僕らの、赤。

「これ、本当に蒼ちゃんが書いた脚本だと思う? がっくん」


 事務所で拓海と二人、佐波野ミソノさんという作家が送ってくれた、蒼ちゃんが書いたというシナリオを読む。


「うーん。蒼ちゃんっぽいんだよねー。蒼ちゃんが書きそうっちゃ、書きそう」


 良くできたシナリオに唸りながらも、本物なのか半信半疑。


「佐波野ミソノさんってさ、今結構売れてる作家さんだよね。そんな人がイタズラでこんなこと、普通しないよね?」


 蒼ちゃんのものであって欲しいが、なにせ証拠がない為、拓海が目の前でやるせなく戸惑っている。


「それにさ、こんだけ面白いストーリーだったら、普通自分名義の作品として世に出さない? わざわざ【蒼ちゃんの作品です】って言う必要なくない? 蒼ちゃんと佐波野さんがどんな関係だったかは知らないけどさ、蒼ちゃんは佐波野さんを信頼してたから彼女にデータを渡していたんだと思うし、そんな佐波野さんだから、自分の手柄にすることなく、俺らに蒼ちゃんの作品を送って来たんじゃないかな」


 蒼ちゃんが書いたと信じたい俺は、蒼ちゃんの脚本だという根拠だけを探る。


「とりあえず、マルオにデータ送ってみるか」


 拓海がパソコンに手を伸ばし、メールの作成画面を開いた。


 マルオは今も、活動を再開していない。最近は少し落ち着いて来たようだが、それでもまだ復帰出来るほど回復していない。


 マルオとはこまめに連絡を取り合っているが、拓海も俺もマルオを急かすようなことは言わない。


 マルオの気持ちが分かるから。俺たちだって、ずっと辛くて悲しくて寂しい。


「読むかなー、マルオ」


 拓海のメール作成文を眺めながら、マルオを案ずる。


「どうだろうね。でも、無理なら無理でいいよね。辛い思いをさせてまで読ませなくても。ほい、送信」


 拓海が『パシン』とENTERキーを押した。


「もちろん。マルオを焦らす気なんかないし」


 パソコン画面に表示される【送信しました】の文字に、マルオとの繋がりを感じてホッとする。暫くすると、マルオからの返信がきた。


【今は、読めない。読みたくないわけじゃないんだけど、辛いんだ。ごめんね】


 マルオからの短い文章に、


「謝る必要なんか全くないのにな」


 拓海が切なそうに唇を噛んだ。


「うん。何の問題もない」


 そっと拓海の背中を撫でると、拓海が少しだけ笑って俺の背中を撫で返した。


『大丈夫、大丈夫』と心の中で言い合いながら、いつか必ず岳海蒼丸を再開すると強く願う。



 そして月日は流れ、蒼ちゃんの七回忌がやってきた。


 蒼ちゃんの三回忌が終わった時に一度、岳海蒼丸の再開話が持ち上がったが、マルオの気持ちが立て直ることはなく、流れた。


 今も尚、マルオは復帰していない。そんなマルオは今、家業の建築事務所を手伝っている。


 岳海蒼丸を復活させたい気持ちは今もあるけれど、マルオがこのまま建築の仕事をしていきたいと言うのであれば、反対する気は拓海にも俺にもない。


 ただ、マルオの気が変わった時に気軽に戻って来られる様に、事務所にも岳海蒼丸にも、マルオの名前は残してある。


 蒼ちゃんの七回忌が行われる会場に行くと、既に拓海とマルオは到着していて、二人で談笑していた。


 マルオの笑顔や元気そうな姿に、うっかり目頭が熱くなってしまい、慌てて袖て目を擦った。


 さすがに七回忌ともなると、そこまでしんみりすることもなく、蒼ちゃんの思い出話で笑うことも出来た。


 みんなで蒼ちゃんのお墓参りをし、花を手向けて帰ろうとした時、


「もう少しだけ、ここにいない?」


 マルオが拓海と俺を引き留めた。


「別にいいけど。な?」


 拓海に同意を求められ、


「うん。どうした? マルオ」


 頷きながらマルオに問いかけると、


「三人に、報告したいことがあるんだ」


 マルオが凄く柔らかい表情で笑った。


「何ー?」「気になるわー」


 拓海と二人で興味深々にマルオの顔を凝視すると、


「実は俺ね、結婚することにしたんだ」


 マルオが少し照れながら頭を掻いた。


「うわー、マジか‼ おめでとう、マルオ‼」


 拓海がマルオの肩を抱く。


「先越されたー‼ 良かったなー、マルオ‼」


 俺もマルオに抱きついた。


「ありがとうねー」


 マルオが拓海と俺の肩に腕を回した。


「相手ってまさか、幼稚園から付き合ってるあの子?」


 拓海がマルオの顔を覗き込むと、


「……恥ずかしながら、そう」


 マルオが顔を真っ赤にしながらはにかんだ。


「何だよ、その純愛ー‼ まじかよー‼」


 俺にはないマルオの純情さに、悶絶。


「……俺、ずっと不安定だったじゃん? そんな俺を見捨てずにずっとそばにいてくれたんだ、彼女。大事にしたいな、大事にしなきゃなって思った」


 マルオからの溢れる愛に、


「だってよ、蒼ちゃん‼」


 堪らず拓海が蒼ちゃんの墓に話し掛けた。


「でね、報告なんだけど……」


 拓海を他所に、マルオが話し続ける。


「今のが報告じゃないんかい」


 マルオにツッコミを入れると、


「三人に関係がある報告があるんだよ。ずっと前にさ、『蒼ちゃんが書いた脚本が出て来たよ』ってデータ送ってくれたじゃん? あの時は辛くてとても読む気になれなかったんだけどね、最近ようやく読むことが出来たんだ。もの凄く面白いね、あの脚本。俺は、蒼ちゃんが書いたものに間違いないと思う。……でね、あの脚本で岳海蒼丸で舞台を作りたいって思ってね。嫁に相談したらね、頑張れって応援してくれてさ。……ブランクが長いから、俺には難しいかな?」


 マルオが上目遣いになりながら、俺たちの反応を伺った。


 思ってもみなかったマルオの報告に、拓海と俺の涙腺が崩壊。


 どれだけこの日を待っていただろうか。


「やろう‼ マルオ‼」


 拓海が涙目になりながらマルオの手を取った。


「マルオがいなきゃ、俺らの舞台は出来ないじゃん。待ってたよ、マルオ。おかえり」


 俺はというと、我慢出来ずに目から涙を零しながらマルオの髪をくしゃくしゃと撫でた。


「ちょっと家出が長すぎたよね。ごめんね。ただいま」


 マルオも「待っててくれてありがとう」と言いながら泣いた。


 暫く余韻に浸りながら三人で泣いていると、


「久々に四人で飲むか。マルオの結婚と、岳海蒼丸の復活を祝って。俺、酒買ってくるわ」


 拓海がコンビニに行くべく、手のひらで頬の涙を引き取った。


 マルオが、そんな拓海の袖を掴んで、フルフルと顔を左右に振った。


 きっと、蒼ちゃんを失ったあの日を思い出したのだろう。


「大丈夫。俺は必ず戻る。次のお祝いは俺が買い出し担当って約束だっただろ? 正しくは【がっくんと俺】だけど、大量に買い込まないから俺一人で大丈夫。蒼ちゃんだって絶対に四人で飲みたいと思ってるに決まってる。四人で、岳海蒼丸で祝おうよ」


 拓海がそっとマルオの手を下ろした。


 蒼ちゃんとマルオが買い出しに行ったあの日、『蒼ちゃんの卒業祝いは拓海とがっくんが買い物に行ってね』とマルオに言われたことを、拓海はしっかり覚えていた。蒼ちゃんの卒業祝いではなくなってしまったけれど、今日は四人にとってめでたい日に違いない。


「くれぐれも気を付けね」


 マルオは拓海に頷くと、静かに蒼ちゃんのお墓に手を合わせた。


 蒼ちゃんに拓海を守ってくれるようにお願いしたのだろう。


「死なないっつーの!!」


 マルオに元気よく笑って見せた拓海は、「五分で戻る」という無理でしかない謎の約束をして、コンビニへと走って行った。


 待つこと二十分。両手にビニール袋を持った拓海が戻ってきた。


 蒼ちゃんのお墓に缶ビールを供えると、三人同時にプルタブを引いて、


「かんぱーい」


 缶ビールをぶつけ合う。


 そして一心不乱に飲酒。美味い。四人そろって飲む酒は、なんて美味しいのだろう。久々に味わう四人だけの楽しい時間に浸っていると、


「うわー。凄い」


 マルオが遠くの空を見上げた。


「綺麗だなー。やばい」


 拓海も顔を上げる。


「ほんとだ。真っ赤」


 鮮やかな夕焼けが俺らを照らしていた。


「蒼ちゃんのお出ましですかね」


 拓海が笑う。


「派手な登場」「蒼ちゃんらしいわ」


 マルオと俺もつられて笑った。




「お母さーん。ジュース」


 土曜日の昼下がり、リビングで洗濯物を畳んでいると、傍でお絵かきをしていた息子が喉の渇きを訴え愚図りかけた。


「待ってね。今持ってくるね」


 蒼ちゃんが私の前に現れなくなってすぐ、妊娠が発覚し、唐沢と結婚した。


 私は仕事を辞めて東京へ引っ越し、育児をしながら小説を書いている。


 息子は、絵本や赤いクレヨンが好きで、蒼ちゃん要素があることはある。でも、息子が蒼ちゃんの生まれ変わりでも、そうでなくても、どちらでも構わない。可愛い我が子に違いないのだから。


「リンゴジュース……」


 畳み掛けのタオルを手放しキッチンへ行くと、冷蔵庫の中にある買い置きのリンゴジュースに手を伸ばす。


「ただいまー。出版社から郵便物届いてたよ」


 そこに、夕食の買い出し帰りの唐沢(今や私の唐沢ですが)が帰ってきた。


「ほい」


 唐沢は、私の手からリンゴジュースを抜き取ると、代わりに郵便物を手渡した。


「リンゴジュース飲もうねー」


 そして、目尻を下げ息子に駆け寄る唐沢。


 唐沢は予想外に、家事育児を率先してやってくれる。結婚前はそんなこと、全く期待していなかったが、嬉しい誤算だった。


「ふふふ」


 息子が可愛いのは当然だが、そんな息子にメロメロでデレデレな唐沢も何だか可愛くて、笑いが零れてしまう。私は今、とても幸せだ。


 戯れる息子と唐沢に目を細めながら「なんだろう?」と、出版社から送られてきた郵便物を開封。


「わぁ……‼」


 中から出てきたのは、岳海蒼丸の舞台告知のリーフレットだった。


 リーフレットには【是非お越しください】という手書きのメッセージが書いてあり、チケットが三枚添えられていた。


 私の連絡先を知らない岳海蒼丸のメンバーが、出版社経由で送ってくれたのだろう。


 リーフレットには、【脚本:蒼汰】としっかり印字されている。


 これは間違いなく、蒼ちゃんと二人で書き上げた作品だ。


 脚本を岳海蒼丸に送ってから何の音沙汰もなかった為、蒼ちゃんが書いたものではないと判断されてしまったのだと思い込んでいた。


 嬉しいな。やっと形になるんだな。とリーフレットを眺めていると、


「お、遂に岳海蒼丸再始動するんだ。つかチケット、家族分あるじゃん。でもこれ、子ども向けじゃないだろ。俺らは留守番してるから、ひとりで行っておいで」


 息子を抱っこした唐沢が寄ってきて、リーフレットを覗き込んだ。


 息子が蒼ちゃんの生まれ変わりだったとしたら、岳海蒼丸のみんなに会わせてあげたい。でも唐沢の言う通り、着ぐるみのキャラクターが出てくるわけではないから、子どもが見て楽しいかどうかは疑問。ひとりで行くか……。と、眉を顰めた時、


「僕も行くー。赤ーい」


 息子が、蒼ちゃんをイメージしたかのような赤いリーフレットを指差した。


「赤いねー。綺麗だねー。やっぱり、三人で行こうよ」


 息子の髪を撫でながら唐沢を見上げると、唐沢が笑いながら頷いた。



 綺麗な赤を見ると、思い出す。


 僕等の赤は今も きみのため だけの色。





おわり。

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僕等の、赤。 中め @1020

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