美味い肉さえあればいい
中田カナ
美味い肉さえあればいい
「正直に言え!やったのはお前しか考えられないだろう?!」
執事代行の男が指差す先にあるのは、床に落ちて割れている陶器の置物。
「確かに本日旦那様の書斎の掃除をしたのは私ですが、その置物には一切触れておりません」
「では、なんで床に落ちて割れていた?!今日ここの鍵を渡したのはお前だけだ!」
「私ではございません」
やったという証拠はないけれど、やっていないという証拠もないんだよね。
「何と言おうが一番疑わしいのはお前だろう。入ってまだ日の浅いお前ならば解雇の可能性もあるだろうな」
そう言いながら近寄る執事代行。
「公爵家のメイドなどそう簡単になれるものではないだろう。今後、俺の言うことに素直に従うのなら旦那様にうまいこととりなしてやってもいいんだがなぁ」
執事代行は不快な笑みを浮かべる。
なるほど。
これがこの男のやり口か。
公爵家は代替わりしてまだ日が浅く、古参の使用人の多くは先代の公爵様とともに領地の屋敷へ移ったと聞いている。
この男に対する若手の使用人達の態度がどうもおかしいと思っていたが、こうやって弱みを握られていたわけか。
「おっしゃりたいことはわかりました。私がやったわけではございませんが、退職させていただきます」
「…は?」
予想外の回答だったのか、あっけに取られた表情になる執事代行。
「私は前の職場である辺境伯家へ戻らせていただきますので、どうかそちらへ弁償金をご請求くださいませ」
一礼して公爵様の書斎を出て行こうとすると腕をつかまれた。
「お、おい!ちょっと待て…」
執事代行があわてだす。
「私は望んでこちらに来たわけではございません。前の職場である辺境伯家の若旦那様が『他家で働いてみるのもよい勉強になるだろう』と、長年のご友人である公爵様のもとへ送り出してくださっただけのことでございます。期間は一応決めてはあるものの、私の判断でいつ戻ってもよいと言われておりますので」
数ヶ月働いてみたが、いろいろと思うところがある職場だった。
最大の原因は目の前にいるこの男なのだが、こいつは私がどういう経緯で雇われたか知らなかったのだろう。
「それでは短い間ではございましたが、お世話になりました」
腕を振りほどき、再び一礼をして使用人棟へと急ぐ。
メイド服からこの屋敷に来た時のワンピースに着替えて荷物を詰める。
幸い私物は少ないので、すぐに旅行用の鞄に詰め込めた。
そして急いで退職願を書いて封筒に入れて机の上に置く。
公爵様と執事さんは領地のお屋敷へ出かけていて不在だけど、まぁしかたないよね。
ドンドンドン!
鍵をかけてある扉を乱暴に叩く音とともに、執事代行の男が叫んでいる。
「おい!置物の件はお前のせいじゃないことにしてやる!だからもう一度話し合おうじゃないか!」
支度を済ませると、窓を開けて先に鞄を落とす。
そして近くの木に飛び移り、するすると降りていく。
辺境伯家で鍛えられてたから、2階からの逃亡など造作もないことだ。
鞄を拾って通用門へと一目散に駆けて行く。
公爵家の敷地を出て王都の郊外へと向かう。
「さてと、我が家へ帰るとしましょうか」
この時間だと馬車の定期便はもう間に合わないので、ひとまず馬車の発着場の近くに宿をとろう。
そして明日から馬車の旅だ。
国の施策により地方の各地をつなぐ馬車の定期便が充実しているのは本当にありがたい。
長距離の便には護衛もつくので、わりと安全に旅が出来る。
王都に出てくる時は不安と緊張で余裕がなかったけど、今は何もすることがない移動時間でいろんなことを考えていた。
何度か馬車を乗り換え、途中で数泊して北部の中核都市へとたどり着いた。
小規模な町や村を結ぶ短距離の定期便がここから出ている。
これが最後の乗り換えだけど、その前に軽く腹ごしらえをしとかないとね。
「おじさん!牛肉の串焼きの並を1本ください!」
「はいよっ!」
やっぱりこれを食べとかないとね。
広場の噴水のふちに座り、あつあつの肉にかじりついていると、通りかかった男性と目が合った。
「…あ」
向こうもこちらに気がついたらしく、つかつかと近寄ってくる。
よく気付いたなぁ~と思ったけど、黒髪ってこの国では少ないから結構目立つらしいんだよね。
「ここで何をしている?」
にらむ公爵様の背後には執事さんと従者の少年も立っている。
「牛肉の串焼きを食べてます。おいしいですよ」
なぜこんなところで会っちゃうかなぁ?と思ったけど、公爵家の領地もここから街道が分岐するんだったな。
「聞き方を変えよう。なぜここにいる?」
「公爵家のメイドを辞めてきましたので、辺境伯家へ帰ろうと思いまして」
まだお若い公爵様が顔をしかめる。
「辞めただと?何かあったのか?」
「公爵様の書斎にあった陶器の置物を落として割ったと疑われましたので、私がやったわけではありませんが辞めることにいたしました。詳しくは執事代行の男性に聞いていただければと。ああ、それから弁償については辺境伯家経由で私にご請求くださいませ」
「陶器の置物?」
不思議そうな表情になる公爵様。
そんなことは気にせず牛肉の串焼きをきっちり完食してから立ち上がる。
「それでは短い間ではございましたがお世話になりました。ごきげんよう」
軽くスカートをつまんで一礼し、地面に置いていた鞄を持って馬車の発着場へ向かおうとすると公爵様に腕をつかまれた。
「待て。王都の屋敷に帰るぞ」
「嫌です」
きっぱり言い切る。
「確認すべきことがあるし、そもそも正式な退職手続きはまだだろう?ここは一旦戻るべきだと思うが」
「おっしゃることはわかりますが、せっかくここまで来たんですから故郷に顔を出してきたいですけど」
ここまでそれなりに時間をかけて移動してきたのだ。
あと半日足らずで帰れるのに、寄らずに逆戻りなんてしたくない。
「それもそうだな」
公爵様が手を離す。
「少し相談してくるから、ここで待っていてくれ。ところで君はお腹にまだ余裕はあるか?」
「ええ、まぁ」
本当は牛肉の串焼きをもう1本いくつもりでした。
「では、これで何か買って食べながら待っていてほしい」
公爵様が私にお金を手渡し、少し離れたところで執事さんと話し始めた。
もう辞めるとはいえ雇い主のご命令だ。
忠実な私は命令に従ってお金を握りしめて再び屋台へ向かう。
「おじさん!牛肉の串焼き、特上1本お願いしますっ!」
「はいよ、毎度ありっ!」
特上の串焼きは並とは肉の部位が違うようで、柔らかくて噛むたびに口いっぱいに肉の旨みが広がる。
味付けは塩だけのはずなのに、なんでこんなに美味しいんだろう?
ああ、幸せだなぁ。
「串焼きは美味しかったか?」
公爵様が戻ってきた。
「はい!とっても美味しかったです。ありがとうございました!」
少しあきれたような表情の公爵様。
「屋敷で働いていた時には見たことのない笑顔だな」
「そうでしょうか?」
思わず首をかしげた時、公爵様が大きな旅行鞄を持っていることに気がついた。
「それ、どうしたんですか?」
「君と一緒に辺境伯家へ行くことにした。事情を説明する必要があるし、次期辺境伯殿にもしばらく会っていなかったしな」
あれま。
「執事さんと従者さんもご一緒ですか?」
「いや、彼らは先に王都へ帰らせることにした。君の件を調べさせたいからな」
え、ちょっと待って。
公爵様を1人だけ置いていってもいいの?
「あの、お世話する方がいなくても大丈夫なのですか?」
「これでも学生時代は寮生活だったので自分のことくらい一通りできる。それに君がいるだろう?辞める手続きをしたわけではないのだから、まだ我が家の使用人だ。君には王都に帰るまで私の世話係を命じよう」
そう言われたらしかたないな。
もうしばらく付き合うとしましょうか。
「かしこまりました、公爵様」
出発時刻になり馬車が動き出す。
「長距離の乗合馬車に乗るのは初めてだな」
「そうなんですか?」
「ああ。乗合馬車は学生時代に王都の中だけなら利用したことはあるんだがな」
執事さんと従者さんは公爵家の馬車で王都へ向かったそうだ。
それもどうなんだ?と思ったけど、私が口を挟む問題じゃないから黙っておく。
「次期辺境伯殿は学生寮で同じ部屋だったんだ」
公爵様は辺境伯家の若旦那様と昔から親しいと聞いていたが、そんな事情だったのか。
「あれ、でも学年は違いますよね?」
「ああ。次期辺境伯殿は2年先輩だな。今はどうか知らないが、当時は他の学年と交流を持つために別の学年で同室になるようになっていた。次期辺境伯殿のおかげで親しくなった先輩も何人かいる」
若旦那様は優しい方だから、きっとご友人も多いのだろう。
「次期辺境伯殿は長期の休みを終えて寮に戻ってくると、決まって幼い君の話ばかりしていたな。上手く話せるようになったとか、走るのが速くなったとか、もう何度聞かされたことか」
北の辺境の地では子供を地域ぐるみで大切にする。
辺境伯家の使用人棟で生まれ育った私は、辺境伯家のご一家や使用人達、さらには私兵隊の兵士達からもかわいがられた。
学生時代の若旦那様は、長期の休みになるといろんなおみやげを持ってきてくれて、たくさん私と遊んでくれた。
その後、公爵様から改めて私が辞める決断をするまでの経緯を詳しく聞かれた。
「事情はわかった。君の件は私から次期辺境伯殿に説明しよう。久しぶりに先輩の説教を食らうことになりそうだな」
苦笑いする公爵様。
若旦那様が怒っているところを見たことがないけど、学生時代の公爵様はよく叱られてたのかな?
やがて辺境伯家の領地の中心部にある馬車の発着所に到着した。
予告なしで来てしまったので、当然のことながら迎えはない。
「いきなり帰ったらみんなに驚かれるだろうなぁ」
公爵様と辺境伯家のお屋敷へ向かって歩きながら思わずつぶやく。
「それをいうなら私も同じだ。先触れもなくいきなりの訪問はマナー違反もはなはだしいな」
「辺境伯家はおおらかですから、たぶん大丈夫だと思いますけどね」
辺境伯家の屋敷の正門が見えてきた。
門番の私兵達がこちらに気付く。
「おおっ、嬢ちゃんじゃねぇか?!王都から帰って来たのか?」
「うん、いろいろとあってね。それより若旦那様はいらっしゃるかな?公爵様もご一緒なんだけど」
「おう、いるよ。すぐ伝えてくるから、ちょっと待ってな」
私兵の1人が屋敷の中へと走り去っていった。
「おかえり。そしてようこそ公爵殿。急な来訪には驚かされたよ」
エントランスで出迎えてくれた若旦那様は、微笑んでいるように見えるけれど目が笑っていない。
「大変申し訳ありません」
平謝りする公爵様。
「私は公爵殿と話があるので応接室へ行く。彼女も後で呼ぶが、着替えさせて少し休ませてやってほしい」
「かしこまりました、若旦那様」
指示されたメイド長が頭を下げた。
公爵様と別れ、メイド長に連れられて使用人棟へ移動する。
「おかえりなさい」
メイド長が歩きながら私に小声で話しかける。
「ただいま…お母さん」
「急に帰って来たと思ったら公爵様がご一緒だなんて本当に驚いたわ。あとでちゃんと事情を聞かせてね」
「…うん」
使用人棟の母の私室で、見覚えのないワンピースに着替えさせられた。
「お母さん、この服どうしたの?」
「辺境伯家の方々が貴女にと用意してくださってたの。誕生日にあわせて送るつもりだったんだけど、逆に貴女が来ちゃったわね」
辺境伯家の方々は私の誕生日に必ずプレゼントをくださる。今年はこのワンピースらしい。
「旦那様は今どちらへ?」
旦那様というのは現在の辺境伯様のことだ。
「国境沿いの砦へ行かれているわ。戻るのは早くても来週初めかしらね」
「できれば直接お礼を言いたかったけれど、ちょっと難しいかな」
「そうね。それならお手紙を書くのはどうかしら?」
母の提案にうなずく。
「うん、そうする」
ずっと雑に編んでいた髪をブラシでとかれながら母に帰ってきた事情を話す。
「なるほどね。それで貴女はどう考えているの?」
「まだ公爵様には話してないけど、この件はたぶん先代の公爵様からの今の公爵様への課題なんだと思う」
隠居して領地に移られた先代公爵様は、おそらくわざと問題となりそうな使用人を王都の屋敷に残していったのだろう。
そして私を送り出した辺境伯家もおそらくグルなんだろうなぁ。
「それで貴女はこれからどうするのかしら?」
「この件を片付けるためにいったん公爵家のお屋敷へ戻るつもり。その後のことは状況次第かな」
「公爵家のお屋敷が嫌になったわけではないのね?」
鏡に映った母が小首をかしげる。
「うん。問題の男性以外はいい人ばかりだし、仕事もここと違うことがいろいろあって勉強になる」
「そうね、私も若い頃は王都の貴族のお屋敷で働いた経験があるけど、ここよりも細かい仕事が多いでしょ?」
こくこくとうなずく。
「わかったわ。後は若旦那様と公爵様のお話次第かしらね」
しばらくして応接室に呼ばれ、うながされるままソファーに座る。
若旦那様はいつものようににこやかだけど、公爵様はなぜかかなりぐったりした様子だ。
「あの、若旦那様。このワンピース、ありがとうございます」
ますはお礼を言っておかないとね。
「うん、よく似合っているね。実は色とデザインを選んだのは妻なんだ。私だけ着ているところを見たと知ったらくやしがるだろうなぁ」
次期辺境伯夫人である若奥様は私兵隊の小隊長でもあり、今は義父である旦那様とともに国境沿いの砦へ行っているらしい。
幼い頃から私のことをかわいがってくれた人だ。若奥様にもお礼の手紙を書かなくっちゃ。
「さて、君が帰って来た事情は彼から聞いたよ。問題の使用人に関しては彼がきちんと対処すると約束してくれた。他にも彼にはいろいろ説教と助言をしておいたからね」
にっこり笑う若旦那様。
どうやら公爵様が消耗しているのはお説教のせいらしい。
「まずはいったん王都の公爵家に戻ってこの問題を片付けてくるといい。今日はこの屋敷に泊って、明日はうちの馬車を出してあげるから、それで王都へ向かうように」
「え、わざわざ馬車を?」
馬車の定期便を使う気でいたんだけどなぁ。
また牛肉の串焼きが食べられると思って楽しみにしてたのに。
「さすがに公爵殿に定期便乗り継ぎの旅はさせられないだろう?」
なるほど、それもそうか。
「それから夕食はいつもどおり一緒に食べよう。公爵殿には申し訳ないが、予定外の来訪で何の準備もできていないから我が家流に従ってもらうよ」
「急に来た私が悪いのですから、どうかお気遣いなく」
申し訳なさそうな表情の公爵様。
「何人か増えてもどうとでもなるから心配いらないよ。さて、夕食まで少し休むといい」
若旦那様がベルを鳴らすと執事さんがやってきて公爵様を客室に案内した。
応接室で若旦那様と2人きりになる。
「すまないね。面倒ごとに付き合わせてしまって。先代公爵殿から彼についていろいろ頼まれていたんだ」
「いえ、大丈夫です」
やはり先代公爵様と辺境伯家は組んでいたのか。
でも、いろいろということは問題の使用人男性以外にもまだ何かあるのかな?
「他の件はそのうちわかるだろう。今日はゆっくりしていくといいよ。みんな君に会いたがっていたからね」
夕食は若旦那様と公爵様と一緒に大食堂でとり、食後は使用人棟の談話室で使用人や私兵のみんなと話した。
とても楽しかったけど、私の幼い頃の言い間違いとか失敗談が山ほど出てきたのはちょっと困った。
翌日は私兵隊の朝の修練に参加する。
ここで働いていた時の私の日課だった。
若旦那様に連れられて公爵様も参加しているようだが、朝からよれよれみたいだけど大丈夫かな?
修練を終えて朝食前にメイド長である母に呼ばれ、真剣なまなざしを向けられる。
「これからもいろんなことがあると思うけど、貴女は自分で生きる道を選んでよいのですからね」
「はい!」
幼い頃から繰り返し言われていた言葉を改めて心に刻んだ。
朝食後、辺境伯家のみんなに見送られて出発した。
「公爵様、お疲れのようですが大丈夫ですか?今朝の修練にも参加されていたようですが」
屋敷が見えなくなったとたん、力が抜けたように背もたれに身体を預けた公爵様に尋ねる。
「ああ、確かにそれもかなりきつかったが、昨日の夕食後に次期辺境伯殿と酒を飲んで、そこでもたっぷりと説教をくらってな…」
あらら、お説教の第2回戦もあったのか。
この馬車には私と公爵様、そして顔なじみである古参の私兵が1人乗っている。
「嬢ちゃんに護衛なんざ無駄もいいとこだが、使用人とはいえ女性と公爵様が2人きりはまずいだろうという若旦那のご配慮でここにいるんで、そこんとこよろしくな。俺のことは空気とでも思っといてくれよ」
私兵の男性が説明した。
「もしかして彼女は強いのか?」
公爵様が私兵に尋ねる。
「ああ、旦那様や若奥様が本気で私兵隊に欲しがったくらいだからな。だが、本人は母親と同じメイドがいいんだとさ。小さい頃の嬢ちゃんに『欲しいものはあるか?』って聞いたら『おかあさんとおなじふく!』って即答してたもんなぁ」
今もそうだけど仕事している母の凛とした佇まいに憧れていたんだよね…というか昔の話はやめてほしいんだけどなぁ。
「いえいえ、私なんてたいしたことありませんよ」
「何言ってんだ、実戦経験もしっかりあるじゃねぇか。身軽さはうちでも上位だと思うがな。さすがに腕力は男共には劣るが、それを補えるだけの技量もある」
公爵様が驚きの表情を私に向ける。
「こんなに小柄なのに意外だな」
「身長はまだ伸びてる最中ですからねっ!」
辺境伯家では小さいことをからかわれまくっていたので思わず言い返してしまう。
「す、すまなかった」
公爵様に謝られてこちらもあわてる。
「こ、こちらこそ申し訳ございませんでした。あ、でも、小柄な方が相手も油断するのでやりやすいっていうのもあるんですよ」
そこから私と公爵様の雑談が始まった。
護衛の私兵は持参した本を読み始めて会話からは離脱している。
「辺境伯家では驚くことばかりだったな」
会話が途切れた時、公爵様がふとつぶやいた。
「そうですか?」
私はあそこで生まれ育っているから当たり前のことだらけなんだけど。
「まず辺境伯家の家族が使用人や私兵と同じ大食堂で食事をすることに驚いた」
昨日の夕食も今日の朝食も、若旦那様は公爵様を大食堂へ連れて来ていた。
いくつも並ぶ大皿料理から好きなものを取る仕組みだ。
「あそこで暮らせばみんな身内扱いですからね。あ、もちろん賓客用の食堂も別にありますよ。突然の訪問でなければ公爵様もそちらだったはずなんですが」
いかにも貴族らしい食堂もちゃんとあるのだが、年に数回使うかどうかといったところだろう。
辺境伯家の家族の誕生日だって大食堂でにぎやかに行われる。
「いや、むしろよいものを見せてもらったと思っている。人の家の普段の姿を見る機会などそうないだろうからな。そういえば朝の修練には君も含めて使用人も多数参加していたな」
「辺境の地は国防の最前線ですからね。戦力はいくらでもあった方がいいでしょう?」
私の母は没落した男爵家の三女で、今は亡き奥方様の侍女としてこの地にやってきたが、主である奥方様を守るために辺境伯家に来た当初から修練に参加していた。
奥方様が亡くなってからはメイド長として働いているが、実は槍の名手だったりする。
会話が途切れてしばらく経った頃、公爵様がつぶやいた。
「もしかして君はわかっていたのか?」
「えっと、執事代行の男性のことですか?」
ため息をつく公爵様。
きっと若旦那様から何か言われたんだな。
「やはりそうなのか」
「いえいえ、私は若旦那様から『王都の公爵家でしばらく働いてこい』って言われただけですよ。辺境伯家へ帰る馬車の中であれこれ考えて、ああそうだったのかな~と思っただけです」
「公爵位を引き継いでから外にばかり目が向いていて、家の中のことを何も考えていなかった。父はあえて手を出さなかったのだろうな。私がいつ気付いてどう対処するかを見るために」
おそらくそのとおりだろう。
そしてたぶん裏でフォローもしていると思う。
「次期辺境伯殿からも説教をくらったよ。『お前は昔から1つのことに気を取られると視野が狭くなって大事なことを見逃しがちだ』ってね」
がっつりへこんでいる公爵様。
「でも、ほら、気付いたんだからいいじゃないですか。失敗したと思ったら反省して次に生かせばいいんです。いつまでもくよくよしてると、それこそ大事なことを見逃しちゃいますよ?」
私の言葉に公爵様が苦笑いする。
「君はいつでも前向きだな」
「辺境伯家の旦那様がよく言われていることです。『まずは死なないこと。生きてりゃどうにか取り返す機会もある』って」
「ははは、そうだな。まずは問題を片付けて、使用人達の信頼を取り戻すところから始めようか」
公爵様は移動の休憩時に牛肉の串焼きの特上をおごってくださった。
なぜかお礼だと言われたけど、よくわからなかった。
数日の移動の後、王都の公爵家に到着したのはもう日が暮れる頃だった。
休む暇もなく問題の現場となった書斎に呼ばれた。
公爵様と執事さん、執事代行だった男性、そして辺境伯家から贈られたワンピース姿のままの私が揃った。
「陶器の収集は父の趣味で、隠居した父はコレクションのほとんどを領地へ持っていった。残っているのはたいして価値があるものじゃないし、いずれも私の趣味ではないから片付けてあったように思うんだが」
「ですが、壊れていたのは事実です!何年もこの公爵家に勤めている私より、ほんの数か月の小娘の言い分を信じるのですか?!」
あくまで自分の主張を押し通す気らしい。
「小娘か。君は彼女は辺境伯家からの紹介でここに来たことは聞いたのだろう?」
「それは聞いております。ですが、いくら辺境伯家で勤めていたとはいえ、所詮は使用人の小娘ではございませんか」
公爵様が苦笑いする。
「残念ながら、それは違う」
「は?」
「彼女は辺境伯殿の娘で、私のよき友であり敬愛する先輩でもある次期辺境伯殿の妹だ」
あ~あ、やっぱりバラしちゃったか。
執事代行の男性がバッとこちらを向く。
「本当なのかっ?!」
「ええ、まぁ」
母と辺境伯様は正式に結婚しているわけじゃないけど、今それを言っちゃうと面倒そうだから黙っておく。
「私の父と辺境伯家が相談して、この家の問題を解決するために彼女を送り込んできたというわけだ」
実際には具体的な指示を受けたわけじゃないけど、若旦那様は私がどう動くか予測済だったのだろう。
もっとも帰路で私と公爵様が遭遇するのはさすがに想定外だったとは思うけど。
「ああ、それから彼女がこの屋敷に来た理由はそれだけではない。私の婚約者候補として相性を見るためでもある」
「「 はぁ?! 」」
思わず執事代行の男と声がかぶってしまった。
やられた。
若旦那様が言っていた『いろいろ』とは、このことだったのか。
整った顔立ちで穏やかそうに見える若旦那様は、あれこれ画策したり人を驚かせるのが大好きで、時々とんでもないことをやらかしてくれる。
さすがに婚約話までは読めなかった。
「まぁ、その話はいったん置いておくとして、他にも不正に関する証拠はそこにいる執事が揃えてくれている。他の使用人達から金銭を巻き上げたり、横領もあるそうだな」
執事さんが書類を持った手を軽く上げる。
「君の選択肢は2つだ。
1つは正式に訴えて裁判沙汰とすること。有罪となれば君は犯罪者ということになる。当家の不名誉にもなるが、不正を正すためならしかたないと考えている。
もう1つは不正に得た金銭を弁済した上で、人手不足だという辺境伯家で1年間勤めること。1年経てば自由の身だ。
さて、君はどちらを選ぶかな?」
犯罪者と認定されれば罪を償っても今後まともな職に就くことは難しいだろう。
「…辺境伯家で働かせていただきたいと思います」
そりゃそうなるよねぇ。
「わかった。後のことは執事に任せる。ちょうど辺境伯家へ帰る馬車があるので、それに乗っていくといい」
笑顔で言う公爵様。
「ああ、それからもしも途中で逃げ出すようなことがあれば、すぐに訴えてお尋ね者になるから、そこのところは忘れないように」
執事さんがうなだれる男性を連れて書斎を出て行った。
辺境伯家で人手不足なのは使用人ではなく私兵隊だ。
あの男性は間違いなく私兵隊に入れられるのだろう。
公爵様がきついと言っていた朝の修練など軽い準備運動に過ぎない。
きっと逃げだす気力も体力も残らないくらい絞られるんだろうなぁ。
まぁ、どうでもいいけど。
「さて、この件はいったん終わりにしようか。そこのソファーに座りなさい」
公爵様に促されるままソファーに腰掛ける。
「さっきも少し話したが、次期辺境伯殿からは君を婚約者候補として寄越すと言われていた。表向きはあくまでメイドとしてだが」
あ、そうだ!
そっちの方が話の方が大事だった。
「公爵位を継いでから女性からのアプローチがすごくてね。手紙で愚痴をこぼしたら『仮でいいから婚約者を決めてしまえばいい。辺境伯の娘ならきっといい防波堤になるだろう』と提案してきた」
まったく、若旦那様ってば何を言ってるんだか。
「確かに最初はその案もいいかもしれないと考えていた。だが、君と旅をしてみて気が変わった」
さすがに仮の婚約者だとしても力不足と気付いたかな?
「仮ではなく、本当の婚約者になってほしい」
「は?」
「学生時代に読んだ本で『一緒に旅をすれば相手の本性が見えてくる』という記述があってね。馬車での移動時にいろんな話をして、君という人間を好ましく思い、一緒にいて心地よいと感じた」
確かに私も公爵様と話してみて、なんとなくどんな人かわかった気がする。
そもそも若旦那様が長年親しくしている人なんだから、きっといい人なんだろう。
だけど。
「あの、おそらくご存知かと思いますが、母と旦那様は正式に結婚しているわけではございません。公爵様の婚約者としては不釣合いなのではないでしょうか?」
「そのあたりの事情も次期辺境伯殿から聞いたよ。君の母君は『亡き主である奥方様の後釜に座るなんて出来ない』と固辞したそうだね」
「はい」
奥方様に絶対の忠誠を誓っていた母。
その奥方様を溺愛していた旦那様。
2人は今は亡き女性の思い出を語り合う仲だったが、いつしかそういう関係になり、私が出来た。
母は亡き主に申し訳なくて辺境伯家を去ろうとしたが、引き止められた。
『結婚が嫌ならそれでもいい。だが、生まれてくる子のためにもここにいて欲しい』と旦那様に説得され、使用人のまま私を産み育てた。
だから辺境伯家の使用人も私兵隊もみんな私の出自を知っている。
それでも使用人の子として普通に接してくれた。
「君は兄である次期辺境伯殿に似て頭の回転も速いようだし、若いのに自分というものをしっかり持っている。おまけに腕も立つようだ。こんな面白い女性はそうそういないだろう?」
結婚相手を面白いで決めていいのか?
「もちろん今すぐ返事が欲しいとは言わない。まずは私が目を向けずにいたために崩れてしまったこの家の内部環境を再構築しなければならないからな。君もぜひ協力して欲しい」
「かしこまりました」
しばらく働いてみて、もっとこうした方がいいのにと思うところがいくつかあった。
意見が通るかどうかわからないけれど、提案してみるのもいいかもしれない。
婚約とか結婚はまだ先の話なんだから、まずは目の前の問題を片付けないとね。
公爵家の立て直しは意外と早かった。
先代公爵様とともに領地に移った古参の使用人のうち、何名かが王都の屋敷へ戻ってきたためだ。
おそらくそこまで含めて先代公爵様の作戦だったんだろうけどね。
そんな古参の使用人達は、一番下っ端の私にも丁寧に仕事を教えてくれる。
ただ押し付けるのではなく、なぜそうしなければならないかを説明してくれるから、納得できるし理解もしやすい。
そして辺境伯家ではこうしていたと話すと、問題なければ積極的に取り入れてくれた。
公爵家がすっかり働きやすい職場環境になった頃、私は公爵様の書斎に呼ばれた。
「辺境伯家は君との婚約を認めてくださった。ただし1年間は仮の婚約だそうだ」
どうやら公爵様は本当に婚約の申し入れをしたようで、正式な回答があったらしい。
公爵様から渡された手紙には旦那様の力強い文字が並んでいた。
1年間はメイドとして働きながら公爵様の人となりを見極めること、そして申し出を受けるかどうかは私が決めていいそうだ。
さらに驚いたことに母が旦那様の求婚を受け入れたとのこと。
『これからは旦那様ではなくお父様と呼ぶように』
手紙の最後にはそう書かれていた。
もう1通手渡されたのは若旦那様からの手紙だった。
旦那様は『もうすぐ家督を譲って辺境伯ではなくなるから、ただの隠居爺の世話をしてほしい』と言って母を口説き落としたそうだ。
さらに私の婚約話にも触れて『正式な辺境伯家の娘とした方が今後のためにもよいだろう』と言ったとか。
旦那様、母を口説く材料に私を使ったんだな。
そして若旦那様からの手紙の最後にもこう書かれていた。
『今後はお兄様と呼んでほしい。そして妻も君からお姉様と呼ばれたいそうだ』
仕事が休みの日。
メイドの先輩と休みが合えば一緒にカフェで甘いものを食べたりするけれど、今日は1人なので王都で一番大きな公園へ出かける。
「おじさん!牛肉の串焼きの並を1本ください!」
「はいよっ!」
屋台の牛肉の串焼きを頬張る。
もちろん甘いものも好きだけど、やっぱり肉は別格だよね。
この公園で肉を扱う屋台をすべてまわるのが当面の私の目標だ。
鶏肉や豚肉もいいんだけど、やっぱり足は牛肉に向いてしまう。
「やぁ、奇遇だね」
どこからともなく現れる公爵様。
本当は屋敷を出るところから後をつけられていることに気づいているけど黙っておく。
屋敷では雇い主と使用人という関係だけど、公爵様が言うには外に出たら仮の婚約者同士なんだそうだ。
よくわからないけど、まぁいいか。
「本当に肉が好きなんだな。君が望むのなら王都で最も有名な料理店で最高級の肉を食べさせてあげるのに」
半ばあきれたように言う公爵様。
実はその手の申し出はすべて断っている。
「私は使用人ですから、これでも十分なご馳走なんですよ」
そう答えつつ肉にかじりつく。
んんっ、幸せだなぁ。
1本食べ終わったところで公爵様がご自分のポケットをごそごそと探る。
「私も君の幸せを体感してみたいので、君と私の分を買ってきてくれないかな」
そう言ってお金を手渡される。
これもいつものお約束。私が1本だけじゃすまないことを知っているから。
そして再び屋台に向かう。
「おじさん!牛肉の串焼き、特上2本お願いしますっ!」
「はいよ、毎度ありっ!」
公爵様と並んでベンチに座って串焼きにかじりつく。
「うん、これは確かに美味しいね」
「でしょう?!」
公爵様が牛肉の串焼きの美味さを理解してくれて嬉しいな。
「君のその笑顔もいいよね」
「は?」
公爵様が笑顔でおかしなことを言い出す。
「きっとこうして2人で食べるから美味しいと思うんだ」
「ん~、まぁ1人きりよりは2人の方が楽しいですかね」
屋敷の外で話す公爵様は、とても気さくな方だ。
たまに私が生意気なことを言ってる気もするけど、いつも笑顔で受け止めてくれる。
婚約とか結婚なんてまだ考えられないけど、こうして一緒にいるのも悪くはないかな、と思っている。
「あ、そうだ」
牛肉の串焼きを食べ終えてポケットをまさぐる。
「これ、さっきのお釣りです」
お金を返そうとすると公爵様は首を横に振った。
「それで何か食べたいものがあれば食べていいよ」
では、遠慮なく。
「おじさん!牛肉の串焼き、特上もう1本!」
美味い肉さえあればいい 中田カナ @camo36152
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