第2話 クレームをもらって考えた。
《正しさの追求、評論は過酷》
❶「クレームにありがとうの人にクレームをいいたい。」
❷「他者理解の人が他者理解がない」
❸「優しい詩集の人が優しくない」
趣旨として❶を、問い詰められたが❷も❸も言われるだろう。(実際言われたり、自分も優しくないし、他者理解がないと思う。)
私は評論を実は封印していて評論は3年前にかいたものを今にのせた。
なぜ評論をやめたか?
◆正しさの追求に疲れるから。
評論は常に「評論」のなかで正しさを競う。
しかし正しさの正解なんかないのに、みんな正しさを競う、そして、「お前の考え方は、ここが間違いだ」という。
あのね、私は1意見だよ。
いくらスタンダードに正しさ追求しても1意見にすぎない。
《また》
さらに書く内容には制約があり、配慮だらけ。ならやめよう。以上だ。
だから、評論を書く人がいかに辛いかは、私はめちゃくちゃわかります。
《クレーム謝罪》
クレームには私が間違いました。申し訳ありません、謝りました。かなりかなり丁寧に。
しかし、どんなに謝罪しても、相手の傷はうまりませんし、許されないこともある。
だけど、あまりに謝り、それでも、追求されたら、《あなたはもう謝らないでいいよ》
とお互いに言いたいし、《もう私がもう駄目でメンタルやられます。ごめんなさい。》逃げていいと思う。
クレームにありがとう!
正論ではある。
しかし、そんな、すべてが正論通りにいかない。
優しさ、他者理解。
答えなんてありません。
すべての文意は
「正しくあるより、優しくなりたい。」
クレーム・ミスにありがとう 木村れい @kimurarei0913
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