第14話

『お父さん、お母さん!』



 俺は、父と母を呼びながら笑顔を浮かべて走り回る。

 踏みしめる大地が、吹き渡る心地よい風が、彼方に見える首の長い恐竜の様な魔物がのんびりと草花を食べる姿が、俺には誇らしくてたまらない。



 何せこれは



『こらあんまりはしゃぎすぎるとコケちゃうわよ!』

『良いじゃないか、走らせてやりなさい。いつかあの子も。そうなった時、この時のことをよく覚えていて欲しいんだ』



 父と母の声が聞こえる。俺の事を思いやり、慈しむ声が。



 俺が父と母と過ごした期間は短い。父も母も、自らの使命のために赴き、そして逝ってしまったから。



 その事が分かっていたからなのか、父と母との記憶はどれもこれも楽しい思い出しかない。

 この記憶はその中でも特に鮮明に思い出せる記憶。初めて迷宮に入った時の記憶だ。



 俺は二人の作った迷宮の中でくたくたになって倒れるまで目一杯走り回った。

 一本角を生やした兎を追いかけたり、木に登ったり、恐竜型の魔物を飽きるまで眺めていたり。



 やがて体力が尽きた俺は草原の中で大の字で倒れ、乱れた息を整えていた。



『ふふっ全くやんちゃなんだから。顔が泥だらけよ?』



 倒れた俺を母が優しく助け起こし、顔についた泥を拭いてくれた。



『響は元気だなぁ』



 父は笑みを浮かべて疲れ果てた俺をおんぶしてくれた。



 一日中はしゃぎまわってくたくただった俺は、背負われるとすぐに睡魔に襲われた。

 そんな俺に、二人は本当に愛おしそうに静かに笑っていた。



『響、聞いているかどうかわからないけど』



 微睡みの中、父の声が聞こえた。



『僕と母さんはもうすぐ行かなくちゃいけない。そして、おそらく戻ってはこれないだろう』



 父の声が聞こえる。



『ごめんよ、僕らも君とずっといたい。でもできない。使命は果たさないといけない。僕らは封じ続けなければならない。罪なき人々を守るために。命を懸けて。それがあの方に仕えた冒険者トレジャーハンターの血を受け継ぐ者の使命だから』



 父の声が…。



『響…人々を…守……て……』



 父の声が遠ざかる。記憶の彼方へと埋没する。

 これはかつての記憶。俺が最も幸せだった時の記憶の一部。



 この言葉のすぐ後に、父と母は俺を最も信頼できるトレジャーハンターの女性へ預けてどこかへと消えた。



 父の言った通り、二人は戻っては来なかった。



 俺を預かった女性、先生は言った。



『2人は命を賭して使命を果たした。お前もいずれそうなる。だが易々死なせるわけにもいかん。約束だからな。鍛えてやる』



 それから俺は鍛錬漬けの毎日が始まった。5歳になって数か月後の、夏の暑い昼下がりの事だった。



 俺は先生の科す鍛錬を必死になってこなしてきた。父と母との約束、罪なき者を守るために。

 そしてできる限り、どんな悪い奴でも助けてやり、手伝った。



 それが俺の使命だから。どんな悪い奴でも。



 そんな俺が、まさかこいつだけは絶対に助けてやらないと思える日が来るとは。



『ヤニカスのシケモク』



 人助けをしているといろいろな人と出会う。もちろん良い人ばかりじゃなくて嫌な人もいたけど、それでもここまで意味不明で訳の分からない人はいなかった。



 校内で喧嘩が起きればどこからともなく現れて喧嘩していた両方を煽りまくり、激昂して向かってきた二人を叩きのめすばかりか周りの人までぶっ飛ばすなんて序の口で、校内で銃を乱射、校舎に向かってバズーカ砲を撃ち込むなど、こいつを見限る理由はそれこそ枚挙に暇がない。



 こんな奴はどれだけ求められたって助けてやらない。



 初めの内はそう思った。でも、1ヶ月ほど経ったある日の出来事で、その気持ちが薄らいできている。



 俺はその時先生の作業を手伝っていて、帰るころには殆どの生徒が下校しているような時間帯になっていた。すっかり陽は落ち、校内は暗闇の中に沈んでいた。



 手伝いが終わり職員室に出るときに、先生に近ごろ夜になると屋上で人影を見たと警備員から報告があり、時間があったら屋上を見て言って欲しいとの事なので、俺は寮に帰る前に屋上へ寄っていくことにした。



 何も無ければそれでいいし、もし不審者がいたのならこの俺がとっ捕まえてやるつもりだった。

 先生に散々鍛えられぶちのめされているから、魔物相手ならともかく人間相手なら負けないと自負していた。



 そんな風に意気込んで、俺は夜の校舎を一人歩く。

 聞こえるのは俺が廊下を歩く音だけで、あとには何も聞こえない。



 月が雲に隠されているせいで、夜目が無かったらスマホのライトを使わないと碌に前が見えやしなかった。



 階段を4段飛ばしで駆けあがり、俺は屋上の扉前まで一息で登り切った。

 出来る限り音を立てないように扉を開け、最小限通れるだけ隙間を作ると俺は滑り込むように入り込んだ。



 流石トレ専学園というべきか、屋上もびっくりするくらい広かった。聞いた話では臨時のヘリポートにもなるというらしいから、なるほど、この広さも納得である。



 そのためか、落下防止用の柵以外に屋上に視界を遮るものは何もない。

 俺は辺りを見回して不審人物がいないか探し…。



 ―――居た。



 暗くてよく分からなかったが、背格好からして男、が柵によりかかかって空を見上げていた。そして男の姿に気づくのと同時に、僅かに吹く風に煙草の匂いが混じっているのに気が付いた。



(こんな時間帯に一人で屋上で…煙草を…?)



 怪しい。怪しすぎる。怪しさ満点。メチャヤバ。



 俺は鼻息荒く男に向かってずんずんと近づいていった。そしてある程度まで近づくと足を止め、俺は威圧的に男に呼び掛けた。



「おいお前、こんな時間に何やってるんだ!」



 今までにもこんなことが何回かあった。その度に俺はこういう風に強気に呼びかけた。そうすると不審者の行動パターンは2つに分かれる。逃げるか向かってくるかだ。

 逃げようとしたら捕まえ、俺を倒そうと向かってきたら先生仕込みの対人格闘術で返り討ちにしてきた。



 きっと今回もそのどっちかだと思ってた。だからまるで動じずに聞こえていないとばかりに微動だにしない不審者に、俺はやや面食らった。



 今までその2パターンしいか経験が無かったから、何の反応もされなかった場合の対処法を、俺は持ち合わせていなかった。



 あたふたしてテンパっていた俺をよそに、不審者はそこではじめて俺に気づいたというように、ゆっくりと振り返った。



 その時月にかかっていた雲が不意に途切れ、月明かりが不審者を照らし出してその顔を露にした。

 俺は驚いて目を丸くした。何せその顔は悪い意味で見知った顔だったから。



 ヤニカスのシケモクは俺の姿を見ても何も語らず、ただ心ここにあらずといった感じで煙草をふかしていた。

 煙草につけられた火が薄っすらとした光を発し、闇に灯る。紫煙が立ち昇り、風に吹き流されて虚空へと溶けてゆく。



 未成年喫煙。夜間の無断外出。進入禁止の屋上への侵入。

 やってはいけない事のトリプルパンチ。



 だが俺が驚いたのはそこじゃない。



 アイツの目の色は錆色のはずだ。なのに今俺の目の前にいるこいつの瞳は病人の血液を想起させるような黒ずんだ赤をしていた。

 それが闇夜の中で、こいつが咥えている煙草の先端の様に鈍く光っていた。



 俺は記憶の中の素っ頓狂なシケモクと、目の前にいるシケモクとのギャップの違いに戸惑いを隠せなかった。



 俺は喉を鳴らして唾を飲んだ。

 まるで奈落の底のような暗い目だった。



 夢も希望も、明日への期待も無い。いつものおちゃらけた雰囲気すら見当たらない。

 そこには何もなかった。何も。何一つ。



 いや、一つだけあった。



 よく注意してシケモクの瞳を見つめていると、奈落の奥底に、黒い炎が轟々と燃えているのが見えた気がした。

 それに気が付いた時、俺は全身が粟立ち、冷汗にまみれて戦慄した。



 それは憎しみだった。今まで見たどんな感情よりも深く、濃く、決して消える事の無い怨嗟の炎だった。



 一体どういう過程を踏めば、そんな物が瞳に宿る?



 鼓動が早まり、息が荒くなる。人は本当に恐ろしいものに出会うと身が竦むという。

 そういう状態になった人は何度も見たけど、まさか自分がそうなるなんて夢にも思わなかった。



 固まる俺をシケモクは漠然と眺めていたが、不意に目の焦点が合い、ぱちぱちと瞬きした。

 シケモクは俺と指に挟んでいる煙草を交互に見やり、それからうんざりしたように首を振って煙草を捨て、踏み消した。



 シケモクは肺に残った煙を吐き出すように大きく息を吐くと、パチンと指を鳴らした。

 するとどこからともなく怖気立つような靄みたいなものが発生し、気がつくとあいつの姿は消えていた。



 姿が消えるのと同時に、まるでもう用が済んだとばかりに月に雲がかかり、世界は再び闇に閉ざされた。



 夢か幻の様に、あいつはあっという間に姿を消してしまった。残された痕跡は踏み消された煙草の吸殻だけ。

 俺はしばらくの間呆然とその場に立ち尽くしていた。



 で、我に返った俺は吸殻を拾ってごみ箱に捨て、それからとぼとぼと帰路に着いた。



 俺はこの時の事を忘れられずにいる。



 俺はずっとシケモクは粗暴なだけのろくでなしの人間の屑とばかりに思い込んでいた。



 正直ろくでなしの人間の屑という認識は変わらないけれど、ただ粗暴なだけの者が、あんな目をするだろうか?



 あの日以来、俺はふとした拍子にシケモクの事を考えずにはいられない。

 あいつには何かがある。俺の想像もつかないような暗く恐ろしい秘密が。



 それは俺にとってもきっと無関係な物ではないはずだ。



 なにより、困っている人がいたら助けてあげなければならない。

 アイツの目を見て、俺はそう思ったんだ…。





 🚬





 学校に着くなり、俺はいつものようにたくさんの部活動の部員たちに取り囲まれていた。

 やはりこうデカい学校だと部活動もそれ相応の規模となり、将来有望そうな者を取りこもうとする動きへの力の入れ具合は半端ない。



 俺はその中でも特に勧誘に必死な(というより切羽詰まった様子の)ダンジョン研究部の盾無先輩を何とか引き剥がしながら、這う這うの体で教室へとたどり着く。

 教室にはすでに全員が集まっていて、友達同士で今日一日の事を興奮した様子で話し合っていた。



 そう今日は待ちに待ったクラス合同迷宮実習の日だ!

 1年のは迷宮に入ったことは無いから、初めて入る迷宮がどんなものか、みんな興味津々な様子だ。



 俺も、昨日からワクワクしっぱなしだ!



 と、そこで先生が教室に入ってきてホームルームが始まり、一日の流れを説明した。

 そしてホームルームが終わると全員が学校から支給された迷宮探索用の制服へと着替えると、学園の中に建てられている迷宮案内所へと向かった。



 そして1年生全員が発着場に集まると、1組から順にポータルを潜っていった。

 うちのクラスは4組だから、他の組が潜り終えるまで皆もどかしそうにしていた。



 ようやく3組が潜り終えると、俺たちは我先にとばかりにポータルに向かって突撃した。



 潜り終えると、そこは広い草原だった。

 見渡す限り生い茂る草花。涼やかな風が、頬を撫でる。



 皆初めての迷宮に興奮を隠せないようで、先生たちがいくら注意してもざわめきが消えることは無かった。



 彼らの姿にかつて父と母が作った迷宮の中で興奮していた自分を想起し、無意識の内に遠くを眺めてみるが、流石に恐竜型の魔物はいないようで、俺は少しだけ落胆した。



「何よ、皆子供みたいにはしゃいじゃってバカみたい」



 そんな落ち込む俺の横からそんな言葉が聞こえ、俺はこいつならきっとそう言うだろうなと苦笑しながら、その声の主に話しかける。



「おいおいそう言うなよ『百代ももよ』。待ちに待った迷宮だぜ?これくらい普通だよ普通」

「ふん!」



 そう言ってそっぽを向くこの桃色の長髪をツインテールにしている少女は『桃山百代ももやまももよ』、俺の幼馴染にして数少ない俺の同い年の知り合いでもある。



 そう数少ない。というか唯一の…。



「何落ち込んでんのあんた」

「気にしないでください、ただ自らの友好関係の狭さに絶望してるだけだから」

「はぁ?」



 手をついて項垂れる俺に、百代は訳が分からないとばかりに半目で俺を見下ろす。



 全く、落ち込む幼馴染に対して何て辛辣な奴だろうか。



 思えばこいつから慰めの言葉を貰ったことなどただの一度としてなかった。

 何もそれは俺だけじゃなくって、こいつは気を許した相手にもそうでない奴にもツンツンしてる。



 なまじプロポーションが良いだけに、お近づきになりたいと安易に寄って来ては辛辣な言葉で一刀両断された男子たちのなんと多い事か。



 そう思いつつ、俺はそっぽを向く百代の横顔を何とはなしに注視する。



 整った目鼻立ち、手入れの行き届いたつやつやの白い肌、気の強さをありありと感じさせる釣り目。

 もう何度も見た彼女の横顔は、初めて迷宮に入って緊張しているだろうその横顔は、いつもと同じように



 しばらく俺はボケ―と彼女の横顔に見惚れていたのだが、そこで彼女が何処かそわそわしているのに気が付いた。



 流石に不躾に見すぎていたか、百代は不愉快そうに俺を睨みつけてきた。それでもやっぱりソワソワした雰囲気は消えなくて。



「ぷっ!」



 俺はつい吹き出してしまった。



「何よ、何がおかしい訳?」

「ははははは!」



 苛立つ彼女にお構いなしに、俺はくすくすと笑った。



 何のかんのと強気な発言をしている彼女だが、なんてことは無い。結局のところ彼女も迷宮に憧れている一人の学生だってことだ。

 先ほどの強気な発言も、要は自分がその「子供みたいな連中」と一緒にされたくない彼女なりのだったわけだ。



 それに気づくともう止まらない。

 どれだけ怖い顔をしようが、酷い事を言われようが、そういう思いがあると分かった時点で彼女の誤魔化しは失敗している。



「あはは!」

「ッ~~~~!いつまで笑ってんのよ!」



 俺はそのまま彼女にぶっ叩かれるまでくすくす笑い続けた。



「ほらもう始まるわよ、いつまでそんな情けない顔してんのよ馬鹿じゃないの?」

「フガホガ…(誰のせいで)」



 膨れ上がった頬を押さえながら、俺は自分のクラスの方へと戻って行く百代を見送った。



 彼女の姿が生徒の中へと消えるのと同時に、先生がマイク片手に前に立ち、静かになったのを見計らって話し始めた。



「皆さんおはようございます、ついにこの日がやってきました!一年生全クラスによる合同迷宮探索」



 それから先生は簡単な注意事項のおさらいと、持ち物(武器や支給品)の確認、軽く準備体操をさせられたのち、事前に決められていた班に分けられた。



 そして開会式は終わり、各班ごとの最終確認も終えてさあ出発だという所で、俺たちが通ってきて、今にも閉じられる寸前のゲートから、一陣の風が吹いた。



 瞬間、襲い来るのは猛烈な突風。



「うわぁ!!?」

「ぎゃー!?」

「何だ―!!!??」



 強烈な風に誰も目を開けられず、それどころか踏ん張り切れなくてひっくり返る者、尻もちをつく者がそこらじゅうで溢れかえった。



 俺は何とか踏ん張って両腕で目元を庇っていたから、かろうじて腕の隙間から前を見ることが出来た。



 そして見た。

 何者かが前方で土埃を上げながら急ブレーキをかけ、強引に停止する様を。



 まるで爆発でも起きたみたいに俺たちの目の前に土埃が舞い上がっている。

 先生たちもまさかこんなことが起こるとは夢にも思っていなかったようで、各自武器や魔法の準備をしながら、警戒して土埃が晴れるのを見守っていた。



 やがて土埃が晴れると、案の定、そこには見た事も無い馬に跨ったバカがそこに居た。



「ふ…」



 バカは俺たちをゆっくりと見回して、ニヒルに笑った。



 そして言った。



「間に合ったな」

「「間に合ってねーよ!?」」



 腕を組んでさも当然とばかりに鼻を鳴らす馬鹿に、俺を含めた全員が突っ込んだ。



「バカ!ゲートが閉じるのは9時きっかり、そしてゲートが閉じる前に俺がここに居るってことは、つまり間に合ったって事じゃないか!」

「「そんなわけあるか―!」」



 1年生全員と教師陣からの総突っ込みされているのにもかかわらず、相も変わらず調子を崩さないシケモクは、非常に偉そうな態度で手綱を操作して馬を俺たちの方へのろのろと向かわせた。



 シケモクの恰好だが、当然と言わんばかりに学校指定の制服を着ていなかった。

 頭にソンブレロを被り、体全体をすっぽり覆う襤褸布で隠している。背中にウクレレを背負っていて、まるでウエスタン映画に出てくる浮浪人みたいだった。



 その後シケモクが自分の班に駄々をこね、紆余曲折の末俺の班になる事でやっとこさ納得し、予定より30分も遅れて合同迷宮探索は始まった。



「いやぁ~皆さんどうかよろしくお願いしますねェ~ん!」



 ゲラゲラと俺たちに笑いかけるシケモクバカを見て俺たちは思った。



((不安だ…))



 早くも幸先が曇りだした俺たちの合同迷宮探索は、このようにして始まった。

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人間の屑だってダンジョン攻略したっていいじゃない @sanryuu

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