01 四つの世界、四つの死に様
パラパラと本が勢いよく捲れる音が、広大な空間の中で合計四つ輪唱する。
光が満ちる。闇が溢れる。運命が廻る。――世界が開く。
其は、何気ない現代社会の裏に、魔を狩る超常の存在が潜む第一世界。
其は、あまりに広大な自然の中、人知の及ばぬ強大な獣たちの脅威に、命を懸けて挑む狩人達がいる第二世界。
其は、ダンジョンという、大きな危険とそれを乗り越えたものに、莫大な利益を与える空間が発生する、剣と魔法の幻想的な第三世界。
其は、摩訶不思議な事柄など何もない筈の現代社会だが、ただ一点、
何れも互いに関係など欠片もありはしない四種四様の別世界。
突如として現れた羽ペンが、悪意のインクを浸して、
因果も理屈も考慮せず、四つの本に新たな記述が書き加えられ、異邦の登場人物が物語に現れる。
その名前は、四つ全て等しく、
貴族の位を持ち、剣と魔法を操る、突如として発生したこれまでに類を見ないほどの規模のダンジョンへの遠征軍の一員として参戦した、第三世界のタダヒト モノノベ。
異能など使える訳も無く、ただVRゲームが趣味なだけの、一般男子高校生である第四世界の物部 忠人。
それぞれ立場や年齢、能力などに差異はあるが、同じ顔に同じ名前、同じ性格の、もしも別の世界で生まれた物部 忠人がいるのならば、こうなるだろうと言えるほどに酷似した存在だった。
世界には自分によく似た顔の人間が三人は居るという話だが、世界の垣根を飛び越えて四つの別世界に殆ど同一の存在がいるとなれば明らかに異様な状況だった。
とは言え、四つの世界の忠人の間に関連性は無い。
第一世界の忠人は、第二世界の忠人の事を全く知らず、その逆もまた然り。
故に偶々、世界を超えて似たような存在が居ただけ、と無理矢理納得出来ないわけではない――この時点では
それらの前提が崩れ、物語が異様な様相を呈してくるのはここから。
四つの世界で生きる 物部 忠人達が、それぞれの世界で発生した事件に巻き込まれるのが開幕の狼煙だった。
≪第一世界≫
――
それは、己が魂を燃料に、人智ならざる異能の法を発現し、現実を塗り替える異能者達の総称。
彼ら彼女らは、古来より世界の裏側からこの世の覇権を握らんとする、人ならざる者たちから、世を守り続けてきた戦士であり、物部 忠人もその一員であった。
客観的に見て同年代の中で優れた力量を持つ忠人は、その事実に自分こそ、この世界の真実を知らない大多数の盆暗共とは一線を画す、選ばれた人間なのだと己のことを誇っていた。
さてそんな、物部 忠人の現在であるが――
「ひっ、ひいいいいいいいいっっっ」
人工的な明かりが全て消え去って、空に浮かぶ月と星だけが光源の、薄暗くそして異様なまでの静けさの、夜の住宅街。
夜の帳と静寂を切り裂くように、男の叫び声が辺りに鳴り響いた。
叫び声を上げ、アスファルトの地面に尻餅をついて震えている情けない姿の少年こそ、何を隠そう自称・選ばれた人間であるらしい物部 忠人に他ならなかった。
現在、忠人の周りには、忠人自身を除いて三つの存在がいる。
忠人と同年代――高校生程の年齢に見える黒髪の少女と、それより幼く見える銀髪の少女。
忠人から少し離れた位置に居る二人の少女、特に銀髪の少女はどこか人間離れした雰囲気を醸し出しているが、忠人の目線は彼女らにはない。
残る一人――いや、一体こそが忠人の怯えの原因だった。
忠人と少女たちに相対するように立ちはだかる、それを一言で表すのならば【鋼鉄の赤鬼】。
比喩などではなく、そう表現するしかない怪物だった。
その身の丈は3mを優に超え、腕は丸太のように太く、その体は真紅に光る金属と、心臓のように脈動する不気味な赤黒い肉塊で形作られている。
大きく裂けた口から覗く鋭い牙と、頭部に生える大きな角は、見たものに強烈な威圧感を与えることだろう。
総じて、人知を超えた存在。百人が見たのならば、百人がそう断言する怪物だった。
「で、どうするんだ坊主。戦おうが逃げようが、どんな選択をしても構わんぞ」
野太い男の声と機械音声が混じったような奇妙な声が、赤鬼の口から漏れ出した。
あまりにも物騒で破滅的な赤鬼の姿とは正反対に、忠人へとかけられた言葉は、興味なさげでつまらなそうな物であった。
それは飽くまでも忠人が、ただ巻き込まれただけの存在だからであろう。
心意奏者としての責務を果たし帰路についていたところ、知り合いの
ついでに言えば、赤鬼の狙いは銀髪の少女と黒髪の少女らしく、忠人は運悪く巻き込まれてしまっただけであり、そこから前述した赤鬼の好きにしろ発言に繋がってくるわけだ。
「せ、選択?」
座り込んだままではどう考えても命の危険がある。
震える膝を無理やり押さえつけながら、忠人は何とか立ち上がった。
「おう、男らしく女を守る為に戦うも良し、脇目も振らず無様に逃げ出すのも良し、そもそも俺の狙いは坊主じゃないんでな、好きにするが良いさ」
それを持って開戦の合図としよう。赤鬼は楽し気にそう語っていた。
「……」
「物部、逃げてっ」
銀の少女は無表情で黙り込んでいる。
黒の少女は恐怖に足を震わせながら、それでも忠人に逃避を促した。
忠人は、そんな黒髪の少女の様子を、しかとその目で見て――
「本ッ当に見下げ果てた奴!」
脱兎のごとく、ほんの一片の躊躇もなく逃げ出した。
その行動に、銀の少女の小さいけれども、心底侮蔑していることが伝わる声が響く。
それは黒髪の少女を見捨てて逃げたから――では無い。
自分の命が懸かっているのだ、他者を犠牲にしてでも生き延びようとする事は、決して可笑しいとは言えない。
ああ、だが。
嗤っていた、
元々一方的に敵視していた黒髪の少女を囮にして、馬鹿な奴だ。と笑みを浮かべたのだ。
なんて呆れ果てる人間性。これが物部 忠人と言う男だった。
しかし、人間性と能力は必ずしも比例しない。
その精神は下水を煮込んだような塵屑染みたものであっても、忠人の心意奏者としての力量は確かなものだった。
野生の獣の瞬発力とレーシングカーをも超える速度を持って忠人は逃走し、彼我の距離を開けていく。
確かに赤鬼は驚異的な怪物であったが、忠人の家や心意奏者が集まる機関に対抗策が全く無いわけではない。
すぐさま情報を持ち帰って対策を取り、その時こそ俺を舐めたこと後悔させてやる。等と自分の安全が確保された途端に、そんな風に忠人は調子に乗り始め。
――突如として自分の体に大きな熱と違和感を覚えた。
「あ、え?」
忠人は違和感の正体を確かめるべく、視線を下ろして自分の体を確認したが、その目に映ったのは己の体ではなく、赤鬼の巨大な腕だった。
――ああ、つまり。
忠人の体は赤鬼の腕によって貫かれていた。
それを認識したと同時に、一時的に麻痺していた痛覚が正常に働き始め、忠人へ多大な苦痛を送り出していた。
常人ならば、何が起こったのかも分からずに即死するレベルの傷であったが、皮肉な事に忠人は、己が誇っている心意奏者としての力のために、僅かばかり生き延びる事が出来てしまった。
「な、な、な」
何故、と発しようとした忠人だったが、それは上手く言葉にならなかった、それでもその意図は伝わったのか、赤鬼はつまらなそうに口を開く。
「予想通りだ。詰まらん」
「――――」
余りにもな言い分に、言い返そうとした言葉は、音になりすらしなかった。
赤鬼に腕を引き抜かれ、大量の血が噴出する。
忠人は地面に倒れ伏し、その目からは生気が消え去った。
忠人の命に与えられたロスタイムは、もはや尽きていた。
薄れ無くなっていく意識の中で、忠人が最後に聞いたのは――
「物、部っ」
――呆然と叫ぶ、自分が囮にした黒髪の少女の声だった。
そして、あまりにも呆気なく。何にも成れず、何も為せずに忠人は死亡した。
≪第二世界≫
広大な自然の中、人間など秒にも満たないほど素早く殺戮してしまうような強大で凶悪な獣達が跳梁跋扈する世界、ユグドラシア。
そんな厳しい世界において
物部 忠人もそんな狩人の一員であり、未だ若手と呼ばれる年齢ながら一定以上の実力と実績を持たなければ許可されない内円部での狩猟を許されていた。
だからこそ、というべきだろうか。そんな自分は、ただ守られているだけの大多数の盆暗共とは一線を画す選ばれた人間なのだと、まあどこぞで聞いたことがあるような謳い文句で、己の事を誇っていた。
さてそんな、物部 忠人の現在であるが――
「くそっ!くそっ!くそがぁああああああああ!!」
絶叫が響き渡る。
内容そのものは罵倒であったが、実際の所、それは悲鳴であった。
絶叫のその原因は、彼の周りを見れば一目瞭然であった。
貪欲に目を光らせ、隊列を組み獲物を狙う、四足歩行の獣の群れがいた。
人の体より大きな昆虫の群れがいた。
人どころか象ですら丸呑みに出来るであろう大蛇がいた。
遥か上空より地上を睨みつける巨大な怪鳥がいた。
まるで山が動いているのかの見紛うばかりの、鉱石の如き体の巨人染みたナニカがいた。
光り輝く鱗に、大空を羽ばたくための翼を持つもの――龍がいた。
一匹だけでも常人ならば即座に己の死を悟るであろう怪物が、あろうことか辺り一面、忠人の視界一杯に広がっていた。
数多の種類の獣たちによる移動都市への襲撃。危険に晒される事が日常的なこの世界において尚、異常としか言いようのない事態。
都市滅亡の危機に、そこに存在する狩人たちが駆り出されるのは必然で、その中に忠人の名前が入るのも当然の事だった。
如何に忠人が新進気鋭の狩人とは言え、辺り一面を覆いつくす獣の群れには為す術も無く、獣の波に飲み込まれてしまった――という訳ではなかった。
今も尚、地上を観察するかのように空を飛び回っている龍種などが積極的に襲い掛かってくればその通りになっただろうが、不幸中の幸いとでも言うべきか襲撃の第一波は、群れをなすため数こそ多いものの、一個体の強さはそこまででもない種で凡そ構成されていた。
無論、弱い種と言えども、飽くまで他と比較すればという話である上に、尋常ならざる数の暴力も相まって決して容易い相手では無い。
しかしながら、ここにいる狩人達は皆一様に内円部での活動を許された実力者たち。
忠人も、襲い掛かる獣の波を前に、蹴散らすとまでは行かぬものの、徐々に押し返して行くほどの奮戦を見せた。
問題が起こったのは、そこから。
共に戦っていた狩人の内の一人、身の丈ほどの大剣を振り回す男が、大物の獣を含む群れを蹴散らすという華々しい活躍を始めた瞬間だった。
何故同じ場所で戦っている仲間が活躍した結果、忠人が不利になるのか。
活躍した男は忠人と同年代の若い男であり、忠人以上に期待の声の大きい狩人であった。
――ようは嫉妬したのだ。忠人は。
……何て、何て小さい。
全身全霊を振り絞らなければ乗り越えられない、命がけの鉄火場において、そんな不純な感情に気を取られるという致命の隙は、忠人をあっさりと苦境へと至らせる。
そうして獣の津波に飲み込まれたというのが忠人の情けない現状であった。
「痛ゥッッ」
牙が舞い、爪が踊る。
四方八方から獲物を殺戮せんと放たれる、鋭い凶器の乱舞。
それを放つのは全長2m前後、白銀の毛皮を持つ四足歩行の獣の群れ。
元より、群れでの狩りを得意とする種であるが故に、異常なほどに膨れ上がった総体にも対応したコンビネーションを見せ、まさしく怒涛の如き勢いであった。
「舐め、てんジャッ、ネェッッッッ」
巨木すら粉砕する爪撃を、氣で身体を強化し耐え抜く。
足に纏わりつく獣を震脚の勢いで吹き飛ばし、飛び掛かってくる獣を殴り殺す。
決して負けてはおらず、一刻だけを切り取れば圧倒しているように見えるし、事実先程まではしていた。
だが、一度崩れたリズムはそうは直らない。防げたはずの一撃を貰い、氣で防御をしていても尚、少しずつダメージが蓄積されていく。
それはさながら、尖った岩が川を流れる内に丸くなっていくかの如く、獣の瀑布に忠人の体は少しずつ、少しずつ削られていく。
周りの狩人達もすぐに助けにこれる程の余裕は無い。この難局を乗り切るためには冷静に心を静めて立ち直るしか無いわけだが。
「糞がァアアアアアアアアアア」
俺が、こんな窮地に陥っているのはアイツの所為だ!等と、冷静になるどころか自分が勝手に嫉妬しただけの、件の若者に対して逆恨み以外の何物でも無い怒りを抱いている始末。
そんな様では戦況が良くなる
そしてそんな様子の忠人の頭上より怪音。
「しまッッ――――」
咄嗟に空中を見上げた忠人の視界に飛び込んできたのは、一面のピンク色。
それは頭上を飛び回っていた巨大な怪鳥が、忠人を丸呑みせんと広げた大口の中であった。
銀の毛皮の獣に押されている間も解いていなかった筈の警戒心を、緩めたその瞬間を見逃してくれるほど獣の本能は優しくない。
「ゴ、おッッ」
一面の暗闇の中、少しずつ体を溶かされていく。それが歪んだ嫉妬心に踊らされた忠人が最後に味わった感覚だった。
そして、あまりにも呆気なく。何にも成れず、何も為せずに忠人は死亡した。
≪第三世界≫
科学技術では無く、剣と魔法によって繁栄の道を辿る世界イストガリア。
そんな世界イストガリアに存在する大国にて、特権階級たる貴族にして子爵の位を預かるタダヒト・モノノベ。
タダヒトは確かな権威に裏打ちされた自分こそ、世に蔓延る平民や人間以外の種族等とは一線を画す、高等な存在なのだと、やはりどこかで聞いたような謳い文句で己の事を誇っていた。
だからこそ、嘗てない規模で発生した
その旅の果て、必ず自分に栄光が訪れる。そう信じて疑わなかったタダヒトと、その彼が参戦した連合軍の現在の状況は――
「アアアァァァァアアァアアアアッッッッッツツツツツ」
――狂気。
眩いばかりに光り輝く黄金の花弁を持つ花が咲き誇る花畑。
幻想的、かつ神秘的な光景と相反して、タダヒトの様子は奇妙で不気味な様相を呈していた。
度を超えて込められた力に全身の血管を浮き上がらせ、その
そしてそんな異常極まる状態に陥っているのはタダヒトだけではなかった。
そしてそんな状態の人間が集まれば、誰が始めたかわからない殴り合いが、十数万人全員を巻き込んだ殺し合いに発展するのに時間はかからなかった。
「糞がッッ、どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがってぇええええええッッッッ」
自分は素晴らしい人間だ。そんな自分はもっと敬われてしかるべきにも関わらず、世に
そんな風に周り全てを敵視して、タダヒトは己の持ち得る暴を振るう。
その思いは、タダヒトが心の内に常より秘めていたものであるのは確かだ。しかし同時に、いくらタダヒトの性格がアレであっても、包み隠さず表に出してしまえば周りから顰蹙を買うと理解していた感情でもある。
だが、今のタダヒトからは、そんな理性と自制心は完全に吹き飛んでいた。
正常な時の理屈なぞ、今のタダヒトには分からないし理解も出来ない。
血の涙を噴出しながら手に持った剣で周りに切りかかり、誰かが持っていた槍で体を貫かれる。名も知らぬ誰かに殴られて、怒り狂って蹴り返す。炎の魔術で相手を燃やし、氷の魔術で凍結させられる。
絶え間なく続けられる、暴力と魔術の応酬。
とうに軍の機能は壊滅し、僅かに残っていた正常な人間にも打つ手が見つからず、いよいよ死者が出始めようとした、その時。
最早どうしようも無かった筈のその状況に変化が訪れた――――――――悪い方向で。
その始まりは、奇妙な音だった。それは限界まで空気を込めた風船を割ったような破裂音と、たっぷりと水気を含んだ果物を地面に叩きつけたような音が合わさった様な、聴いた者に不快感を与えるような音。
その音が鳴り響いた先、そこには狂乱に陥った人間の姿が――いや人間だった物の姿があった。
そこに合ったのは、両手と頭が吹き飛んで、そこから血液を噴出する肉塊。ああつまり、鳴り響いた音の正体は人間の破裂音にこそ他ならなかった。
命を失った肉塊が、パタリと地面へと倒れ落ち、それを合図にしたかのように幾つもの破裂音が連続的に響き出す。
暴徒と化していた人間たちが次々と血液を巻き散らかして、物言わぬ死体へと変わっていく。
もしも、今この状況を遙か上空から観察したのだとしたら、辺り一面に広がる黄金の花畑の中に紅い、紅い華が咲き誇ったように見えただろう。
「あ、ガぁっッッ、いや、だッ」
そして同じように狂気に侵されていたタダヒトも当然の如く、体の異変に侵されていた。
まるで、体の中に無理やり空気を入れられて破裂させられようとしているかのように、タダヒトの体には異常な負荷と痛みが与えられていた。
体中の血管のあちらこちらから血が噴き出し始める。そんな自身の状態に、このままでは不味い。とタダヒトの頭の中に微かに残った冷静な部分が、大音量で警鐘をならしていたが、大部分を狂気に支配されているタダヒトには、自分で自分を止めることが出来なくなっていた。
故に破滅は訪れる。
「い、やダッッ、おレはコンナ所デ――」
――死ぬわけには行かない。
そう吠えようとしていたタダヒトだったが、その言葉を全て言い切ることは出来なかった。
なぜなら、その前にタダヒトにもついに終わりが訪れたからだ。
「ア、ガァっ」
夥しい苦痛と、それに反して薄れゆく意識の中、タダヒトが最後に感じたのは、自分の体が内部から破裂する感触と破裂音であった。
そして、あまりにも呆気なく。何にも成れず、何も為せずにタダヒトは死亡した。
≪第四世界≫
20XX年。
魔法、霊能力、超能力、気、宇宙人、地底人、異世界人。
そう言った、超常現象、超常存在はフィクションの中にしか無いと知られ、科学の光が遍く世界を照らす現代社会。
しかし、この世界においてはある一つの技術が、フィクションの世界に足をかける程の成長を遂げていた。
――
仮想空間に作成した虚像の世界を、あたかも現実の世界だと感じさせる技術は、古くはSFの中にしか存在しないものだった。
近年、技術の進歩により大幅に進歩を遂げ、実用化され始めたVRではあったが、未だ
しかしそんな折、誰もが予想だにしなかった事態が巻き起こった。
未知の素材の発見と、それを元にした新理論の提唱。一人の天才の手によって齎されたそれらによって、技術のブレイクスルーが引き起こされ、様々な技術――主に娯楽産業に転用される事となり、異様なまでの速度での普及が成される。
VR新時代の到来。僅か十数年足らずでVR娯楽産業は、既存の娯楽産業を凌駕するにいたり、現代社会にて大きな地位を取得した。
新しく産まれ育った子供たちが、現実のスポーツ選手よりも、ゲームの世界での競技者になることに憧れを抱く――そんな時代が到来したのだった。
物部 忠人もそんな時代に生まれた若者の一人である。
都内の高校に通う現役男子高生である忠人は、サブカルチャーが一般に進出することに妙に厳しい日本に置いてすら、大幅な市民権を獲得したVRゲームの優秀なプレイヤーとして日々を過ごしていた。
……やはり、人間性に問題があるのか、高校の部活動などで他者との衝突があったりなどしたが、まあ犯罪などを犯しているわけではなかった。
さて、そんな概ね一般男子高校生、物部 忠人の現状だが――
「ひっ、ひぃいぃいいいいイィイイッッッッ」
――雲一つない青空の下、広大な草原の中。そんなほのぼのとした光景とは正反対の、恐怖・困惑・苦痛、そういった負の感情を煮詰めたような叫び声が忠人の口から大音響で飛び出した。
目の前には決して現代社会に居る筈の無い怪物の姿。あえて似た生物を挙げるのならばアルマジロだが、大型トラックにも匹敵する巨体を前には比較するのも馬鹿馬鹿しい。
都会において珍しい広大な自然に、現実離れした怪物の姿。
そう書けば、非現実の仮想空間を思い浮かべるだろうし、事実、忠人は現在専用のVR機器を用いて仮想空間にログインしている真っ最中である。
では忠人は、飽くまでただのゲームの演出等に怯え慄いているのかと言えば、それは全くの否だった。
――あり得ない。あり得ない。なんでこんな、こんな事が。
それは、忠人の胸中を埋め尽くす疑問の言葉。
照りつける太陽の暑さ。香り立つ緑の匂い。頬を撫でる風の感触。
如何にVRが技術革新を起こしたとは言え、未だそこまで現実的に感じられる筈の無い感覚が確かに伝わってくる。
そして何より――
「い、痛いぃぃ、なんだよこれぇぇッッ」
――あらぬ方向に折れ曲がった自身の左腕と、そこから伝わってくる夥しいまでの痛み、痛み、痛み。
ただの娯楽において決して感じてはいけないその苦痛は、現状が仮想空間上でのお遊びなどではあり得ないのだと、千の言葉よりも尚雄弁に、忠人へと証明していた。
曰く、仮想空間上で特定の行動をとると、政府が秘密裏に開発しているVRの実験場か、はたまたゲームの元となった異世界に飛べるらしい。そんなネット上を探せば、千や万は軽く見つけられるであろう噂話。
そんな数多ある都市伝説の内、数少ない
「う、ぁぁあッッ」
足が震える。呼吸が乱れる。冷汗が止まらない。
ゲームの中でならどれ程の怪物であろうと鼻歌交じりに相対出来るが、現実となれば全く別の話だった。
「ロ、ログ、アウト。メニュー!!、糞ッ、ログアウト、ログアウト、ログアウトッッッ!!」
一縷の望みをかけて仮想空間からの脱出方法を試す忠人だったが、残念ながらそれが上手くいくことは無かった。
本来ならば、念じれば何時でも出来るはずのログアウト機能がまるで通じず、念のために搭載されているメニューからの手動切断を試そうにも、そもそもメニューが開かないのだ。
そもそも、安全上の理由で装着者の体調に異常が見られた場合、強制的にログアウトが行われる強いセキュリティがVR機器にはついている筈なのだが、その機能も一向に動作する気配がない。
それはそうと、大多数の人間は、突然に危機に対して分かりやすい逃げ道を用意されていると、他の逃げ道や対抗策を考えることが出来ず、安易にそれに飛びついてしまうと言われている。
まあつまり、走って逃げだそうともせず、棒立ちで言葉を喋っているだけの忠人は、巨大アルマジロからしてみれば嘲笑いたくなるほど、都合の良い獲物の姿だった。
「ぁ、しまっ――」
鈍重そうに見える姿から想像出来ないほどの速度の突進は、さながら大きさとは強さであると言わんばかり。
それこそまるで大型トラックに轢かれたかのように、忠人の体は大きく空中に跳ね飛ばされた。
全身の骨が折れる音と、体が千切れ飛んだと思わんばかりの痛み――或いは本当に腕や足が千切れていた可能性すらある。
そして、あまりにも呆気なく。何にも成れず、何も為せずに忠人は死亡した。
斯くして、四つの世界において、四人の物部 忠人の命運は尽きた。
「ああ、やはりこうなるか」
遥か天上、世界の上の更に上。どことも知れぬ巨大な図書館の中、影絵の男は、散々たるその結末を見て、事も無げにそう呟いた。
言ってしまえば当然の話だ。
優秀とは言え、飽くまでその世界の常識の範疇に収まる程度の力しか持ちえず、それでいて異常に高い自尊心を持ち、他者へ激しい嫉妬心を抱く。その割には自分の想像を超えた危険に巻き込まれれば、恥も外聞も無く、慌て、逃げ出す。
そんな人間に掴める栄光などある筈もなく、世界崩壊の危機に抗う主人公等、とても、とても。
まさしく、役者が違うと言うより他に無く、物部 忠人が尋常ならざる事件が巻き起こる物語で成し得る役など、事件に挑む主人公たちの引き立て役が精々でしかない。
「だが、ここからだ。ここから彼の物語が始まる」
自分が送り込んだ主人公が、酷い醜態を晒したというのに影絵の男には、焦りも後悔も微塵も見られない。
なぜならば、そもそも影絵の男が描こうとしている物語の主役は、忠人であって忠人では無いから。
彼にとって今、見たのは
悪趣味なプロローグはここに終わり、真なる始まりが訪れるのだと、指揮者がタクトを振るうかの如く腕を動かし、空に浮かぶ奇妙な羽ペンで、再び
「……む、これは」
その刹那、羽ペンが宙を舞う寸前に、四冊の本が独りでに捲られ始め、影絵の男の腕が止まる。影絵の男にとって予想外の事態。
ああ、つまりこれは――
「――キャラが勝手に動き始めたというやつかな、これは、これは。で、有るのならば、私も一流作者の仲間入り、という訳だ」
ならば、とばかりに、今度こそ羽ペンが
「
全てが思い通りに進む事は無かったが、それでも構わない。最終的に勝つのは自分だと。
影絵の男は口を三日月の如く歪ませて、楽しそうに、愉しそうに、新たな設定を書き加えて、物語の続きを書き始めた。
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