03 世界を読み解く者

《第四世界》


「――ッッ」


 忠人は、ベッドの上から跳ね上がり、床に着地して辺りをキョロキョロと見渡した。

 しかし、いくら観察しようとも、人はおろか、虫一匹の姿すら見つけることが出来なかった。


「……ハッ。遂に幻聴が聞こえだすほどおかしくなったのかよ」


『貴様の頭がおかしいのは確かだが、生憎とオレは幻聴では無いよ』


「ッッ、誰だ⁉どこに居やがるッッ‼」


 今度は確かに聞こえた。若い男の声。幻聴ではありえない。

 しかし、辺りを見渡せどもやはり誰の姿もありはしない。


『どこに、か。オレはお前の中に居る』


「何をふざけた事を――いや待て、これ念話テレパスなの、か?」


 謎の男の声によく耳を澄ませて見ると、その声はどこからも響いてはいなかった。

 それは、忠人の精神こころに直接語り掛けてくる異能の声であったのだ。

 ……この第四世界においては、忠人が存在を確認出来ていない筈の、である。


「お前、何者だ……?」


『貴様の現状を説明出来る者、だよ』


 忠人の疑念の声に返された簡潔な返答は、しかし忠人が今最も期待していた答えであった。

 藁にも縋る勢いで、忠人は謎の声へと詰めかかる。


「何なんだ!俺に一体何が起こっているんだ!!」


 自身の死を起点とした、時間の巻き戻りと異なる世界への移動。

 一体、どんな理由があれば、こんな不可思議が罷り通るのか、忠人には分からなかった。

 謎の声によって、その理由が語られる。


『物部 忠人。お前は自分の住む世界が、物語であると考えたことはあるか?』


「………………は?」


 余りにも予想外なその質問に、忠人は先ほどまでの焦燥すら吹き飛んで、呆気にとられた表情を顔に浮かべた。



「一体、何を言ってやがる?」


『いいから答えろ』


「…………ねぇよ」


『――――そうか。だがしかし、そう言う風に考えた異能者の集団が居たんだよ。そいつらは世界を一つの大きな水桶とそこに入っている水の様な物だと考えた』


「……はぁ。それで」


 忠人は、まるでとても酸っぱい梅干しでも口に入れたかのような、何とも言い難い表情で返答した。


『その水桶で何かしらの事象が起き、中の水桶に一定の流れが生まれる。その流れを別の水桶から見れる能力――【世界を読み解く者ワールド・リーダー】があると考えた』


「つまり?」


『様は、世の中のフィクションの中には、別の世界で実際に起こったことを無意識的に観測して描かれた物があり、自分たちの世界を観測している別世界もあると言う考えだ』


「シミュレーション仮説見たいなもんか?……それで、その与太が一体俺の身に起こっている出来事に何の関係があるんだ」


『分かり易いように段階を踏んで説明をしているだけだ。取り合えず、そういう研究をしている異能者の集団が居たと認識をしておけ』


「まぁ、異能の研究者の中には、眉唾な理論を大真面目に考えている奴らが居るってのは理解できるけどよぉ」


 忠人自身も、別世界においては、心意だの、魔術だのと言った異能を使える身ではある。

 最もそんな忠人からしても、謎の声の語った理論は馬鹿馬鹿しく感じるものではあったが。


『では、望み通り本筋を話そうか。その集団のいる世界だが、ある日突然、滅んだ』


「……段階を踏んで話していくんじゃねぇのかよ」


 まるでフリーフォールのように急降下した話に、忠人は思わずぼやいた。


『その渦中では何かしら起こっていたんだろうが、巻き込まれた者たちからして見れば、ある日突然としか言いようが無いという話だ。貴様とて自分の現状を説明しろと言われれば、ある日突然、異なる世界に移動する様に成ったとでも言うしかないだろう?余計な茶々を入れるならば黙っていろ』


「チッ……」


 明らかに自分に対して棘がある謎の声に、忠人は気分を悪くしたが、自分の身に生じている事態の唯一の手掛かりの相手である以上、迂闊な反論は行わなかった。

 ――それでも舌打ちを行うあたりに、器の小ささが滲み出ているが。


『そうして世界は終わったわけだが、優れた霊的防護機能を持った場所にいた異能者の中には、世界の終わりから逃れた者たちも存在した。そんな彼らだが、非常に追い詰められた訳だ』


「……まぁそりゃぁ困るだろうよ」


 元々世界の終わりを望んでいた終末信者でも無い限り、世界が突然終わったら困るのは当然だろう。


『壊れた世界に取り残された彼らは、当然現状を何とかしなければ、と奮起した。しかし悲しいかな、何事も壊す事よりも、直す事の方が難易度が高い』


 だから、その結果は目に見えていた、と声は語る。


『新天地の想像を為すには、星も宇宙そらも吹き飛んでおり、資源が無い。かと言って時間遡行や因果改竄による歴史改変を為そうにも、時間も因果も消し飛んでいて、そもそも原因すら分からない』


「地獄絵図って訳だ」


『世界崩壊から生き延びる程の術者たちだ。全てが終わってしまう前に察知出来ていたのならば、どうにか出来ていたのかもしれないがな』


 しかし、そうはならなかった。それが答えで、けれどもこんな話をしている以上、結末では有り得ない。

 この話の流れからすると、と忠人は話の展開を先読みした。


「だけど、諦めなかった奴らが居たってことだな?」


『ああ。その通りだ。最初に話した【世界を読み解く者ワールド・リーダー】の研究者たち、彼らはそこまで追い込まれた世界崩壊の現状をむしろ奇貨だと考えた。彼らの理論は世界に巻き起こる【波】の観測。故に、世界崩壊という特大の異常事態において生ずる【波】は巨大であり、観測しやすい筈と考えたのさ』


「…………」


『――結果。【波】の観測は成功。彼らは自分たちが風車を巨人と認識した者ドン・キホーテでは無く、卵を立てた者コロンブスだと見事に証明して見せたわけだ』


「……それは分かったが、その理論を実証出来たとして一体何の役に立つんだ」


『先ほど述べた、生き残った術者たちが世界崩壊に抗しえなかった理由――資源不足と、崩壊の原因が不明瞭であること、そのどちらにも対する回答と成り得る』


 謎の声は、その要因を一つずつ解説していく。


『世界を救う指向性を有した【波】の残骸。観測成功による崩壊の原因及び座標の特定。崩壊座標αに介入を行い、途切れた【波】を正しく終端まで導き世界の救済を為す――要はバットエンドで終わった物語をハッピーエンドへ改変する。その為に送り込まれたのが貴様だ、物部 忠人』


 そうして、遂に語られた己が今ここにいる理由わけ

 極めて壮大で摩訶不思議な話に圧倒される忠人だったが、しかし彼には未だ問いたださなければならない疑問点があった。


「…………半分だ」


『半分?』


「物語に介入だのなんだのは分かった」


 それは、異常な前提条件下においては異常な理論こそが普通の物になるという、一種の逆転現象。


「普通だったら鼻で笑うような話だが、実際に死んで時間を遡っている以上、歴史改変や因果改竄と言った極めて特異な事情があるのは明白で、むしろ唯の偶然でこうなったと言われる方が驚くくらいだ。だからその理由が【世界を読み解く者ワールド・リーダー】だとか言うよく分からん物であろうとも、ある種どうでも良い」


 前にも同じようなことを考えたが、何らかの破滅的事象を回避・改竄するために、時間を遡り対処するというのは、それこそ物語フィクションの中ではよく見る設定だ。

 ある意味で理路整然としているとも言え、納得は出来る……実際に起こり得るかは、また別の話だが。


「だけどな、。さっきまでの話じゃあ、全く意味が繋がらない」


 世界を救うために物語を改変する?それは実に結構な話だが、その場合、問題と対策は一対一であるべきだろう。

 一つの世界を救うために、四つの世界を回りますでは、単純に数が合わない。

 抱いて当然とも言える忠人のその疑問に、しかし声はまるで動揺せず淡々と答えを発した。 


『なに、簡単なことだ。【波】を正しく導いても、世界の救済が為されることはないからだ』


「…………はァ?」


『よく考えても見ろ。何かしらの問題が発生し、それを【主人公】が解決する。それが所謂物語という物であり、その一連の流れこそが【世界を読み解く者ワールド・リーダー】における【波】な訳だ。しかし、世界が崩壊した以上その【波】は対岸にたどり着くことに失敗したという事になる。そして、崩壊後に確認し利用できた【波】は、言わば余波であり、第一波には及ばない力と勢いしか持っていない』


 無論、世界崩壊クラスの流れから生じた以上、それでも言語に絶する力であることは疑いようがないが、と声は補足する。


『つまり、そのまま何かした所で、世界を救済するには力が足らん』


「ふざけんな‼それじゃあ前提条件が崩れるじゃねぇか」


 それでは話が成り立たないだろう。と憤る忠人に、やはり声は冷静なままであった。


『慌てるな。そう難しいことではない。力が足りない時に人が取り得る、原始的で簡単な方法が存在するだろう?』


「オイ、まさか――」


。一つで足りなければ二つ。二つで足りなければ三つ。――三つで足りなければ四つだ。一度【波】の観測に成功した以上、似たような条件滅び去ったばかりの世界の【波】を見つけるのはそう難しい事では無かった。そしてその【波】には、どれにも世界を救うという指向性があるのだから、かき混ぜるのはそこまで難しいことでは無い」


 それはまるで、波と波を掛け合わせて、津波とするかの如き所業。


『よって物部 忠人。お前に課せられたのは四つの世界を救う、かつてない偉業だ。』


「は」


 喉がいやに乾く。冷汗が湧き出す。語られた話のスケールは、忠人の器が許容できる大きさを遥かに超えていた。


「ざけてんじゃねぇ!!どうして俺が、そんなことに巻き込まれなきゃなんねぇんだ!!」


『――ク。ククク。ハハハハハハハッッ』


 激高する忠人に、しかし返されたのは嘲笑であった。

 嘲るように、しかし激怒しているように。声に込められた莫大な感情の渦に、忠人の怒りが急速に冷却される。


「な、何が可笑しいっっ」


『何が?ああ、何がだと?これが笑わずにいられるものかよ。なあ、物部 忠人。貴様、まさか?』


「な、に?」


『貴様は、自分の意志で選んだんだよ。この事態に介入することを』


「そんなことある訳――」


 ――瞬間。フラッシュバック。

 忠人の脳裏に、覚えのない、されど



「■■!!そろそろ物語の改変を始めても良いんじゃ無いですかっっ」


 ここでは無い、何処か彼方。

 そこで、忠人は顔を認識できない誰かに親し気に話しかけている。


「――――」


「自信?当然有りますよ。この力ワールド・リーダーを自覚してから色々な世界を見て予習して来ましたけど、あいつら揃いも揃って道理の分からない馬鹿ばかり!!」


 神の視点から物事を俯瞰して、ああ何てこいつらは阿呆なのだろうと、忠人はそう結論付けていた。


「まあ、つまり。だから、そろそろ真打の登場と行きましょう。滅び去った世界を俺の手で簡単に救ってやりますよ!!」


 そう告げる忠人に、不安の感情は無い。

 自分ならば絶対に万事が上手く運ぶ。そんな自信に満ちて溢れていた。



「…………ぁ」


 そうして歯抜けの回想は終わりを告げた。

 最早自身の記憶すら信用できない状況に、忠人は黙らざるを得なかった。


『ああ、ふむ。その様子だと記憶の断片でも思い出したか。世界介入の影響で綺麗さっぱり記憶を失っていたようだがな。それは確かに貴様の過去にあった出来事だよ』


「し、知らない」


『他者の行動に対し、誰にでも出来るだの、自分でも出来そうだのと言う人間はよくいるが、実際は言葉の綾に過ぎず、本心から述べている者は少ない筈だがな。それに対して貴様ときたら実際にやって見せようというのだから、いやはや素晴らしいな――思わず唾を吐きかけたくなるよ』 


「お、俺はこんな……」


『どうした?念願の舞台だぞ。何を躊躇する必要がある?喜び奮って貴様の優秀さとやらを証明して見せれば良い。そうすれば望み通り賞賛の嵐が待っているだろうさ』


「――知らねぇって言ってんだろ!!!」


 もはや、自分に対して隔意を持っていることが疑いようもない謎の声の態度に、遂に忠人の堪忍袋の緒が切れた。


「ああ、そうだ。俺はやらねぇぞ、そんな事!!どうして俺だけが辛い思いをしなくちゃなんねぇんだ!!」


『やらなければ、世界が崩壊するが?』


「ハッ。関係ないね。そんなに困るなら、俺以外がどうにかしろよ!」


『――ふむ』


「…………」


『お前が嫌だと言うのならば、仕方が無いな』


「えっ?」


 間の抜けた声を上げたのは忠人だ。

 高いところに登った後に梯子を外された、そんな風にぽかん、とした表情を晒している。


「世界が滅びるんじゃ無かったのか……?」


『それはそうだが、それを盾に誰かに解決を強制するのは、道理が合わんだろう。お前の命で、お前の人生だ。使い道も最後おわりもお前自身で決定するべきで、そのお前が嫌だ、というのならおれとしては特に何も言うことは無い』


 それにそもそも、と声は話を続ける。


『必死にやっても尚、解決出来るかどうか分からない程に深刻な事態だ。それを嫌々行うくらいならば、最初ハナから諦めた方が、嗚呼、そうだな。実に合理的だろうさ』


「………………」


 己の癇癪にまるで動じぬその声に、忠人の気勢が削がれきる。

 ならばいっその事自分が悪かった、とでも言えば良いのに、それが出来ないのが、物部 忠人と言う男の気性であり、忠人はただ、ぶすっと黙り込む事しか出来なかった。

 そんな忠人の様子に、しかし謎の声は大した反応も見せず、無感情に言葉を続けた。


『まあ、それでも敢えておれから言うことが有るとするならば、だ。――――死にたくなければ、横に跳べ』


「――――ッッッ!?」


 途端。忠人の背に迸る途轍もない悪寒。濃厚に香る死の臭い。

 それらがもたらす凄まじい悪寒に、忠人は殆ど反射的に、宙に身を投げた。

 瞬間。轟音。

 空気が悲鳴を上げているかのように、軋み上がる。

 そして、自分がほんの数秒前までいた地点を、何かとても大きなモノが、高速で通過したのを、忠人は感じ取った。


「な、んだ、これっ!……いや、待て。これは――」


 家にバスかトラックでも突っ込んで来たのか?

 そう思った忠人の予想は大外れだ。

 ――その程度の・・・・・事態では無い・・・・・・


 そもそも、大して広くも無い部屋の中で、思いっきり横っ飛びなどすれば、壁や机などに激突するのが当然の筈なのに、その衝撃が無い、と言うのが最初の疑問点。

 それに対する答えは実に単純明快だ。

 何故なら、今現在、忠人が居るのは自室では・・・・無かったから・・・・・・


 鼻孔をくすぐる、草の青々とした匂い。

 受け身も考えず、必死に跳んだ体を泰然たいぜんと受け止める、土の感触。

 そして、燦々と降り注ぐ陽の光。

 そう。今、忠人が居るのは、広々とした草原であった。

 しかも、ただの草原ではない。


「この、場所は。……あの時のッッ――!!」


 電脳世界。より正確に言うなれば現実化した電脳世界。

 それこそ、この草原の正体であった。

 ――つまりは、第四世界における、忠人の一度目の死に場所である。

 そしてならば当然、忠人の真横を通り過ぎた、巨大なナニカの正体も容易く推測が可能だ。


「あれ、は……」


「――■■■■■■■■■■」


 大型車両よりも大きな体。全身を覆う鋼鉄よりも尚、堅い殻。

 敢えて形容するのならば、巨大なアルマジロ。この第四世界における最初の死因の姿が、忠人の目の前に存在していた。

 初撃の突進を運良く躱せたお陰で、彼我の距離はかなり取れているが、それは逆説的にそれ程の距離を一瞬で駆け抜けるほど、巨大アルマジロの突進の勢いが強いことを示している。

 更に、自分の突進を躱されたのが、余程腹に据えかねたのか、獣は更なるダメ押しを繰り出した。

 まるでダンゴムシの様に丸まり、体の全てが、固い、硬い殻で覆われる。

 そして、そのまま回転。大量の空気と草を切り刻み、辺りを震わす轟音が鳴り響く。

 その意図は余りにも明白だ。

 回転チャージからの突撃アタック

 大地を削り取りながら猛突する破滅の凶弾。人の命を刈り取るモノにこそ他ならない。

 そんな物に人体が巻き込まれればどうなるか。

 空中に大量に舞い散る草の破片の如く切り刻まれて散らされるか、圧倒的質量によって潰されるか、まあどちらにせよ五体が原型を留めないのは確実だろう。


「た、たすけ、助けてくれっ!」


『ふむ?』


 数分も経たない内に自分に訪れるであろう絶死の未来に、忠人の体が怯え、震える。

 しかし、返って来る言葉に、救済の音は灯らない。


「わ、悪かった。俺が悪かった。世界を救える様出来る限り協力するっ!だからここは力を貸してくれッッ!!」


『…………』


「っっ~~~~!!ふ、ふざけるなっ!!見捨てるのかっ!俺の事をッッ!!!!!!」


 無感情で無機質な声に、忠人の細い堪忍袋の緒が再び切れる。

 逆切れ気味に当たり散らす忠人の態度を前にして、漸く声から反応が返る。


『…………はぁ。ふざけているのは貴様の方だ。まるでオレが貴様に世界の救済を強制する為に、態と貴様を助けないでいるかの様な態度を取るな。そういう事はせんと言った筈だろう。馬鹿みたいな事をしていないで目の前の敵をとっとと倒せ』


「は、あぁっ!?」


 慌てふためく忠人に返って来る言葉は、無慈悲というよりは、どこかピントが合っていない。

 忠人と声の間に、何か大きな前提条件の違いがある。

 まるで、玩具の水鉄砲を前に、死ぬ、死ぬと喚いているだいの大人を呆れて見ているかの様な……。


「そんなもんっ、どうしろって言うんだ!!」


『どうとでもすれば良いだろう、心意、氣、魔術、どれでも好きに使えば良い。態々、オレに聞く事かよ』


 軽く言ってくれる声に、忠人の怒りが臨界点を迎え――。


「ふざけるな!それが出来るなら、最初ハナからそうして――」


 ――ピタリ、と動きも思考も止まる。


「――待て。使えるのか・・・・・?」


『何故、使えないと・・・・・?』


 ……それは。

 それらの技術は、他の世界の自分の物で、今の自分が使用できるのは、道理に合わぬから。

 ああ、いや。だがしかし。

 道理を論ずるのなら、そもそも別の世界の自分の記憶を持っているなどと言う現状事態が、そもそも道理を外れている。

 そこまで考えて、はた、と忠人は気づいた。

 巨大アルマジロ・・・・・・・の動きが遅い・・・・・・

 此方をなぶっているのか、それとも死を間際にした走馬灯そうまとうの如き集中力の為かと考えていたが、それにしてもゆっくりと見える。

 

 ――もしも、自分の動体視力が跳ね上がった結果だとしたら?


 そう思い至った、途端。忠人は己の中に不可視の力を感じ取った。

 瞬間、時間の流れが元に戻る。

 轟音を上げながら、硬質の弾丸と化した巨大アルマジロが、忠人に迫る。


心奏しんそう――」


 選択したのは心意しんい

 おのが魂の力を用いて、世界法則を塗り替える、第一世界の超常のわざ

 呟いたるは誓句コマンドワード

 鳴り響け我が心音よ、どうかその音色を持って世界を塗り替え給え。と己の心に語り掛ける言葉。

 刹那、激突。

 悲惨な交通事故染みた叫音と共に、忠人と巨大アルマジロが接触した。


 まず初めに述べておくが、巨大アルマジロの回転攻撃は、決して虚仮威しこけおどしなどでは無い。

 もし仮に、高層ビルが建ち並ぶビル街で同様の動きを行ったのならば、その場所は数分も経たぬ内に、瓦礫の山に変わる事だろう。

 だがらそう。これは有り得ぬ事だった。


「――――――」


 破滅的な激突を受けた筈の忠人が、拳を突き出したままの体勢で、無傷で立っている。

 いいや、無傷でどころの話では無く、その身体は元居た位置から寸毫すんごうたりとも動いてはいなかった。

 対照的に、高速で突っ込んだ筈の巨大アルマジロが、遥か遠方でビリヤード玉の様に転がってるのだ。

 忠人が、回転攻撃を繰り出した巨大アルマジロを殴り飛ばした。

 言葉にすればそれだけの、言うは易く行うのは常識的には不可能な事象だった。


 小男が大男を圧倒する。そんな程度の、物語フィクションの中ではありふれた出来事すら、滅多には起こらないのが現実。

 質量の差、という厳然たる世界の法則ルールだ。

 忠人と巨大アルマジロの質量の差は一体、何倍?何十倍? 

 であればこれは、この世の常識を超越した事態――即ち超常。

 一連の流れは、忠人が超常の力を扱ったという事の、完全にして無欠たる証明だった。


「はっ、ははっ、ハハハハハハハハハハハハハハハッッッ――!!!!」


 広大な草原に響き渡る忠人の哄笑。

 全身から湧き上がる全能感。

 今なら空も飛べそうな程――いや、飛翔など実際に容易い。

 先ほどまでの、怯え、恐れが、何のその。世界は希望に満ち溢れていると言わんばかり。


『何やら得意げに成っているのは結構な事だがな。相手は未だに健在の様だが?』


「あ?」


 気分良く大笑いしていた忠人に水を差す無感情な声。

 しかし、その声が示す通り、打突によって遠方に飛ばされた巨大アルマジロは、全くの無事であった。


「■■■――!」


 丸めた体を元に戻し、加えられた打撃の効果など無い、とばかりに鼻息一回。

 そのまま大きな唸り声を上げた。

 交叉カウンターの形で打撃が入った以上、巨大アルマジロの方にも比類なき程の衝撃が迸った筈なのだが、体を覆う殻にはひび一つ入ってはいない。

 故に、負傷ダメージが無い者同士条件は同じ。ならば後は我慢比べだ、と巨体から溢れる戦意の炎に一切の陰り無し。


「ハッ。見た目通り、防御力がご自慢って訳かぁ?結構、結構。なら、お望み通り試してやるよッ!」


 対する忠人も余裕綽々よゆうしゃくしゃく

 放つ言葉に焦りの色など欠片も無く、有るのは唯々相手への嘲りのみ。

 そして次の瞬間、忠人の姿が掻き消えた。


「■■■■■■■■――!!」


 仕掛けトリックは簡単。脚部に心意をめた高速移動。ただ、それだけ。

 しかし、静止した状態から、秒を刻むことすら無く、F1カーの最高速度を超す速度への加速は、周囲より見れば、突然に消失した様にしか見えない。

 空を切り裂き、地面を陥没させ、忠人がたどり着いた先は、巨大アルマジロの側面。


「ハハハハハハハッッ――!」


 そうして振るわれるは打拳だけんの乱舞。

 拳の弾幕が、巨大アルマジロの硬い殻に向かって放たれた。

 しかし、この攻撃には些か疑問が生ずる。

 確かに忠人が振るう乱打は、速力、手数、共に大した物だ。

 だが威力、という一点に焦点を絞った場合、相手の力を利用する形カウンターで入った初撃の方が、優れていた。

 その証拠に、数秒の間に何十発も放たれた打撃は、しかしその一つとして、巨大アルマジロの殻を傷つけるに至っていない。

 これでは、いたずらに体力を消耗するだけで、何の意味も――


「■■■■■■■■!?????」


 大きく響く獣の鳴き声。

 それはやはり人間には何を言っているのか聞き取れない物で合ったが、しかし今この声に込められた感情は、誰にでも理解出来る程に分かり易かった。

 苦痛、困惑、驚愕――つまり、巨大アルマジロは、忠人の攻撃によって確かなダメージを負っていた。


 忠人が、使用している心意だが、彼はその心意を心奏しんそう式と言う方法を用いて扱っている。

 正式名称を【心奏心意しんそうしんい伍式弐種ごしきにしゅ】。

 複雑怪奇で扱いが難解極まる心意を、読んで字の如く、五つの形式と、それぞれの式に対応する二種、計十個の分類に分けて扱う使用方法。

 そして今、忠人が攻撃に用いたのは、生命や物質、概念などへの干渉を行う式である『干渉式かんしょうしき』、そしてその内の、自分以外の他の存在に干渉する【しょく】である。

 『干渉式』の【触】を用い、敵対存在が身に纏う、鎧や、装甲、甲殻などに干渉を行い、自身の攻撃の衝撃を敵の内部に直接送り込む、心奏心意における基本技の1つ。

 之即ち――


「――戦技せんぎとおし】。遠慮せず、たらふく喰らえよ」


 基本技と侮ることなかれ。古来より、如何な武術、格闘技においても、極めた基本技術こそが、最も信頼出来る奥義と成るもの。

 そしてそれは心意と言う、超常のわざにおいても、決して外れていない。

 卓越たくえつした『干渉式』の担い手が放つ【徹】は、あらゆる鎧を素通りする防御不能の魔拳まけんと化す。

 忠人の心意の腕は、極めたとは流石に言えないが、しかし凡庸の域では決してない。

 例えば最新鋭の戦車を前に、装甲の上からの拳打により、その内部にいる操縦士を肉団子に変えて見せる。その程度・・の事は、忠人にとって鼻歌交じりで行えるレベルの難度だ。

 そんな打拳、受ける方は堪った物では無く、巨大アルマジロが苦悶の声を上げる理由も分かろうというもの。


『……意地の悪い。遊んでいないでとっとと決めろ』


 忠人の猛撃を前に、しかし送られたのは呆れと侮蔑であった。

 貫通する衝撃の拳。それは大したものだが、そんな攻撃方法を持っているのなら、頭部から脳を破壊でもすれば、勝負は一瞬で終わるだろう。

 勿論、現実化した電脳空間に発生した怪物、などと言った摩訶不思議な、生物かも怪しいナニカに、表の常識が通用するかは定かでは無いが、しかしそれは試しても見ない理由にはならないだろう。

 つまり、このド派手な乱打は、相手をなぶり、必要以上に傷つける為だけに行われている。


「こちとら、一度殺されてんだ!この程度は返礼代わりだろうさっ!!」


『……はぁ』


 それを否定はしないが、しかし趣味の良い行為だとは言えないだろう。


「それに、試したいこともあるし、なっ――!!」


 繰り返される拳の中で、特に勢いの強い物が、巨大アルマジロへと突き刺さる。

 その巨体が、軽々と地面を引きずりながら動かされ、互いの距離が少し空く。

 それと同時に、忠人の雰囲気が少し変わる。


「行くぜ」


 突如として空に浮かび上がる幾何学模様。


「【βροντή】」


 描いたるは魔法陣。呟いたるは詠唱。発動せしは魔術。

 空中に浮かぶ、魔法の陣より激しい紫電が迸る。

 発生した莫大な稲妻が、まるで生きているかの様に、巨大アルマジロへと殺到する。


「■■■■■■■■――!!」


 堅固な殻も、膨大な放電を完全に防ぐには至らない。

 草原に物が焼け焦げた臭いと、獣の更なる苦痛の声が響く。


ォォォォオッッ」


 痛みに硬直する巨大アルマジロへ、忠人はダメ押しを加えようとする。

 息を深く吸い込み、自身の中に新たなる力を張り巡らせる。

 それは、練氣法れんきほう。生命力を元に練り上げると言う第二世界の異能の業。

 氣で強化された肉体を使い、忠人は巨大アルマジロへと殴り掛かる。

 それ自体は、先ほどまでやっていた行動と変わらなかったが。


「■■■■――!?」


 発生した結果が今までとはまるで異なっていた。

 これまで忠人は、巨大アルマジロの殻の強固さを、搦手からめてを持って乗り越えてきたが、今しがた氣で強化された忠人の拳は、これまで攻撃に耐え抜いてきた硬い殻を、いとも簡単にぶち抜いていた。

 鋭い槍の如く、巨大アルマジロの殻を貫通した忠人の右手が、その中にある肉を抉る。


浸透勁しんとうけいで上から叩いても良かったが……。この程度の硬さを抜けられない、なんて勘違いされても困るんでなぁっ!!」


 やろうと思えばいつでもお前の殻など破壊できた。

 自慢の防御を抜かれた衝撃も相まって、激しく動揺する巨大アルマジロに、忠人の嘲弄ちょうろうが投げかけられる。


 心意・魔術・氣。

 それぞれ異なる三つの世界にある、常識を超越した異能の法。

 どれか一つ使用出来るだけでも、特別な人間を名乗る資格の生ずるそれの、三種切替連続使用。

 極めて小物臭い態度とは裏腹に、物部 忠人の特別性は、もはや異常の領域に存在した。


「アハハハハッ!!それじゃあ最後の実験と行こうか!!終わるまでは死んでくれるなよッッ!!」


「……■■■」


 最早、両者の戦いは、戦闘の体を為してはおらず、弱い者苛めの領域に至っていた。

 素早く異能の業を繰り出す忠人の動きに、巨大アルマジロは僅かたりともついていけていない。

 そんな哀れな実験動物を前に、忠人は自分の力の更なる検証を行う。


「おら、よッとぉ!!」


 氣を張り巡らせた殴打。先程のを槍と称するならば、今度は鈍器である。

 振るわれた打撃は、巨大アルマジロの殻を砕くには至らないが、しかし衝撃と氣を全身へと行き渡らせ、その身体を遠くへと吹き飛ばす。

 その氣と衝撃を起点に・・・、心意を発動。

 心意を概念へと変じさせる『変化式』の【まぼろし】。

 

 

「【爆発έκρηξη】」


 間髪入れず唱えられたのは、爆発の魔術。

 一連の動作は極めて素早く、そして迅速に、時計の秒針が1度動くのより尚早く行われた。

 異なる三つの世界に存在する異能。それら三つの、連続では無く、同時・・使用。 

 極めて奇怪かつ特別なその力の効果は、やはり相応に特殊な物であった。

 忠人の拳打による衝撃が行き渡った巨大アルマジロの皮膚や肉、それ自体が・・・・・爆発する性質を持った物へと置換される。


「ボン!ってね」


「――――――」


 激しい爆発音が草原に響き渡る。

 その音源は、巨大アルマジロの内部から。

 如何に堅牢な殻を持とうとも、身体その物を爆発させられて、助かる訳も無し。

 哀れ、巨大アルマジロは、その殻のみを地面に残し、後はバラバラの肉塊にくかいへと変貌させられてしまった。

 

「くっ、ふふっ。ご自慢の殻が残って良かったじゃないかっ!アハハハハハハッ!!」


 凄惨極まるその光景に、しかし忠人は笑顔であった。

 それは、過去――と言っていいのかは微妙な所だが、前回、自分を殺した相手を好きなだけ嬲れた、と言うのに加え、実験・・が大成功であった為だ。

 三種の異能の同時使用。

 それによって発生した、相手の肉体その物を爆発物に変質させるという事象。

 忠人にとって、それ自体は元より不可能と言う訳では無く、似たような事象を、心意や魔術で引き起こす事は可能だった。

 しかし、着目すべきは使った力の総量で有る。

 もしも心意や魔術単体で同様の事象を引き起こそうと思えば、それに使わなければならない力は千倍や万倍では到底効かなだろう。

 その事実、三種の異能の掛け合わせは、忠人の実力がそのまま跳ね上がったと言う事に等しい。


「アハハハハハハハハハハハッッ!!どうだ見たかよ!今の!!!!」


 ――これなら勝てる。何が相手であろうとも!!!


 忠人の心中に湧き上がる、自分が別世界の異能を使えると分かった時と同等、いいやそれ以上の全能感。

 今の自分であれば四つの世界の終末が何のその。必ず己の生存を掴み取ることが出来るだろう。


『成程、大したものだな。だが時間切れ・・・・の様だ。一回死んでおけ』


 かつて無いほどに調子に乗っていた忠人に、冷めた声が掛けられる。

 

 そして次の瞬間、空が裂けた・・・・・


「は?」



 裂けた空の向こう側には、紫色に揺らめく摩訶不思議な空間が存在していた。

 そしてそこから、巨大アルマジロ等とは比較にもならない程の怪物たちが、溢れ出して殺到してくる。


 獅子の体に、鷲の羽を持ち肉体から幾本もの大蛇が体毛として生えている獣が居た。

 地面を揺らす、果て無く巨大おおきな動く大山が居た。

 地表全てを燃やし尽くさんとする、絶えず燃え盛る漆黒の太陽が居た。

 何れ劣らぬ怪物たちが絶え間なく現れて、瞬く間に空と大地を埋め尽くす。

 前触れも無く発生した無数の怪物たちは、種別様々で一匹たりとも同じものは居なかったが、しかしたった一つだけ共通点を上げるとするなら、皆が忠人に対して強烈な殺意を迸らせているという事であった。

 それらはさながら、天高くまで昇った忠人の調子と命を、地の底にまで叩き落す死の鉄槌。


「ふざけっ――」


 後の事は語るまでも無い。

 ただそれでも一つだけ、惨憺さんたんたる構図に反し、そこそこもった・・・・・・・とだけは述べておく。


 こうして忠人は、また死亡した。












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