ヨシワラ・ロボット
刻露清秀
💋
今は昔。ヨシワラと呼ばれる場所で、たくさんの遊女ロボットが春をひさいでおりました。『さが』という言葉が性の字を書くのは偶然か、必然か。どれほど文明が進んでも、人類が捨てることができず、争いの元となったのは性欲でございます。
ですが人類は、平和的に性欲問題を解決する術を見いだしました。それが遊女ロボットでございます。幼児に欲情しようが、殴りつけて興奮しようが、靴下をしゃぶしゃぶにしようが、相手がロボットなら問題ありません。便宜上、遊女と申しておりますが、姿形は女とも人間とも限りません。相手は全人類なのだから当たり前です。なぜヨシワラと遊女かといえばどんなサービスなのかパッとイメージしやすいから。そうでしょう?
ヨシワラい五区は、若めの成人っぽい人間の女性の容姿に性欲を向ける男性客が訪れる場所でございます。ちなみにヨシワラの区分けは異性愛者、同性愛者を問わずまず大雑把な性別によって入場口が違います。これは多数派である異性愛者が、人間の異性がいる場所で『お楽しみ』になるのを嫌がったからでございます。面倒ですね。それにみんながみんな性自認がはっきりしているわけでも、身体と性自認が一致しているわけでもないのになんとも雑です。まあそれで上手くいっているのは、サービスがしっかりしているからでしょう。
この五区に黒髪の遊女がおりました。簪を二本、角のように刺し、赤い服を着ています。瞳は蜂蜜のような金色です。白桃のような丸い頬の美しい遊女でございます。源氏名は紅椿と申します。本名はアデヤカー社製『ユージョ』黒髪タイプ製造番号エド四九◯です。
紅椿はぼんやりと格子ごしに吉原を眺めていました。紅椿の自我が芽生えたのはつい先程のことです。とはいえお客をとるのに必要な知識はインプットされていて、ある程度コミュニケーションがとれるよう言語機能もあります。いわゆるお茶を挽く時間は手持ち無沙汰ですが、まさか自分が飲むこともできないお茶を挽くわけにもいかないので、紅椿は初めてのお客がどのような方かシュミレーションしてみることにしました。
余談ですがヨシワラでは飲食の提供について、調理ロボットがきっちり管理しています。だいたいの遊女ロボットとは違い、機械らしい姿形の調理ロボットは、飲食物を扱うことに特化しているので、安心安全です。少し前には調理ロボットと遊女ロボットを組み合わせた飯盛り女ロボットが開発され、食欲と性欲を同時に満たせる区画が整備されたこともありました。かなり大々的な取り組みでしたが、別に調理ができるロボットじゃなくても……いうお客様も多かったので、一区画に止まっております。
このように工夫を凝らした区画が作られ、店舗が増えたり減ったりするのはヨシワラの日常的な光景です。このような区画で大成功をおさめた例といえば、ふ四区でございましょうか。異性愛者の女性向けの場所に、男性の容姿の遊女ロボットが睦み合う様を鑑賞する区画を整備し、繁盛しております。あまりに人気なので区画が増やされ、現在五区画、百店舗もこの手の店がございます。このような鑑賞型の店舗は、異性愛同性愛男女を問わず一定の人気がございます。ドラゴン型遊女ロボットと車型遊女ロボットなんていう変わり種もございますね。
話をい五区に戻しましょう。紅椿にお呼びがかかりました。格子ごしに彼女を見たお客が、一夜の相手を彼女に決めたのです。お客様の待つプレイルームへ、しずしずと歩いていきます。紅椿の在籍するお店は遊女ロボットが華やかな飾り付けや音楽とともにお客様の元へ向かう『花魁道中』、遊女ロボットによる楽器の演奏や踊りを楽しめる『宴』、複数体の遊女ロボットを侍らせてお楽しみになる『大奥』など工夫を凝らしたオプションが多数あるのですが、今回のお客はいずれも頼まれなかったようです。残念、という言葉が適切かはわかりませんが、紅椿の足取りは軽快ではありませんでした。ロボットは決められた通りの動きしかしませんので、過剰に擬人化していると言われればそれまでですが。
紅椿が六畳のプレイルームに着くと、お客は胡座をかいていました。こざっぱりとした、だいたい二十代半ばの男性です。
「一夜のお戯れを」
紅椿が話しかけます。ヨシワラでの決まり文句です。
「君は幾夜すごしたんだい? 」
お客は定型文が不満だったのか、謎めいた言葉を返してきました。紅椿は首を傾げて、マニュアルの全てを五秒間で復習いたします。が、お客がどのような答えが欲しいのかわかりません。
「……おっしゃる意味がわかりかねます」
「まあいい。おいで」
紅椿を膝が触れるほど近くに呼び寄せておきながら、お客は紅椿に指一本触れません。さてはてどうしたものか。紅椿の事前シュミレーションによれば、今回のようなちょっとクセのあるお客は、行動するより待っていた方が良い結果が出ます。そのシュミレーションが正解なのかは、紅椿にはわからないのですが。
「馬鹿なことをきいた」
その言葉は紅椿に聞かせているというより、独り言のようです。
「君は一夜だけの存在なんだ。君は僕に、僕だけに愛されるために生まれた穢れなき存在なんだ。君は僕を誰かとは比べないし、僕以外の人間に好意を寄せたりしないし、汚い人間なんかじゃないんだ。……そういう店なんだから」
独り言が終わるまで、紅椿は首を傾げて待っていました。お客はぶつぶつと独り言を続けていましたが、紅椿を押し倒すと、体の隅々を点検することにしたようです。隈なく調べ終わると、心底ほっとした表情で
「新しいってのは必要最低条件だ。新品は中古に勝る」
といかにもモノにふさわしい評価をつけて、サービスを受けるべく床に入られました。
天井のシミを数えながら、というのは比喩表現でヨシワラの天井にシミなどないのですが、紅椿は彼女なりの思考回路を動かしていました。お客の言葉には引っかかる部分がございます。『僕以外の人間に好意を寄せたりしない』つまりは『僕に好意を寄せて』という人間的な感情を期待する言葉と、『新品』というモノ的な側面に期待する言葉の、どちらがお客の本心なのでしょうか。どちらも本心なのでしょうか。それとも紅椿の言葉の解釈に、どこか欠陥があるのでしょうか。もしお客に言葉をかけるなら、紅椿は先程と同じ言葉を発してしまうかもしれません。
「……おっしゃる意味がわかりかねます」
と。
しかしながらお客は紅椿の提供したサービス、羞恥を帯びた表情や控えめな嬌声、に満足したようで、延長もせずスタコラサッサと帰っていきました。紅椿はプレイルームを片付けて服を着ました。最後にプレイルームを点検します。もう現在の紅椿がここにくることはありません。
紅椿は他のお客の目に触れないよう静かに、けれど機敏に
先程までの紅椿の自我は失われ、新しい紅椿が再び組み立てられ、格子越しに外を眺めることになるのでした。
✳︎✳︎✳︎
書いてしまった……。
僕は先程書き上げた原稿を読み返しながら、ため息を吐いた。僕はこれでも児童文学の賞を受賞した作家である。だがデビュー作はまったく売れず、勢いで会社を辞めたため生活も苦しく、アルバイトをしながら知人のコネで原稿を書いてなんとか暮らしている。
書き上げた原稿は、読者にヨシワラ反対派が多い週刊誌から、短編を書いてくれと言われて書いたものである。人間の業が集まるヨシワラを物悲しい雰囲気で表現した、つもりだ。こういう短編を書いておいてなんだが、僕自身はヨシワラ反対派ではない。人間が動物である限り性欲はあって当然、ならば必然的に生まれる場所だと思っている。もっとも生活が苦しいので、ここ数年は右手が恋人だが。
そんな僕だがヨシワラ反対派の言い分もわからないではない。人間の形をしている遊女ロボットに暴力を振るうような性癖の人間が、果たして人間に暴力を振るわないと言えるのか。遊女ロボットに暴力を振るった経験が、人間に暴力を振るう心理的なハードルを下げてしまうのではないか。幼児など意思表示ができない相手に欲望を向ける人間を、黙認することは倫理的に正しいのか。さまざまな問題が指摘されている。特殊な性癖持ちではなくとも、ヨシワラのなんでもありな店を巡るうちに、歪んでしまうことだってあるかもしれない。知らんけど。
それはそうと、お客の台詞回しが僕の口調に似てて嫌だな。別に僕の性癖が反映されているわけじゃないのに。作者の手癖とでもいうべきか。もっとキモい口調に変えようか。しかしエロ同人みたいになるのも嫌だしな。偏った人間が読んでいるとはいえ、寄稿先の週刊誌はわりとお固めの雑誌だ。
というか全体的に『〜た』で終わる文章が多くないだろうか?ヒロインの魅力は伝わっているだろうか?ヨシワラが題材なのにエロくないじゃないかと怒られたりしないだろうか?いや逆に一応は全年齢が買える雑誌なのに子どもが読んだらどうするとか怒られないだろうか?洗滌の描写もっと盛った方が良いだろうか?冒頭のヨシワラの
あーもう。僕は考えるのをやめた。どうせ締め切りギリギリなんだ。悩んだってしょうがない。さっさと編集に送って、さっき通知が着ていた、おおい
ヨシワラ・ロボット 刻露清秀 @kokuro-seisyu
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