最終話 結婚式と二人の演説

 リュピテール暦三六二年の十二月十一日。わたしはイリヤさんと結婚式を挙げるために、王宮内にある神殿の控室にいた。花嫁衣装を身にまとい、結い上げた髪の上には白いヴェールをかぶっている。


 今日のために故郷のサクレ村やその近隣から、わたしの家族全員が遠路はるばる集まってくれた。兄姉は既に結婚しているので、伴侶と子どもたちも一緒だ。婚約式以来の近況報告を済ませたあとで、母が笑みを深くする。


「それにしても、びっくりしたわ。結婚式の日取りがお前の誕生日なんだもの」


 わたしは照れながら答える。


「うん、イリヤさんがそのほうが結婚記念日を覚えやすいからって。そういう記念日はちゃんとお祝いしたい人だから」


「オデットはいい人を捕まえたねえ」


「そうなの! イリヤさん以上の人はいないって、わたしは信じているから」


 兄が冷やかすように口笛を吹く。恥ずかしくなったわたしは「やめてよ!」と声を上げてしまう。


 その時、控室の分厚い扉が叩かれた。イリヤさんだ。

 イリヤさんが入室すると、今まで和んでいた家族がいっせいにかしこまる。

 イリヤさんは白い花婿衣装を着て、光の粒を発するブーケを片手に持っていた。ひとつに束ねた銀髪と純白の花婿衣装が見事に調和しており、彼の優美さ精悍さをぐっと際立たせている。

 すごく凛々しい……。わたしは思わず、ぽーっとなった。


「みなさん、今日はご足労いただきありがとうございます」


 イリヤさんはわたしの家族に挨拶を済ませると、こちらに向き直る。魔除けのために香草で作られ、光属性の守りの魔法がかかったブーケをわたしに差し出す。このブーケを渡す儀式が、花嫁の結婚意志の最終確認も兼ねている。


 わたしはもちろん受け取った。壊れ物を扱うように触れたブーケは、優しい香りがした。香草から発せられた光の粒が、蛍のようにブーケの周りを飛び回っている。イリヤさんは心なしかほっとしたような顔になる。


「オデット、行こうか」


「はい、イリヤさん」


 イリヤさんと腕を組む。ようやくわたしたちは夫婦になるのだ。わたしは晴れがましい気持ちでイリヤさんと歩調を合わせ、拝殿に向かった。


   ◇


 式を挙げ、王都でのパレードを終えたわたしたちはイオンツ宮の同じ寝室で休むことになった。

 ポーラたち侍女に手伝ってもらい、湯浴みをしたり髪をかしたりして身体の手入れを済ませ、清潔かつ清楚な寝間着に袖を通す。夫婦となったわたしたちの寝室に鎮座する、天蓋つきの大きな寝台の上でイリヤさんを待つ。


 やがて、腰まで届く長い銀髪を背に流し、白い寝間着に身を包んだイリヤさんが現れた。


「待たせたな、オデット」


 どこか妖艶なその姿に見惚れているうちに、心臓がトクトクと音を立て始める。

 イリヤさんが寝具の中に潜り込んでくる。湯上がりの肌と香水のいい匂いがした。

 イリヤさんに触れられるのには慣れているはずなのに、身体が少し掠るだけで、いっそう動悸が激しくなる。


 わたしの覚悟はどこへいったの?

 狐狼ころうに見つかった兎のように慌てていると、イリヤさんが優しくほほえむ。


「やめておくか?」


 わたしは反射的に何度も首を横に振った。


「い、いえ! もう心は決まっています。イリヤさん……その……今夜はよろしくお願いします……」


 消え入りそうな声で願った直後、顎を上向かされ、唇を塞がれた。

 細く見えるのに筋肉のついたイリヤさんの両腕に抱えられ、柔らかな寝台の上にゆっくりと仰向けに寝かされる。

 イリヤさんの触れ方はどこまでも優しく、緊張がほぐれていく。


 その間もイリヤさんは真上から、ついばむようにこちらの唇を貪り続ける。イリヤさんの舌が、以前とは違い躊躇なく口内に侵入してきて、舌に絡められる。

 背筋がぞくぞくした。イリヤさんのこと以外、何も考えられなくなる。

 うっとりとした表情で唇と舌を離したイリヤさんが、高い鼻をわたしの頬にくっつけるようにして囁く。


「それならもう容赦はせん。今夜のお前からは極上の匂いがする。今まで我慢したんだ。たっぷり楽しませてもらうぞ」


「──はっ……はいっ……!」


 喘ぐようにそう返事をするのが精一杯だった。わたしはイリヤさんの背におずおずと手を回しながら、押し寄せる羞恥に耐えるために目を閉じた。


 ……そのあと何があったかはご想像にお任せします。ああ、もう! 思い出すだけで恥ずかしすぎる!


 翌朝、わたしたちは王室のみなさまに暇乞いをし、カリストに帰ることになった。別れ際、フィリップ陛下がイリヤさんにおっしゃった。


「イリヤ、予から結婚のはなむけだ。受け取っておくれ」


「なんでございましょう?」


「そなたの父親のことだ。棺を掘り返したら、このメチスに持ってくるといい。シャルロットの棺の隣で予自ら丁重に弔おう」


 イリヤさんが目をみはった。


「おじいさま……」


「ちと気が早いが、ひ孫が生まれるまでに、予もけじめをつけねばならぬと思うてな。これで、シャルロットもそなたの父親──アレクサンドルも安心して眠れるだろう」


 イリヤさんは何度もフィリップ陛下にお礼を述べた。馬車に乗ったあとで「よかったですね」とイリヤさんに声をかけると、彼は黙って頷いた。その目に涙が滲んでいるように見えたのは、わたしの気のせいだろうか。


 馬車に乗って四日後にアルシーに到着したわたしたちは、その翌日、新郎新婦の衣装を着てバルコニーに立った。既に領民に城門を開放し、わたしたちが結婚記念の演説を行う触れは出してある。


 本来ならアルシーでもパレードをしたかったのだけれど、イリヤさんとの相談の末、自分たちの声を直接伝える演説のほうがよい、という結論に落ち着いたのだ。


 エヴァリストさんたちに警衛されながら、わたしたちが手を取り合って現れると、眼下に大勢の人々がひしめいていた。雪がちらつくのではないかと思われるくらい寒い日なのに、気分が高揚しているせいか寒風も気にならない。

 わたしが拡声魔法を使うと、イリヤさんが口を開く。


「みな、よく集まってくれた。見ての通り、わたしたちはメチスで結婚式を済ませてきた。オデットに懸想けそうしていた者たちには気の毒だがな」


 イリヤさんの冗談に人々は湧いた。


「わたしが領主に就任して以来、様々なことがあった。きっとこれからも色々あるだろう。だが、わたしは人族と獣族の融和を第一に掲げて、邁進していくつもりだ。わたしが両種族の血を引いている意味が、今では、はっきりと分かる。……オデット、お前も何か言っておけ」


 小声で急に話を振られ、頭の中が真っ白になる。

 だけど、そうだよね。わたしもめでたくイリヤさんの正式なお妃になったのだから、それくらいしないと。

 わたしは深呼吸しながら自分を鼓舞した。


「み、みなさま、ふつつか者ですが、わたしはこのたび、正式にイリヤ殿下のお妃となりました。わたしはこれからも殿下をお支えしていく所存です。みなさま、お隣の方をご覧ください。お隣の方は人族ですか? それとも獣族ですか?」


 人々が顔を見合わす。わたしは言葉を切り、息継ぎをする。


「人族も獣族も、住んでいる場所や種族により、肌の色や特徴、文化に様々な違いがあることでしょう。女性と男性でも違います。どんな背景を背負っているかでも違います。まずは、ほんの少しでいいので、お隣に立たれている方のことを考えてみましょう。そうすれば、人族と獣族は今よりももっと仲良くなれると思うのです。わたしがイリヤ殿下と結婚できたように」


 わたしが口を閉じると同時に、人々から歓声が上がった。「いいぞ、大聖女さま!」という声や「オデット妃殿下!」と、わたしの名を呼ぶ声も次々と上がる。

 いつの間にか、厚い雲から陽が射していた。


 イリヤさんがわたしの肩に手を置き、「いい演説だった」と耳打ちしてくれた。わたしたちはしばし見つめ合う。口々にわたしたちの名を称える人々に向け、わたしとイリヤさんは手を振って応えた。


   ──完──

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無才改め大聖女 ~狐耳王子は元聖女で婚約者のわたしに甘々です~ 畑中希月 @kizukihatanaka

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