「もう、行っちまうのか?」


 全員分の魂を還し終えて、しばらく経った頃。

 村を出ると言って準備を始めた旅人に、俺は訊ねた。


「ああ。この村にも、私の逢いたい人は、どうやら居ないみたいだから」


 そう言って、旅人は棺を背負い、ロザリオを首にかけ、すっかりこの村へ来た時と同じ格好に戻っていた。


「会いたいやつがいたのか」

「まあね。この村に居るという期待は、正直していなかったけれど」


 そう言いながらも、旅人の表情は、どこか残念そうに見える。

 その、“会いたいやつ”っていうのが誰なのかは、俺には分からない。

 けれど、旅人は、やっぱりどこかで期待していたんだろう。自分の探している相手に、出会えることを。


「とはいえ、この村の人たちを、きちんと葬ってあげることはできた。それだけは、良かったかな」


 そう言って、旅人は、自分の話はおしまいとばかりに「さて」と呟いた。


「君は、どうするんだい? タケル」

「俺?」


 急に話を振られて面食らう俺に、旅人は、一つ頷いた。


「この先、君はこの村で、どうやって過ごしていくんだい?」

「俺、は……」


 そうだ。

 もう、この村には、俺以外の住人は一人だっていやしない。

 知り合いも、友達も、母さんだって死んじまった。

 父さんは――随分と前に理由も言わずに村を出たきり、ここへは帰って来ていない。

 今じゃあもう、どこにいるのか、生きているのかさえ分からない。

 そんな状態で、俺がこの村にいる意味は、あるんだろうか。

 黙りこんだ俺を、旅人はしばらくじっと見ていた。


「悩んでいるみたいだね」


 黙ったまま、小さく頷く。

 正直、この先どう過ごしていくのか、どう生きていくのかなんて、思いつかなかった。

 旅人はふっと笑うと、一度だけ俺の頭を撫でて、それから、俺に背を向ける。


「君に残された時間は長い。ゆっくりと、後悔のないように選びなさい」


 そう言い残して、旅人は、村の外へ向かって歩いていく。


「(あ……)」


 行っちまう。

 一瞬、寂しさにも似た気持ちが、ひょっこりと顔を覗かせる。

 そんな感情を覚えたことに、俺自身、驚いていた。

 昨日今日知り合ったばかりの旅人を、勝手に、まるで歳の離れた友人みたいに感じて。

 そんな旅人がいなくなってしまうのを寂しがっている自分に気付いて、驚いたんだ。


 このまま、きっと旅人は、何の躊躇いもなく村を出て、また次の目的地へ行くんだろう。

 そして、ここで過ごした短い時間の出来事も、俺が旅人から聞いた話のように、旅人が行く長い旅路の、ほんの一部になってしまうんだろう。


「(それは、嫌だ)」


 はっきりと、そう思った。

 俺は、あいつの旅の物語の、ほんの一部になって終わるのは、嫌だ。

 俺は、俺にしかできない生き方で、俺自身が主人公の人生ものがたりを生きたい。

 だけど俺には、まだ、俺にしかできない生き方なんてものが、分からない。


 だから……!


「おい!」


 思い切り息を吸って、腹の底からの大声で、旅人を呼ぶ。

 少しずつ遠くなっていた、棺桶に隠れた背中が、くるりと振り向く。


「お前、ちょっと待ってろ!」


 不思議そうに首をかしげる旅人にそう言い残して、俺は、大急ぎで家に戻った。

 二つの小さな旅行李たびこうりの中に、少しの荷物と、家族で撮った写真を入れたら、しっかりと行李同士を紐で結ぶ。

 旅装用の着物と袴(この地域に伝わる民族衣装だ)を着込んだら、縞模様の合羽を羽織って、三度笠を被って、さっき荷物を詰めたばかりの旅行李を肩から下げた。


 それから、あと一つ、大切な荷物がある。


 縁側に面した部屋にある、刀掛け。

 そこに置いてある、一振りの刀――昨日手入れをしていた刀を、俺は、じっと見つめた。

 これは、父さんが、最後に家を出て行く直前、俺に預けてくれた大切なものだ。

 そこいらの数打ちものとは比べ物にならないほど、貴重な刀らしい。


「…………」


 少し考えて、俺は、その鞘をしっかりと掴んだ。

 父さんが、どうしてこの刀を俺に託したのかは分からない。

 けれど、少なくとも、今の俺には、今がこの刀の使い時だと思った。


「借りてくぜ、父さん」


 そう呟いて、腰に刀を下げたあと、俺は部屋を出た。

 足袋と草履を履いて家の外へ出ると、旅人が、「やあ」と片手を挙げた。


「ずいぶん待たせるじゃないか。……その服装と、荷物は?」


 旅人の言葉に、俺は胸を張って答える。


「何って、旅装束に決まってんだろ?」


 俺がそう言うと、旅人は、少し驚いたように目を見開いた。


「君も、旅に出るのかい?」

「ああ。でも、ただ旅に出るんじゃねえ。あんたの用心棒として、旅に出るんだ」

「……君が、私の用心棒?」

「ああ」

「何でまた、そんな話に?」


 頷く俺に、旅人は、面食らったように訊ねてくる。

 そんな旅人の目を見て、俺は、さっき、自分で考えたことを伝えた。


「俺、今回、あんたと出会って――それから、あんたが村のみんなを葬るところを見てて、思ったんだ。俺は、このまま生きていたら、いつかきっと、誰かの生きた人生の脇役になるだけで終わる。例えば、旅人さん。あんたが続ける長い旅の物語の、ほんの一部になって、それだけのつまらねえ生き方で、延々と生き続けることになる」

「…………」

「そんなのは嫌だ。俺は、俺にしかできない何かを見つけて、それに精いっぱいぶつかっていくような、そんな生き方をしたい。そうやって、俺は、俺の人生の主人公をやり遂げたい。だから、まずは、ここよりもっと広い世界を見てみたい。あんたについて行けば、それができそうだと思ったんだ」

「……なるほどね」


 旅人は、一応は納得したという様子で頷く。

 けれど、それから、「それじゃあ」と言って、また何かを訊ねてくる姿勢を見せた。


「そこまでしっかりとした目標があるなら、どうしてまた、私についてくるという選択肢を選んだんだい?」

「それは……」


 ほんの少しだけ、口にするのは恥ずかしくて、思わず言い淀む。

 けれど、こうなったら、正直に言ってしまった方が楽になるんだろうか。

 半ばやけくそになりながら、俺は白状した。


「……お前とここでお別れしてそれっきり、ってのが、寂しいんだよ」

「……は?」

「うるせえ! 寂しがったっていいだろ! せっかく出会えたんだから、もうちょっと一緒にいたっていいだろ!」


 ぽかんとする旅人に、一息にそうまくし立てる。

 旅人は、しばらく唖然としていたけれど――やがて、「ふ」と声を漏らした。

 くすくす、聞こえてくる声は、どう考えても、俺のことを笑っている。


「な、何だよ。何が可笑しいんだよ」

「いいや? 悪かった。君、意外と可愛いところがあるじゃないか」

「はあ!? 可愛いって、お前、馬鹿にしてんのか!?」

「していないさ。私はただ、事実を述べたまでだ」


 怒る俺のことなんか意に介さず、旅人は目元に浮かんだ涙を指先で拭った。

 それから、ふうっと息を吐いて、少し真剣な顔つきで俺を見つめてくる。


「用心棒になると言ったからには、いざという時にはきちんと守ってもらうからね。本当にいいのかい?」

「……お、おお」


 任せとけよ。

 そう答える俺に、旅人は続けて問うてくる。


「長い旅路になるよ。気が遠くなるほどにね」

「そんなもん、どうってことねえよ」

「辛いことも、苦しいことも、たくさんあるよ」

「分かってる」

「村人のみんなを葬った時みたいに、これから、たくさんの人の“死”を見ることになるよ。それでも、ついてくるつもりかい?」

「覚悟の上だ」


 そんな心づもりは、もうとっくに出来ている。

 何せ俺は、つい数時間前に、母親や馴染みのある人たちを、いっぺんに亡くしたところなんだから。

 ここまできて、俺の決意が固いことをようやく認めたんだろう。

 深々と溜め息をついたあと、旅人は、帽子を深く被り直して、呟いた。


「――こんな、狂った世界に生を受けたからには、きっと、生きる意味があるんだろう。君にも、私にも」


 俺は、黙ってその言葉の続きを待つ。


「けれど、世界はあまりにも広く、人の生はあまりにも長い。生きる意味を見出せなかったり、生きる意味に迷ったりもするだろう」


 それは、今まさに生きていく意味を探しに行こうとしている、俺に向けての言葉だった。


「だったら、この長すぎるくらいに長い時間を生きながら、ゆっくりと探しに行けばいい。きっといつかは、君にも見つけられるから」


 そう言って、旅人は、俺にそっと手を差し伸べてくる。

 思ったよりもずっと小さくて白い手を、俺は、しっかりと握った。

 繋がれた手と手を見て、俺たちは笑い合う。


「――さあ、」


 俺の手を引いて歩き出す旅人が、口を開いた。

 ざあっと強い風が吹いて、村中の桜の花を巻き上げる。

 俺との別れを惜しむかのように、俺たちの旅の始まりを祝うかのように。


 桜の雨が降り注ぐ中、振り返った旅人は、清らかな微笑みを浮かべていた。




「探しに行こうか。広大な世界へ、それを探しに」






【第三章――桜の美しい村・コトヒラ編   了】

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旅する葬儀人 四条京 @Ritsu1104

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