②
「……じゃあ、どうすりゃいいってんだよ」
俺は、やり場のない感情をぶつけるように、旅人に言った。
「ほとんど死んだようなものだって言っても、みんな、まだ生きてるじゃねえか! 昼は起きて畑仕事をするし、今日みたいに笑顔で宴を開く! 夜になれば、眠くなって寝る!」
「…………」
「いくら病気で死んでるはずの状態だって言ったって、普通に生きてるのと変わらねえのに……これ以上、みんなを、どうすればいいんだよ」
どうしてやれば、いいんだよ。
教えてくれよ。
最後のほうは、言葉にもできずに、俺は俯く。
旅人は、そんな俺に何も言えなくなったのか、しばらく黙っていた。けれど、やがて、ゆっくりとまた口を開く。
「楽にしてやる方法なら、ある」
「……え?」
意外な言葉に、俺はぱっと顔を上げた。
月光に照らされる旅人は、真面目な顔をしていることも手伝ってか、ゾッとするほど美しかった。
「楽にしてやる方法って……なんだよ。教えてくれよ」
すがるような思いでそう言えば、旅人は、「簡単だ」と答える。
「死者を死者として、永遠の眠りにつかせる儀式――【
その言葉に、俺はあ然とした。
だって、その儀式は――
「お前、何言ってるんだよ。
」
世界でもっとも神聖な、『死者の魂を神のもとへ送る』という儀式。
それが、
その儀式は、【
たいていの人は、絵本の知識でしか知らない、伝説の存在だ。
「その
そう言いながら、俺は、あれ? と思った。
儀式を行なえば――死者としてみんなを送れば、みんなのことを、救えるんだろうか?
だって、いくら病気になったとはいえ、腕がなくなったり、心臓が止まっていたりしたとしたって、みんなは、“生きている”のだ。
普通に、今まで通りに。
“死者として”、“生きている”のだ。
だったら――このまま、何も知らなかったふりをして、普段通りに過ごさせてやったほうがいいんじゃないか?
「……君が、死者の魂を送ることに疑問を持つのなら、儀式は無理に行なわなくてもいい」
俺の考えていることを予想してか、旅人は、静かにそう言う。
「だが、忘れてはいけないよ。死者にも、鈍いとはいえ痛覚はあるし、苦しみだって感じる。それに、生命活動を停止した肉体は時間の経過とともに腐り落ちていくし、活動の停止した脳では何も考えられず、そのうち人間らしい思考や言動をとることもままならなくなるだろう」
「っ……」
「村人たちを、そんな状態になってもなお――およそ人間らしい人間とは言えない状態になってでも生かしておくことが、正しいのかどうか。彼らのためになるのかどうか。よく考えなさい」
「お、俺、は……」
俺はただ、みんなに笑顔で、元気なままで過ごしていてほしくて。
ただ、それだけで……
諭すような旅人の言葉に、俺は、何も言えなくなる。
俺がやろうとしていたことは、それはそれは残酷なことだったんじゃないか?
そう思うと、知らず知らずのうちに、体が震えた。
「……村のみんなと別れるのは、辛いだろう」
ぎゅっ、と。
縁側の前まで戻ってきていた旅人が、小刻みに震える俺の手を、そっと握ってくれる。
「すまないね。辛い決断を迫って」
「……そんなの、あんたのせいじゃない」
「いいや。だって、私は、半ば君を脅したんだ」
そう言いながら、旅人は、優しく俺の頭をなでた。
「死者を生かし続けるのは許しておけない――そんな私個人の感情を、もっともらしい理屈で覆い隠して、君に押し付けたんだ。大人げないことだよ」
「だって……それは、結局、一理ある意見なんだし」
「それでも、子どもに迫るべき選択じゃない」
「俺、もう一五なんだけど」
子ども扱いすんなよな。
そう言って拗ねたふりをすると、旅人は、一瞬きょとんとして、それから、「それは、すまない」と苦笑した。
「……それじゃあ、改めて君に問おう。タケル」
旅人は、俺から離れて、縁側から部屋の中へ入っていく。
それから、適当に置きっぱなしになっていた棺を背負い直すと、旅人は、しっかりと俺の目を見据えた。
「真の死者として、村人の魂を神のもとへ送ってやるか。それとも、何も知らなかったふりをして、このまま生かしておくか。二つに一つだ。どうする?」
まるで、旅人がみんなをどうこうするかのような言い方だ。
変なの。旅人に、そんな力なんてないはずなのに。
思わずぷっと噴き出したあと、俺は、まっすぐに旅人の目を見つめ返して、答えた。
「俺は、みんなを、楽にしてやりたい。死者として、カミサマのところに送ってやりてえ」
「……それが、君のエゴだとしても?」
「ああ。みんなに恨まれようと、俺はそうする。そうしたいし、そうしてほしい」
はっきりとそう言い切って、俺は、胸にトンと握りこぶしを当てる。
そんな俺をしばらく見つめたあと、旅人は、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「そうか」
そう言って、旅人は棺を担いだまま、玄関のほうへ回っていく。
少しすると、黒い革靴を履いた旅人が、縁側に立つ俺の前に立って、こう言った。
「早速、儀式の準備をしよう。タケル、キジュウロウさんを、起こさないようにこっちまで運んできてくれないか」
「は? 準備って……お前、
どうやって?
そう言いかけた俺の前で、旅人は、担いでいた棺を下ろして、蓋を開けた。
中に入っていた荷物を適当に周りに放りだすと、旅人は、俺に向かって手招きをする。
……来いってことか?
訳が分からないながらも、俺は、眠っているキジュウロウさんをそっと背負って、裏庭に下りた。
「ありがとう。それじゃあ、キジュウロウさんをそこに寝かせてあげてほしい」
「ここに?」
旅人の指示に従って、俺は、棺の中にキジュウロウさんを寝かせる。
一瞬だけ覗き込んだ棺の中は、不気味なほどに真っ暗で、底が全然見えない。
これで、どうするんだ?
ちらっと旅人を見やると、旅人は、棺のそばにしゃがみこんで、首から下げていたロザリオをそっと外した。
そして、十字架部分にそっと口づけてから、どこの言語かも分からない言葉で、何事かを唱え始める。
我は黒の葬儀人
神の御名において、終わりゆく命に、長き旅路の終わりを示す者なり
我が声は神の息吹
我が言葉は解放の標
朽ちた肉塊となりて常世をさまよえる死者よ
今宵、その魂を神の御許に返し、安らかなる眠りに身を委ねたまえ
「……え」
今、こいつ――
何を言っているのかはほとんど分からなかったけれど、その言葉だけははっきりと聞き取れた。
驚く俺の目の前で、キジュウロウさんの体が、少しずつ、光の粒になって、空へと昇っていく。
それは、絵本で読んだことがあるのと、まったく同じ現象。
ちょっと待てよ、まさか、こいつ――――
「――本物の、
思わず漏れた呟きに、旅人はちらりとこっちを見遣ると、小さく微笑む。
――マジかよ。
こいつが、絵本に描かれてた、
俺が驚いている間に、棺から立ち上っていた光は完全に消えてしまった。
恐る恐る棺の中をのぞき見ると、そこには、わずかな光さえも残されていなくて、最初に見た時のような、永遠の闇が詰まっているだけだった。
「……これで、まずは一人」
額に滲んだ汗を拭って、旅人がふうっと息を吐く。
「これで……キジュウロウさんの魂は、神様のもとに行けたのか?」
「ああ。最後まで目覚めることも、苦しむこともない、安らかな最期だったと思うよ」
旅人は、そう言うと、立ち上がってこう言った。
「さあ、残りの村人も、それぞれの家の庭で葬ってあげよう」
早くしないと、夜が明けてしまうからね。
そう言って、旅人は棺の蓋を閉じて、再び背中に担ぐ。
「手伝ってくれるね? タケル」
「……ああ、任せとけ!」
旅人の言葉に大きく頷いて、俺は立ち上がる。客間で眠っているみんなの中で、誰から家に帰してやろうかと考えながら。
村で一番仲の良かった友達を。
よく遊び相手になっていた、年下の子どもたちを。
時に俺を頼り、時に俺を助けてくれた大人たちを。
俺がそれぞれの家まで運んだら、旅人――もとい、
それを繰り返しているうちに、空はもう、明け方近くの紺青に染まっていた。
山向こうから陽が昇りつつある頃、俺は、最後の死者……俺の母さんを、家に連れて帰ってきた。
「……彼女で、最後だね?」
「ああ」
宴の時、たくさん料理を用意していたから、疲れたんだろう。
静かに眠っている母さんの表情は、とても穏やかで、気持ちよさそうに見える。
けれど、その顔には、不気味な黒いシミが点々と浮かんでいて。
――母さん……本当に、もう、
ちっとも呼吸をしていないのを感じ取ってしまうと、母さんがもう生きてはいないということを実感する。胸が詰まるような思いがした。
「……タケル」
辛くなる前に――
その先の言葉を濁して、
分かってる。
母さんが起きるのを待って、会話でもしたら、俺が辛くなる。
「……頼む」
俺は、
「母さん、今まで、ありがとうな」
ゆっくり、おやすみ。
そう言ったあと、俺は棺から少し離れて、
葬儀人は、俺を見て、しっかりと頷き返す。
そして、キジュウロウさんや、他のみんなの時にそうしたように、十字架を手に棺の傍へしゃがみこんで、呪文を唱えた。
やがて、母さんの体は、温かな光の粒になって、空へ昇っていく。
朝日に溶け込むようにして、少しずつ消えていく、母さんだったもの。
それを見送りながら、俺は、ぐっと涙を堪えた。
だって、こうなることを望んだのは、俺だ。
本当なら、どんな姿になってでも、母さんたちを生かしておくことは出来た。
それでも、それをしないことを選んだのは、俺なんだ。
だから、そんな俺が泣くなんて、お門違いもいいところだ――そう、思っていたのに。
「よく、頑張ったね」
儀式を終えた旅人が、不意に、そんな言葉をかけてくる。
驚く俺を、そっと包み込むように抱き締めて、旅人は言った。
「よく決断した。幾人もの命の行く末を決めるのは……辛かっただろう」
――タケル。
優しい声が、俺を呼ぶ。
「泣いても、いいんだよ」
そう囁かれた、次の瞬間。
俺の中で、我慢していたものが、堰を切ったように溢れ出した。
「うっ……ふ、う、ああ、ああああ、あああああ……!」
泣き声と一緒になって、大粒の涙が、ぼろぼろと、ぼろぼろと零れていく。
ごめんな、みんな。
俺なんかが、勝手に、みんなを“死なせる”決断をして。
ありがとう、みんな。
最後まで、俺の日常を――笑顔にあふれた村での生活を、守ってくれて。
嗚咽を漏らす俺の頭を、旅人は、何度も撫でてくれた。
母さんが、小さい頃の泣き虫だった俺にそうしてくれたように、何度も、何度も……
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