02 繰り返す死
≪第一世界≫
「ひっ、ひいいいいいいいいっっっ」
人工的な明かりが全て消え去って空に浮かぶ月と星だけが光源の、薄暗くそして異様なまでの静けさの夜の住宅街。
見覚えのあるその場所で、聞き覚えのある忠人の叫び声が響き渡った。
忠人の他にその場に居るのは、やはりこれまた見覚えのある二人の少女と、【鋼鉄の赤鬼】。
まるでテレビの
明らかに時が巻き戻ったとしか思えないような異常事態だったが、しかしその異様に気が付いている者はこの場に存在しなかった。
誰もが最初と同様の行動を取り、同様の結末――忠人が命を落とす末路――へ向かっていく。
心意奏者としてのお役目の帰り、忠人と黒髪の少女の前に突如として現れた【鋼鉄の赤鬼】と銀髪の少女。
みっともなく喚く忠人を一喝し、自分の狙いは飽くまで黒髪の少女であり、
同じ。同じ。全てが同じ。
故に――
「本ッ当に見下げ果てた奴!」
――何一つ展開が変わる事はなく。
忠人は自分を最後まで心配してくれた相手を、内心で馬鹿にしながら囮にして逃げ出す、全く救いようの無い人間性をここに見せつける。
そうして、その場の全員に背を向けて意気揚々と走り出し――
――――そして、全てを思い出した。
「………………は?」
脳内を駆け巡る、過去に体験した未来の映像等という矛盾した光景のフラッシュバックに、忠人の口が茫然自失とした声を吐き出したのは無理もない事だろう。
一体何故?どうして?何が起こっている?と、一瞬にして多くの疑問が頭に浮かび上がった忠人であったが、しかしその次の行動は素早かった。
「ッッッッツツ!!ォォォォオオオオッッッッ!!」
雄たけびを上げ、既にF1カー並みの速度で走っている最中からの横っ飛び。限界を超えて
その刹那、僅かコンマ数秒前まで忠人が存在した空間を、紅い閃光が駆け抜ける。
それは、忠人を狙って赤鬼から放たれた破滅の強撃。突如として脳裏に浮かんだ光景において自身の命を絶つ原因となったその攻撃を避ける為、忠人は己が身を削る回避を行ったのだった。
そして、その判断は極めて正解だったと言えるだろう。勢いよく放たれた一撃は忠人の左脇腹を掠めていた。
もしも、後少しでも横に飛ぶのが遅ければ、或いは自分の体が傷つくのを恐れて籠める力の量を少なくしていたのならば、赤鬼の一撃は忠人の胸を貫いていただろう。
そうなってしまえば、脳裏に浮かんだ映像の通りの未来が忠人に待ち受けていたのは、もはや疑いようもない。
故に、ここに
「クッ、フフッッフハハハハハッッ、まさか躱されるとはな、いいぞ素晴らしい」
変化を象徴するように、一度目には非常に冷めた様子だった赤鬼が大笑する。
自分の攻撃を躱された赤鬼だったが、その感情に苛立ちや怒りの色はまるで感じられない。
むしろ、よくぞ自分の予想を超えてくれた、とばかりに、忠人への溢れんばかりの賞賛と親しみを浮かべていた。
そして、だからこそ。
「だからこそ残念だ。後少し、本の僅かだけでも、幸運の女神がお前に微笑んでいたのならば、完全に回避出来ただろうに。そうであったのならば、この場は逃がしてやっても構わなかったというのに!!」
心底残念そうに。仲の良い友人が不幸な目に
その巨大な瞳が向かう先には忠人の姿。
そう、胴体から溢れんばかりの血をまき散らす忠人の姿があった。
「アッ、ガァッ」
忠人が赤鬼の一撃を殆ど完璧に躱したのは間違いない。
これ以上ないタイミングで、並みの心意奏者であれば知覚すら出来ない一撃を、僅かに掠るだけで避けたのは見事というより他には無く、なるほど確かに常日頃から大口を叩いているだけの事はあると言える。
残念だったのは、忠人と赤鬼、その力の差。両者間の力量差は余りに遠く、埋まり難いものだったのだ。
ああ、つまり。赤鬼の一撃は、掠っただけで忠人を致死へと向かわせるに足る威力が籠められていたというだけの話だった。
攻撃が掠った忠人の左脇腹から胸部にかけて、まるでサメにでも食いちぎられたかのような欠損が発生していた。
「グゾッ、ゴボッッ」
忠人の口から悔し気な声と共に大量の血が吐き出される。回復する為に心意を回すが、圧倒的に格上の赤鬼より貰った一撃は魂すら欠損させ、まるで修復の兆しを見せない。
一度目に直撃を貰った時に比べれば、少ない傷である事は確かだが、間違いなく致命傷。
いや、ただ苦しむ時間が増えただけと考えれば、むしろ最初より状況が悪化しているとすら言える。
「ナ゛ン゛でッッ」
「どうして、お前さんが襲われたか、って?残念ながら唯の偶然って奴だ。まぁ納得は出来んだろうが、人生にはそういう事もあるさ」
違う。そんな事じゃ無い。
忠人が吐き出した怨嗟の声に、赤鬼が慰めるように語り掛けたが、その言葉は些か的を外していた。
どうせ戻るのならば、どうしてもっと前ではなかったのか。
それが忠人の憤りの原因であり、未練であった。
例えば、車に轢かれて死ぬ人間が過去に戻るお話があるとして、それは轢かれる前に戻るから話として成立するのであって、正に轢かれている最中に戻っても意味がないどころか同じ苦しみを二度味わうだけの拷問だろう。
忠人の現状が正にそうであり、せめて一時間、或いは十分、いいや最悪一分ですら構わないから、記憶が早く戻ってくれれば別の選択肢を取ることが出来たのにと言う憤怒が、結果的ではあるが絶え間なく襲ってくる激痛と、命が失われていく恐怖を和らげる力となっていた。
「フザけっ」
ただし、いくら怒りで痛覚を麻痺させようが、死ぬ時は当然死ぬ。
「物部っっ――」
「海っ‼行っては駄目っ」
非常に残念げに、見下ろしてくる赤鬼の視線と、まだ息がある自分を助けようとする黒髪の少女――
≪第二世界≫
そして忠人は目を覚ました。
「はぁっ????????」
陽の光を覆い隠す夜の帳の元から、燦燦と光り輝く晴天の昼空へ。
忠人は咄嗟に抉り取られたはずの胸部に手を当てるがそこに傷は無く、先ほどまで着ていなかったはずの獣の骨と金属を混ぜて加工された藍色の鎧の感触が返ってきた。
死から復活。時間の巻き戻り。
「……………………」
まるで意味が分からない。忠人の頭は疑問でパンク寸前であった。
時間が戻ったのは良い……いや、全く良くは無いし、どうしてそんな事が起こったか微塵も理解不能だが、不遇の死を迎えた存在が過去に戻りその未来を変えるために奮起するなどと言うのは――実際に起こるかどうかは別として――
だから、百歩、いいや百億歩譲って時間遡行、或いは自身の死の未来を予知した等というだけならば、忠人としても理解出来なくもない。
だがしかし、忠人に現在発生している異常はその程度では済んでいない。
心意奏者として生きて、正体不明の【鋼鉄の赤鬼】に殺された己の記憶がある。
狩人として生きて、多数の獣に襲われて捕食され殺された己の記憶がある。
貴族兼魔術師として生き、
ただ、VRゲームが得意なだけの男子高校生として生き、現実化した電脳空間で怪物に殺された己の記憶がある。
異なる世界で生きてきた自分の人生を知覚出来ているという摩訶不思議。今の忠人はユグドラシアにて、狩人として生きてきた忠人の筈なのに、四つの世界の記憶が混じりあった状態だった。
――何て不条理。
一体、どんな理屈と法則が働けばそんなふざけた状況が成立するというのか。
或いは全てが忠人の妄想で、ただ単に頭がおかしくなってしまっただけと言う可能性もあるが、他の世界の国の成り立ちや、技術、言語などの情報は妄想と切って捨てるにはよく出来すぎていたし、仮に全てが妄想で忠人が無意識的に考えただけだと言うのならば、それはそれで大層な異常事態で、変な電波でも受信したとしか思えない。
もはや、自分自身の記憶すら信じられず、一体何から考えていけば良いのかすら分からない思考の迷路に囚われかけていた忠人だったが、幸か不幸か出口の見えない思考に耽ける前に、状況が強制的に動き出した。
「おい、何、ぼーっとしてんだ」
「あ?」
道端で一人呆けて突っ立っていた忠人へ声がかかる。ハッとして忠人が目線を向けた先には、二、三十代程に見える、赤色の鎧に身を包んだ日に焼けた肌の男がいた。
「気持ちはわからんでも無いけどよ、その格好、アンタも狩人だろう?早く招集に応じて結界前に陣取らないと、逃亡と見做されかねんぜ」
「招、集」
「…………おいおい、本当に大丈夫。まさか、今がどういう状況か分かっていないのか?」
いよいよ、怪訝そうな表情をし始めた男に対して、漸く忠人の頭が混乱の局地から戻り始める。
「――招集、招集ね。いや、何、分かっているさ、心配有難う。獣共の未曾有の大群に対する防衛の事だろう?ただ、あまりに突然で非現実的な事態だったから少し呆けてしまっていたんだ。もう少しだけ、心を落ち着けてから向かうから先に行っていてくれよ、何、逃げはしないさ」
「ああ、いや、こっちこそ悪かったな、別に分かっていれば問題は無いんだ」
じゃあな、あんまり遅くなるなよ、と去っていく男を尻目に忠人は重要な情報に思いを馳せる。
――そもそも今は
四つの世界の記憶が存在するなどと言う異常事態に完全に頭が持って行かれていたが、そもそも最初にそれを確認しておくべきだった、とそれなりに冷静さを取り戻した頭で忠人は思考する。
この第二世界においても、忠人は一度、命を失っている。そうである以上、どれだけの時間過去に遡っていて、再び危険に晒されるまでどれ程の猶予があるのかは素早く確認しておくべきだった。
まあとは言っても、慌ただしく避難場所へ向かっている移動都市の市民と、それとは正反対に都市の外に駆け足で向かっている狩人たちの姿に加え、先程の男との会話と自分の記憶とを照合すれば、今が一体何時なのかを推測するのは忠人にとって難しくなかった。
丁度、獣達が大群で都市に攻めてきている真っ最中。先程に比べればマシなのは確かだが、それでもふざけてやがる、と忠人は内心で毒を吐く。
赤鬼から攻撃される直前の、即死する一秒前といった所で記憶が戻った第一世界の時と比較すれば雲泥の差だが、それでも命を落とす原因となった事件の少し前である以上、楽観視出来る状況では決して無い。
……いっその事逃げるか?と先程の男との会話はなんのそのと、忠人は現状からの逃避を考える。
実際、それが一番生き残る可能性が高い行動である事は疑いようもない。
「チッ、仕方ねぇ。行くか」
しかし、逃亡の可能性を探っていたのは一瞬の事だった。忠人の足は他の狩人と同じ方向、獣たちに対する防衛線へと向かっていく。
それは、狩人として市民を守る使命に燃えて――では勿論無い。
この第二世界ユグドラシアにおいて、狩人と言う職業は一種特権階級的な位置付けにある。
それはこの世界において決して避けることの出来ず、誰かが成さなければならない獣の狩猟を担う存在であるということ、またこの世界においては強者が尊ばれる気風が強いからである。
ただし、権利というのは義務と共にある。
狩人が尊重されるのは飽くまで彼ら彼女らが、強く、逞しい人類の守り手であるから、或いはそう在ろうとしているからであり、その前提条件から外れた狩人はむしろ侮蔑の対象となり社会から排除されるようになる。
敗北して傷を負って逃走するのならば、もしくは余りにどうしようもない力の差があるのならば兎も角、戦える力があるのに我が身可愛さで
ここで、逃走を選択すれば、命は助かるのかもしれないが、後日その情報が周りの都市に伝えられ狩人としては死ぬことになるのは、ほぼ疑いようがなく、だからこそ忠人がその選択肢を取ることは無かった。
それでも、第一世界における赤鬼のように完全にどうしようもない存在が相手であるのならば全てを捨てても逃げ出したかもしれないが、この世界における命の危機はまだ対処が可能だと忠人は考えていた。
大丈夫。油断さえしなければ乗り切れる。と自分を鼓舞しながら忠人は都市の外に向かった。
「本当に、馬鹿げた光景だ」
空と大地を埋め尽くす獣の大軍。空の青や、大地の土色すら見えず、人の命を容易く刈り取る怪物が蠢くその様はもはや悲観すら通り越して、呆れる程だった。
都市を防衛する為に集った多くの狩人達――獣の数と比較してしまえば極少ないが――も皆一様に、顔に危機感を貼り付けていた。
とは言え、誰一人として狼狽して泣きわめいている様な人間が居ないのは流石と言うべきだろう。
物見からの情報により急いで展開していた狩人達の防衛網は、何とか獣の大軍の突撃前に完成した。
にらみ合いは一瞬の事。人と獣、互いの生命を賭けた激突は、事態の重大さに反して余りにアッサリと開幕の狼煙を上げた。
「来るぞォォォオオオオオオッッッ」
誰かの怒号が鳴り響く。
地上からは、巨大な熊ほどの体躯の狼に似た四足歩行の獣の群れが四方八方より、突撃をかけ、空からは人の半分ほどの大きさの、蜂に似た鋭い針を持つ昆虫の群れが急降下してくる。
一斉に大地を踏みしめ駆け抜ける振動はまるで地震の様で、空を震わす羽音の輪唱はさながら巨大な嵐であった。
狩人達の誰一人として例外は無く、忠人も当然その絶望の津波に飲み込まれかける。
もし、ここに居るのが第四世界の忠人――唯の一般人――であれば、成す術も無かっただろうが、しかし今の彼は狩人、獣を狩る者だ。
大きく息を吸い込みながら忠人は体内に存在する氣を練り上げる。
それ即ち練氣法。
「
強く地面を震脚しながら、気合の一喝を空に放つ。
踏みしめた足から、大地を震わせながら伝った氣の奔流は、忠人の周りにいた白銀の獣を数十体規模でまるで地雷を踏みしめたように血肉をまき散らして爆発させる。
氣を込めて吐き出した大声は音響兵器と化し、宙に羽ばたく昆虫をそれこそまるで羽虫を叩き落とすかの如く、四散させた。
それでも尚、止まらず頭上より急襲してくる虫を殴りぬけ、飛び掛かってくる銀狼を蹴りぬいた。
過去において一度は飲み込まれた、蹂躙の瀑布であったが、今回は凡そ圧倒していると言えた。
その要因は他の狩人との協調にある。
声を掛け合い、手を取り合っている訳ではないが、ここに集った狩人達は前すら見えない乱戦の中、戦いの位置や倒す相手の優先順位を切り替えながら、一人に負担が集まりすぎて、そこから戦線が崩されないように調整していた。
全員が一定上の力量を持っていると認められたに相応しい匠の技。まさしく背中で示す熟達した連携であった……だからこそ、下らない嫉妬で突出した一度目の忠人は簡単に崩された訳である。
これならば生き残れる!と今度は他者が活躍をしても心を乱されず、冷静さを失わなかった忠人が、そう確信した、正にその時、その一瞬の事。
忠人の頭上、空中より、けたたましい雄叫び。そして群がる虫たちを跳ね飛ばす大きな羽ばたきの音が響き渡った。
「なァッ!?」
急降下を仕掛けて来たのは、この世界の一度目において忠人の直接的な死因となった大怪鳥。それも一匹だけでは無く、何匹も連なってであった。
思わず驚愕の声が忠人の口から漏れ出る。その原因は怪鳥襲い掛かってきたこと――では無い。
最初は様子見をしていたとしても、最終的に戦うことになるだろうと言うのは忠人も承知の上で、覚悟を決めていた。
だが問題なのは、周囲に存在していた怪鳥、その全てが他の狩人を無視して忠人に飛び掛かってきたことだった。
明らかに異様、異常事態。
もし仮にどこか一点を起点として防衛線を崩すことを獣たちが選んだのだとしても、そうであるのならより与しやすい相手を狙うはずなのだ。
この場に存在する狩人の中で忠人が最も惰弱と言う訳では無いし、前回のように一人突出していて狙いやすかった訳でもない。
どんな理屈を考えても現状を納得することは出来ず、であればこそ、忠人の背筋に言い様の無い悪寒が走る。
――まるで、死の運命が自分を追っているようだ、と。
「ッッッ~~!?!?」
瞬間、背筋に走る怖気を吹き飛ばすように気合の咆哮を上げて、忠人は己に向かってくる怪鳥の大軍に反撃を行った。
大口を開けて自分を丸呑みにしようとしてきた一羽目に、逆に自ら氣を纏わせた腕を口の中に突っ込み尻尾の先まで氣を放射し貫通させ抉り殺す。
巨大な鉤爪で自身を掴もうとしてきた二羽目に対し、逆にその爪を掴み返し、勢いよく地面にぶつけ、叩き殺す。
怒涛のごとく自分に向かって来た三羽目の体当たりを、氣の強化と体捌きによって受け流し、ダメージを最小限に押さえつける。
一羽目に続き自分を捕食しようとした四羽目からバックステップで逃れ――ようとしたが、体当たりの影響で一瞬反応が遅れる。
丸呑みこそ避けたものの忠人は怪鳥の嘴の先端にて咥えられることとなった。
動きの止まった忠人に、周囲の怪鳥たちが機は熟したとばかりに殺到する絶体絶命のピンチ、故に――
「舐、めてんじゃ、ねぇぞぞォォオオオオオオオオオッッッッ」
――忠人は翔んだ。
勢いよく地面を踏みしめて、怪鳥に連れ去られる前に自分から宙に身を投げ出した。そして、ただ飛び跳ねただけではなく、体を捻り空中で独楽のように高速で回転する。
それは自身に食らいつく怪鳥を鈍器として使い、周りに殺到した怪鳥たちに叩きつける攻防一体の一手。
発生した強力な衝撃に、忠人へと向かっていた怪鳥たちは弾き飛ばされ、鈍器にされた一羽は、息絶えて忠人に食らいついていた口を話した。
「はぁッッ、はぁッッ」
それは、自分は他とは違う優れた存在だ。などと大口を叩いているだけのことはある非常に素晴らしい奮戦であり――それでいて全く意味のない奮闘でもあった。
「……は?」
巨大な影が出現し、上空より空気を切り裂く轟音が響き渡った。
激戦を制し、肩で息をしていた忠人は咄嗟に上空を見上げ、そして言葉を失った。
――山が落ちてきた。目に映った上空の光景に、忠人は比喩でも大袈裟でもなくそう感じた。
山と見紛ったソレの正体は龍。
成人男性を容易く丸呑みに出来る怪鳥すら、比すれば小鳥どころか羽虫になってしまう程の、大きな
そんな巨龍が、怪鳥と同じく忠人だけを狙い撃つかの如く、空気を弾き散らしながら急降下を行っている。
そんな急転直下の事態に、ただでさえ満身創痍であった忠人に成す術などある筈もなく。
「ふざけッッ――――」
鋭い牙に切り裂かれて、消化液で溶かされる感触を味わいながら忠人の命は闇に消え去った。
《第三世界》
そして再びタダヒトは目を覚ます。
「………………」
切り刻まれて溶かされた筈の己の身体が何の問題も無く元に戻っていると言う現実にタダヒトは最早言葉もない。
燦々と陽の光が照らす荒野から、鬱蒼と緑が生い茂る薄暗い森の中へ。
眼下に広がっていた獣たちは僅か一体たりとも存在せず、周りには豪奢な服を着た貴族たちが多数闊歩している。
タダヒト自身も、つい先ほどまで着こんでいた筈の狩人としての鎧が、いつの間にか貴族めいた豪華な服へと変化していてた。
――世界移動。
それは、第二世界における狩人としての自分から、第三世界の貴族としての自分に切り替わったことの証左に他ならなかった。
――夢、じゃねぇよな……。
二つの世界の末期に受けた傷の痛み――胴体の半分を消し飛ばされ、体中を切り刻まれながら消化される――が、脳と魂に焼き付けられているかの如く消えず、全てが夢幻であると笑い飛ばすのはタダヒトには不可能だった。
二度あることは三度ある。
二つの世界で、かつて経験した死が再び襲ってきた以上、この第三世界においても同様のことが起こると考えるのは当然の予測だった。
このまま何も策を講じなければその未来がやってくる。
死ぬ。死んでしまう。
最早片手では数えきれない、都度6回の死を迎え、そして7回目も迫ってきている現状にタダヒトの精神は限界を迎えつつあった。
何とかしなければならないが、何とかしようと立ち向かった第二世界で惨憺たる結末を迎えた以上、再び戦うという選択肢は選び辛かった。
に、逃げるっ。死んでたまるかこんな所でッッ。
――故に、タダヒトが選んだのは逃走だった。
最初にダンジョンに入った第一陣を待っている、自分と同じ貴族たちに悟られぬようにひっそりと、タダヒトは陣地より抜け出し、森の中を駆け出した。
※
薄暗い森の中を大急ぎで駆ける。
タダヒトの決死の逃避行は意外なことにアッサリと成功を果たしていた。
雑多に集められた冒険者なら兎も角、危険を承知で参加した貴族から逃亡する者が現れるなどとは露とも思われていなかったのが大きい。
更に、タダヒト自身は認めないだろうが、そもそもタダヒトの身がそこまで重要視されている訳では無かったのが大きい。
未曾有の
無論、全てが終わった暁には、タダヒトは逃亡の責により貴族の身分を剥奪され、王国に居場所が無くなることにはなるだろうが、命には代えられないというのがタダヒトの考えであった。
――それに、一度目と同じ様な事件が起こるのであれば、俺の逃亡は分からなくなる筈。
世界移動の繰り返しに気が付く前、タダヒトが最初にこの第三世界で経験した己の不審死は、周囲の人間も飲み込んで、集った部隊を壊滅状態に導いていた。
再び、同じ展開が発生するとなれば、仮にあの修羅場より生き残った人間がいるのだとしても、己の逃亡の事実はかき消される筈で、丁度良い、とタダヒトは思考した。
……逃げるのは仕方がないにしても、多数の人間を結果的に見捨てる形になっていると言うのに、罪悪感を覚えるどころか、都合が良いと思うあたりにタダヒトの器の小ささと性格の悪さが垣間見えている。
しかしまぁ、器が小さいからと言って死ぬわけでは無い。
むしろ、勇気と他者への慈愛を持った人間の方が、危険な目に逢いやすいというのが世の理である。
破滅の運命を背負った大量の人間を、自分が生きることを優先して見捨てていくことに何の呵責も覚えないタダヒトの逃げ足は、それは、それは速いものであった。
魔術によって強化されたタダヒトの脚力は、野生の獣を超える速力を発揮して、ダンジョン前に駐留していた部隊との距離をどんどん引き離していく。
ダンジョンの外に存在する、この巨大な森林は、ダンジョンから漏れ出る魔力によって魔物と化した動植物が蔓延る危険な場所ではあったが、そこは流石に優れた存在だと自称するだけの事はあり、逃げるだけならばタダヒトにとっては造作も無かった。
「はっ、ははっ、ハハハハハッッ‼」
漸く自分の安全が保障され始めたことにタダヒトは歓喜の声を上げた。
「そうだ、俺が、この俺がッッ!!こんな意味の分からないことに巻き込まれて死んで良い筈がねぇんだ!!」
胸の奥底から、溢れ出す感情の奔流に突き動かされるまま、タダヒトは大声で叫びだす。
頭の片隅に残った冷静な部分が、はて、以前にもこんな風に、感情の制御が利かなくなったことが有ったような?と疑問を抱き始めた、その刹那。
「――雨?」
ポタリ、と一滴。
走り続けているため、勢いよく振られている自分の手の甲に、水滴が付着したのをタダヒトは感じ取った。
気が付けば、顔にも濡れている感触がある。
逃げるのに必死で雨に気が付かなかったのだろうかと、タダヒトは雨粒がついた己の手の甲に視線をやった。
「あ゛っ!?」
その雨粒は、赤く、紅く、錆びた鉄の臭いを放ち、そしてタダヒトの顔より流れ落ちていた。
――それは、紛れもなくタダヒトの血液であった。
その事実にタダヒトが気が付いたその瞬間、さらなる異変がタダヒトの身に降りかかった。
「ゴハッッッ」
タダヒトの、目から、鼻から、口から、そして皮膚のありとあらゆる場所から鮮血が噴き出し始めた。
「マッ、ざかっ、ゴレッ」
突然、正気を失い、そして全身から血を噴き出す。
それは、紛れもなく1週目の第三世界におけるタダヒトの死因だ。
しかしそれでは、道理が合わない。
この死に様を避ける為に、タダヒトは逃走を選択して、実際に成功した筈だったのだ。
それにも関わらず、同じ死が襲ってくるというのならば、それは。
まるで死が自分を追ってきているような。
「――――ッッ~~」
瞬間。沸き上がったその疑念と恐怖を、考える時間がタダヒトには無かった。
――なぜなら、考えるための頭が、潰れた
そうして、またしても呆気なくタダヒトは死を迎えた。
《第四世界》
そして、もはや当然とばかりに、忠人は目を覚ます。
薄暗い森の中から、何の変哲もない一般家屋の一室に。
そして当然、体中から血が噴き出しているなどということは無い。
自身の死を
「ふざけるなぁっっ‼」
部屋の中を、忠人の悲鳴染みた叫び声が響き渡る。
忠人は、怒りと恐怖が入り混じった苦悶の表情を浮かべながら、ガタガタと恐怖に身を震わせ自身のベッドの上で毛布に包まった。
――心が完全に折れていた。
「なんで、なんで俺がこんな目にっっ」
計四つの異なる世界への移動と、迫り来る死。
余りにも意味不明な現象で、ふざけた事態であったが、今までの忠人には心にほんの僅かの余裕が残っていたのだ。
なぜなら、自身も超常の御業を持っていたから。
それは、心意であり、氣であり、魔術である。
それらの誇るべき技があったからこそ、忠人は絶望に墜ちる最後の一線で留まっていれたのだ。
しかし、この第四世界においての忠人に、そう言った特別な力は無い。
誇れる特技も精々がVRゲームが得意といった所で、そんな物で一体どうやってこの難局を乗り切れると言うのか。
故に詰み。
また、死んで生き返れる保証など何処にも無く、そもそも仮に生き返れたとしても、同じ修羅場を味わうのだとすれば、それは死ぬより苦しい生き地獄だろう。
「糞ッ、糞……」
それに死そのものが迫ってきているような、あの感覚。
どれだけ生き延びようと努力しても徒労に終わるような悪寒を忠人は感じていた。
例えば、今自分の部屋を出たら脈絡も無く、現実化したVR世界に放り込まれて一度目と同じ様な死を迎えてしまうのではないか、と。
「どうしろっていうんだ……」
そうして精神が限界を迎えようとした、その時。その瞬間。
『ふむ。流石にもう限界か』
――声が聞こえた。
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