少年と旅人と旅立ちの朝

 旅人が報告書を読み終えた時、俺は、あまりの衝撃に、わなわなと体を震わせていた。


「……何だよ、それ」


 桜熱おうねつ病?

 数ヶ月前に、村を襲った病?

 それって――俺が、武術大会に出るために、村を出ていた時期と、同じ時期の話じゃないか。


「なあ、おい。これ、冗談だよな? 冗談なんだよな?」


 冗談だって言ってくれよ。

 そんな思いで、旅人の肩を掴んで揺さぶる。

 旅人は、何も言わずに俯いて、帽子を深く被り直す。

 それこそが、そいつの答えだったような気がした。


「……何で……」


 何で、そんなことに。

 だって、みんな、元気だったじゃんか。

 俺が村に帰ってきた時、みんな、笑顔で「おかえり」って出迎えてくれたじゃんか。

 そのあとも、ずっと、何事も変わりなく――


「……君だって、本当は異変に気付いていたはずだ」


 不意に、旅人が漏らした言葉に、ハッとさせられる。

 旅人は、どこか鋭く感じるほどに真剣な目つきで、俺をまっすぐに見つめていた。


「思い出すんだ。君が武術大会を終えて帰ってきた時、本当に村人たちは『それまでと変わりない』様子だったのか? 君の母や、村長――キジュウロウさんや、村人みんなの顔に黒いシミができていたのはいつからだ? キジュウロウさんの腕が片方なくなったのはなぜだった?」

「……っ!」


 旅人の言葉に耐え切れなくなって、咄嗟に顔を逸らす。

 そして、俺は見た。

 一番奥で寝ているキジュウロウさんの、腕をなくした右肩を。

 布団を借りてぐっすり眠っている母さんや、他の村人みんなの顔に浮かんだ、不気味な黒いシミを。

 それは全部、旅人が読み上げた報告書に書いてあったことの、そのままで……


「……認めたくないだろうが、ここに書いてあることは、全て真実だ。君が武術大会のために村を出ていたちょうど同時期に、この村の桜が、桜熱病に罹ったんだろう。そして、君以外の村人全員が、同じように感染した」


 君の母親も、村長さんも、みんな。

 そう言って、旅人は、今度こそ何も言わなくなった。

 旅人自身も、この話をするのは、辛いんだろう。

 本当は、めちゃくちゃ、辛いんだろう。


「……じゃあ」


 長い長い間のあと、俺はぽつりと呟く。

 ゆっくりと顔を上げた旅人に、俺は、恐る恐る、訊ねた。


「俺以外の、村人は……もうみんな、死んでるってこと?」


 ザアッ、


 音を立てて吹いた夜風が、桜の花弁が散っていく。

 村人たちの命を奪った、毒の花弁が――さらさらと、さらさらと。


 旅人は、俺のほうからこんなことを聞くのが意外だったのか、ちょっと驚いたように目を見開いていた。けれど、すぐに目を伏せて、緩く首を横に振る。


「いや、それは違う」


 違うんだ。

 そう、小さく繰り返すと、旅人は、真面目な顔で言った。


「彼らは、正確には、まだ“死んでいない”。“死者として生き続けている”状態だ」

「死者として……?」


 俺がそう言うと、旅人は、一度俺の隣を離れて、畳の上に置いた棺のほうへ歩いていく。

 それから、中を漁ると、古びた一冊の絵本を取り出して、こっちへ戻ってきた。


「これは、読んだことはあるかい?」


 そう言って旅人が差し出してきた絵本は、もうかなりボロボロになっていた。

 つ国で書かれたのだというこの絵本は、昔からある、かなり有名な物語の絵本だ。

 当たり前のように、このあたりの地域の言葉でも訳されていて、俺は、訳されているほうの絵本を読んだことがある。


「有名だよな、これ。『かみさまとひとの七日間』だっけ」

「訳し方としては、そうだね」


 合っているよ、と旅人が頷く。内容は、読み上げられなくても分かっていた。

 この世界をつくったのだという『神様』が、世界をつくり、生き物をつくり、人をつくりあげ、すべての仕事を終えて眠りにつくまでのことが描かれた物語だ。


「この絵本に載っているように、人は、どんな怪我を負っても、どんなに年老いても――そして、死に至る病に罹っても、


 彼らの様相を見れば分かるだろうが――

 旅人はそう呟いて、まだ宴のあとの眠りの中にいる村人たちをちらりと見やった。


 病気になって、腕が腐ってなくなっても。

 呼吸や脈拍が止まっても。

 心臓の音が聞こえなくなっても。

 それでもなお、みんなは、“生きている”。


「死してなお生きるヒト――【屍人アンデッド】。彼らはその慣れの果てへ、ゆっくりと向かっている」


 死んでも死ねないみんなのことを、旅人は、憐れんでいるようだった。

 でも、旅人はすぐに表情を引き締めて、「けれど」と口にした。


「私は、それは、許されないことだと思っている」

「許されない……こと」


 それって、何がだ?

 首を傾げる俺の横を通り過ぎて、旅人は、縁側から裏庭へと降り立つ。

 靴も履かず、足元が汚れるのも構わずに、旅人はくるりとこっちを振り向く。

 夜風を受けて、まるで黒い翼を広げるかのように、外套の裾がひらりと翻った。


「致命傷を負えば死ぬ。死に至る病にかかれば命を落とす。長く生きた者は、然るべき時が来れば、その生涯を閉じる。人間とは、本来、そうであるべき生き物だ」


 旅人の長い髪が、夜風に流される。

 桜の木の枝と一緒に、さらさらと揺れる。


「死んでもなお生かされるだなんて、それは生命に対する冒涜――生命の尊さを穢し、傷つけることにほかならない。限られた時を懸命に生き、いつかその命を終えるからこそ、人の生は美しいと、私は思う」


 その終わりが、例え、どんな形であっても。

 旅人は、そう言って、話を一度締め括った。

 ……旅人の言っていることは、何だか難しくて、正直よく分からない。

 けれど、とどのつまり、旅人はこう思っているんだろう。


 ――人間は、いつか必ず、死ぬべきなのだと。

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