エピローグ

 事件の真犯人が捕まったとマスコミ報道された後、警察はもちろん三郷達も凄まじい騒ぎに巻き込まれた。それでも彼女は激しい取材攻勢を掻き分け、九竜家の名が地に落ちた中、本来の仕事である会社売却に向け動いていたようだ。

 当初は足元を見る企業もあったという。しかし彼女の手腕や事件の裏にあった真の背景が明らかになった結果、正当な評価額で無事売却出来たと聞いている。もちろん社員全員の雇用も守られた。

 兵頭部長を筆頭として、会社の社員達の多くは売却に対して当初消極的だったらしい。だが敏子夫人のお腹に、二十年前に久宗氏の凍結した精子と彼女の卵子を体外受精して成功した子供がいると聞き、状況は一変した。

 元々会社売却は九竜夫妻が人生百年時代を迎えるに当たり、改めて子供を産んで育てたいとの想いから生じた計画だった。そこでアメリカに渡り、二十年前の凍結卵子と精子で体外受精を試みた所、無事成功したのだ。

 そこで会社を手放し、子供と三人でのんびり暮らそうと決めたのである。もちろん従業員達に迷惑が掛からない条件で交渉するよう、三郷は依頼を受けていた。その事を知った兵頭部長達は、積極的に協力するようになったという。

 ただ敏子夫人が高齢な為、安全に出産できるか不安要素を抱えていた。その為問題なく子供が生まれ帰国するまでは、隠し通すことにしたのだ。

 それはそうだろう。世界一の高齢出産としては、七十三歳のインド人女性が体外受精で双子の女児を産んだ例があったとはいえ、決して成功率の高いものではない。

 凍結卵子を用いた世界初の出産例は、一九八六年のオーストラリアで報告されていた。これは九竜夫妻が二十六歳と二十四歳の時だ。そうした例もあり、二人は不妊治療を続けた上で二十年前にアメリカで卵子と精子の凍結をしたが、そのままにしていたという。

 凍結卵子を用いた体外受精の成功率は、卵子を採取した時点の年齢によって差がある。そこで敏子夫人は、三十八歳の時に凍結保存する決意をしたらしい。その後二〇一七年にアメリカのテネシー州で二十五年前の凍結卵子を解凍し、体外受精に成功した例が報告されている。

 そうした事例等も影響し、久宗氏が還暦を迎えた事をきっかけに最後のチャンスだと思ったのだろう。夫人と一緒に渡米し、かつて凍結し残した卵精子の体外受精に挑戦した。その結果奇跡的に成功したことで、敏子夫人は長期入院することになったのだ。

 九竜夫妻の間に子供が生まれたとなれば、相続人は変わる。胎児であっても、妊娠八週目から相続権が発生するからだ。久宗氏が遺言書を破棄したのは、その期間が過ぎたからだという。

 しかしその理由を伏せたことで、後に不幸な事件が起こるとは誰も想像できなかった。しかも久宗氏が殺害された時、敏子夫人は妊娠五か月前後だった。通常の妊婦であれば、飛行機への搭乗も出来たに違いない。

 だが万が一の事態を考え、彼女は無事出産することを優先した。よって泣く泣く帰国を断念し、葬儀に出ることも諦めたのだ。これも久宗氏が残した大事な子供を第一に考えての、苦渋の決断だった。

 九竜夫妻に子供ができた事で、遺産相続は配偶者の敏子夫人とその子供が二分の一ずつ受け取ることになった。よって一久や甥、姪達に遺産が渡らなくなったのだ。

 つまり一久が受け取る多額の遺産を奪おうと目論んでいた菜月の計画は、殺害前から脆くも崩れていたのだ。その為事実を知らされた二人は、自白し始めたのだろう。

 また長谷卓也の取った行為も同じく無駄な事であり、秘密を保持した為に起こった不幸な出来事と言える。そこで長谷だけでなく一久や菜月が逮捕されたことを機に、子供を妊娠している事実を公にした方が良いと、三郷は敏子夫人を説得したのだ。

 テレビ電話で状況を聞いた彼女は、それを了承した。その要因の一つは、菜月が久宗氏を殺したと自供しながらも、襲われたことによる正当防衛だと明らかに嘘と判る供述をしていたからだろう。

 久宗氏がEDだったという余り公にしたくない事実を伝えてでも、彼の名誉を守ろうと考えたに違いない。また何故殺されなければならなかったのか、その真実を明らかにする為には、それしかないと三郷が強く訴えたからでもあった。

 真犯人とその動機を明らかにし、自白を引き出すことが出来た為、彼女は自らの無実を証明しただけでなく、顧客の信頼も保つことができた。その上当初の依頼通りに遂行した仕事について、高い評価を受けることもできたようだ。

 ちなみに相原は、保険会社を通じて手数料のキックバックを求めていた事が発覚し、解雇となった。また杉浦や沼田についてはPA社から保険会社に対し苦情を申し立て、担当変更を余儀なくされたらしい。その後社内でも処分を受けたと聞いている。

 さらに本社による指示で、八条などの社員も多数異動させられたという。何故なら事件を機に事務所の内情を知ったことで、従業員を大幅に入れ替える荒業に出たようだ。

 おかげで職場の雰囲気は一気に改善され、三郷も働きやすくなったらしい。しかし引継ぎの仕事などが増えた彼女は、しばらくの間仕事に忙殺されることとなった。

 それがようやく落ち着いたところで、元気な赤ん坊を産んだ敏子夫人が無事帰国した。すると三郷だけでなく、吉良達は彼女の家に招待されたのだ。それは子供を披露する名目だけでなく、事件を解決してくれたことへのねぎらいと菜月達のその後等を尋ねる為だった。

 夫人が帰国した頃には起訴された一久は、裁判の結果を待つばかりの状態だった。検察からの情報によると、恐らく菜月に脅されていたことから情状酌量の余地があるとはいえ、殺人の共犯として十年前後の実刑は免れないだろうとのことだった。そうなると彼の年齢からすれば、生きて刑務所から出てくることは叶わないかもしれない。

 さらに問題だったのは、菜月が事件を起こした裏の動機が明らかになったからだろう。というのも別件捜査していた事が、取り調べにより全て明らかになったからだ。実は寺内の夫や娘を調べていた捜査員が、アリバイを見つけられなかった代わりに、菜月が父親から虐待を受けているらしいとの情報を掴んでいた。

 どうやら休職して家に籠っていた父親は寺内が働きに出ている間、学校から帰ってきた娘に時折怒鳴るようになったらしい。強いストレスと躁状態からくる反動から、そうした行動を取り始めたのだろう。

 やがてそれがエスカレートし、暴力を振るうようにもなったようだ。また寺内はその事を薄々気付いていたというから質が悪い。

 そうした家庭不和があった為彼女は夜遊びをするようになり、遅く家に帰っていたのも父親からの暴力を受けない為だろう。出会い系サイトを通じて売春までし始めたのは、お金さえあれば両親から逃げられると考えていたのではと本部は判断した。

 また事件後、一久とは当然ながら夜遊びをしなくなったことから、事件との繋がりが発見できず、関係ない別件として生活安全部が捜査していたのだ。しかし三郷の証言から状況が一変し、彼女や寺内と夫から供述を引き出した。結果両親共児童虐待防止法違反の疑いで逮捕されたのだ。

 寺内家の近所にある公園で発見された樹木の傷は、元々菜月がいつか父親を殺してやろうと思い、千枚通しを使い突き刺した練習の跡だったという。しかし一久と出会ったことで、殺害計画の相手は父親から久宗へと変わったようだ。

 彼女が途中から取り調べに応じたのは、子供の事を知ったからだけでなく、罪に問われることで全てを打ち明けることが出来ると思った為だと告白した。吉良達は彼女の変貌ぶりに違和感は持っていたが、やはり裏の事情があったと後で耳にした。

 しかも彼女が久宗を十数ヵ所もハサミで刺し殺せたのか、その時の心境も聞き出せた。供述によれば、憎い父親だと思い込み彼の胸を千枚通しで刺したらしい。その後はかつて出会い系サイトで男達に襲われた時の恐怖心と、父親に対する怒りを爆発させた結果、あのような残忍な行為が出来たそうだ。

 菜月の処遇も家庭裁判所による精神鑑定を経た上で、二年間までの行動の自由を制限するとの条件の下、児童自立支援施設への送致が決まっていた。両親にも実刑が出ると言われていた為、彼女は最低でも十八歳を過ぎるまでは施設で暮らすことになるはずだ。 

 彼女の精神状態は不安定とはいえ、障害があるとは認められなかった。よって事件は、おおよそ想像された通りの結末を迎えていた。

 二十畳はあるだろう広い客間の片隅に置かれたベビーベッドで、赤ん坊は眠っていた。ふっくらとしてとても柔らかそうな頬をほんのり赤く染めて、静かに目を瞑っている。訪問したのがお昼過ぎだったので、食事も終わりお昼寝の時間だったからだろう。

 部屋から外に視線を移せば、これまた立派な純日本庭園が広がっていた。さすが九竜家と思わせる壮大さながら、眺めるだけで心を落ち着かせてくれる優雅さを兼ね備えていた。

 しかしそれをはるかに上回るほど三郷や松ヶ根を和ませたのは、寝ている彼だ。可愛い男の子で、とても元気そうに見える。産まれた時の体重は三千グラム弱で、心配されていた健康状態も全く問題なかったそうだ。

 掛け布団からチョンと出した手が、余りにも小さかった。おそらくただ見つめているだけで、幸せな気分に浸ることが出来たのだろう。三郷はずっと眺めていた。

 その為夫人から声がかかった。

「どうぞこちらでお茶でも飲みながら、少しゆっくりされたらいかが」

 普通なら畳に腰を下ろした状態でも、赤ん坊の顔が見える高さのベッドだ。柵はあるけれど、その間にも隙間があるので覗こうと思えば可能だった。しかし三郷は背が低い。よって子供の顔を上から良く見るには、膝を立てなければならなかった。だからだろう。ずっと無理な態勢でいたことを気の毒に思ったらしく、そう声をかけたと思われる。

 少し離れた場所に置かれた立派な黒いテーブルで、既に見飽きた吉良は胡坐を掻いていた。お茶をすすり出されたお茶菓子をぼりぼりと食べながら、正面に座っていた夫人と目を併せ、互いに苦笑いをしていた。

 何故なら赤ん坊を既に三十分程見続けていたのは、彼女だけでなかったからだ。強面の松ヶ根さえもが畳に腰かけて、かぶりつくように身を乗り出していた。その為吉良は彼をからかかった。

「そんな鬼のような怖い顔をして、食べないでくださいよ。今寝ているからいいですけど、起きたら絶対に泣いちゃいますから、気を付けてください」

 二人揃ってなかなかベッドから離れない様子を見て、さすがの夫人も呆れたのかもしれない。吉良の軽口を聞きながら、笑いを堪えていた。

「すみません。それにしても、すごく可愛いですよね」

 三郷の言葉に彼もまた頷いた。

「あなた達は本当に、子供が好きなのね」

 彼女の言葉を否定しなかったが、素直に肯定もし辛かったのだろう。彼女はただ笑って返していた。それは彼も同じだったらしく、やや困惑した表情をしながら肩を掻いていた。 

余りしつこく眺めているのも迷惑だと思い、ようやく二人は吉良達がいるテーブルへと移動した。すると夫人が言った。

「二人の気持ちは良く判るわ。私も長い間子供が持てなかった分、人の子を見ただけでもすごく愛おしく思ったもの。日香里が小さかった頃なんて、本当に今のあなた達と同じだったわ。丁度私達が最後の冷凍卵子と精子を残してアメリカから帰って来た頃、あの子が産まれたのよ。その後に智美さん達が事故に遭って、家の中がバタバタしちゃったでしょう。だから子作りなんて気分にもなれず、そのまま諦めちゃったから」

 二十年前と言えば長谷卓也が事故を起こし、一久の長女が亡くなった頃だ。その年に次女は日香里を出産し、九竜夫妻も妊活を終了させたことになる。三郷も不妊治療の真っ最中であり、別の意味で苦しんでいた時期と言えるだろう。

 後に判明したが、三郷は仕事の依頼を受けてから早い段階で、九竜夫妻に対しプライベートを打ち明けていたという。というのも九竜家を紹介してくれたマンションの大家に、過去の苦労話を少しばかり告げた事が、全てのきかっけだったらしい。

 最初は隣人の夫婦喧嘩から始まった。三郷の部屋は大家の部屋から最も遠い位置にある。だが大家の部屋からすると斜め上の部屋で大声を出していた為、その騒ぎには気づいていたという。

 また三郷が当初壁を叩いたこともあり、大家は彼らの所へ注意しに訪ねた事があった。だがそこで喧嘩の理由を聞き、余り深入りしてはまずいと思ったのだろう。何故なら、大家夫婦にも子供ができなかったとの苦い過去があったからだ。そこで喧嘩するにしても少し声を抑えるようにとだけ注意した後、三郷の部屋を訪ねて経緯を話した。

 大家として揉め事は避け出来るだけ穏便に済ませたいと、お願いしたそうだ。その時には既に喧嘩の理由が子供の事だと気付いていた彼女は、大家に大丈夫ですと答えた。

 そこで成り行き上自分も昔苦労したのだという話になり、大家夫妻もそうだと聞いて意気投合した。そこから九竜家に繋がったのは、マンションが建つ土地はかつて一久の祖父が亡くなった際売りに出された場所で、大家がそこを購入したからだった。

 それだけでなく、敏子夫人もまた子供に恵まれない境遇にあったことから、近所である大家と共通の話題を通し親しくなった。また平屋建ての一軒家が古くなったことからマンションへ建て替える計画になったのも、九竜コーポレーションに相談した為らしい。

 その後二十年前に凍結した卵子と精子の体外受精成功したことをきっかけに、九竜家の財産整理の話が持ち上がった。そこから三郷が資産運用の仕事をしている事を知っていた大家は、九竜家を紹介したという。

 彼女は赤ん坊の寝姿を見ながら、夫人の言葉に答えた。

「子供って、とても愛おしいですよね。小さいというだけで、無条件に可愛いと思ってしまいます。それだけじゃなく、あの無邪気で無防備な姿に、無限の可能性を秘めている。だからこそ守ってあげたくなり、行く末が気になるのでしょうね」

 すると夫人は、遠慮気味に言った。

「もしかして、子供は産まないと選択した事を後悔しているの?」

 だが彼女は首を振った。

「それはありません。もちろん社長があのようなお子さんを出産されたことは、正直羨ましいです。だからといって、自分があの時子供を産んでいれば良かった、とまでは思いません。今考えても、間違っていなかったと確信しています。もし産んでいれば、また違った人生を送っていたでしょう。でもそうなっていたら幸せだった、と言える自信は全くありません。もしかすると自分だけでなく、子供さえも不幸にしていたかもしれません」

 夫人は悲しげな顔で質問した。

「あの寺内という女性のように、ですか」

「極端な例でしょうが、決して他人事には思えませんでした。子供は親の所有物ではないけれど、自分があの様にならなかった確証なんて、ありませんから」

「そんなことはないと思うわよ」

「いいえ。当然ですが寺内さんだって、最初から菜月ちゃんをあのような子に育てようとした訳ではないでしょう。子供を産むことに苦労し、ご主人が病に罹った等の様々な条件が重なった結果です。私が二重人格という特殊な障害を持ったことも、自分ではコントロールできませんでした。人の未来なんて、一歩先に何が起こるか予測できない事が多すぎます。だからこそ面白いという面もあるのでしょうが、一歩間違えれば地獄です。幸い私は、人や環境に恵まれてここまで来たのだと思います」

 しかし夫人は彼女に優しい言葉を彼女にかけていた。

「もちろんその間にあなたがしてきた努力や、それに伴う振る舞いや考え方が現在を創ってきたのでしょう。運も実力の内と言います。あなたが今幸せと思っているのなら、それは自分自身が引き寄せたものだと思いますよ。それにこう言っては何ですが、寺内さんという方は、どこかで努力の仕方を間違ったのでしょう。もちろん自分の力ではどうにもできない不幸が、身に降りかかることはあります。ただそれは誰しも起こりえる事でしょう」

 九竜家の事を言っているのだと判った。夫人も長女を事故で、次女を病気で失ったのだ。一久の妻も亡くなられている。彼女は続けて言った。

「ですからお義父様が犯した過ちを、正当化することはできません。あくまでご本人の心の弱さが生んだ、大きな過ちです。もちろん私達が子供を産もうとした事を隠したから、起こった事件かもしれません。ですが途中で引き返す機会は、何度もあったはずです。それは菜月さんだってそうでしょう。人は必ず過ちを犯すものです。ですがその後どう動くかによって、未来は決まります。より悪化させるのか、何とか踏み止まるのか。最後はそこに心があるかどうかでしょう。大事なのは、人を不幸に巻き込むかどうかだと思います」

 三郷は頷いた。

「そうかもしれません。だからといって、一人で抱え込み自殺するのも間違いですよね。それも周囲の人達を傷つけ、更なる不幸な人を生み出します。下手をすれば次の死者を出すことに繋がる事だってありますから。私も心の病にかかった際、それだけは止めようと、心に誓ったことを覚えています」

「あなたがそう思って生き続けてきたからこそ、私達は出会えたのですから」

 そこで、それまで黙っていた松ヶ根が語り出した。

「私も後悔していません。自分のような障害を持つ人間の遺伝子を残すことに、う~、抵抗があったからです。三郷さんの言う通り、産んでいたら別の人生があったでしょう。それは思っていたよりも決して不幸ではなく、幸せだったかもしれない。でもその勇気が持てなかった時点で、自分の選択は正しかったと思っています。九竜夫妻が選んだ道もあったかもしれない。もちろんそれを否定するつもりはありませんし、人それぞれの道があります。経済環境も違いますから。ただそれを色々いう人達もいるでしょう。ですが少なくとも、ここにいる私達は応援していますし、そういう社会であって欲しいと思います」

 彼の言う通り、夫人が子供を連れて帰国した際は、事件の件も含めてマスコミの手で世間に大きく広まった。

 そこで金にものをいわせただの、六十近くにもなって子供を産んでちゃんと育てられるのか、子供が可哀そうだろう、そのせいで夫が殺されたんじゃないか、十二歳の子を殺人犯にしてしまった等々、心のない言葉が多数浴びせられたのも事実だ。

 周辺では応援する人の方が、圧倒的に多かった。それでも自分達は味方だと言いたくて、今回彼女のお誘いに松ヶ根は応じたと言っても過言ではない。

 夫人は彼に頭を下げていた。

「有難うございます。あなたも三郷さんと同じく、障害をお持ちなんですってね。それでも代わりに得た能力を、仕事に活かしていると伺いました。今回もあなた達の活躍のおかげで夫の名誉を回復し、事件の真相を明らかにして頂きました。改めてお礼を言います」

「いいえ。私達だけでは解決できませんでした。三郷さんの協力があったからこそです」

「そのようですね。三郷さんにも改めてお礼します。ありがとう」

「いえ。滅相もありません。お役に立つ事が出来ただけで、十分です。それにあんな可愛い赤ん坊が見られたのですから、こちらこそお礼申し上げます。有難うございます」

「本当ですね。私もそう思います。三郷さんと同じく子供を持たなかった身としては、この世に新しく生を受けた子全てが、う~、とても尊く感じられます。だからこそ私達は大人として、彼らにもっと美しいものを見てもらいたい。世の中は素晴らしいものだと感じて欲しい。その為に犯罪が起こらない社会へ少しでも近づくよう、努力するのが自分の与えられた使命だと思っています。そうだよな」

 松ヶ根に話を振られた吉良は、頷きながら正直に告白した。

「はい。今回の事件が無ければ、そんなことは考えなかったかもしれません。結婚して子供がいるなんて、当たり前だと思っていましたから。でもそうではないと気付かされました。だから妻や子供を大事にしようと心を入れ替えたのです。そうしたら、今度二人目の子を授かることが出来ました」

「そうですか。それはおめでとうございます。良かったですね」

 夫人はとても柔らかい表情で、お祝いの言葉を述べてくれた。しかし松ヶ根が余計な口を挟んできた。

「実はこいつ結婚して子供もいるのに、出会い系サイトで主に年配の女性を相手に遊んでいたんですよ。でも今回の事件で寺内菜月のような子がいると知り、怖くなったようです。子供を産むことの大変さも今回の件で、学んだんじゃないですか。念の為に言っておきますが、金銭の授受など法を犯すことはしていませんでした。それは既に確認済みです。それに三郷さんの推理力や豊富な知識にも、感心したようです」

 そこで吉良は付け加えた。

「それだけじゃないですよ。見た目のギャップだけでもすごいのに、二重人格者なんてキャラが加わったらお手上げです。これまで出会い系サイトで年上の女性とは沢山会いましたが、三郷さんのような人は初めてです。色んな意味で女性の恐ろしさを知りましたよ」

 彼女はぷっと吹き出しながら、叱り口調で言った。

「失礼な人ね。でも危ない遊びから足を洗った事だけは褒めてあげる。でも刑事なんだから、もう少し自覚を持ちなさい。馬鹿なことをしてないで、もっとやることがあるでしょ」

「はい、そうします。これからは家庭を大切にします」

「それはいい事ね」

 ここで四人は笑った。三郷と松ヶ根は再び、ベビーベッドで横たわる赤ん坊を見た。彼はこちらの騒ぎに驚いて起きることもなく、静かに眠っている。柵の間から覗かせているその姿が、いつまで見ていても彼らには飽きないものなのだろう。

 しかし吉良もここで考えさせられた。この幸せなひと時を噛み締めることができない久宗氏の無念さは、想像もできない。それは夫人も同様のはずだ。二人で仲良く寄り添いながら彼を見つめているだけで、幸せだったに違いない。

 そうしたあるべき人生を奪った一久や菜月の事を思うと、怒りが湧いてくる。と同時に、そうした犯罪を止められない警察の無力さにも腹が立った。

 あくまで事件が起こってからしか動けないのが、自分達の仕事だと理解している。それでも今回のような予想を上回る悲劇が起こった事で、やり場のない気持ちが生じた。それでも出来る限り被害者遺族に寄り添い、出来る限り全力を尽くすしかない。

 敏宗としむねと名付けられた無垢な寝顔に癒されている松ヶ根達の姿を見ながら、吉良はそう強く心に誓っていた。(了)

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九竜家の秘密 しまおか @SHIMAOKA_S

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