同じ方向に向かっていては交わることはない(4)

暗闇に細い目が怪しく光る。闇と同じ漆黒の毛皮を纏って1匹の猫が2人に近づいて来る。


「して、清十郎よ。この者どうするつもりじゃ?」


清十郎は聞き慣れた声に頭をかきながら答えた。


「こんな人前で堂々と出てくるなバエル。誰かに見られたらどうする」


清十郎の言葉にフェニックスはハッとする。


「暴君の使い魔か!?」


「暴君とは失礼な。さて鳥よ、逃げるでないぞ。其方はすでに我が法の下じゃ」


額に汗を浮かべたフェニックスが後退りするも、黒猫はその退路を言葉で塞ぐ。

フェニックスは確かめるように自らの拳を握るが、諦めたように手を開いた。


「法の番人が力を振りかざすか、笑えないな」


「それが我らが世界の理じゃろ?」


フェニックスの言葉に猫は毛繕いしながら答える、しかしその目は得物を狙うかの如くフェニックスから片時も離れていなかった。


「まったく、沙那まで人質に取られて。考えなしに敵の本陣に攻め込むからこんな目に合うんじゃぞ」


黒猫はテーブルの上に昇り、客の残したワインを舐めながら言う。実際、先ほどまでの清十郎は周りは敵だらけであり、抵抗しようにもアリスや沙那までフェニックスの駒として捕らわれていた。バエルの力がなければこの場で命を落としていても不思議ではなかった。


「そうだな、感謝するよ」


「うむ、お主にはまだ死なれては困るからな」


清十郎は首筋に浮かび上がった猫の描かれた印章を撫でながら言う。

バエルは見た目からは想像できない程にその力は強大で、悪魔の中でも1,2を争うほどであった。そのため正面から歯向かう者はほぼいなかった。

それに加えて自らの法を相手に強要させる力もあり、それも加わるとまさに手が付けられない強さを得る。


「急ごしらえ故この場しのぎの法じゃ、そう長い時間相手の力を封じていられんぞ」


黒猫は清十郎に釘をさす、清十郎も頷いてフェニックスに向き直る。


「まずは、アリスと沙那の魅了を解いてもらおうか」


清十郎の言葉に従うしかない悪魔は頷いた。彼が指を鳴らすとまずは沙那が正気に戻り呆けた声を上げていた。


「アリスは僕のお気に入りだったんだけどな」


フェニックスは未だ魅了されているアリスの顔を覗き込み、愛しく見つめながら言う。


「僕は美しいものに目がなくてね、見つけるとどうしても欲しくなってしまう。美術品や工芸品、音楽や絵画、そして人間。彼らは脆く傷つきやすい、だから大切に扱ってあげないとすぐ壊れてしまう」


「彼女が物だとでも言いたげだな」


清十郎はフェニックスを睨みつけながら言う。


「その通りだよ、彼女は僕の物だ。腐らないように時を止め、心すら定期的にリセットしている。これだけ手間暇かけているんだ、その価値は計り知れないよ」


まるで人形を扱うようにフェニックスはアリスの髪を撫でる。


「アリスさんの人生をそんな玩具のように扱うなんて!」


正気に戻った沙那は、フェニックスの話しを聞いて憤慨する。


「なら、君は彼女に不当な死を与えればよいと思っているのかい?彼女はもともと人の作り出した魔女という幻想で殺されそうになったのだよ?それを僕が救い新たな生を与えてあげたんだ」


フェニックスの反論に沙那は口を閉じる。


「僕は少なくとも神とは違う、奴らは人の不幸を見て見ぬふりだ。僕は彼女の願いに応え救ってやった。それを今度は生から解放しろとは虫がいいな」


「でも、彼女は永遠の時を望んでいないんです」


「それで死という生からの解放を与えてやればいいのか?君は自分の手は汚さずに他人に殺してくれとお願いしに来たのかい?」


「そんなつもりは、」


沙那はフェニックスの言葉に戸惑いを隠せず俯く。


「君たち人間は自然の摂理を拒み、肉体を酷使し、精神を消耗して延命してきた。本来なら人の寿命なんて50年程度のはずだ、それを薬に頼り、医療に頼り、悪魔にすら頼って生きながらえる。まったく醜くて素敵じゃないか」


フェニックスは笑いながら声を上げる、その仕草に場の空気は飲まれ誰も口を挟めない。


「・・っ?」


その時フェニックスは、何かに気付き口を止める、彼の目線の先には操られながらも目から涙を流すアリスの姿があった。


「アリスさん?」


沙那もそれに気づき彼女の本心を探る。


「死が必ずしも悲しいものではない、そこに至る過程が希薄になるのが悲しいんです」


沙那は静かに、アリスの心を汲むように話始める。


「何かを成した者であれ、同じ時代を生きた者であれ、私たちの生は誰かの心に刻まれています。アリスさんもたくさんの人の心に刻まれているんです。ただ、彼女だけがその心を消され、大切な人の思い出を奪われた。アリスさんの美しい心をこれ以上汚さないで下さい」


沙那の叫びに応えるようにアリスの操っていた糸が切れ、彼女は膝から崩れ落ちる。


「沙那さん、ありがとうございます。あなたの心届いていました。私はまた大切な友達を失うところでしたね」


アリスは濡れた瞳を輝かせて沙那に笑いかける。


「フェニックス、貴方は永遠を求めるあまり失うことを恐れている。私の心が離れるたびに記憶を奪い私の想いをリセットしている。確かに昔は貴方の隣を喜んで歩いていたわ、でもね同じ方向に向かっていては交わることはないの」


アリスは強い言葉でフェニックスに語り掛ける。


「アリス、だから僕は何度も君との接点まで時を戻そうとした。でも、過ぎた時は戻らない。わかっていたさ」


フェニックスは愛しの女性に語り掛けるが、その目はすでに自分を見ていないことを知る。


「魅了されながらも見せた君の涙、今まで見たことのない美しさだった。君の言う通り失うことを恐れるあまり、人の持つ本当の美しさを見失っていたようだ」


フェニックスも何かを悟ったように静かにアリスに語る。


「君は本当に美しかった、危うくその美しさを僕自身が汚すとこだった」


「貴方も素敵な人だった、その情熱は今も色褪せず魅力的だったわ」


まるで愛し合う夫婦のように二人は語り合った、最後の別れを惜しむように。沙那にはその光景が輝いて見えていた。


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「まったく、妾がせっかく寒い大地にまで出しゃばったのに結局美味しいところは取られてもうた」


日下がりのカフェテラス、長い金髪をなびかせてバエルが頬を膨らます。

向かいに座る沙那はその可愛らしい光景に微笑みながら答える。


「でも、あのまま話し合いに応じなければ実力行使してたんですよね?」


「そうじゃ、妾にかかればあっという間に焼き鳥にしてやってたわ」


沙那にとっては悪魔は未だに畏怖の対象、できれば遺恨なく解決させたかった。


「神為さんもあれから考えこんじゃって、もしかして私余計な事しちゃったかな?」


「あやつの考えていることなぞわからん、だが歯に衣着せぬやつじゃ不満があるなら包み隠さず言うじゃろ」


何も言ってこないので自分の考えすぎだと沙那は結論付けた。そこへ大きなパフェが運ばれてきた。


「お、きたきた!」


バエルは目を輝かせながら目の前のパフェを見つめる。


「さぁ、遠慮なくどうぞ。この前のお詫びです」


「うむ、良い心がけじゃ」


バエルは不満も忘れてパフェに没頭する。沙那はお茶を飲みながら通りの先に見える花屋を見つめる。


「なぁ、あそこの花屋の、店員さん美人だよなー」


「あぁ、あの外人さんだろ?生き生きとした笑顔が見とれちゃうんだよな」


通りを歩くサラリーマン風の男性二人が話している。沙那の耳にもその会話が聞こえてくる。


「俺、ダメもとで告白してみようかな?」


「やめとけ、あんな美人、彼氏いるに決まってるだろ」


「そうだよなー」


会話につられ沙那は花屋で働く女性に目をやる。最後に見た輝きのまま、生き生きとした彼女がそこにいた。



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とある病院の一室、普段は面会者の寄り付かないその部屋から一人の男性が姿を現す。

軽く会釈を交わす男性に新人看護師は目を丸くする。


「先輩、今の男性は誰ですか?」


新人看護師は隣を歩く先輩看護師に質問する。


「あの人は神為 柚那ちゃんのお父さんよ」


「えっ、あの人が?初めて見ました」


「ここに来るなんて何か月ぶりかしら?」


「実の娘が意識不明で入院してるのに何か月も見舞いに来ないでおいて、クリスマスだけ来てサンタクロースのつもりでしょうか?」


「家庭の事情に口出すんじゃないの、仕事行くわよ」


二人の看護師が去ると、病室はまたいつもの静けさを取り戻した。窓の外では雪が静かに降り続いている。

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メディエーター ~悪魔との調停~ @mikami_h

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