後編


「げ、劇場ですかっ——」


「あれれ……世の女性は劇場で恋愛劇を見るのが好きだと聞いていましたがそうではなかったのですか?」


「あ、いえっ! そうではなくて……その、最後……なのに私がエスコートされていて……ど、どうしたらいいか……」


「あははっ——だって僕の方から誘ったんですから、大丈夫ですよ?」


「いや……でも……」


「女性の方が考える事じゃないですっ。ほら、そんな硬い顔していないで——にぃ~~って」


 真夜中の人気のない劇場の前で、彼は私の唇に触れ、にーっと弧を描いた。

 思わず、感じた温かさに肩がビクッとしたが優しい手つきでドキッとしてしまう。そう思った途端に顔が熱くなったのを感じた。


「っ——あ、に、にぃ……」


「プルプルしてますよ?」


「だ、だって……その……は、恥ずかしくて……さ、触られて……」


「あ、すみませんっ! 僕、なんか自然に……」


「いや! 別にそういうわけじゃなくて……ただ、恥ずかしくて……も、もっと触ってほしいです‼‼」


 あ、やばい……私、なんか変なこと言ってないか?

 しかし、気づいたときにはすでに遅く、目の前でアイン様は呆気を取られたように立ち尽くしていた。


「あ……や……そのっ、ち、ちち、違くてっ……ぅ」


「……あははっ、お、面白いね……ロベリア様っ」


「っ……ご、ごめん……なさい」


「いやいや、僕は好きですから気にしないでくださいよ! それに、ほら、手ぐらいなら握ってあげますからっ!」


 俯きながら呻きを溢す私を見かねてか、彼はやさしく私の右手をその大きな手で覆いこんだ。ぎゅっとした温かい大きな手。思わず、小さい頃にお父様と良く手を繋いでいたことを思い出した。


 今では、恥ずかしくてできないが——そんな情景がふと、頭の中に浮かび上がった。


「……あの、やっぱり……い、嫌でしたか?」


「——っ全然‼‼ む、むしろ握っててください‼‼」


 また言ってしまった……しかし、目の前の彼はニコッと微笑んで、劇場の中へ連れていく。



 同時に、視界を覆う彼の背中。

 

 さすがというか、一国の王子のオーラ……というか。それはアイン様だけの希薄なのか。どれなのかはよく分からないが——私を覆い、包んでくれて、守ってくれそうな大きな背中は凄く頼もしく、温かさを感じた。


 こんな優しい人が死んではいけない。

 そんな思いが——この、胸の高鳴りと共に私の頭の中で反芻した。







★★


 劇場で大昔にやっていた恋愛劇を見た後、私たちは公園のベンチで軽く会話をして家に帰った。アイン様はまだベールスホット帝国には帰らず、ここのホテルに滞在するらしく、私も思わず明日も会おうと約束を交わしてしまった。


 そして、翌日。


「ほ、本当に来てしまった……」


 帝都の大公園。初代国王の銅像の前で私は待っていた。

 服装は迷った挙句、帝国大学の制服で——黒と赤を基調としたブレザーとスカートの普通なもの。休日に出かけるというのに、なぜ制服なのかと問われても何も言い返せないが——ただ、変な服ではないため無難ではあるだろう。


 笑われないか少し不安だ。


 10分ほど待っていると、彼は集合時間ギリギリに走ってやって来た。


「——ご、ごめん‼‼ ちょ、ちょっと遅れちゃって‼‼」


「あ、いえいえ―—私もついさっき来たところなので……そ、その大丈夫ですか?」


 さすがスポーツをやっているだけあるが……額に汗が滲んで、息切れもしている……何かあったのだろうか。


「ほんとに、遅れてしまって……申し訳ないっ」


「いやいや、集合時間はまだ5分ほど先ですっ! 気にしないでください!」


「ぼ、僕の方が先に言ってやろうっ——と思っていたのですが——いやぁ、それが……近衛騎士の数人を捲くのに手こずってしまって……父にはOKともらったのですが……彼は慎重で……ほんとに」


「そ、それは——別に、私はいてもらっても大丈夫ですよっ……」


「いや、それはさすがに気を使わせちゃうので……それに、どうせ今もどこからか見守っていますしねっ……僕もほら、色々と変装しているのできっとばれませんよっ」


「へ、変装……ですか?」


 彼はそう言ったが私には昨日の夜とおなじ姿にしか見えなかった。


「あぁ、一応これは魔術の方を行使しているのでっ! 一応、これでも帝国随一の魔術師なんですよ?」


「ま、魔術ですかっ……私はそっちの方はちんぷんかんぷんで……」


「あははっ……結構簡単なのでレクチャーしますよ?」


「い、いや——そんな迷惑なっ!」


「迷惑じゃないですよ! なんなら食事の時でも教えますから!」


「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて……」


「はい、よろしくお願いしますね」


 そう言うと、彼は私の手を握り、ニコッと笑みを浮かべながら大公園の東へ向かった。




 ☆☆


「……魔術と言うのは~~って、あれですね、あんまり専門的な話は面白くないですねよねっ」


 公園の隅で楽しそうに魔術をレクチャーしてくれるアイン様の横顔を見つめていると、気づいたのか彼がこちらに視線を向けてきた。


「あっ、いや——そ、そういうわけじゃ‼‼ その、えっと……凄く楽しそうで……可愛かったっていうか……」


「か、可愛い? そ、それは言われたことがないですね……照れるなぁ」


「か、可愛いです‼‼ 私は好きです‼‼」


「s、好き?」


 あ。

 やばっ。


 私、変なこと言ってしまったかもしれない?


 いや、言ったよね私‼‼

 好きってさぁ‼‼


 それを理解すると、かぁ――と顔が熱くなった。急いで顔を両手で隠すと、隣に座っているアイン様は私の頭に手を置いた。


「あ、ありがとう……うれしいよ」


「ぁ……ぇっと……それはぁ……その、なんというか……うぅ」


 なでなで。

 手を左右に揺らし、私の頭を優しく撫でる。


 余計に顔が熱くなって震えることしか出来なかった。


「——ははっ、可愛いのはどっちですかねぇ」


「っ~~わ、私は可愛くはないですっ‼‼」


「そうかな? 少なくとも俺には可愛く見えるけど?」


「え——」


 ばっと顔をあげると目の前に彼の綺麗なシーブルーの瞳。思わず見惚れ、固まってしまったが——私はすぐに視線を逸らす。


「——ぁ、その……すみませんっ」


「なんで謝るんですか……綺麗な瞳だと思いますよ?」


「き、綺麗って……そんな……」


「いやぁ、僕のと比べてみればロベリア様の瞳はもう太陽みたいに大きくて……届かないですよ」


「そんなことありません‼‼ アイン様の方が、絶対‼‼」


「いやいや、ロベリア様も」


「いや、アイン様が!」


 と言い合っていると、隣の席に座っているご老人がこちらに笑みを向けてきた。


 そんなご老人を見て、私はハッとなり再びアイン様から目を逸らした。


「あ——ごめんっ」

「わ、私も……すみませんっ」


 ————静寂が二人を襲う。

 お店の中で痴話げんかみたいに変なことを……いや、痴話だなんて! 別に付き合ってもいないのに、何を考えているのよ、私は。


 そう考えてしまって、不意に来た恥ずかしさに胸がバクバクとなり、思わず逃げ出したくなっていた。まったく、もとはと言えば私が誘った様なものなのに意識してしまって何にもできないのにはらがってきたけど、事実、彼の方に首が回らなくて悔しい。


 そんな私を見かねてなのか、アイン様はゆっくりと右手を握る。

 私は驚いて肩をビクッと震わして恐る恐る彼の方に目を向けると、俯きながらこう言った。


「……あ、あのっ、急にであれですけど……良かったら……今夜、花火でも見に行きませんか?」


「……え、は、花火?」


 急な誘いに呆気を取られたが、彼は言い直す。


「あぁ、まぁ、大会はないだろうから道中で買ってからですが……」


「い、良いんですか?」


「もちろん、僕は大丈夫ですよ?」


「じゃ、じゃ……その私もっ」


 そうして、今夜。

 新たな予定が決まったのだった。





★★






「は、花火って久しぶりですよねっ」


 花火職人の直営店から10本ほどを買い込み二人で川辺に向かう途中。私は舞い上がる心を何とか抑えながら、ぼそっとそう呟いた。


 急な問いにびっくりしたのか、呆気に取られているアイン様。そんな顔も可愛くて、私はクスッと笑った。


「……ふふっ」


「あ、あぁ……そう、だね?」


 様子を見るように答える彼はあまり王子様って感じがしなかった。どこにでもいるような高等学校に通う男子学生だった。


 それに、最初は一目惚れだったのに。今日と言う一日だけで、余計にその気持ちは強まった気がする。不意に見せる笑顔も、でもどこか悲しそうな顔もすごく綺麗で、美しくて……私にはすごく勿体ない気がした。


 普通に生きていきたい少年の顔と言うか……別に、私が年下の子が好きで童顔食いってわけでもないのにちょっとだけ心に響く。


「だねってなんですかっ……? 別に同情は求めてませんよ?」


「あ、そ、そうだねっ! ごめんごめんっ、ちょっと静かにしてたら僕も焦っちゃって……」


「いやいやっ、アイン様はそんなこと気にしないでください! 少し揶揄ってみただけですっ」


「僕、揶揄われてたのか……」


「はい、可愛かったですよ?」


「か、かわいい!? あ、あんまり―—言われたことないね……」


 ぼそりと呟いた彼の頬はほんのり朱色に染まっていた。


「アイン様、今の顔もすっごく可愛いですっ」


「て、照れるって……頼むからっ」


「私は、本気で思ってますよ?」


「……っ、か、敵わないなぁ」


 うぅ―—と唸りながらそっぽを向き、目を合わせないようにしている。今すぐにでも、できるものなら顔をキュッと寄せて頬っぺたにキスしたいけれど、背が高くて届かないや。


「……も、もうすぐだねっ。一応、準備しておこう」


「そ、そうですねっ」


 こくりと頷いた私はさりげなくアイン様の袖を掴み、公園の中へ入っていった。ぎゅっと握るとビクッと一瞬だけ動いたが、彼はすぐに私の手を握って何も言わず隣を歩いた。



 ☆☆



 バチバチバチ。

 七色に輝く手持ち花火が何もない公園の真ん中で音を立てていた。


 いつぶりだろうか。

 きっと、10歳とか9歳とか……もしかしたらもっと前だった気がする。でも不思議と、持ち方とかも覚えていて、その火花散らす幻想的な形を私とアイン様はじーっと見つめていた。


 すぅ……すぅ……。


 花火の音の先に、息遣いまで聞こえてくる。なんか、すごく嬉しい。


 変態なのかな、私。


「なんか、すっごくエモい……ね」


「——エモい?」


 反射的に聞いてしまったが、言われてみればそうかもしれない。小さい頃はただただ綺麗で、面白くて、遊びの一環でやっていたけれど、もう大人になる私たちからはそんな陳家なものには見えない。


 バチバチと光る蜜柑色がアイン様の顔を照らし、ゆらゆらと影を揺らす。


 少し潤んだ彼の瞳がふと見えて、視線を逸らす私。


 なんて、愛おしいんだろうか。

 この人は。


「そ、そうかもしれないですねっ」


「ははっ、僕も初めて使ってみたけど——使い方間違ってなかったかな」


「多分、大丈夫かと?」


「なら、いいんだけど……一国の王子が言葉すら操れなかったらどうするんだーーってね」


「別におかしくはないと思いますよ?」


「そ、そうかな……」


「はい、むしろかわいいですっ!」


「かわいい……のは、ロベリア様の方だと思うよ?」


「え——いやいやいや、そんなこと‼‼」


 不意な一言に思わず声が裏返った。

 かわいいなんて……言われた。いつも両親にしか言われたことなくて、さすがに破壊力が凄い。


 というか、私は可愛くないし。


「いや、僕から見たらすっごくかわいいし、素敵な女性だと思うよ。先客がいなければ——いただきたいくらいだねっ」


「え……アイン様って、もう相手とかいるんですか……?」


「まさかっ、僕はいないよ! いやぁ、まあ欲しいんだけど、もう無理そうだし……」


「わ、私でよ、良かったらな、なります‼‼ なりたいです‼‼」


「え——」


 線香花火が地べたに落っこちていくと同時に私はアイン様と目を合わせる。

 ゆらゆらと煌く碧眼と、色白で綺麗な肌。


 見つめ合ってからしばらくたって、お互いに視線を逸らす。


 私、言っちゃった。

 言っちゃったよね、今。


 絶対、言った。空耳じゃない。確実に言った。


 理解した瞬間、ボっと音を立てるほど顔が熱くなった。


「——今、なんて」


「や、えっと……わ、私が何言ってんだろ! ご、ごめんなさい‼‼」


「いや……なんて」


「別に気にしないでください‼‼」


「————気にするよ、だからなんて言ったの?」


「え……ぁ、その……お、おこがましいですけど……アイン様の事、す、す……好きで……」


「僕のことが?」


「はいっ……」


「ほんとに?」


「ほ、ほんとです……」


 数秒間の沈黙。

 言ってしまった後悔で頭がいっぱいになっていく中、目の前の彼は地面に手をついて、こう言った。


「——ねぇ、ロベリア」


「っ⁉」


「僕の事、アインって呼んでくれないかな?」


「な、なななな、何を‼‼」


「いいから、ほら」


「あ、あいぃん?」


「アインだよ、あいーんじゃない」


「あ……いん……」


「うん……ありがとう」


 すると、同時に彼の持っていた線香花火が闇夜に消えて、私は押し倒された。

 

 そして、私の体は見えない彼の大きな体に包み込まれた。後ろに回された腕はちょっと硬くて、逞しい……でも少しだけ震えていて、私もちょっと安心した。


「僕もね、ロベリアのことが好きだ。好きになった。もう……死にたく、無くなっちゃった」


「ぁ……」


 抱きしめられて、声が出ない。


 とくん、とくん……。

 ただ彼の鼓動が肌を伝って、胸を高鳴らせる。


 何を言ったらいいのか、どうしたらいいのか―—初めての事ばかりで私は動けなくなっていた。


「いいよ……大丈夫」


「……ん」


「今度、こっちにも来てくれない? お父さんに紹介したい」


「た、他国の……娘ですよっ」


「大丈夫、ロベリアのお父さんとは面識があると思うし……いろいろと面倒なところは二人が何とかしてくれる。それに、僕も尽力するからさ、どうかな?」


 そんなの答えは一つに決まっている。

 頑張ってくれるなんて―—聞いてしまったら、私の答えは最初から一つだけ。


 ふぅ―—吐息を吐き、私は内から零れ出る涙と共にこう呟いた。


「……っよ、よろこん―—でっ……」


 そう、これは——私の物語だ。

 悲劇が過ぎ去って、幸福が待っている。


 これからはもう、めげないで、諦めないで……一生懸命生きてけばもしかたら何かがあるかもしれない。


 頑張って、よかった。



 FIN





 

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悲劇な公爵令嬢は王子の生きる意味となる。 藍坂イツキ @fanao44131406

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