第33話 ソラの正体

「今度はなに? 何が起きるの? 誰が出てくるの?」


と、ユキは叫んだ。


 すると、ソラはおもむろに胸ポケットから携帯電話を取りだした。♪『ワルキューレの騎行』は消えた。


 ユキは脱力した。


 なんだ、着信音か。というか、ソラ君の趣味って?


 ソラは、ユキの前であることも構わず、携帯電話で喋りだした。


「もしもし、あ、はい、はい、そうです……えっ? はい。はい……わかりました」


 心なしか緊迫しているようだ。相手とはわずか三〇秒程度の会話だったが、相手がほぼ一方的に喋っていた。心なしかソラの表情が暗い。


 ソラは静かに携帯電話を再び胸ポケットにしまう。


 ユキは心配そうにソラを見た。


「もう、紛らわしい~……ソラ君、どうしたの? 今度は何があったの?」


「ユキちゃん、ごめん。こんな形で君に急に正体を明かするつもりはなかったんだけど……今日でお別れになっちゃった」


 急に意外な言葉を聞かされて、ユキはまた動揺した。


「……ソラ君、待って! 急にどうしたの?」


「母星に呼び出されちゃった……」


「どうして?」


 そらは、ユキの方へ向き直って、噛みしめるような口ぶりで言った。


「僕たち監視員は、地球人の前でむやみに正体を明かしたり、地球の歴史に干渉してはならないきまりなんだ。それを、さっき僕は破ってしまった……」


 自分のせいだ。


 ユキはその時、強くそう思った。


 神に銃口を向けられていた時、身を挺してソラ君は、私を守ってくれた。


 それなのに……お別れだなんて。


 ユキの目からはたちまち涙があふれ出る。


「それって、私を守ってくれたのに?……私のせいで?」


「君のせいじゃないから。ユキちゃんの前で、店員さんに名乗っていたもんね。だから、気にしなくていいんだよ」


「ううん、私のせい……七号、いえ、あの店員さんも言ってたわね。あなたのような高度な知性を持った宇宙人から見たら、虫けら同然の存在でしかない私のせいなんだ……」


 その時、ソラは少し困ったような顔をした。


「どうにかならないの?」


「規則だからね。仕方がないんだよ」


「本当に、どうにもならないの?」


「そういうものなんだ」


 しばしの沈黙の後、いきなりユキは言った。


「ソラ君の嘘つき!……宇宙人も超古代文明も存在したじゃない!」


 ソラはききわけの悪い幼児がだだをこねるのをあやす祖父のように、丁寧で穏やかな口調で言った。


「でもそれは、けっしてオカルト本が言うような内容ではなかったんだよ。異星人が人類を創造したわけでも、いきなり人類に高度な科学を教えたわけでもない」


「確かに……」


「原始的な生命が母星のふところに抱かれて進化して、高度な知性と文明を持つようになった……気が遠くなるような長い時間をかけた自然と人類自身の努力の結果なんだよ」


 ユキは掌で顔を覆った。


 またしばらく経ってから、ようやくユキは言った。


「そう、ソラ君、もう会えないのなら、一つお願いがあるの」


「なに?」


「ソラ君はさっき店員さんに、『地球人類の姿を借りて』って言ったわね。お別れの前にソラ君の本当の姿を見てみたい……お願い、一目でいいから見せて」


 その時、今までで、おそらく初めてソラはユキの願いを断った。


 ソラは悲しげに言った。


「それは出来ないよ」


「どうして?」


「この前、文学国語の時間に中島敦なかじまあつしの『山月記さんげつき』って、やったでしょ? 虎になった主人公の李徴りちょうが親友袁傪えんさんに自分の姿を見せない理由だよ。覚えてる?」


「『君に畏怖倦厭いふけんえんの情を抱かせるに決まっているからだ』って……つまり、どういうこと?」


 ソラは少し間を置いて言う。


「あのね、僕の本当の姿は……地球の生物にたとえれば節足せっそく動物に近いんだ」


 意外な言葉だった。


「せっ、せっ、節足動物? って、昆虫?」


 あまりのことに思わずユキはドモった。


「まあね……」


 ソラは困ったような表情だ。


「て、言うとバッタとか?」


「違うよ」


「じゃあ、蝶とか?」


 ソラは首を横に振り、意を決したかのように言う。


「違うよ……そうだなぁ、見た目、一番近いのは……ゴキブリかなぁ」


「ひっ!」


と、ユキは声にならない悲鳴を上げる。


 ソラは笑いながら言う。


「ほら、『生理的に無理』なんでしょ?……僕の母星は、大気の酸素含有率三五パーセント、年間平均気温四五度。地球の基準で言えば、濃い大気の、年中暑い星なんだ」


「……そうか、だからソラ君は暑さに強いのね……」


「そうだよ。僕の母星は地球で言えば古生代石炭紀の気候に近いのさ。地球でも、こういった環境では、気門から呼吸が出来る昆虫類が生存に有利で、身体も大型化した……そうだなぁ。地球のゴキブリが、大型化して身長が二メートル近くになって、進化して直立して高い知能を持つようになった感じかな。あ、そうそう、僕たちの頭には大きな丸い、赤い目玉が五つあるんだよ。その点は地球の古生代カンブリア紀にいたオパビニアに似ているのかな……」


 ──オパビニアとは、約五億年前の古生代カンブリア紀の海に生息した古生物。体には両側にたくさんのひれと、頭には突出した五つの眼とハサミに似た口を持つ。


 ユキは、その自分たちに比べてあまりにもグロテスクな姿──もちろんそれはユキのようなホモ・サピエンスを基準にすれば、の話だが──を想像して、目を白黒させている。


「僕たちの恒星系は、この地球も属している天の川銀河のはずれにあってね、比較的、星の密度が低いんだ。そこで、君たちの星のように、超新星爆発によるガンマ線バーストに焼かれることも、暗黒星雲の中を通過して寒冷化のために全球凍結に陥ることも、隕石群が襲来してその内の何個かが地上に落下して生態系が壊滅するようなことも無かった。生命として、運が良かったんだよ。そうして僕たちは一億年以上昔から高度な文明を作ってきたんだ」


 ──ガンマ線バースト、全球凍結、隕石の落下はいずれもかつて地球上の生物の「大量絶滅」の原因となったと推測されているもの。


 しかしユキは、


「もう私、わけわかんない」


と言って、今度は声を出して泣き出してしまった。


「だからさ……僕の本当の姿なんて、ユキちゃんは見たくもないだろ?」


「ソラ君の意地悪~っ、ううん、地球人でも、宇宙人でも、ソラ君はソラ君に変わりないじゃないの」


 ユキは本心からそう思った。


「ありがとう、ユキちゃん」


「もう地球には戻ってこれないの?」


「地球から母星まで、片道三万五四二〇光年。これは僕たちの宇宙船ならワープ航法を使って地球時間の約一ヶ月だよ」


「じゃあ、すぐに戻ってこれるわね?」


「それはどうかなぁ。下手をしたら査問委員会にかけられるかもしれないし、よしんば戻ってこれたとしても……」


「これたとしても?」


「地球上では往復で七万年以上経ってるよ」


「そんなぁ、もう駄目、絶対、会えないじゃないの~っ!」


 ソラは、ユキの両肩に自分の掌を載せて真顔で言う。


「いいかい、ユキちゃん、よく聴いてくれよ」


「う、うん」


 初めてソラに肩を掴まれたユキは緊張して答える。


「地球の歴史は今まで、地球人が作ってきた」


「私たちが侵略者だったとしても?」


「そうだったとしても、地球に定住した者は地球人だよ」


「うん」


 ユキはあふれてくる涙を指でぬぐった。


「地球人にも様々な人がいる。地球にも宇宙にも様々な生物がいる。けっして見た目だけで判断して毛嫌いしないでほしい。そして、地球の歴史を君たちの手でつむいでいってほしいんだ。何かあっても、宇宙人は助けてはくれないよ」


「もし、七万年後に地球に帰ってこれたなら」


「帰ってこれたなら?」


「ユキちゃんの子孫、今の地球人類の子孫に会えることを楽しみにしているよ」


「子孫だなんて……」


 ユキには七万年後の世界や人類がどうなっているかなんて、想像することもできない。


「それまで、人類は生存しているかしら?……何かあったら宇宙人は助けてはくれないの?」


「その星の住民同士のいさかいには、異星人はよほどのことがない限り介入しないのがルールなんだ……それに、僕は地球人類を信じているけどね」


 地球人類を信じている、と言われてユキは嬉しかった。


「あっ、そういえばユキちゃん」


 ここでソラはふと思いだしたように言った。


「なに?」


「以前、河村先生に書いてもらったヒッタイトの楔形文字の意味わかる?」


「全然わからないよ。調べようがなかったし」


「ぼく、調べたんだよ。そしたら、『真実』って書いてあったんだ」


「真実?」


「そう、僕たちも『真実』を大事にして生きていこう。この宇宙にはオカルト的な謎なんて無い。今、謎とされているものでも将来、科学と論理の力で解けるんだ、って」


「わかった。ソラ君、私、これから少しでも、そう生きていけるように努力する」


 ユキのその言葉を聞いて、ソラはにっこりと笑った。


「よかった……じゃあ、迎えの宇宙船が来たようだから、僕はもう行くよ」


「えっ、こんな街中に宇宙船が降りてくるの?」


「大丈夫、人間の眼には見えないし、レーダーにも映らないから。UFOマニアの北川君が望遠鏡で発見して大騒ぎになることはないよ」


と言って、ソラは笑った。


「本当に、これでお別れなの?」


 ソラはユキのその言葉にはもう答えずに、小走りに一階への階段を降り、もう雨の上がっている店の外へ出た。


 ユキもあわてて後を追う。


 と、ソラはユキの方に背を向けて右手を挙げて大きく振った。それは、ユキに別れの挨拶をしたのか、宇宙船に合図を送ったのか、ユキにはわからなかった。


 そしてソラはゆっくりとその姿を夜の暗闇の中に溶け込ませて消えていった。一瞬、ソラの頭の髪の毛が風にたなびいて二本の触角のようにユキには見えた。


 その直後、ユキは手を振って大声で叫んだ。


「さようなら──さようなら~っ!」


 通りがかりの人が見たなら、びっくりしただろう。


 女の子が一人、今日はもう閉店したハンバーガーショップの暗い駐車場で空を見上げて手を振って叫んでいるのだから。


 ユキがひとしきり叫び終えると、再び辺りは夜の静寂が戻った。


 今日の出来事を、もし、世界史の河村先生に話したらいったい何と言われるだろうか? UFOマニアの北川君なら何て言うだろうか?


 想像すると、ちょっぴり可笑おかしい。でも、ソラと別れる悲しさの方がよっぽど強い。


 それに、本当のことを話したところで、いくらなんでも信じてもらえそうもない。


 ユキはこのことは誰にも話さずに黙っていようと思った。


 ソラはおそらく明日にでも担任の先生から「親の仕事の都合で急に転学」とでも言われるのだろう。最近、そういう例も時々あるので、たいして不審がられないだろう。


 ユキはつぶやいた。


「今日は、とりえず家へ帰ろう。そして、明日に備えよう。今がどんなに辛くても、明日という日は必ず訪れる。だからけっしてあきらめずに、希望を持って明日を生きていこう。私たちは明日からも、地球の歴史を紡いでいかなければならないのだから……」


 しかし、ユキはそこで、


「あっ!」


と思いだしたかのように、再び夜空に向かって涙声で叫んだ。


「ソラく~ん、明日の世界史のテストのヤマの続きを教えてよ~っ!」



               完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界史の教科書には宇宙人も超古代文明も載っていない 喜多里夫 @Rio-Bravo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ