少年と旅人と旅立ちの朝
①
旅人が報告書を読み終えた時、俺は、あまりの衝撃に、わなわなと体を震わせていた。
「……何だよ、それ」
数ヶ月前に、村を襲った病?
それって――俺が、武術大会に出るために、村を出ていた時期と、同じ時期の話じゃないか。
「なあ、おい。これ、冗談だよな? 冗談なんだよな?」
冗談だって言ってくれよ。
そんな思いで、旅人の肩を掴んで揺さぶる。
旅人は、何も言わずに俯いて、帽子を深く被り直す。
それこそが、そいつの答えだったような気がした。
「……何で……」
何で、そんなことに。
だって、みんな、元気だったじゃんか。
俺が村に帰ってきた時、みんな、笑顔で「おかえり」って出迎えてくれたじゃんか。
そのあとも、ずっと、何事も変わりなく――
「……君だって、本当は異変に気付いていたはずだ」
不意に、旅人が漏らした言葉に、ハッとさせられる。
旅人は、どこか鋭く感じるほどに真剣な目つきで、俺をまっすぐに見つめていた。
「思い出すんだ。君が武術大会を終えて帰ってきた時、本当に村人たちは『それまでと変わりない』様子だったのか? 君の母や、村長――キジュウロウさんや、村人みんなの顔に黒いシミができていたのはいつからだ? キジュウロウさんの腕が片方なくなったのはなぜだった?」
「……っ!」
旅人の言葉に耐え切れなくなって、咄嗟に顔を逸らす。
そして、俺は見た。
一番奥で寝ているキジュウロウさんの、腕をなくした右肩を。
布団を借りてぐっすり眠っている母さんや、他の村人みんなの顔に浮かんだ、不気味な黒いシミを。
それは全部、旅人が読み上げた報告書に書いてあったことの、そのままで……
「……認めたくないだろうが、ここに書いてあることは、全て真実だ。君が武術大会のために村を出ていたちょうど同時期に、この村の桜が、桜熱病に罹ったんだろう。そして、君以外の村人全員が、同じように感染した」
君の母親も、村長さんも、みんな。
そう言って、旅人は、今度こそ何も言わなくなった。
旅人自身も、この話をするのは、辛いんだろう。
本当は、めちゃくちゃ、辛いんだろう。
「……じゃあ」
長い長い間のあと、俺はぽつりと呟く。
ゆっくりと顔を上げた旅人に、俺は、恐る恐る、訊ねた。
「俺以外の、村人は……もうみんな、死んでるってこと?」
ザアッ、
音を立てて吹いた夜風が、桜の花弁が散っていく。
村人たちの命を奪った、毒の花弁が――さらさらと、さらさらと。
旅人は、俺のほうからこんなことを聞くのが意外だったのか、ちょっと驚いたように目を見開いていた。けれど、すぐに目を伏せて、緩く首を横に振る。
「いや、それは違う」
違うんだ。
そう、小さく繰り返すと、旅人は、真面目な顔で言った。
「彼らは、正確には、まだ“死んでいない”。“死者として生き続けている”状態だ」
「死者として……?」
俺がそう言うと、旅人は、一度俺の隣を離れて、畳の上に置いた棺のほうへ歩いていく。
それから、中を漁ると、古びた一冊の絵本を取り出して、こっちへ戻ってきた。
「これは、読んだことはあるかい?」
そう言って旅人が差し出してきた絵本は、もうかなりボロボロになっていた。
当たり前のように、このあたりの地域の言葉でも訳されていて、俺は、訳されているほうの絵本を読んだことがある。
「有名だよな、これ。『かみさまとひとの七日間』だっけ」
「訳し方としては、そうだね」
合っているよ、と旅人が頷く。内容は、読み上げられなくても分かっていた。
この世界をつくったのだという『神様』が、世界をつくり、生き物をつくり、人をつくりあげ、すべての仕事を終えて眠りにつくまでのことが描かれた物語だ。
「この絵本に載っているように、人は、どんな怪我を負っても、どんなに年老いても――そして、死に至る病に罹っても、決して死ぬことがなくなった」
彼らの様相を見れば分かるだろうが――
旅人はそう呟いて、まだ宴のあとの眠りの中にいる村人たちをちらりと見やった。
病気になって、腕が腐ってなくなっても。
呼吸や脈拍が止まっても。
心臓の音が聞こえなくなっても。
それでもなお、みんなは、“生きている”。
「死してなお生きるヒト――【
死んでも死ねないみんなのことを、旅人は、憐れんでいるようだった。
でも、旅人はすぐに表情を引き締めて、「けれど」と口にした。
「私は、それは、許されないことだと思っている」
「許されない……こと」
それって、何がだ?
首を傾げる俺の横を通り過ぎて、旅人は、縁側から裏庭へと降り立つ。
靴も履かず、足元が汚れるのも構わずに、旅人はくるりとこっちを振り向く。
夜風を受けて、まるで黒い翼を広げるかのように、外套の裾がひらりと翻った。
「致命傷を負えば死ぬ。死に至る病にかかれば命を落とす。長く生きた者は、然るべき時が来れば、その生涯を閉じる。人間とは、本来、そうであるべき生き物だ」
旅人の長い髪が、夜風に流される。
桜の木の枝と一緒に、さらさらと揺れる。
「死んでもなお生かされるだなんて、それは生命に対する冒涜――生命の尊さを穢し、傷つけることにほかならない。限られた時を懸命に生き、いつかその命を終えるからこそ、人の生は美しいと、私は思う」
その終わりが、例え、どんな形であっても。
旅人は、そう言って、話を一度締め括った。
……旅人の言っていることは、何だか難しくて、正直よく分からない。
けれど、とどのつまり、旅人はこう思っているんだろう。
――人間は、いつか必ず、死ぬべきなのだと。
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