04 主役の代価
黒、黒、黒。辺り一面に広がる闇の世界。
忠人が意識を取り戻したのは、そんな不穏な空間であった。
暗く、静かで、そして寒い。1秒毎に不安感が激しく増大していく無明の世界。
「――――――」
ピアノ線よりも細くなった心に、せめて何か音を聴きたいと口を開いた忠人であったが…………声が出ない。
口の感覚が、いいやそんなレベルでは無く、体の感覚が無い。
まるで辺りに広がる闇の中に、全身が溶かされてしまったかの様な。
――光。光が欲しい。どうかこの暗闇を照らす明かりを灯してくれ。
頭が可笑しくなりそうな空間に、そう思ってしまったのがいけなかったのだろうか?
真っ暗闇の世界を照らす莫大な光。
忠人のの願いが叶って良かった?いいや、否。
「――――――!!」
声は出ない。しかし、忠人は間違いなく生涯最高の叫び声を上げていた。
熱い。熱い。熱い。
熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱――!!!
発生した光によって忠人に与えられたのは、未だかつて一度たりとも体験した事の無い熱量。
全身を流れる血液の、その1滴1滴が、マグマで出来た赤熱の歯車と成って、体の中をくるくる、
自らの心臓の位置に、突如として太陽が発生したかの様な。
それらの例ですら、生温く感じてしまう程に、膨大で破滅的な熱量。
――死ぬ。死んでしまう。
己を襲う、
――
一瞬で全身が溶けて死んでしまうであろう熱。
或いは、この不可思議な空間が、精神世界の様な物で合ったとしても、発狂――精神的な死は免れない。
そう断言できるほどの衝撃が忠人には持続的に襲い掛かっている。
なのに、死なない。死ねない。気絶すら出来ない。
物部 忠人と言う人間の器が許容出来るレベルの痛みなど、遥かに上回っていると言うのに!!
「…………」
そうして、忠人は理解してしまう。
今、自分を襲っている物の正体を。
――これは
無論、明かりと言う意味では無い。
それは夢であり、希望であり、決意である。
勇気であり、愛情であり、慈愛である。
それは善と呼ばれる物。世を光と闇で分類した場合の、光。
それが、忠人の中に急速で発生しているのだ。
救え。救え。救え。救え。
あらゆる悲劇を塗り替えろ、万象の救済を為せ。
無限に膨張し、広がり続ける光の意志は、雄々しくも華々しい。
ああ。故に、だからこそ。
忠人はもう一つだけ理解せざるを得なかった。
――この苦しみに終わりは無い。
もしもこの力が、忠人を苦しめようとする悪意による物であったのなら、何れは終わるだろう――それがどれほど長い時間かは分からないが。
しかし、善意であるのなら、もう駄目だ。
極まった正義の質の悪さは、悪意のそれを大幅に上回る。
だってそれは正しいから。
だってそれは強いから。
誰かの為に、誰かの為に、誰かの為に、と他者の為に沸き上がる
どうして忠人が発狂すら出来ないのかも、明白だ。
何故なら、この光に
この光は忠人を、頑張れと、諦めるなと、希望を持てと、そう鼓舞する物である。
そこに悪意など欠片も無いし、むしろ壊れようとする忠人の精神を、お優しい事に治してくれているくらいだ。
だが悲しいかな、どのように素晴らしい物も、過ぎれば毒に変わる。
水をやり過ぎれば花が枯れる様に、もしも天に浮かぶ太陽が、人間の事が大好きで、もっと温めて上げたいからと、接近してきたらどうなるか?地上は、生命が生存できない灼熱地獄に早変わりするだろう。
つまりはそういう事。
降り注ぐ強い、強い、光の意志に、忠人の小さな器が全く耐えられていないのだ。
だからそう。この責め苦は、光の言う通り全てを救うまで終わらないのだ、と忠人は理解してしまい、そして絶望すら許されず――
≪第一世界≫
――そうして忠人は
「ッッ!?ハァッ!ハァッ!!」
体を包み込む、温かく柔らかい布団の感触。
ほのかに香るい草の匂い。
歴史ある日本家屋の一室は、第一世界における忠人の部屋で合ったが、しかし今の忠人に、そんな事を気にしている余裕は皆無だった。
喘息の様に息を荒げる忠人は、深呼吸も、周囲の確認もせず、突如として自身の左手首の肉を、右手で無理矢理引き千切った。
「ぐっ、ぎぃっ!!」
当然の摂理として、辺りに鮮血がまき散る。
勢いよく噴き出した忠人の血に、シミ一つ無いシーツが紅く染まる。
突然の暴挙に、しかし忠人は更なる自傷に手を染める。
あろうことか、肉をむしり取った傷口の中に、指を刺し入れて、その中にある神経をぐちゅぐちゅと握り潰し始めたではないか。
「ごぉっ、がふっ!」
当然、痛いし、苦しい。
忠人の口から、反射的に苦悶の声が漏れ出した。
しかしながら、その声が止んだ後、忠人の顔に浮かんでいたのは、
「は、ははっ。……生きてる。俺は生きてるッッ!」
何でも良いから己が今、無事に生きている事の実感が欲しかった。
先程までの光の地獄に比べれば、この程度の痛み――或いは体をぶち抜かれたり、全身を切り刻まれながら捕食される事すらマッサージの様な物で合った。
「説明しろッッ!!アレは一体何だッッッ!!!!!」
夢で合った、等とは、欠片も思わないし、思えない。
己の存在そのものが焼き尽くされていく感覚が、今も忠人の中にしっかりと刻まれている。
明らかなる異常。故にいるであろう謎の声に対して、忠人は怒号を投げかけた。
『一々喚くな。鬱陶しい』
「お前っ――!」
『説明せんとは言っていないだろう。まずは落ち着けよ。そんな様子ではどれだけ説明しても頭に入らんだろうし、邪魔も入るだろう。まずは傷を治すんだな』
第一世界における物部の家は、心意奏者の
よって幾人もの使用人や、部下を家に抱えており、こんな風に騒いでいれば、何時邪魔が入るか分かったものではない。
冷たくはあるが、最もな言葉に忠人は、深呼吸をして僅かばかりに冷静さを取り戻す。
それと同時に、自傷した手首と血が撒き散らされたシーツに心意を回す。
常人であれば、最悪二度の手が動かなくなってしまうような傷が、たった数秒で何の痕跡も無く消え失せる。
充満していた血の匂いや、血痕なども綺麗サッパリと無くなり、物騒な事に成っていた部屋が、平穏を取り戻す。
「これで良いだろ。とっとと説明しろよ」
『分かった。説明しよう。しかしその前に、一つ質問だ。物部 忠人、お前は【主人公】の条件とは何だと思う?』
「……は?お前、まだそんな事を。こっちを煙に巻く気なら――」
尚も迂遠な言い回しを続ける声に、忠人の怒りが再燃しかける。
『別に誤魔化そうとしている訳じゃない。お前の状況を解りやすく説明するために、必要な事だ』
「……チッ。…………諦めない心、とかか?」
『確かに、強い精神は有るに越したことはないな。だがしかし
「……何だよ」
『――
「ッッ」
告げられた言葉に、忠人の息が詰まる。
決定的な事を伝えようとしている声の言葉は、尚も淡々と続いていく。
『神をも屠る膂力に、悪魔をも手玉に取る智、そんな英傑の素質を持つ人間がいたとしても、何一つ争いの無い平和な世界に産まれ落ちて、一介の農民として生を終えたのならば、そいつは【主人公】などとは呼ばれないだろう。まあ、そも主人公云々は関係なく、溢れる才気を持ちながら時流に恵まれず、歴史の影に消えていった天才など、掃いて捨てるほど存在する』
主人公が、英雄が、輝かしい物で足り得るには、それ相応の舞台が必要なのだ、と声は語る。
そうして謎の声は、忠人を地獄に突き落とす一言を、余りにも事も無げに言い放つ。
『だが安心しろ物部 忠人。お前にそんな不遇は訪れない。お前は【波】の操作によって【主人公】と成った紛い物だが、いいや
「――ぁ」
それは、第二世界において、獣たちに奇妙なまでに付け狙われた時。
それは、第三世界において、逃げることに成功したはずなのに一度目と同じ死を迎えた時。
それは、第四世界において、脈絡もなく多数の怪物に襲われた時。
それらの時に、確かに感じた背筋に迸る破滅的な悪寒。
ああ、つまりそれは――。
「ふざ、けるな。何が、祝福だ。呪いでしか無いじゃねぇかっ!つまり、糞みてぇな事件が、必ず俺の方に寄って来るって事だろ!?」
『そうとも言えるな。簡潔に言えば、お前は世界崩壊の原因となった事件に必ず関わる命運にある。だが一つだけ安心しろ。前回の様な脈絡も無い死の因果は、【波】の流れに乗るまでの副作用の様な物だ。これからは、ああいった理不尽は、無理に事件から逃げ出そうとでもしない限りは、起こり得ないだろう』
「そんなの何の慰めにも成るかよっ!いや待て、それじゃあさっきの生き地獄は……」
無限に発生し、注ぎ込まる、相手が壊れることすら許さない、莫大な光。
その正体が、謎の声によって語られる。
『ふむ、
「あれが……」
『全てを諦めて投げ出した時、お前はそれに飲み込まれると思ったほうが良いだろう』
死の救いすら与えられない、無限に続く光の地獄。
世界の救済が成されない限り、忠人に待ち受けている運命はそれだけだ、と声が告げる。
「何が、俺に世界の救済を強制する気は無い、だッッ!!こんな物、実質的に、選択肢が一つしか無いじゃねぇか!!」
『それでも尚、全てを諦めて地獄に落ちる選択肢はある。ああ、それでどうする。戦うか?それとも諦めるか?』
物部 忠人に、誰かを救いたい。だなんて心は無い。
だけど自分自身を救いたいという思いは人一倍あって――だからこの選択は必然だった。
「嫌、だっ。俺はこんな所で終わって良い人間なんかじゃねぇんだッ!!だって未だ何も成せてないッッ――。死んで堪るか、あんな意味の分からない光に呑まれて堪るかッッ」
『では、どうする?』
「力を貸せ、クソ野郎。必ず巻き起こる事件とやらを生き抜いてやる」
『――ああ、良いだろう。是非もない。元より
此処に二人。契約が交わされる。
一人は自分の為に、一人は世界の救済の為に。
「……ああ、そう言えば」
『何だ?』
色々とこれからの事を話していく前に、一つだけ聞き忘れていた事が合ったな、と忠人は思い出した。
だから忠人は、さして気負うこともなく、その質問を投げかけた。
「お前、名前は?」
何時までも名無しのままでは、いろいろと不都合だろう?とそれは、至極最もな質問で合ったが。
『――――――――――』
「な、何だよ」
空気が固まり、時間が止まる。
姿かたちも見えない筈の声から、得体の知れないプレッシャーが流れ出す。
何か。そう何か、知らず知らずの内に、途轍もない地雷を踏み抜いた様な――。
『――マーティー・ストゥー』
「え?」
『
「……外人だったのか?」
だから、謎の声――曰くマーティーの正体が、外人だろうと、百を超えた老人だろうと、はたまた幼女であろうと、決して不思議ではないのだが、しかしどうにも忠人の胸中に噛み切れない疑問の種が残った。
声。そう、声なのだ。
忠人にとって、マーティーの声は、どこかで聞いたことがあるような、それでいて全く馴染みが無いような、そんな不思議な声で――。
『
「あ、ああ。確かに」
沈みかけた思考が、一瞬にして引き上げられる。
忠人は、相手を問い詰める機を逸して、どこか釈然としない感覚を味わいながらも、しかし確かにどうでも良いことか、と湧いた疑問を放り投げた。
『では、始めようか。物部 忠人。お前の物語を』
「ああ。力を貸せ、マーティー・ストゥー。俺は絶対に生き残る」
これが始まり。これより開演。
四つの世界の終幕に挑む物語が、ゆっくりと記され始めた。
アンダードッグは負けられない~噛ませ犬が四つの異世界の間をループしながら【主人公】と共に世界崩壊級の事件へと挑むそうです~ 三上 一輝 @sangami_ixtuki
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