第六章 真相の究明

 一旦三郷には帰って貰い、二人は早速取調室へと向かった。最初は一久からだ。担当取調官は交代を渋りながらも、上の命令だからと席を譲ってくれた。

 松ヶ根が椅子に座り、吉良は被疑者の斜め後ろに立つ。強面の刑事に突然変わり戸惑う相手を無視し、彼は話し始めた。

「先程三郷真理亜さんから、重要な事実を知らされました。それをお伝えした上で、改めて話を伺います。早速ですがあなたは、久宗氏の殺害に関与していた。動機は寺内菜月から妊娠したと聞かされ、認知するよう脅された。それが久宗氏にバレた。違いますか」

「何を馬鹿な。彼女とはそういう関係など無いと、何度も言っているだろう」

「念の為今後病院で検査する予定ですが、彼女の母親によると最近生理を迎えたばかりだそうです。つまり妊娠は嘘でしょう。ですが例えあなたの子を彼女が身籠っていたとしても、久宗氏の資産があなた達に渡ることは決してありません」

「なんだと?」

「それはどちらに対しての質問でしょう。寺内菜月が妊娠していない事ですか。それともあなた達が資産を受け取れない件ですか」

 狼狽えた彼は、慌てて言った。

「もちろん後者だ」

「おかしいですね。あなたは元々持っていた資産を、わざわざ息子に引き継いだ。なのに何故今になって資産を受け取れないと言われ、確認しようと慌てるのですか」

「そ、それは久宗が破棄した遺言書以外に、別のものを用意していたのかと思っただけだ」

「本当は妊娠が嘘と知り安心し、何故遺産が手に入らないのかを聞きたかったのでは?」

「違う」

「いいでしょう。病院での正式な検査結果が出てからになりますが、間違いなく妊娠はしていない。あなたからお金を引き出す為の方便だったようです。また遺産の件ですが、新たな遺言書はありません。久宗氏が遺言書を破棄した理由は、必要が無くなったからです」

「どういう意味だ」

 そこで松ヶ根は三郷から得た情報を彼に伝えた。当然知らされていなかった為か、驚愕の余り言葉を失っていた。しばらく経ってようやく口を開いた。

「本当なのか」

「はい。だから敏子夫人は愛する夫が殺されたというのに、涙を飲んで帰国を諦めた。その理由はあなたも聞かされていなかったので、不思議に思ったでしょう。しかしようやく全ての理由が、理解できたのではないですか」

「そうだったのか」

「そうです。ただ万が一の事態もあるので、時期が来るまで三郷さん以外には口外しなかった。それが災いし今回の事件が起きた。あなたが知っていれば、十二歳の子に惑わされる必要などなかったでしょう」

 一久は頭を抱え震え出し、大声で叫びながら机に顔を伏せた。

「ああ。私は何て事をしてしまったんだ!」

 心の奥底から湧き出ただろう慟哭どうこくが止むまで、吉良達は黙って彼の姿を見守っていた。どれくらい経っただろう。ようやく彼が顔を上げた。涙を拭いて貰おうと、吉良が自分の持っていたハンカチを手渡す。彼は小さく頭を下げて受け取り、目頭を押さえた。

 落ち着きを取り戻した様子を見て、松ヶ根は言った。

「久宗氏はもういません。でも敏子夫人が無事帰国されたなら、ご夫婦が望まれていた穏やかな老後を過ごさせたいとは思いませんか。その為だけでなく、あなたや寺内菜月の将来を考えても、全て正直にお話頂いた方が良いのではないですか」

 彼は頷いて、ポツポツと話し出した。

「私は馬鹿だった。素直に自らの罪を償う必要がある。刑事さんの言う通りです。私はあの子と関係を持った。最初は本当に、若い子と話をしたかっただけだった。お金さえ支払えば、彼女達は私を邪険にすることもなく、優しく接してくれた。寂しかったんだ」

 早くに大事な娘を事故で亡くし、幼かった孫二人と疎遠になったことも影響していたらしい。後継ぎとなる息子夫婦に子供ができなかった為、余計そう感じたのだろう。その分唯一の孫として、日香里の事は可愛がったようだ。

 しかし子供の成長は早い。彼女もすぐに大きくなった。その間に妻を失い、その上次女まで三年前に病死したのだ。また息子の久宗は仕事が忙しく、妻の敏子夫人は体の調子を見てもらう為にと詳しい事を告げられず、海外に行ったままになった。一年近く帰って来ず、彼の近くには家政婦の稲川だけしかいなくなった事も、孤独感に拍車をかけたようだ。

「だから出会い系サイトを、利用するようになったのですね」

「そうだ。使い方はリハビリ仲間から教えて貰った。同じような年の男達でも、そういった欲はあるものだ。私も麻痺していた体が順調に回復し、車の運転に支障がない程だった。それで試してみようと思って始めたんだ」

「寺内菜月と会ったのは、半年前でしたね」

「ああ。その前に三人と会った。それなりに楽しめたが、また会いたいとは思わなかった。しかし彼女は違った。初めて会った時には驚いた。余りにも幼いので、自分の立場も忘れて説教をした位だ。それまでの子は、皆大学生かせいぜい高校生ぐらいだったからな」

「そんな彼女と何故、頻繁に会うようになったのですか」

「身の上話を打ち明けられたからだ。可哀そうだと思ったよ。自分の意思でなく、親の見栄で受験させられた学校を、今度は親の都合で辞めさせられるかもしれないとな」

「彼女の父親が体調を崩し、会社を休み始めたからですね」

「そうだ。それでも彼女は、夜遅くまで塾に通っていた。授業について行くには必要だと言ってな。だがいずれ辞めさせられるのなら、塾なんて行きたくないと彼女は思っていたようだ。それでも母親はまだ大丈夫だと言い続け、塾通いをさせていた」

「そこで反抗をしだした。塾をサボり、夜遊びし始めたのですね。やがて友人に誘われて出会い系サイトでパパ活をするようになり、自分でお金を稼ぐ事を覚えた」

「そうらしい。だがあのようなものには危険が伴う。彼女も酷い男に捕まり、無理やり肉体関係を持たされたこともあるそうだ。それから会う相手は、万が一の事が起こっても抵抗できる、高齢者ばかりを選ぶようになったらしい。そんな中で私と出会ったんだ」

「あなたがこの周辺の大地主だということを、彼女は最初から知っていたのですか」

 彼は首を振った。

「いや、最初は知らなかったと思う。何度か会って話す内に、気を許したのだろう。向こうから、家庭の事情を話してくれたんだ。そこで私も家のことを喋った。すると母親から、九竜家の存在を聞いた事があったらしい。すごいお金持ちなんだね、と言われたよ」

 そこから今は資産のほとんどが、息子夫婦や彼らが経営する会社のものになっていると説明したらしい。よってお金については、多少持っている程度だと教えたそうだ。すると彼女は勉強熱心で、相続の事などをネットで調べ出したという。そこで彼は色々質問され、答えたと供述した。

「そうやってあなたが家の事情を話す中、どうすれば莫大な資産を手に出来るか、彼女は考えていたのでしょう」

「そうかもしれない。子供がいる場合やいない場合、兄弟がいる場合や先に子供が亡くなったたらどうなるか等についても、聞かれた事がある。彼女の家は経済的な事情で、苦しんでいた。お金さえあれば、幸せに暮らしていけると考えたのだろう。だから私と関係を持って子供を妊娠すれば、少なくとも経済的には困らないと思ったはずだ」

 松ヶ根はさらに質問した。

「彼女から関係を迫って来たのですか」

 戸惑いながらも彼は言った。

「最初はそうだ。もちろん断ったよ。孫どころか、ひ孫だっておかしくない年齢だからな。しかし男はいくつになっても馬鹿な生き物だ。大好きと抱きしめられ、裸の彼女を見て恥ずかしながら反応した。その後は私から求めるようになった。気付いた時には遅かったよ」

 妊娠したと言われた時、ようやく自分の行為が愚かだったと目が覚めた。だがどうすればよいか途方に暮れた。恥ずかしくて息子達に話せる訳もなく、ましてろせなどと言えるはずもない。息子達が子供を産もうと、どれだけ苦労したか知っていたからだろう。

 そんな一久を見て様子がおかしいと気付いた久宗は、彼が出かけた後を付け彼女との密会を知ったようだ。

「あなた達が口論をしていたのは、彼女の事だった」

 一久は頷いた。

「全てあいつに話したよ。そうしたら、俺が何とかすると言い出した。どうするつもりだと聞いたところ、妊娠が本当かをまず確かめてからだと言うから、私は怒ったんだ。そんな嘘をつく訳がないと。しかしあいつの言ったことが正しかったようだな。私は心のどこかで年甲斐もなく、自分に子供が出来たと喜んでいた。娘二人と妻を失って空いた心の穴を、埋めたかったんだ」

「久宗氏と話した事を、あなたは寺内菜月に告げましたね。それはいつのことですか」

「二カ月ほど前だ。今考えるとその頃から、いやそれ以前から久宗を殺すつもりだったのかもしれない。彼女は私に色々な事を、要求し始めた。お金だけでなく、フットカバーや電波時計もそうだ。言う事を聞かなければ、二人の関係を警察に言うと脅されたよ。十二歳以下の女性と性行為をしたのなら、間違いなく逮捕されるとね」

「あの事件が起こるまで、久宗氏は彼女と何度か会っていたのですか」

「確か二度会ったと聞いている。久宗は妊娠なんてしていないと言っていた。だからすぐ別れろと迫って来た。だが私は断った。そしたら逮捕される。そう答えたら、それも覚悟しなければいけないとあいつは言った」

 そこで一久は激怒したらしい。他人事のように言うがこの事が公になれば、九竜家の名にも傷がつく。会社も大きな損害を受けると反論したようだ。それでも久宗はそれもしょうがないと言った為に揉めたという。

 三郷が推測していた通りの証言に、吉良は驚いていた。松ヶ根が質問を続ける。

「それで殺そうと考えたのですか」

 彼は躊躇しながらも認めた。

「邪魔者には消えて貰おうと、彼女が計画を説明し出した。私は半信半疑だったよ。アリバイ工作についても、警察を騙せるなんて無理だ。しかも実行するのは彼女だというじゃないか。絶対に失敗すると思ったよ。だから出来る訳ないと私は止めた。それでもやると言って聞かないから、協力だけはすると言ったんだ。まさか本当にあんな事が起こるなんて、思わなかったんだよ」

「それでも心のどこかで、成功するかもしれないとは考えませんでしたか」

 彼は言葉を詰まらせた。しばらく間を開けた後に頷いた。

「考えた。もしあいつが死んだら、彼女と私の子にも遺産を渡すことが出来る。しかも警察に捕まった場合、彼女が正当防衛と言い張れば絶対に逮捕されない。十二歳だから、最悪でも少年院へ送られるだけとの悪魔の囁きに、私は負けた。その上二人が捕まっても肉体関係が無かったと主張するよう彼女から言われて、それならと思ってしまったんだ」

「肉体関係が無いのに、子供を妊娠していたら言い訳できないでしょう」

「そこは無理やり関係を迫られた他の男の子だと言い張るから、と彼女は言っていた。その代わり子供が生まれたら、認知することを約束させられたんだ。しかし妊娠自体が嘘だったら、彼女はどうやって遺産を手に入れるつもりだったのかは知らない」

 本当に理解していなかったのだろう。盛んに首を捻る彼に、松ヶ根が言った。

「恐らく子供は流れたとでも言って、誤魔化すつもりだったのでしょう。それでも遺産を手にしたあなたから、これまで以上のお金を脅し手に入れるつもりだったと思われます。彼女のスマホには、事件当夜の様子を一部隠し撮りした映像が残っていました。殺人事件の共犯者というネタがあれば、いくらでも金を引き出せると考えていたのかもしれません」

 ようやく気付いたらしい。彼は再び天井を見上げていった。

「そういう事だったのか。私は十二歳の小娘に踊らされていたんだな」

「そのようです。ちなみにお通夜の席で、あなたは騒ぎを起こされた。あれはわざとですね。今回の殺人事件は、遺産相続を狙った長谷家または兵頭家の人間の可能性があると騒ぎ、アリバイがあるあなたから警察の目を更に逸らせようとした。違いますか」

 この見解は、三郷が言い出したものらしい。そこから彼女は、一久が利用されただけとの当初の考えを改め、共犯説を唱え始めた。どうやらその推理は当たっていたようだ。

「そうだ。警察があいつらを疑っていると知って、葬儀に現れたから言ってやったんだ」

 しかし遺言書の破棄の話は予想外だったという。一久も知らなかった為驚いたらしい。

「ただそのおかげで、遺産目的の殺人かもしれない、と本当に思わせることが出来た。しかもあの時の話をきっかけに、長谷卓也が日香里さんを襲った訳ですからね」

「ああ。これで長谷が最有力候補に挙がったと思ったよ」

「お通夜の席で騒ぐことも、彼女からの入れ知恵ですか」

「そうだ。そうすれば、少しでも警察の目を逸らせると言われたからな」

 菜月の案ではないかと言ったのも三郷だ。吉良達はさすがにどうかと疑っていたが、彼女の推理力の方が勝っていたらしい。松ヶ根はため息をつきながら言った。

「それにしても恐ろしい子ですね。あの子の取り調べの様子を、私はずっと見ていましたが、十二歳とはとても思えない知能と度胸の持ち主ですよ。あのような小学生は、なかなかいません。あなたが騙されたのも、理解できます。それほどの悪党です」

 これに一久も同意した。

「そうかもしれない。彼女の誘導で、私は大事な息子をも失うことになったんだからな。だがこれだけは言わせてくれ。あの子は根っからの悪党じゃない。あそこまで追い込んだのは、経済的な困難のせいだ。それが無ければ、こんな事にはならなかっただろう」

 これには松ヶ根も頷いた。

「複雑な家庭事情が、幼気いたいけな少女を悪魔に変えたのかもしれませんね」

「そうだ。しかし私に久宗の遺産が入らないと判った。だったら自由にできる金など、大した額じゃない。彼女の計画も完全に元から崩れる。それに刑事さん達が言われる通り、ずっと彼女に脅され続け金を払う位なら、愚かな行いを公にして罪を償う方を選ぶよ」

 完全に覚悟を決めたらしい。九竜家の名が傷ついても、敏子夫人達がいれば大丈夫だと彼は言った。会社の信用も一時的には失うだろうが、元々売却する予定だったのだ。それなら会社における損害は最小限に食い止められる。

 別の会社が引き継ぐのなら、社員達に迷惑を掛けなくて済む為、逆に良い機会かもしれないとまで言い出した。久宗の言葉が、今になってようやく彼に通じたらしい。

「まだいくつかお聞きしたいことがありますが、先に彼女から話を聞いてからにしましょう。ここからは先程まで話していた取調官と交代をします。おそらく今話していた事と同様の質問を何度もされることになりますが、ご容赦ください。それでは失礼いたします」

 松ヶ根はそう言い残して席を立ち、吉良は後に続いた。二人と入れ替わり取調官が部屋に入って来た。ずっと隣の部屋で、マジックミラー越しに話を聞いていたはずだ。

 松ヶ根に告げた事は間違いないかを、彼らは確認しなければならない。まだ尋ねたい件がいくつか残っている。それでも彼女の取り調べが優先だと判断したらしい。ただでさえこれまでの拘束時間は、相当長くなっていた。よって早期に片を付けたいのだろう。

 だが吉良は一抹の不安を持つ。あの事実を耳にして一久は真実を話した。けれど彼女は白を切り続けるかもしれない。あくまで正当防衛だと言い張った場合、松ヶ根はどう出るつもりだろう。不謹慎だが彼の腕前を見られると考えただけで、武者震いがした。

 菜月がいる部屋に到着し、中に入った。女性取調官には既に伝わっていたらしい。吉良達の姿を見て直ぐに席を立ち、松ヶ根に譲った。だが相手は十二歳の女性の為、吉良達二人だけとはいかない。彼女も吉良と同様に、立ったまま同席することとなった。

 さて菜月はどう出るか。息を呑んで松ヶ根の第一声を見守る。対峙する彼女は、突然強面の中年男性が顔を出した為に一瞬怯んだ様子を見せた。しかし直ぐに態勢を立て直し、どんな質問が来るのか身構えていた。

 そんな状況の中で、彼が口を開いた。

「急にこんなおっさんが来て驚いただろうが、心配しなくていい。君は聞かれた事を正直に話せばいいだけだ。早速本題に入ろう。九竜一久が君との肉体関係を認めた。その事をネタに脅され、フットカバーや被害者の持つ電波時計を、君に渡したことも白状した。妊娠したと告げられたこともね。君には病院で検査を受けて貰う。彼の話によれば、君は出会い系サイトで他の男から乱暴な目に合っているようだから、その検査も必要だ。そこで明らかになると思うが、妊娠しているというのは嘘だね」

 彼女はあどけない表情を歪めて言った。

「嘘も何もあのお爺ちゃんとは、そんな関係じゃないから妊娠なんてする訳がありません」

「では彼を脅し、二人の関係を知って別れさせようとした被害者が邪魔になり、アリバイ工作までして殺した事は認めるね。もちろん彼は自白したよ。これは嘘じゃない」

 彼女はすぐに否定した。

「そんな事はしていません。あのお爺ちゃん、余りのショックにボケちゃったのかな」

「そうではない。彼はようやく自分がどれだけ愚かな事をしたのか気付き、悔いていた。だから九竜家の名が傷つき、会社に迷惑が掛かることも覚悟して真実を話してくれた」

 今度は膨れた顔をして、首を横に振った。

「あり得ません。警察が強引に嘘をつくよう、暴力でも振るったんじゃないですか」

「そんな事はしていない。被害者が亡くなっても遺産は手に入らないと知り、ようやく我に返ったのだろう。君との関係を黙り続け、計画殺人の共犯者であることを隠しても無駄だと判ったからだ。君は彼から遺産相続に関して、色々と教わったそうだね。それなら判るだろう。何故久宗氏が死んでも、遺産が父親の手に渡らないか」

 そこで一久に告げた内容を、彼女にも伝えた。念の為スマホのネットで検索し、相続関係を解説している個所が記されている画面を彼女に見せた。その上で諭すように言った。

「おじさんの言っていることが判るかい。これは嘘じゃないよ。だから被害者が殺されたというのに、奥様が葬儀にも顔を出さず帰国しなかった。君もおかしいと思わなかったかな。例えば君のお父さんが誰かに殺されたら、お母さんはどうする。涙を流し、早く犯人を掴まえてくれと我々警察に抗議するのではないかな」

 彼女は突き付けられた事実を受け止められないのか、じっと画面を眺めていた。その顔付きは、明らかに先程までの余裕を失っていた。ようやく状況を把握したのだろう。

 しばらく経って大きく息を吐いた後、開き直ったかのように態度ががらりと変わった。

「あの人はそんなこと、しないよ。保険代理店に勤めているせいか、生命保険にかなり加入しているって言ってたから、死んでくれた方が喜ぶんじゃないかな。たくさんお金が入るし、これ以上世話をしなくて済むんだったらホッとするでしょ」

 どうやら彼女の本性が現れてきたようだ。松ヶ根はそのまま話を続けた。

「君もそう思うのかな。経済的に困らなくなれば、学校にも通い続けることができる。そうすればパパ活や売春で、お金を稼がなくても済むからね」

 彼女は唇を噛むように、顔をしかめながら言った。

「そうよ。お金さえあれば、こんな思いをしなくて済んだのに」

「こんな思いとは、どんなことかな」

「おかしな男に押し倒されたり、あんな爺さんの相手をしたりしなくて済んだのよ」

「好きでやっていたわけじゃないってことかな」

 彼女は机を叩いた。ここまで感情をあらわにしたのは、今回の取り調べで初めてだ。

「当たり前よ。体を売ってまで、お金を稼がなくちゃいけないの。全部あいつらのせいだ」

 それでも彼は淡々と質問を続けた。

「それは体を壊し会社を休んでいる父親や、代わりに家計を支えている母親の事かな」

「そうよ。小さい頃から勉強しなさい、いい学校に行けば将来必ず役立つって言われ続けてきた。お父さんもお母さんも、いい学校を卒業していい会社に入ることが出来たから、高い給料が貰えるようになったってね。それを信じて一生懸命頑張って、今の学校に入ったのに。それが会社に行けなくなって、一日中部屋に引き籠ってしまったのよ」

 両親への不満が爆発した。母親も結婚前は、大手の保険会社に勤めていて給料は良かったが、今は違うとも言いだした。父親の代わりに家を支えられる程、稼いでいないと馬鹿にし始めたのだ。

 余所の会社に買収されてしまう、小さい会社の事務員に過ぎないと分かったからだろう。いい学校を出ていい会社に入れば、お金がたくさん貰えて将来安泰だなんて嘘ばっかりだと彼女は怒りだした。

 このままだったら暮らしていけない、菜月の学校も辞めさせなければならなくなると、両親はしょっちゅう喧嘩していたようだ。それなのに金の心配はしなくていい、学校の勉強についていけるよう塾通いは続けろと言われ、我慢ならなかったらしい。

 そのくせ今までの生活レベルは下げたくないからと無理している親達を、心の底から軽蔑すると吐き出すように言った。

「だから自分で何とかしようと思ったのか」

 一度話し出すと、止まらなくなったのだろう。せきを切ったように彼女は喋り続けた。

「そうよ。私だって学校は辞めたくなかった。お金さえあれば、大学まで行ける。授業についていくのは大変だけど、学歴があったってあいつらみたいになるんだったら、無理して勉強する必要もない。だったら今の学校に居続けて、大学まで進んだ方がマシ。その後にお金持ちの人を見つけて、結婚すれば良いでしょ。お嬢様学校としても有名だし、うちの大学を卒業した子なら、そういう人達の受けもいいって聞いた。自分で稼ぐ必要もない。お父さんみたいに倒れても、お金に困らない人と結婚すれば将来は安定でしょ」

「だから九竜一久と知り合って、この人だと思ったのか」

「条件にピッタリだったから。最初は抵抗あったけど、だんだん慣れてきたし。それにもうお爺ちゃんだから、そう長生きもできないでしょ。私が高校を卒業する頃まで我慢すればいいんだから。そうすれば、一生生活に困らないと思ったの」

「しかし話を聞く内に、そうでもないと判った。そこで相続について勉強したんだね」

 彼女の気持ちが落ち着いてきたのか、徐々に声が小さくなった。

「最初は意味が分かんなかった。お金がないってそんな訳ないって言ったら、説明してくれたの。それで本当だと理解できた。お金持ちも楽じゃないのね。いい勉強になったよ」

 ここが勝負どころだと思ったのだろう。彼は核心に触れ始めた。

「だったら分かるね。いくら正当防衛で殺したと言い張っても、君が九竜家の持つ莫大な資産を受け取る可能性はゼロだ。せいぜい九竜一久が持っている金を、脅し取るしかできない。だが彼が殺人の共犯を認めた今となっては、それも無理だ。君と肉体関係を持ったことも自白している。刑務所に入れられるだろう彼から、お金をむしり取ることは不可能だ。お金の管理は、残された家族や弁護士達がすることになる。罪を告白した以上、脅迫する意味もない。君に金を支払う必要など無くなった。いくら君が否認しても同じだよ」

「なんで言っちゃうかなって思ったけど、そういう事ならしょうがないね。私が妊娠なんかしていないから、ごまかせるって思ったんだけどな」

 吉良は心の中で、これはいけるとこぶしを握った。だが彼は慎重に質問を続けた。

「やはりそうか。だけど九竜一久には妊娠したと嘘をついた。そうだね」

 意外にも彼女はさらりと認めた。

「そう。初めは驚いて困っていたけど、本当に自分の子供が出来たら嬉しいかもしれないって、段々と思い始めてくれたの。ラッキーだと思った。何度も関係を続けていれば、本当に妊娠するかもしれない。そうすれば、もう一生苦労することなんてないからね」

「しかしそこに邪魔が入った。久宗氏に二人の関係がばれたんだな。なんて言われた」

「別れろって。妊娠も嘘だろうって。こっそり調べていたみたい。でも妊娠は本当だ、絶対別れない、これ以上そんな事を言うなら二人の関係をばらす、って脅してやったの」

「それでどうなった」

「最悪の場合、それもしょうがないって。父親は逮捕されるだろうけど、それだけの事をしたのだから、罪は償う必要がある。私みたいな子供に手を出したんだからって、すごく怒っていた。あと公にする事は覚悟しているけど、そうなったら私の将来に傷がつく。出来れば穏便に済ませたいとも言われた」

 この辺りは一久の供述とも一致する。松ヶ根はさらに尋ねた。

「それで君は、なんて答えたんだ」

「穏便になんて済ませられない。十二歳以下の子と肉体関係を持ったんだから、ただで済むはずがないでしょ。それ相応のお金を貰わないと駄目だって言った。慰謝料ってやつ?」

「久宗氏は、何て答えた」

「いくら欲しいって聞かれたから、私や私の子供が一生働かないでも困らないだけって言ったら、それは無理だと断られた。罪には問われ慰謝料も払うことになるけど、多くてせいぜい数百万円程度だって。だからそんな大金が支払われることはないって言われた」

 彼は容赦なく追及を続けた。余り追い込み過ぎると逆効果ではないかと、吉良はハラハラしながら聞いていた。

「それで君はどう思った」

「この人は邪魔だと思った」

「どうしようとしたんだ」

「この人が今死ねば、遺産の三分の一がお爺ちゃんの手に入る。そう以前に教わっていたから、死んでくれるといいなあと思った。でも結局無駄だったんだね」

「それを知っていたら、君はどうしていた」

「分かんない。でも殺そうとまでは、しなかったと思う。持っていないとは言っても、お爺ちゃんだって私に払う程度のお金はそれなりにあったからね。面倒くさいけど粘れるところまで粘って、もう無理だと思ったところで慰謝料を貰って別れていたかも。私だって売春していたことがばれたら、学校を退学になっちゃう。それにその後もここでは住めなくなると思うし。一生困らないお金が入らないなら、危ない橋は渡れないでしょ」

 やはり三郷が悔やんでいた通りだった。遺言書を破棄したのが、確か事件の起きる二か月程前だったはずだ。その時に事実を公表していれば、今回のような悲劇は起こらなかったことになる。

 しかし被害者も、まさかこのような事態になるとは想像もしなかっただろう。事故に巻き込まれたり、急病に罹って命を失ったりする可能性は予測していたかもしれない。だからこそ万が一に備えて余計な混乱を招かないようにと、遺言書を破棄したと思われる。

 といってその後、状況が急変することも十分あり得ると危惧したはずだ。よって慎重を期し、全て無事に終わるまで公表を差し控えることにしたのだろう。その為九竜夫妻以外で唯一事情を知らされていた三郷にも、秘密厳守を言い渡したに違いない。

 彼らの判断が間違っていたと責めることは、誰も出来ないだろう。ただ仇になったことは確かだ。最も不幸だったのは、目の前にいる寺内菜月という恐ろしい人物に、一久が出会ってしまったことかも知れない。

 しかし彼もこんな小学生の小娘の心の奥に、恐ろしい悪魔のような人格が潜んでいるとは思いもよらなかったはずだ。出会い系サイトでは危険を伴うことなど、吉良自身もそれなりに理解している。だが今回のような場合も起こり得るとなれば、今後手を出すことは辞めようと、こっそり心の中で誓った。

 松ヶ根は彼女の様子から、真相を聞き出せると踏んだらしい。質問が具体的になった。

「今真実を知っていたら、殺そうとまでは思わなかったと言ったね。つまり知らなかった君は邪魔になった久宗氏を、計画的に殺した。そうだね」

「あれは正当防衛だって言ったじゃない」

 まだ惚けていたが、その声は明らかに弱弱しく、自信の無い呟きにしか聞こえない。出来れば逃げたいとの気持ちが、どこかに残っているようだ。しかし彼は許さなかった。

「被害者に犯されそうになった、と言い張るつもりかな」

「そうよ」

「それはあり得ない。何故なら被害者は、それが出来ない体質だったからだ」

「どういう意味?」

「ED、つまり男性機能が失われていたんだ。九竜一久は八十三歳と高齢ながら、性行為ができる機能を備えていた為君と関係を持てた。それが無ければ妊娠したなんて、脅す話もできない。だが被害者はかつて、子供を産もうと必死に努力した。結果強いストレスがかかり、性行為が出来ない体になった。つまり君を犯すことなどできなかったんだ」

 彼女は信じられなかったのだろう、首を横に振りながら言った。

「子供を産むのに苦労したらしいけど、そんな話はお爺ちゃんから聞いていない」

「本当だ。これは一部の人しか知らない事実で、父親にも黙っていた。まあそういうことを、わざわざ親に告げる必要などないからだろう。診断書も出ているので間違いない」

「そんなことってあるの?」

 彼女の問いに、彼は優しい口調で答えた。

「EDは四十代の男性でも五人に一人いると言われる程、身近な疾患しっかんだ。ましてや不妊治療のようなストレスを抱えていたら、確率はさらに高まる。確か君の両親もかつて不妊治療をしていたようだね。その苦労が実って君が生まれた。その話は聞いたことが無いかな」

 話が自分自身の事に及んだからか、彼女は戸惑いながら言った。

「詳しくは知らない」

「君のお母さんは気付いていないらしいが、同じ職場の人は二十年程前に病院で会ったことがあるらしい。その人は二年前に偶然再会し、彼女に菜月という子供がいると聞いて我が事のように嬉しかったそうだ。何故ならその人は、子供を産むことを諦めたから。同じ苦労していた人が、自分の叶えられなかった夢を達成したことに、喜びを感じたのだろう。当たり前のように捉えている人も多いが、実際に子供を産むことは大変なんだよ」

 そう言われて何か心当たりがあったのか、彼女の表情が変わった。俯いて何か考え込み始めた。松ヶ根は構わず話し続けた。

「この世に生まれた事自体、君も含めて色んな人の思いが詰まった大事なものだ。命が何よりも尊いと言われるのも、そういう事じゃないかな。だが君は大切な命を奪った。その罪は重い。君は十二歳だから、刑務所や少年院に入ることはないだろう。しかしこれまでの同様な事件から考えれば鑑別所に入り精神鑑定を受けた後、自立支援学校などへ入ることになる。もちろん今の学校も、辞めなければならないだろう。君があくまで正当防衛を主張し一久氏との関係を否定したとしても、似たような処遇を受けると思う。それならばいっそ、全てを正直に話した上で現実と向き合い、更生の道を歩むべきなんじゃないかな」

 しばらく間を置いて、顔を上げた彼女は軽く頷いた。どうやら今度こそ観念したらしい。そこで彼は間髪を入れず、質問を投げかけた。しかし口調はさらに柔らかくなっていた。

「ではあなたが、九竜久宗氏を計画的に殺害したことは認めますね」

「はい」

 彼女が素直に認めた為、危惧していた事態は杞憂きゆうに終わりそうだ。吉良は胸を撫で下ろす。だがまだ油断できない。よって引き続き動静を見守った。

「それでは事件当夜、どのようなことが起こったのか教えてくれますか」

「あの日、あの人とあのビルで十時半頃に会う約束をしました。以前からもう一度会って話がしたいと何度も言われていたので、その場所を指定しました」

「あの場所を選んだのは何故?」

「あの近辺には防犯カメラが無いことを、以前からお爺ちゃんに教えて貰っていたから。いつも家と反対方向にあるあの場所の近くで待ち合わせをして、近くにある蔵で会うようになったのはその為です。あのビルの中なら、人に見られなくて済むと思いました。中に入る為のカードキーを母が持っていることも知っていたので、使えると考えました」

 今のところ順調だ。生意気な口調でなく、ですます調に変わったことからも判る。

「あの部屋を犯行現場に選んだ理由は、他にありますか」

「あの場所は昔母が仕事で通っていた事務所で、私も何度か入った事があります。事務所が別の場所に移ってから倉庫として使われ、母が主にあの場所を管理するようになったことも知っていました。だからあの場所で事件が起これば、母が疑われると思いました」

「母親に疑いの目が向けられるから、あの場所を選んだということかな」

「それも一つです。まさか長電話で、アリバイが成立するなんて思わなかったので」

「それほど君は、母親を憎んでいたのかな」

 ここで再び怒りの感情が湧いてきたようだ。彼女の口調が再び荒れ始めた。

「大っ嫌い。家も近いし警察から疑われて相当辛い目に遭うだろうと思っていたのに、アリバイがない別の人が疑われるなんて計算が狂っちゃった」

「母親が疑われていたとしても、実際にはやっていない。そうすると君が疑われるとは思わなかったのかな」

「他にもカードキーを持っている人がいるって聞いていたから、私が疑われるまでは時間がかかると思ってた。でもその時の為に証拠を残さないようにしたし、万が一捕まっても正当防衛だったって言い張れば、通用するように計画したの」

「だからフットカバーを手に入れ、被害者のパンツを脱がすような細工をしたんだね」

「うん。他にも髪の毛が落ちたり、返り血を浴びたりして困らないようにもした」

「それはどうやったのかな」

「レインコートを着て、全身を覆ったの。そうすれば、あの部屋にある水道で血を洗い流せると思ったから。実際にそうして洗剤でも綺麗に洗った後に外へ出て、コートを脱いで使っていた手袋や何もかもと一緒に、用意していたビニール袋へ入れて捨てた」

「どこに捨てたのかな」

「家に帰る途中のマンションのゴミ捨て場。あの日は木曜日で、翌日の金曜の朝には燃えるゴミの回収だったから。夜中から捨てている人もいるし、特に目立たないと思ったの」

 レインコートとは考えたものだ。しかもすぐ回収されるように考え、捨てる日を計算した計画だったとは恐れ入った。しかもあれから二週間以上経っている。現在懸命に探している鑑識や捜査員が、痕跡すら見つけられないのも頷けた。

「翌朝までに死体は発見されないと思っていたから、そうしたのかな」

 これには意外な答えが返ってきた。

「違う。計画だと直ぐ警備会社の人が駆け付けて、死体は発見されるはずだった。それでも現場からはそれなりに離れた場所へ捨てたので、朝までに見つかることは無いと思ったから。凶器は現場に置いたままで、夜中だし警察もそれ程真剣に周囲の捜索まではしないと考えたの。財布や携帯は持ち去ったけど、近くに捨てたなんて考えないでしょ」

「なるほど。携帯も財布もそこに捨てたんだね。何故その二つを盗んだのかな」

「私と連絡を取っていたことが直ぐには判らないようにする為と、お金も欲しかったから」

「財布の中身を盗んだのかな。いくら入っていたか覚えているかい?」

「二十万円くらいかな」

「その金はどこにある?」

「自分名義の通帳に入れた。貰ったお年玉などを預ける為に、母親が作っているから。こっそりカードを借りて、ATMで入金した」

「もしかしてこれまで稼いでいだ金も、そこへ預けているのかな」

「そう。母親が見ることはまずないし、預けておいた方が安全だから。ただ年が明けて入金する時にはばれちゃう。その時には今年から自分で管理するとか言って、誤魔化すつもりだった。でもこうなったら、そんな必要もないね」

 お金を盗んだとなれば、ただの殺人では無く強盗殺人となり、本来は罪が重くなる。ただ彼女の場合は、あまり関係がないかもしれない。ただ売春でお金を稼いでいた事や、お金を盗んだ証拠にはなるだろう。

「なる程。ところで計画では、直ぐに死体が見つかると思っていた。なのに何故か翌朝になって発見されたと聞いて、どう思った?」

「半分はラッキー、半分は計画が狂ったと思った」

「それはどういう意味かな」

「あの事務所のカードキーは、ビルの最終退出者になった場合とか色々操作方法があるって知っていたけど、複雑で良く判らなかったから。もしセットし忘れると、警備会社の人がすぐに駆け付けるとは聞いていたし。だったらすぐ見つかってもいいように、わざとロックしないで出たの」

「何故すぐ見つかるようにしたのかな」

「色々本やネットで調べて、いつ殺されたかは死体の死後硬直や死斑、死体の直腸温度を確認して特定すると判ったから」

 しかし死後硬直は、早くて死後三十分から一時間で下顎から始まる。しかもその時の周囲の温度が高かったり筋肉質の人だったりすると、早くなる傾向があった。また腸内温度も発見が早すぎると、それほど変化しない。

 そこで事前にエアコンを付け部屋の温度を上げておけば、正確な犯行時間は割り出せないと思ったらしい。また現場で運動すれば、余計に早くなることも調べていたようだ。死斑も急死した場合、失血死等の場合や周囲の温度などによって変わる。そこで電波時計に細工しておけば、アリバイ工作も可能だと思いついたという。

 これは以前松ヶ根が予想していた通りの方法だ。時計やエアコンを使ったアリバイトリックなど、今時ならテレビドラマでも使い古されている。しかも殺害する前の被害者に運動させて死亡推定時刻を狂わせるという手も、有名な漫画やアニメでも使われた方法だ。 

 スマホがあれば今や小学生でも調べられる程度の知識の為、実行しようと思えばできるだろう。ただそれが実際に十二歳の子がやってのける世の中になったかと思うと、吉良は鳥肌が立った。

「だから犯行予定時刻より前のアリバイを、九竜一久と一緒にいることで作ったんだね」

「そうすれば共犯にもなるから。万が一私が犯人だとばれた後も、正当防衛だと言い続けて肉体関係が無かったと言い張るので、口裏を合わせるようにとも言ったの」

「そうしておけば、必ず言う事を聞くと思ったんだね」

「うん。実際にフットカバーや電波時計を手に入れたのも、お爺ちゃんだから」

「電波時計は、どうやって狂わせたんだ」

「これも何かで読んだ。スマホのアプリを使って、電波時計の時刻を合わせることが出来ると知って、事前に入手するようお爺ちゃんにお願いしたの。何度か試して出来ることを確認した後、あの事件の夜に蔵でいた時に一時間ほど狂わせた。彼を殺した後にそれを腕に嵌めて壊しておけば、死亡時刻には二人共アリバイがあると証明できるから」

 実際に東日本大震災が起きてから、電波受信ができなくなった時にそうした方法で時間を調整したとの話を聞いた事がある。電波時計の種類によって異なるらしく、音声信号で操作できるものあるようだ。

 現に被害者の嵌めていた時計のように、手動で操作できない種類のものには有効だったのだろう。おそらくそうしたものを使ったのではないかと松ヶ根は予想し、本部では被害者が嵌めていたものと同じ時計で実験を行い、既に成功したとの報告も受けている。

 被害者は数種類の腕時計を持っていたようだから、偶然では無いのだろう。そうした操作のできる種類の電波時計を持っているかどうかを調べ、使えると判ったからこそアリバイ工作に利用したようだ。

 当初は計画的でありながら、どこか杜撰さが感じられると思っていた。しかし実際の彼女は何重にも張りめぐらして、死亡推定時刻を狂わせようと考えていたのだ。それなのに警備員の犯した過ちにより、当初の計画とずれて違和感が残る結果となったのだろう。

 それに事件のあった夜、時間は不明だが蔵から奇妙な音が聞こえたと、三郷は証言している。おそらく電波時計を狂わす際に出された、スピーカーから出たものだろう。実際鑑識が蔵の中を捜索しているが、そこに音響関係の器具が置かれていたことも確認が取れていた。

 その上彼女のスマホを調べ、削除していた検索履歴を復元したところ、彼女説明したように、事件に関する様々な事柄を調べていたことも判明している。

「エアコンは九竜一久と待ち合わせた八時半より前から、事務所に入って点けたんだね」

「そう。二時間後には、かなり部屋の温度が上がっているようにした」

「それにしても被害者は六十歳とはいえ、しっかりとした体格をしている。隙をついたのだろうが、良く殺せると思ったね」

「だから私を説得しようとしていたあの人の言う事を聞かず、レインコートを着たおかしな格好で走り回ったの。運動神経と足には、自信があったから」

「そういえば、君は学校でバスケ部に所属していたんだったよね」

「六年生だから夏に引退したけど、レギュラーだった。だから力では負けても、父親より年上の人ならフットワークでかき回せば、何とか油断させられると思ったの」

「それでどうなった?」

「あのおじさんも最初は呆れていたけど、途中で怒りだして追いかけてきた。そうなったらこっちのもの。まさか私に刺し殺されるとは、想像もしていなかったんじゃない。あの事務所に置いてあった千枚通しとハサミを事前に隠し持っていた私は捕まる寸前でしゃがみ込んで、ぶつかるように刺した。驚いたあの人が倒れたので後は馬乗りになって、動かなくなるまで何度も突き刺した」

 事実その通りになったのだから、大したものだ。事前にそうであろうと想定していたが、目の前で供述された事に松ヶ根も戸惑ったのだろう。少し間をおいてから尋ねた。

「それも事前に、準備していたのかな」

「そう。学校の備品の中に、古い千枚通しがあるのを見て思いついた。あの倉庫にもあったと思い出したの。珍しいから、印象に残ったんじゃないかな。それで学校の物をこっそり盗んで、近くの公園にある木にぶつかって刺す練習を繰り返した。冬なので相手も分厚い服を着てくるだろうから、それを突き抜くだけの勢いがなければ難しいと思ったの」

 確かに彼女の家と現場との間を調べていた鑑識達の報告の中で、間にある公園の中の木が何かで削り取られた奇妙な痕跡を見つけたというものがあった。どうやらそれが彼女のいう、事前準備の跡だったらしい。

「ビルではその時間、上の階で仕事をしていた人がいたはずだ。よくそんな事ができたね」

「本当は大抵あの時間なら、ビルの人達は皆いないはずだった。でもあの日だけ何故か明かりがついていたの。でも一番上の階だったし、閉め切っていれば音は漏れないと思った。古いビルだけど、それなりに防音はしっかりしていると母から聞いた事があったから」

「そこは計算違いだったんだね」

「目撃される恐れもあるので、日を改めようとは思ったよ。でもあの人とは何度も会うことは出来ないし、もう一度やり直すには面倒なので思い切って実行したの」

 ここまでの彼女の供述には全く矛盾が無い。ただ実際に彼女が殺したという物証が見つかる可能性は、かなり低いだろう。よって本人による自白と状況証拠でしか立証は出来ない。いや例えそうだとしても、彼女を刑事裁判にかけることは出来ないのだ。

 それを判った上で、真実を話しているのだろう。事件現場における状況は、彼女しか知り得ない。今のところ嘘をついているとは思えない為、そう信じるしか無かった。

 それでもこれまで頑なに否認し続けていた彼女が、これほど多弁になるとは意外だった。裏があるのかと思わず勘繰ったが、もしかすると別件が影響しているのかもしれない。

 後は細かい点を、松ヶ根は再度確認した。

「被害者の葬儀の際、九竜一久に騒ぎを起こさせて遺産目当ての親族が怪しいようにしむけたのも、君の指示だったのかな」

「うん。警察がアリバイの無い親族を疑っていると聞いていたから、利用しようとしたの」

「アリバイ工作についてだけど、九竜一久があの蔵に入った様子を、君はスマホに記録していた。二人の関係が明らかになるまで隠し、必要となった時の為に撮っていたのかな」

「そう。事件の後に彼からお金を貰う為にも、残しておいた方が良いと思ったから」

「脅迫のネタとして、だね。だけど二人が蔵に入り、その後出て行く姿を見ていた人がいる。その人がもっと早く警察にその事を証言していれば、すぐに君は疑われていただろう」

 彼女は驚いたらしく、目を見開いて言った。

「そんな人がいたの? だったらどうしてその人は、今まで黙っていたの?」

「それは君の事を守ろうと思ったからだ。当初事件が起こったと思われる時間のアリバイは成立していたから、黙っていれば淫らな関係にある事を隠せると思ったのだろう」

「何故そんなことを? 誰だろう。私の事を良く知っている人?」

「良く知っているとは言い難い。だが君の母親と同様に、子供が欲しいと強く願っていた人だ。彼女が掴めなかった宝を、君の母親は手に入れた。それを守りたいと思ったらしい」

 彼女は気付いたらしく、急に丁寧な言葉遣いに戻った。

「さっき言っていた、お母さんが不妊治療をしていた時に同じ病院で見かけた人、ですか。その人って、アリバイが無いから最近まで疑われていた人ですよね」

「そうだ。彼女は二人が蔵に入ってから出て行くまでの様子を、ドライブレコーダーで撮影していた。そこには運転席に座っていた彼女自身も映っていた。だけど彼女は疑われても良いと覚悟し、最近までそれを隠していた」

「私を守る為、ですか。何故そんな見知らぬ人が、そんな余計な事までしたのですか」

 彼は再び静かな口調で、言い聞かせるように語った。

「それ程子供というのは、この世における大切なものだという事だよ。少なくとも彼女はそう信じていた。しかしアリバイ工作されている可能性が浮上し、君が犯人かもしれないと気付いた彼女は悩んだ挙句、真実を話してくれたんだ。それは被害者がその人にとって、大事な顧客だったからだけじゃない。君の将来を考えての事だと思う。尊い命を奪ったのなら、その罪を償わなければ決して幸せな人生を送る事など出来ない。君にはまだこれから長い未来が待っている。その一刻一刻を大切に過ごして欲しいと、彼女は心から願っていた。だからこそ君に自白を促すよう、隠していた事実を明らかにしてくれたんだ」

「そうなんですね。でももっと早く知っていれば、ここまでの事はしなかったのに」

「それは彼女も悔やんでいた。しかしだからと言って、彼女を責めるのは間違いだ。過ちを犯したのは、あくまで君であり九竜一久だ。二人が愚かな考えを持たなければ、このような悲しい事件を起こすことは無かった。自分達だけの人生だけじゃなく、被害者の遺族はもちろん、君達の親や周囲にいる多くに人を傷つけ、迷惑をかけたんだ。今後君にどのような判断が下されるか分からない。けれど犯した罪について、もう一度真剣に向かい合い反省して欲しい。そうしなければ、君はさらに不幸な人間を生み出すことになる」

 彼女は深く頷き、うっすらと涙を浮かべた。それが本当に、心から悔いた事によるものだと信じたい。だが起こした罪の大きさと身勝手さや残虐性、計画性を顧みた時、吉良は素直にそう思えなかった。

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