第31話 花嫁衣装の仮縫いと発情期の真実

 領民を巻き込んだ暗殺未遂事件から一か月が過ぎた。フィリップ陛下から捜査の全権を委任されたイリヤさんは、「至高の血」の集会場所になっていた館を捜索し、縄を手繰り寄せるように次々と幹部を逮捕していった。


「至高の血」は瀕死の状態になり、国外へ逃げようとした幹部もイリヤさんによって捕らえられた。「これで、この国も少しは風通しがよくなるだろう」とイリヤさんは捜査の疲労をものともせずに話していた。


 あの事件の直前、ワロキエはエヴァリストさんたち部下にこう言ったそうだ。

「企てが成功するにしろ失敗するにしろ、敬虔なカーリ教徒として、わたしとともに、獣族のいない地を作り出すという理想に殉じてくれ」と。

 実際は、自分だけ攻撃役の魔法を防ぐ魔導具を身につけていたというのだから、呆れた話だ。


 イリヤさんによると、悪人は二種類に分けられ、人の命だけでなく自分の命すら軽んじる人間と、自分の命だけは大切にする人間がいるという。ワロキエは間違いなく後者だったらしい。


 イリヤさんはただ「至高の血」を壊滅させるだけでなく、彼らの表向きの活動の補填も兼ねて、心無い獣族によって大切なものを失ったエヴァリストさんのような人たちを救済するための活動も始めた。


 その陣頭に立つのは、もちろんエヴァリストさんだ。「人族と獣族、双方の血を引くイリヤ殿下だからこそ、人々はその救いの御手を受け入れることでしょう」とエヴァリストさんは満足そうだった。


 エヴァリストさんは騎士団長と主だった騎士を失いボロボロになった神殿騎士団を辞め、主にイリヤさんの護衛として働いている。

 神殿騎士だった頃は明らかに避けていたセルゲイさんや獣族の兵たちとも次第に話すようになり、完全に打ち解けるまで時間の問題といったところだ。


 災難にあった劇団セゾンからは、暗殺未遂事件を戯曲にして上演したい、というたくましい申し入れがあった。

 イリヤさんは基本的に芸術を上から押さえつけるような人ではないので承諾したものの、あまりわたしとの恋模様に重点を置かないように、との注文を出していた。もったいないなあ。せっかくその道の専門家に書いてもらえる機会なのに。


 まあ、わたしとイリヤさんの恋愛を題材にした戯曲は既に存在しているらしいから、それでも構わないけれど。


 そうそう、エヴァリストさんが出向してきたのと同時期に、カリストの御用商人になったゴセックさんは、よい馬を納めてくれている。

 イリヤさんが布告をした時に、彼を「銀狼公」と呼んだことから分かるように、今ではすっかりイリヤさんびいきだ。イリヤさんの命のもと、ゴセックさん主導で領内に軍馬の生産牧場を作る計画も持ち上がっている。


 ゴセックさんの商売敵だったマキシムさんも、元気に商いをしているらしい。彼の店はアルシーにやってくる冒険者からも好評で、評判が評判を呼び、得意客を順調に増やしているんだとか。


 さて、「至高の血」の捜査も一通り終わり、捜査と並行して結婚式の準備を進めてきたイリヤさんとその花嫁になるわたしの間には、問題がひとつだけ残っていた。


 わたしが未だに発情期を迎えていない、という問題だ。


 どうしたものかと悩んでいるうちに、あっという間に花嫁衣装の二度目の仮縫いの日が訪れた。

 わたしの花嫁衣装は白が基調で、デコルテが大きく開き、贅沢にスカートの裾が広がっている。上から見ると、まるで満開の白い花みたいだ。どうやら、わたしのために新しく考案された意匠らしい。ポーラが目を輝かせる。


「オデットさま、お綺麗です」


「ありがとう。わたしにはもったいないくらいの衣装ね」


「またまた、そんなことおっしゃってえ」


 一度目の仮縫いの時よりぐっと細部が形になった花嫁衣装を試着し、仕立て屋さんと相談しながら衣装の調整をしていると、部屋の扉が叩かれた。返事を返す。入ってきたのはイリヤさんだった。


 普段と違った衣装姿を見られるのが恥ずかしくてわたわたしていると、イリヤさんが近づいてきた。


「そう慌てるな。一度目の仮縫いの時は忙しくて見られなかったからな。……ところで、そなたたち、しばらく席を外してくれないか」


 イリヤさんに命じられ、ポーラと仕立て屋さんたちは一時退室した。

 イリヤさんはわたしの頭から爪先までをしげしげと見つめたあとで身をかがめ、耳元で囁いた。


「とても綺麗だ。他のどんな女よりもな」


 顔から火が出そうになる。わたしは恥ずかしさのあまり、黙り込んでしまう。イリヤさんはわたしの頬をそっと撫でた。


「こんなに美しいお前を前に、手をこまねいていないとならんとは……俺もつくづく我慢強いな」


 甘やかな言葉の攻撃にわたしは堪らず声を出す。


「……褒めすぎです! それに、わたし自身はまだ準備が……」


 イリヤさんは思い出したように言った。


「発情期のことか?」


「そ、そうです……」


 イリヤさんは二、三度瞬きをしたあとで、少し言いにくそうに口を開く。


「実はな、オデット。結婚式までに言うべきか迷ったが……お前はもう発情期を迎えているぞ」


「え!? え~っ!?」


 わたしが思わず叫ぶと、イリヤさんはうるさそうに頭を振った。


「あまり騒ぐな。俺の耳はお前のよりだいぶ感度がいいんだ」


「ご、ごめんなさい」


「人族流に言えば、ようやく成熟した大人の女になったということだな。俺としかるべき状況になれば、自然に発情するはずだ」


「で、でも! イリヤさん、婚約する前に、わたしが発情期になったら自分の理性でもどうにもならないって……」


「うーん」とイリヤさんは唸る。


「俺は思ったより人族の血が濃いみたいでな。まあ、もちろん人族の男にも年中発情期か? と疑いたくなるような輩もいることはいるが……。好きな女が発情期だと分かっていても、お前の気持ちを考えれば案外我慢できてしまうんだ。一応、獣族の名誉のために言っておくと、たとえ相手の女が発情期でも、嫌がられたら無理強いはしない奴がほとんどだからな」


「そう、なのですか……」


 多分、わたしは成熟した身体と心の調和があまり取れていなかったのだ。イリヤさんはそれに気づき、今まで発情期のことを黙っていてくれたのだろう。

 それって、自分の欲望よりもわたしのほうが大切ってことだよね? どうしよう。やっぱりイリヤさんのことが好きすぎる。


「イリヤさん……」


 わたしが彼を見上げると、イリヤさんはそれを手で制すようにして、一歩あとずさった。


「おい、そんな目で俺を見るな。今、お前の芳香はとんでもないことになっているんだぞ」


「あ、すみません。ところで、どうして急に発情期になったのでしょう?」


「急に、というか、式が近づいてきたこともあって、俺とこうして過ごすうちにじょじょに誘発されたんだろう。前から兆候はあったしな」


「兆候?」


「俺と一緒にいる時に、匂いが急に強くなったりな。俺を異性として見てくれていることが分かって嬉しかったぞ」


「イリヤさん、ずるい」


 思わず出たわたしの言葉にイリヤさんが首をかしげる。わたしは言葉を継いだ。


「だって、イリヤさんばっかり、わたしがあなたをどう思っているのかが分かって……わたしはイリヤさんの気持ちを言葉や態度から判断するしかないのに」


 イリヤさんは優しくほほえむ。


「なら、俺はお前のことを今まで以上に愛そう」


 イリヤさんが至近距離まで近づいてくる。顎を上向きに傾けられる。わたしは彼の口づけを今までにない気持ちで受け止めた。

 初めは軽く、次第に強く、唇を食まれる。何度もそれを繰り返され、息も絶え絶えになるくらいわたしの心臓が耐えきれなくなってくると、まるで察したかのようにイリヤさんが唇を離してくれた。


「可愛いな、オデット」


 蜂蜜のような声でそう囁かれ、わたしは顔を赤くして(鏡を見たら、きっと熟れたイチゴみたいになっているだろう)、イリヤさんの肩に顔を埋めた。

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