事も排泄も立ったままなら、寝るときも立ったままだ。祖母はもう二度と横になることはできなかった。死んだ後でさえそうなのだ。

 部屋を訪れると、祖母はいつものようにネグリジェ一枚でf6のマスに西を向いて立っていた。立ちっぱなしの入居者はベッド不要という理由で四畳半しか与えられない。部屋は、横軸がaからh、縦軸が1から8のマスに区切られ、立ち位置は座標と方位で決められた。スタッフが入居者の要望に従って動かしてくれるのだ。f6の位置で西を向くと壁と向い合わせになるが、私が言っても祖母は無視を決め込んだ。

 自分の意思で動くことはできない祖母だが、喋ることはできた。孫の言葉に答える気はなくても言いたいことはたまっているのだ。私がパイプ椅子を広げて座ると、祖母はスタッフや他の入居者の悪口、世間への妬み嫉みを飽きもせずに撒き散らした。もともと太目の祖母だが、腰回りの肉は落ちる気配はなく、髪型はイレイザーヘッドにそっくりだった。これが本当に自分の親の親なのかと毎回思う。

 狭い部屋に二人きりでいるうちに膝の裏を蹴ってやりたくなってきた。倒れるかどうか試してやるのだ。ふいに、祖母が早く死ぬのが期待されている自分より私の方が先に死んだと言って冷たく笑った。そんなところは見ているらしい。私は動揺を隠しながらまた来ると言って退室したが、次があるかどうか自分でも自信が持てなかった。死んでしまった今となっては、何が起きても不思議ではなかった。

 仕事に行く気にはなれなかった。私は軽バンで家電を配達するというエッセンシャルワーカーだったが、職場では必要な人材と見なされてなかった。それにどうせ死んでしまったのだ。代わりに、前から気になっていたカフェに行くことにした。思い切って夕飯二回分くらいの値段の飲み物を注文し、テラス席で街を行き交う人々を眺めた。やがて、死んで初めて見えてきたものがあることに気がついた。他でもない、死者たちだ。死んでいるのは私だけではなかった。世の中には生者と死者が入り混じっていたのだ。五十人に一人ほどの微々たる割合ではあったが、死者もまた地上を闊歩するものの仲間だった。彼らは歩き、スマホをいじり、髪型を気にし、鼻をすすり、ときどき誰かと談笑した。生者と死者。両者は決定的に何かが違っていたが、その違いを見極めることは難しかった。違いがはっきりしなければバランスが崩れることはないのだ。

 世界がこんな風にできていたなんて思いも寄らないことだった。私は己の迂闊さを呪った。それでも不思議と気分は悪くなかった。死んだことによって心が軽くなったような気さえした。底に残ったピンク色の甘い泡をストローで音を立てて吸いながら、私は自分の心の内側を覗き込んでみた。澄んでいて静かだった。将来に対する恐れや不安がどこかに消えてなくなっていた。

 それからは以前にも増して動画配信に力を入れた。私はマリオカートの実況チャンネルを運営しており、半年前から収益化も果たしていたのだ。しかし、毎日欠かさず動画をアップしても登録者数はなかなか増えなかった。2000人が遠い。コメントで何度か喋りがムカつくと書かれたが、あるいは実況は向いてないのかもしれなかった。広告収入はあてにならず、結局配達の仕事もやめられなかった。

 どこをとっても死ぬ前とたいして変わらない生活だった。歯を磨いているときやストレッチをしているときなどに、どうにかして生き返れないものかとぼんやり考えた。無理無理。だが、死ぬには準備が足りなさすぎた。何が原因で死んだのかも分からないままだ。ときどきセラヴィと独りごちた。私は性懲りもなくFを呼び出し、マリオカートの実況チャンネルを運営していることを打ち明けた。これまで自分だけの秘密にしていたのだ。次の日から動画に大量のクソコメントが寄せられるようになった。

 例の喫茶店で夕飯二回分の値段の飲み物を飲んでいるとき、店内に他にも死者がいることに気がついた。本なんか読んでいる。死んでるくせにと思ってストローの空袋を丸めて投げてやった。相手は猛烈に怒り狂って商店街の果てまで追いかけてきた。必死に逃げた。通りの反対側の小学生たちがこちらを見て笑っていた。


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