鯖江さんにはお見通し!

佐倉島こみかん

第1話:オーバルフレームは優しさの表出

「まあ! まあまあまあまあ! 荒原あわらくん、ついに眼鏡にしたのね!」

 教室に入った俺に気付くなり、目を輝かせ、口角をこれ以上ない程上げ、寝起きの頭には大分辛いテンションの高さと声の大きさで言ってきたのは、うちのクラスの重度の眼鏡フェチ、鯖江 美晴さばえ みはるだった。

 真っ直ぐな長い黒髪に、白い肌、垂れ目で黒目がちの淑やかな顔立ち、すらりとした長身にメリハリのある体型で、しかもいいトコのお嬢様らしい。

 黙っていれば深窓のご令嬢に見える鯖江だが、このフェチのせいで残念な美人のレッテルを貼られている。

「なんだ、眼鏡にしちゃわりぃか」

 俺がギロリと睨み下ろして低く凄んでも、鯖江は怯む素振りなど微塵もないどころか、席を立ってこちらに駆け寄ってくる有り様だ。

 俺――荒原 蓮滋あわら れんじは、ラグビーのスポーツ推薦で入学したのに、4月の半ばに練習中の事故で左足を骨折。なんとか復帰できるよう医者の指示に従ってリハビリするのはもちろんのこと、部活に参加できない期間、死にたいほど出される課題に取り組むため、大人しく勉強することにした。

 これまで部活三昧で碌に勉強していなかったヤツが勉強するとどうなるかというと、この1ヶ月で急激に視力が落ち、ついに眼鏡を作ることになったのである。

 しかしながら、吊り目に三白眼、顔の骨格から造形がいかつくて、どうしたって眼鏡が似合わない。

 眼鏡屋に行ってあれこれ試着し、結局一番マシに見えた細身の銀縁の楕円オーバルフレームの眼鏡を選んだ。

 視野はクリアになったが、厚さ7mmの分厚い近視用レンズのせいで余計目つきが悪く見えて、気持ちは重い。

 しかもこの厳つい眼鏡姿の上、身長が190cm、部活で鍛えていてガタイもいいため、今朝、通学路ですれ違った女子がこちらを見てから怯えたように距離をとって友達とヒソヒソ話しているのが見え、やっぱりコンタクトにすれば良かったかと落ち込んだ。

 とはいえ不器用の極みなので、目の中にあんな薄っぺらいものを入れたり外したりするなんてとても無理だから仕方ない。

 そこに来てのこの鯖江である。

「とんでもない! その眼鏡、とても素敵なチョイスね! よく似合ってるわ!」

 つい立ち止まった俺の周りをぐるぐる回って全方位から眼鏡を観察しながら、鯖江は言った。

 クラスの連中はその奇行を『また鯖江さんの発作か』と生温く苦笑いして眺めている。

「最近ずっと黒板が見えづらそうにしてたものね。早く眼鏡にすればいいのにと、ずっと思っていたの。これで快適に過ごせるわね」

 眼鏡をかけていないヤツに興味などないかと思っていたら、思いもよらないことを言われて目をみはった。

「ああ、まあ、慣れてなくて違和感あるけどな」

 ブリッジの部分を指でつまんでずり上げながら言えば、鯖江は胸の前で両手を合わせる。

「ああその不慣れな感じ、もはやびね! 無骨な指と細いフレームのコントラストのなんて素晴らしいこと! ノーズパッドがズレるのが気になる場合は、眼鏡屋さんでシリコンカバーをつけてもらうのも手よ」

 常人には理解しがたい表現はともかく、さすがに眼鏡好きなだけあって有益な情報もくれる。

 その情報はありがたいのだが。

「そうか、分かった。とりあえず邪魔だから人の周りをぐるぐる回るのをやめろ。席に座らせてくれ」

 まだ全方位観察を続けているので、溜息交じりに答えた。

「あら、ごめんなさい! 私ったら、つい興奮してしまって」

 片手を口元に当ててからはにかんで謝った鯖江は、そそくさと自分の席に戻っていった。

 そして厄介なことに、鯖江は今、俺の隣の席なのだ。

 どう考えても鯖江に絡まれる未来しか見えなくて、そのせいで悪目立ちしそうで嫌だったのだ。

 鯖江は、入学式当日の自己紹介でも眼鏡への愛を滔々とうとうと語ってクラスの度肝を抜いた変人である。

「眼鏡――ああ、それは全ての人を魅力的にする掛けるタイプの魔法です! あの曲線と直線の絶妙なフォルムによる顔の印象の引き締まり! 目を合わせる時でさえレンズを通すという大きな隔たり! 理知的な細縁も良し、派手なセルフレームも良し、近視、遠視、乱視いっそ伊達でも構いません! どんなタイプの眼鏡でも、いえ、いろんなタイプの眼鏡があるからこそ! 私の人生は、薔薇色なのです!」

 こんな演説の後も、美少女であるがゆえに『なんか高嶺の花かと思ったけど変わってて面白い人だね』と男女共に親しみを持たれ、そういう変なゆるキャラじみた認識で人気者なのである。

 普段は明るく真面目で気さくな優等生なのだが、眼鏡が絡むとネジの外れたテンションのぶち上がり方をするので、眼鏡とは縁遠かった俺が眼鏡など掛けてきた日には、絶対に絡まれるだろうと思ったのだ。

 正直、自分でも鏡を見てインテリヤクザか? と思ったし、ただでさえ元々の見た目のせいで5月も半ばだというのに、女子どころか大人しめの男子にまで未だ遠巻きにされがちだ。

 眼鏡のせいでそれに拍車がかかってしまうのは、クラスメイトと更に距離が空きそうで悲しい。

 別に見た目が厳ついだけで、俺は不良でもなければ孤高でもないのである。

 普通に皆と仲良く学校生活を送りたい。せめて声を掛けてもビビられないようになりたい。

 先に席に着いた鯖江の隣に腰を下ろし、鞄から教科書やなんやを机の中に移すが、横の鯖江の視線が気になる。

「おい、鯖江」

「何かしら、荒原くん」

 耐えきれずに鯖江を呼べば、こちらをガン見したまま鯖江は答えた。

「珍しい気持ちは分かるが、人の顔をジロジロ見るな。気が散る」

 鯖江の方を見て注意すれば、鯖江は今気づいたとばかりに片手で口元を覆った。

「あらやだ、ごめんなさい! そうよね、見られていると困っちゃうものね」

 そう言うと鯖江はそそくさと正面を向く。

 視線がそれたことにほっとして、昨日終わらなかった1限の数学の宿題をやらねばとプリントを広げるが、鯖江がちらちら横目でこちらを見てくるのが視界の端に映って気になる。

 そんな鯖江の元へ、俺の半分くらいしか体重のなさそうな小柄で華奢きゃしゃな女子がやってきた。

「おはよう、鯖江さん。図書委員会のことで話したいんだけど、今、時間いいかな?」

 頭の低い位置で二つ結びにした髪に、ピンクゴールドの繊細なフレームの眼鏡を掛けたその女子――敦賀 萌々花つるが ももかは、俺の眼鏡が気になる様子の鯖江におずおずと声を掛けた。

「おはよう敦賀さん、いつ見ても素敵な眼鏡ね! レースのようなテンプルが、敦賀さんの愛らしさをよく引き立てているわ。もちろん、話して。同じ図書委員ですもの」 

 鯖江はパッと敦賀の方を見て、嬉々として答えた。コイツの眼鏡好きは男女問わないのだ。

 あまり関わりのない女子の眼鏡など詳しく見たこともなかったが、鯖江の声につられて見れば、確かにレンズのすぐ横のつるの部分が、一部、編んだレースのようなデザインになっていて、こんな洒落たフレームもあるのかと思う。

「あ、ありがとう。あのね、来週末のブックトークの企画についての話なんだけど――」

 鯖江の言葉に頬を染めて照れ笑いした敦賀は、手にしたプリントを見せて二人で話し始めた。

 やっと鯖江の視線がそれたので、たまたまやって来た敦賀に感謝である。ようやく集中して課題に取り組めそうだ。

 そう思って息をついたのも束の間、後ろから背中を叩かれる。

「よお、荒原! お前、眼鏡だとインテリヤクザみたいだな、強面こわもて3割増しだぞ!」

 無駄に高いテンションで茶化してきたのは同じ部活の勝山 竜矢かつやま りゅうやである。

 勝山は俺と違って実に爽やかな顔立ちのイケメンで、180cmという長身と、この陽気な性格も相まって女子人気が高い。

「うるせえ、んなもん俺が一番分かってんだよ。一々指摘すんな」

 俺は勝山に言い返した。

 本当は一発殴ってもいい言動だと思うが、勝山がこのノリで俺に接しているから、クラスの面子も俺にビビリ過ぎていないので、失礼な台詞もある程度は大目に見ている。

「いやもう、気の弱い女子なんか、お前の顔見ただけで怯えるぞ、可哀想に」

「それは怯えられる俺が可哀想ってことか? 俺を見た女子が可哀想ってことか?」

「両方だな」

「うるせえ」

 あっさり返されたので、やっぱり一発腹を殴ることにした。

「うぐっ、ほら、そういうとこ良くないぞ! なあ、敦賀さんはどう思う?」

「えっ? あの、そのっ」

 ちょうど隣の鯖江と話していた気の弱い女子代表格の敦賀に、勝山は急に声を掛けた。

 目に見えてうろたえている敦賀に申し訳なくて、もう一発食らわせて勝山を黙らせることにする。

「お前の絡み方の方が可哀想だろ。すまん、敦賀。気にするな。怖いのは自分でもよく分かってるから、言わなくていいぞ」

 俺が謝れば、敦賀は俺と勝山を見比べておろおろとしている。

「あの、別に、怖いってことは……」

 鯖江の影に隠れるようにして、敦賀は恐る恐る返答した。

 その挙動に怖がっている様子が表れていて、益々申し訳なくなる。

「ええそうね、敦賀さん! 私も同意見よ!」

 そこに力強く割って入ったのは鯖江だった。

 相変わらずの声のボリュームに、クラス中が『また何か始まったぞ』と注目する。

「勝山くん、分かっていないわね! このオーバルフレームは、荒原くんの優しさの表出よ! 怖いわけがないの!」

「は?」

 また鯖江は訳の分からないことを力説しだしたので思わず聞き返した。

「鯖江さん、めっちゃ語るじゃん。『優しさの表出』って何、詳しく教えて?」

 勝山はそんな鯖江の発言を面白がって尋ねる。コイツのこういうところがコミュニケーション能力お化けだと思う。

「いいわ。確かに勝山くんの言う通り、荒原くんは強面よ。そりゃもう学校一の強面と名高いし、インテリヤクザみたいと言う気持ちも分からなくないわ」

「全然フォローしてねえじゃねぇか鯖江!」

 いきなり怖い方の論拠から話し出す鯖江に思わず突っ込む。

 学校一の強面と呼ばれているなんて知りたくなかった。

「まあ最後まで聞いてて、荒原くん。でも、だからこそ、このシンプルなオーバルフレームなのよ」

 穏やかに微笑んで俺のツッコミを宥めた鯖江は、フレームについて語りだした。

「見て分かる通り、この小さめのフレームでも、荒原くんの眼鏡は厚いところでレンズが7mmはあるわ。非球面レンズにしたって今も十分厚いけど、レンズってフレームが大きい程、より厚くなってしまうの。そうすると、近視用のレンズは余計に目が小さく見えて、目つきの悪さが際立ってしまうわ」

 まるで俺の眼鏡の試着の様子を見てきたかのような話しぶりに、呆気に取られる。

「だから、小さめのシンプルなオーバルフレームなの。レンズの厚さだけじゃなくて、フレームが丸いことで柔らかい印象もプラスされるしね?」

「あ、ああ。そうだ」

 鯖江は『そうでしょう?』とでも言うように、にっこり笑って俺の方を見るので、思わず頷いた。

「荒原くんはね、体格も顔も厳ついけど、そのことをよく自覚してて、周りの人に威圧感を与えないよう気を遣って、このフレームを選んだのよ。だって普通、男子高校生の定番と言ったらセルフレームのスクエア型よ。それを避けて、この細い銀縁のオーバルフレームだもの。一目で分かったわ」

 一から十まで鯖江の言う通りだ。

 ついさっき見たばかりの眼鏡一つで、ここまで分かるのかと、感心を越えて呆れてしまう。

「だからこの眼鏡は、怖そうな見た目をしている荒原くんの、周りの人に対する思いやり以外の何ものでもないの」

 鯖江は勝山に言う。

「だから私は、この眼鏡を『優しさの表出』と称したの。勝山くんも、いくら仲良しだからってあまり失礼なことを言っちゃダメよ。ド定番の銀縁ってことは、荒原くんは見た目より繊細な心の――」

「鯖江、それ以上語るな! もう十分伝わったから!」

 鯖江の話を慌てて止めた。

 なんで眼鏡だけでそんなことまで分かるんだとツッコミたくなるし、余計なことまで話されてはたまらない。

「すごいな、鯖江さん! 名探偵みたいだ」

 鯖江の見事な推理に、勝山が感嘆の声を上げた。

「いえ、そんな。私は眼鏡が好きなだけで、見たままのことを言っただけだから」

 『見たまま』でそこまで見通されてしまうのが、眼鏡を掛けている側からすると恐ろしい以外の何物でもない。

「私、だからとても感動したの。そういう気遣いが出来るところ、とても素敵だと思うわ、荒原くん! その眼鏡、最良の選択だと思うから、自信を持ってね!」

 両の拳を握ってファイト! というポーズを取る鯖江に褒められて、気恥ずかしいが嬉しくもある。

「まあ、他でもない鯖江がそう言うんなら、自信が持てるな……ありがとう」

 頭を掻きつつ礼を言えば、周りから『おお~!』という歓声と共によく分からない拍手が起こった。

 なんというか、クラスのヤツらも皆、気のいいヤツである。


 ――そんなわけで、俺の眼鏡は『周囲への気遣いの表れで、鯖江美晴のお墨付き』という話が広まり、思ったよりインテリヤクザと怖がられずに済むことになった。

 見た目からちょっと遠巻きにしていたであろう、大人しめの女子に話しかけても怯えられることもなくなり、男子は物静かなヤツも普通に話しかけてくれるようになり、大分クラスに打ち解けられた気がする。

「おはよう、荒原くん。そろそろ眼鏡には慣れてきた?」

 そして、それ以来、隣の鯖江は何かと俺に声を掛けてくる。

「ああ、まあ、それなりに」

「そう! それは良かったわ。荒原くん、初めての眼鏡で不安そうだったから、心配してたの」

 俺が答えれば、鯖江はホッとしたように微笑んだ。

 いつもの奇行だと思っていたが、もしやあの力説は、俺への気遣いだったのか?

「鯖江のおかげだ、ありがとうな。この借りは、そのうち返すから」

 変なヤツには変わりないが、割りに面倒見のいい変わり者らしいと認識を改めて、礼を言った。

「お礼を言われるようなことはしていないわ。だって眼鏡の魅力を語っただけだもの。でも、借りのようで気が重いというのなら、その眼鏡姿を自由に眺める許可で手を打つわよ?」

「それは却下だ」

 パッと顔を輝かせて冗談か本気か分からない調子で鯖江が言うので、即座に却下する。

 隣でジロジロ顔を見られてはたまったものではない。

「あら、それは残念」

 やっぱり本気かどうか分からない調子で苦笑して鯖江が肩をすくめるのを見て、俺も笑みをこぼした。

 まさかこれがきっかけで鯖江に振り回されることになろうとは、この時は思いもしなかったのだが、それはまた別の話。

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