カノン、今日も脚探しに行く?

尾八原ジュージ

カノン、今日も脚探しに行く?

 カノンの両脚が逃げた。切断した後もちゃんと容器に入れておいたのに、その容器を倒して蓋が開くまでごろごろと転がって、それから逃げたらしい。二本一緒にしておいたのがよくなかった、と言ってカノンは悔しがり、高校生にもなって大人げなくあたしに当たり散らした。

 理不尽だけど、まぁカノンが荒れるのも無理はないなと思ってあたしは受け流した。そもそも彼女の癇癪を受け流すのにはすっかり慣れていた。

 カノンの夢はピアニストになることだった。いや、今だって現在進行形で「なりたい」だし、幸いそのための才能も持っている。カノンの家はお金持ちなので、家にグランドピアノを置くこともできるし、優秀な講師からレッスンを受けている。海外留学だって余裕だろう。

 だからきっとカノンはピアニストになっちゃうんだろうな、とあたしは思っていた。彼女が事故に遭って、両脚の太腿から先を切断することになるまでは。

 入院したカノンのお見舞いに行ったとき、両手が無事なんだからピアニストにはなれるんじゃない? と言ったあたしは、もの知らずだとひどく罵られた。

「脚がなかったらペダル踏めねーだろ。まーこってほんと無知な」

 そういえばピアノってなんかペダルついてたね、あれ必要なペダルだったんだ。そう返すと枕が飛んできた。

「えー、じゃあカノン、どうすんの?」

「脚をもう一回くっつけるに決まってんだろバカ。まだ使えそうだから、ちゃんととっといてあんだよ」

「義足とかじゃだめなの?」

「だめ」

 なるほど、プロ志望だから道具にもこだわるんだねーすごいねーと言ったら、今度はコップが飛んできた。

 カノンの両脚は切断こそされたものの、まだ「生きている」状態らしい。今海外に行っている超優秀でゴッドハンドな外科医のナントカさんならつなげるかも、と言われて、カノンはすごく喜んだ。すでに言ったとおりカノンの家はお金持ちだから、そのくらいの手術費なら全然払えるわけだ。めでたしめでたし……と思っていたら、全然めでたしではなかった。カノンの両脚は逃げ出した。何しろ「生きている」状態なのだから、そういうこともある、らしい。容器の中が狭くて嫌だったのかもしれないし、単に歩きたくなっただけかもしれない。ともかく行方不明になってしまった。

「逃げたりしてどうするんだろうねぇ」

 車椅子を押しながらあたしが言うと、カノンは「知らない」とめちゃくちゃぶっきらぼうに答える。

 前髪ぱっつん黒髪ロングのカノンは、見た目だけは絵に描いたようなお嬢様で、とても綺麗な女の子だ。でも致命的に愛想がなくて、怒りっぽくて、おまけに口が悪い。すっかりクラス中の嫌われ者になっている。友達といえばあたしくらいのものだし、正直周りからは「まーこってカノンの友達っていうか、下僕の扱いだよね」と言われて同情されているフシさえある。カノンも自分が嫌われ者なのをわかっているので、教科書をゴミ箱に捨てられていたって今更全然動じないし、何せ金持ちなのでその都度クールに買い直している。

 何だかんだ言われながら、今日もあたしはカノンの車椅子を押しているし、カノンはあたしに車椅子を押させている。

「探偵とか頼んでみたら?」

「もう頼んだ」

「ポスター貼ったりした? 探してますみたいな」

「あのさぁ! 犬猫がいなくなったみたいに言わないでくれる?」

 カノンはすぐに怒る。

 ところで、あたしはカノンの唯一の友達だけど、友達にすら秘密にしてることっていうのはたぶん、誰にでもあるものだ。

 実は彼女の両脚、今あたしの部屋で匿っているのだ。


 その日、カノンは通院のために学校を休んでいたので、あたしはひとりで下校していた。

 通学路からちょっと離れたところに静かな神社があって、あたしはそこにいる野良猫をかまいたいのだけど、カノンがいると入れない。石段があるし、境内には玉砂利が敷き詰められているから、車椅子には向かないロケーションなのだ。

 鳥居をくぐると案の定人気はなく、くだんの野良猫は境内の隅っこにいた。どうも何かと戦っているらしい。そしてその相手がどうやら人間の脚らしい……とわかったときのあたしの驚きといったらなかった。

「わ、わー! うわー!」

 大声をあげながら突っ込んでいくと、野良猫は逃げていった。後にはいくつか引っかき傷と噛み跡のある両脚が残された。

 名前が書いてあるわけじゃないけど、すらっとしたふくらはぎと指の長い足は、紛れもなくカノンのものだ。そもそも両脚に逃げられた人なんてそうそういないだろうし、彼女のもので間違いないだろう。

 これは放っておけない。あたしはブレザーを脱いで二本の脚を包むと、無我夢中で家まで走った。

 帰宅したあたしは、脚たちをお風呂で洗って傷口を消毒し、切断面はとりあえずラップで包んでやった。あたしの部屋に連れ込んだ頃にはかなり安心したらしく、脚たちはベッドの上でぴょんぴょん跳ねたり、布団にくるまってくつろいだりしていた。

 あたしは手元にスマホを置きながら、二本の様子を眺めていた。カノンに連絡しなきゃと思いながら、結局あたしはそうしなかった。


 そして今日もカノンの車椅子を押している。


「ねぇカノン、今日も脚探しにいく?」

 あたしが聞くと、「行くに決まってんだろ」と、カノンは地図を睨みながら答える。

「元気かなぁ、カノンの脚」

「元気じゃないと困る。移植できなくなるじゃん」

 今日はカノンの家から病院とは逆方向、線路を渡って北側へと攻めてみる。

 もちろんあたしは脚がそんなところにいないと知っている。脚はああ見えて聞き分けがよく、今も二本そろってあたしの部屋のクローゼットに隠れているはずだ。だから児童公園にも、商店街にも、絶対にいない。

 最初は意気込んでいたカノンも、だんだんイライラして、弱気になって、無口になる。

「カノン、大丈夫? なんか飲む?」

「うっさい」

 やれやれ。

 カノンはぶつぶつ言いながら地図にマーカーで印をつける。町の地図はもうピンクのバッテンでいっぱいになってしまった。

「明日はどこに行こうか」

 車椅子を押しながら、あたしはカノンに問いかける。

「うっさい。まだ決めてない」

「はいはい」

 次の日の昼休み、カノンは「地図がない」と言ってカバンをひっくり返していた。あたしはカノンが入れない普通の狭いトイレの個室から、便器に突っ込まれてずぶ濡れになった地図を救出した。

 マーカーは滲んで、一部はすっかり消えている。それを見たカノンは、今まですごく怒っていたのが嘘みたいにシュンとして、燃えていた焚火に水をかけたみたいに、突然静かになってしまった。

 その日の足探しは中止になり、カノンは家に帰った。あたしもしかたがないので帰宅して、クローゼットからこっそり脚たちを出してやった。

「きみたち、カノンのところに帰りたいとか、ないの?」

 尋ねてもぴょんぴょん跳んでいるばかりで、返事はない。何せ脚だから、聞かれても話すことができない。

 どうしたもんかな、と思いながら、あたしは机に頬杖をついた。


 地図がめちゃくちゃになったのは、カノンにとって思いのほかやる気をそがれる出来事だったらしい。次の日も、その次の日もカノンはまっすぐ家に帰ってしまって、あたしは暇だった。

 カノンはまるで、カノンじゃなくなったみたいに見えた。これまでは自分勝手でやりたいことばっかりやって、眩しいくらいきらきらしていたのに、急に静かになってしまった。大人しくなったカノンは普通に美人の女の子で、そんなに感じも悪くなくって、別のクラスメイトに介助してもらってお礼を言ったりしていた。

 その日、ふたりでランチを食べながら、あたしは「急に丸くなったんじゃん?」と声をかけた。カノンは「うっさい」と言うかと思いきや、「飛べない鳥に勇気は要るか?」と突然おかしなことを尋ねてきた。

「なにそれ?」

「別に。たとえ話」

 素直じゃないなと思いながら、あたしはカノンの顔色をうかがう。「要ると思うよ」と答えると、彼女はちょっぴり上を向いた。あたしは続ける。

「何のたとえか知らないけど、今は飛べなくても、いつか飛べるようになるかもしれないじゃん。だから絶対要る」

 カノンは素直じゃないけど素直だから、うつむいているし肩なんか震えてしまっている。あたしがサンドイッチを食べながら待っていると、やがてこっちを見たカノンは顔なんか真っ赤で、目が潤んでいて、

「ほんとに飛べるようになるかなぁ」

 と小さな、小さな声で言った。

「カノンらしくないな。そうなるようにするんでしょ~? あたしも手伝ってあげるからさ」

 わざと軽めのノリで言うと、カノンは一度だけうつむいて、涙が一筋ぽろっと頬をこぼれて、そして顔を上げたときにはもう、いつものカノンに戻っていた。

「ん? 鳥さん元気でた?」

「うっさい!」

 カノンが悪態をついて、あたしはそれを聞いて心に灯がともったような気持ちになって、そして。

 今夜やるべきことを決める。


 その日の夜、あたしは原付の二台にカノンの脚たちを乗せて山に向かった。

 山道の入り口に原付を止めると、脚を抱え、大きめのリュックを背負って山を登った。町から結構離れたなと思ったところで、都合よく空のドラム缶が転がっているのを見つけた。

 誰もいない空き地で、あたしは持ってきた燃料をドラム缶に入れ、燃やし始めた。焚火が大きくなってきたところで、カノンの脚を放り込んだ。

 脚たちがガンガン、ゴンゴンと音をたてながらひどく暴れるので、あたしは軍手をはめた手でドラム缶が倒れないように支えた。

 焼肉みたいないい匂いが漂う。そのうち、だんだんドラム缶の中は静かになっていった。

 ほっとため息をつくと、あたしは冷たい地面に座って星空を見上げた。


 あたし、カノンにいろんなことをしてあげた。


 怒鳴られてもめげずに話しかけて仲良くなった。

 人前で怒られても黙ってニコニコしていた。

 事故のときは本気で心配した。毎日お見舞いに行った。車椅子も押してあげた。

 カノンの教科書をこっそり捨てた。

 あの子が孤立して、あたしだけが友達になるように仕向けた。

 地図を捨てたのはやりすぎだったけど、それもちゃんとリカバリーした。

 一目見たときからカノンのことが大好きだった。ピアニストになって海外に行っちゃったら嫌だなと思っていたけど、でも夢に向かって進んでいくカノンはとても綺麗でかっこよかった。ずっとこのまま、夢を追い続けるカノンだったらいいのに、と思っていた。

 あたしはカノンのまっすぐで折れないところが大好き。誰よりも綺麗で、わがままで自由奔放で、でも結局はあたしの掌で踊っているところ。

 大好き。


 立ち上がってお尻を払うと、あたしはきちんと焚火を消して山を下りた。

 原付にまたがって人気のない道路を走ると、冷たい夜風が頬を撫でていく。それがとても気持ちよくて、明日は何だかいいことがありそうな気がした。

 そうだ、明日もカノンと脚を探しに行かなくちゃ。あたしはカノンの車椅子を押してあげなくちゃ。その前に新しい地図を買った方がいいかも。疲れたときのために、何か甘いものを持っていった方がいいかも。カノン、もうどこにもなくなっちゃったカノンの脚を、あたしはずっとずっと一緒に探してあげる。ずっとずっと、ずっと一緒に。

「ねぇカノン、今日も脚探しにいく?」

 明日かけるはずの言葉を、口の中で飴玉みたいに転がしながら、あたしは夜道を走り抜けた。

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