鶏卵シンクロニシティ

K-enterprise

鶏が先か、人間が先か

「生卵ってさ、何が生なの?」


 朝食時、じっと卵を眺めていた夫からの問いかけに、私はまた始まったと嘆息する。

 先日は「すっとこどっこい」と「素っ頓狂」の類似性について疑問を投げかけてきたが、別に私は広辞苑でも、検索エンジンでも無いのだ。

 よって答えはいつもと同じ。


「さあ、なんだろうね」


 別段、気の無い答えを返したところで彼が憤慨するとか、落胆するとか、そんな夫婦仲の破たんにつながるようなドラマチックな出来事は、結婚生活が15年も越えれば、そうそう存在しない事に気付く。

 テレビドラマの物語はドラマチックだからこそ採用されるのだ。

 平凡で、普通の生活を送っている家庭の中では、むしろ明確に意図しない限り、おかしな出来事は起こらない。


 まあ、夫の感性と言うか感覚というか、時たま素っ頓狂な事を言い始めるのは昔からなので、他人はともかく、私はすっかり日常だ。


「生ってことは、加熱されてない状態ってことだよな。それって何度くらい? 冷蔵庫に入れれば冷却される、つまりは熱を取り除くわけだから、それも生なのか?」


 今日、彼のテーマはどうやらツボに入ったらしい。

 ツボというのは、より深い思考の深みに入る事で、5回に1回くらいの頻度で陥る。

 時として理不尽な論戦を吹っ掛けて来るので、イラっとする事も多い。

 意見を求められ、答えるだけなのに、その意見の世界代表みたいな立場に立たされ、延々と異論反論を唱えさせられる。

 友人や知人にそのことを愚痴ると「惚気かよ」とか「会話があっていいね」などと一蹴されるのがオチで、最近は鬱憤のはけ口を失って久しい。


「生食できるかどうかって事じゃないの?」


 私の思考中も何やら反応を求めるような視線を投げられていたので、そもそも今日だって、生食用に出していたつもりなので無難な答えを返す。

 すると彼はスマホを取出し、ポチポチと操作した後、ふむ。と言いながら話し出す。


「加熱や調理されていない卵を指す様だ」


「へえ、分かって良かったね」


 キリが無い。

 私は夫の食事を待たず、自分のペースで食事を続ける。

 生卵を割り、中身を小鉢に落とし、箸で撹拌する。

 因みに夫は、ごはんの真ん中に穴を作り、そのまま生卵を投入し、ごはんと一緒に混ぜる。

 私は、黄身と白身を徹底的に混ぜて、完全にサラサラにしたい人種だ。


「賞味期限、意外に長いんだな……」


 関連情報をそのまま検索しているのか、彼は食欲より知識欲が勝っているみたいだ。ま、いいんだけどね。今日は日曜日だし。

 すでに8時を過ぎていて、今日の予定は特に無い。


「なんて書いてあるか知らないけど、うちは買って三日以内には食べてるからね」


 この卵はいつ買ったんだ? どのくらいで消費してるんだ? そんな質問を予測して先に答えておく。


「賞味期限とかどっかに書いてあるの?」


「さあ、パックに書いてあったかと思うけど」


 見せろと言われる前に立ち上がり、冷蔵庫を開け八個入りパック(残り二個)を取出して渡す。


「名称、鶏卵(生食用)か。原産地、選別包装者、その住所、賞味期限○年○月○日、保存方法は冷蔵庫(10℃以下)で保存してください。で、最後に使用方法、生食の場合は賞味期限内に使用し、賞味期限経過後は十分に加熱調理してください。だってさ」


「満足した? ちゃんと余裕のある賞味期限内だったでしょ?」


「……でもさ、卵そのものに識別は無いよな? ここに残ってる二個がこのパックの表示内容に該当する固体か、どうやって保証するんだ?」


 めんどくせえな。


「嫌なら食べなければ? 私が自分で消費するからさ」


「そうじゃないんだ、キミを疑ってるとかそういうことじゃない。もし誰かがウチに忍び込んで、このパックの中に別の卵をすり替えたとしたらどうなるんだ?」


「どうもならないわよ。あのね、私も主婦の端くれなの。痛んでるかどうかぐらい見たり匂いで分かるわよ?」


 敢えてすり替え云々の話には付き合わない。


「じゃあもし、その痛んでるかどうかの判断基準を偽装する個体があったらどうするんだ?」


 彼は、誰かのすり替えという条件を議題から外し、あくまで私の主観と争うらしい。


「つまり匂いも無く、変色もしていない。さらに言うと食べても分からないとか?」


「そう。その上で傷んでいる」


「そんなの誰も分からないよね? ていうかそんな卵が存在したら危なくって仕方ないよね? そもそもそんな状態で毒性があるの? サルモネラ菌の特性って知ってる?」


 生食の食中毒で良く聞く菌を言っておく。詳細は知らない。理不尽には理不尽だ。ゴメン、サルモネラ菌。


「未知の卵……進化した卵かもしれないだろ」


「何の為に、誰の為に、どんな必然があって進化したの?」


 彼自身、適当な事を言ってる意識はあるのだろう。

 それきり黙り、おもむろに食事を再開した。

 私は珍しく言い負かした気分になって快い。


「鶏ってさ、どうなんだ? あんな立場だったら普通、怒らないか?」


 なんでそんなに憤慨した口調なんだろう。

 たぶん、この卵から鶏の境遇を考え始めて、鶏になった気持ちになったんだろう。

 そこは先に、こんな話に付き合わされてる私の気持ちになってみてよ。


「家畜の是非とか言い始めるんなら、食材は全部自分で買ってね。その食材で調理できるメニューも添えて」


 牛だって乳を吸われ肉も取られ骨だって肥料にされるんだ。

 考えないようにしてるんだからやめてよ。

 罪深さを感じ始めたら何も食べられなくなるでしょうが。

 あ、そういえば先日、植物とお話が出来たら、育てるのも楽なのになって思ったけど、そしたら野菜を食材にすることも出来ないか。

 肉と違って、生きたまま売られている訳で、包丁を入れる度に叫ばれたら困る。


「いや、鶏の代弁者を気取ってるわけじゃないよ。進化の可能性を考えてたんだ。進化って、そうなりたいから変わるわけだよな。鶏がさ、人間の為に美味しくなあれ、って思ってくれてるんならいいんだよ。でももし怒ってたら?」


「……見た目新鮮で毒性のある卵を産むってこと? そんなことしたら殺処分されちゃわない?」


「それが狙いとか。家畜として未来永劫搾取される立場でいるより、尊厳ある抵抗を表す」


「確かに、卵が無くなると、鶏肉もか……困っちゃうな」


「そうなんだ。調べてみると鶏の生息数って人間の三倍もあるんだよ。それだけ、人間の鶏に対する依存度が高いからこそ、いくつかやり方もあるだろうね」


「どういう事?」


「まず、待遇改善の条件にできるよね。ランダムに致死性の毒を含ませた卵を産んだぞ、やめてほしければもっと自由をよこせとか」


 どうやって交渉するんだろうって疑問は保留にしておこう。


「他には?」


「そもそも交渉のしようが無いから、こっちの方がいいかも。遅行性の毒とか、人間だけに影響する遺伝子を組み込んでおく。卵を摂取した人は五年以内に死に至るとか」


「鶏にメリットが、あ、あるのか」


「そう、いずれ人は気付く。その時には卵アレルギーで食べられない人以外は、時すでに遅し。腹いせに多くの鶏を殺処分しても、残った彼らは二度と人間の家畜にはならずに済む」


 卵を産むんだから彼女ら、だろうけどさ。


「問題はどうやってその進化をするの? 特定の一羽がそんな卵を産めるようになったとしても、その子孫が増えるまでにさすがに気付くと思うわよ」


「……シンクロニシティ」


 また妙な横文字を。


「何よそれ」


「確か、共時性とか言って、離れた場所にいる同族が同じタイミングで進化することがあることを、そう言ったんだと思う。地球上のいろんな動植物で起こる現象だとか。世界中の鶏が、時を同じくして、一斉に毒入り卵を産み始めるんだ」


 この人はいろんな情報を収集するのが好きだから、こんなどうしょうもない話題であっても、地球の歴史とか、神の意図っぽい展開を絡めてくる。

 そうすると、ちょっと反論のしようが無くなる。

 ていうかめんどくさい。


「まあそこまで憎まれるんじゃ仕方ないか、これまで卵にはたくさんの美味しいを貰ったからね。感謝しながら死んでいきましょう」


 私は会話の途中で続けていた、卵かけごはんの残りを食べる。

 こんなに美味しいんだから、しょうがないね。


「毒じゃ無かったら?」


 彼も普通に食事しながら続けている。

 その、現在進行形で食べているものに疑問を抱き続けるのは止めようよ。


「毒じゃないならいいじゃない。美味しいは正義」


 お昼ご飯は何にしようかなぁ。

 たまには外食でもいいかなぁ。


「ひょっとして、人間が鶏に変化する遺伝子でも組み込むか……卵を産んだりとかさ。そうすれば搾取される鶏は減るし、人間も少しは鶏の気持ちに寄り添えるかもな」


「あなたはもう少し、私に寄り添ってね。じゃないといつか私に鶏冠とさかが生えるかもよ」


「そしたら俺もリーゼントで対抗しなくちゃな」


―――――


 公開、と。

 これで良し。

 上手くいくか分からないけど、このくらいしかやれる事は無い。


 夫に聞いた、シンクロニシティに関する話には続きがある。


『シンクロニシティってのは、種としての願望が他の因果を超越した時に作用するらしい。最適に進化し、他の種を勝るんだ。だから想像力豊かな人間は、この星で一番増えた。結果として多くの種が消えて行った』


『もし他の種が人間に対抗しようと考えた場合、一番怖いのは、圧倒的な物量で、知らない間に進められることだね。ほら、他国が日本の主要な土地をこっそり買い漁るみたいに。気が付いた時には手遅れになる』


『だからこんな怖さもあるよって、予め周知しておくんだ。そうすると群集心理が働いて、それはダメだろうって総意が醸成されるから、願望は具現化する前に対策され、失敗に終わる』


『ただし恐怖を煽る啓蒙は逆効果。集団ヒステリーは、存在しないはずの脅威を具現化する。つまりシンクロニシティを加速させる。だからね、笑い飛ばせるような、それでいて危機感を周知できる対抗手段が望ましいな。例えば小説にしてみるとか』


 パニックにならず、一人一人の想像力に委ねる。

 もっとも、これが事実だと声高に叫べば、見世物になって私自身は社会的に抹殺されるだろう。

 自分の命より人間の危機を救う? 悪いけどそんな自己犠牲を許容するつもりはない。


 激しい腹痛。

 まただ。

 このところ頻度が確実に多くなっている。

 私はトイレに駆け込み、もう慣れた一連の処置を行う。


 同時に思う。

 今、世に出回っている鶏卵のうち、鶏が産んだモノは一体どれくらいあるのだろう。

 ひょっとしたら、人間はすでに新しい進化を許容しているのかもしれない。


 見た目も中身も鶏卵と変わらない卵。

 それは鶏が産んでいなくてもそれは鶏卵と呼べるのだろうか?


 私はこれからどうなってしまうのだろう。


 投稿サイトに公開した短編小説。

「鶏卵シンクロニシティ」にプレビューはまだ0のままだ。

 どれだけの人に読まれれば阻止できるのか。


 鶏と人間のシンクロニシティは、果たしてどちらが勝つのだろう。



―― 了

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鶏卵シンクロニシティ K-enterprise @wanmoo

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