終章:無色の願い《ファブロス・エウケー》
無色の願い
『オフィール』最上層の城門前大広場。
『王室警備隊』の詰所があった場所は先の惨劇により更地となり、復興の折に広大な広場へと姿を変えた。
王城のバルコニー奥の通路から見下ろせば、そこには広場を埋め尽くすほど大勢の人々が集まっていた。広場から溢れた者たちは、そこから伸びる道路や建物の屋根の上に立ち、これから現れる者を待っている。
張り詰めた空気は緊張に満ちていた。限界まで水を注ぎ込んだ風船のように、集まった住民たちの感情は破裂寸前のように思えた。
それは、惨劇を生んだ者への憤怒の表れ。
それは、自由を与えた者への感謝の表れ。
それは、家族を奪った者への怨嗟の表れ。
それは、圧政を壊した者への希望の表れ。
喜びと怒りと希望と絶望が綯い交ぜになった、混沌とした感情が広場に満ち満ちている。
空を見上げる。
彼方まで広がる蒼穹の下。浮かぶ雲は風に任せて気ままに漂う。時折、太陽を遮って落ちる影は、ここに集まった人々の心を写し出しているようだった。
喜びも怒りも悲しみも楽しみも、清も濁も吞み干そう。
群衆の待つバルコニーに歩み出る。
姿を見せたのは一人の青年。
白い髪。蒼い瞳。漆黒の外套を身に纏う見た目若き青年。その両脇には白銀と純白の少女がそれぞれ控えている。
転生体たちの歓声が沸き立つ。人間たちの怒声が響き渡る。
何十万、何百万という感情の波が押し寄せ、二人の少女は圧倒される。
しかし矛先である青年は悠然と佇んでいた。
「『オフィール』の住民たちよ!」
青年――黒神輝の一声で広場は凪のように静まり返った。
輝の毅然とした声は拡声器を通して都市全体へと伝わる。
「まずは謝罪をさせてほしい。俺が行ったことにより多くの命が傷ついた。親を失った者がいる。子を失った者がいる。友を失った者がいる。愛する者を失った者がいる。帰るべき家が焼け落ちた者がいる。財を失った者がいる。全ては俺の独断がもたらした結果だ――本当に申し訳なかった」
輝は深く頭を垂れた。
ふざけるな。いまさら謝られたところで失くしたモノは返ってこない。許しを乞えば、我々が赦すとでも思っているのか。
声にならない怒りが聞こえてきた。
「皆の怒りはもっともだ。俺の謝罪など受け入れられるものではないだろう」
お前のせいだ。お前のせいで皆が傷ついた。家族を亡くした。家を失くした。
煮え滾る感情をぶつけられて、しかし輝は毅然と続ける。
「だからこそ問わせてもらいたい! 皆が望んでいるモノはなんだ! 非情な重税に苦しむ日々か!? 過酷な労働に喘ぐ日々か!? 王族に怯えながら理不尽に苦しめられ、皆から絞りとった血税で一部の者が贅の限りを尽くす。そんな今までの世界が望みだったか!?」
万の民衆の憤怒をたった一人の怒りが凌駕する。
「ああ、日々が苦しくともささやかな幸せがあればそれで良いと思う者もいるだろう。だがその小さな幸福すら手にすることができない者たちがいた! 立場が弱いだけで虐げられてきた者がいた! 税を支払うことができず自由を奪われた者がいた! 転生体だというだけで道具のように扱われてきた者がいた! そんな境遇にある者たちが此処には大勢いた! 皆は知らなかったか!? いいや知らないはずがない! 裏区画と呼ばれたその場所に、自分たちとは比較にならないほどの苦痛に喘いでいた者たちが確かにいた!」
この都市で目にしたものが忘れられない。
劣悪な労働環境で酷使される奴隷たち。
ゴミのように打ち捨てられた首のない死体の数々。
絶望に瞳を濁らせる転生体たち。
賑やかな場所もある中で、黄金郷の裏側はあまりにも醜悪だった。
「皆は大切なものを傷つけられ、そして憤った。だがそれは彼らも同じはずだ! 奴隷へと堕とされ、理不尽に蹂躙され、その尊厳さえも踏み躙られた! 抗うこともできず、逃れることもできず、ただ耐えるしかなかった! 奴隷などどうなろうと構わないか!? 転生体などどこで野垂れ死のうと気に留めないか!? 自分たちの生活さえ脅かされなければ、どこかの誰かが涙を流そうが関係はないか!? 彼らの嘆きが、彼らの悲鳴が、皆には届かなかったか!?」
民衆は押し黙った。輝へ向けた怒りは全て、自分たちの大切なモノを理不尽に傷つけられて奪われたことによるもの。
奴隷や転生体はずっとそうだった。自分たちよりもずっとずっと長い時間、傷つけられて奪われ続けてきた者たち。
彼らも同じ怒りを抱いていたはずだ。
此度の件で民衆が輝を憎んだように、奴隷たちは都市そのものを憎んでいた。
関係ないと口にすれば、その言葉はそのまま自分に返ってくる。
だからと言って簡単に納得できるものではない。
誰かが言った。
責任転嫁も甚だしい。そんなことは理由にならない。奴隷たちが苦しんでいたから今度は自分たちが苦しめと言うのか、と。
「そんなモノを求めるつもりは毛頭ない! 俺が求めるのはただ一つ!」
転生体は人間と神々を恨んでいた。
人間は転生体と神々を恐れていた。
神々は人間と転生体を憎んでいた。
だが黒神輝は知っている。
転生体に理解を示す人間を。
転生体に歩み寄る神々を。
人間と手を取り合う転生体を。
人間と共存を望む神々を。
神々を愛する人間を。
神々を信じる転生体を。
ティアノラ=クーラーとイリス=ファーニカは人間である。
アルフェリカ=オリュンシアとレイ=クロークは転生体である。
そして――黒神輝は神である。
人間と転生体と神が、在り方の異なる者たちが一堂に会した時間が確かにあった。
語らうことが出来た。笑い合うことが出来た。
「俺が求めるのは人間と転生体が共存できる世界! 互いに手を取り合い、歩み寄り、協力し合い、明日への希望を持つことができる居場所を創ることだ!」
まるで夢物語のような大望に聴衆は唖然とする。しかし、すぐに嘲るような空気が広場へと広がっていった。
その嘲笑を打ち払うかのように握り締めた拳を天へ振りかざした。
「出来るわけがないと思うか! 叶うはずのない妄想だと嗤うか! 人間は神を恐れて転生体を遠ざける! 転生体は神を憎みながら人間を恨む! そんな者たちが一緒に暮らしていける場所なんて創れないと思うか! そんなはずはない! 皆はすでにそれを知っているはずだ!」
輝の言葉を理解できず、嘲笑は戸惑いに変わり、そして誰もが互いに見合わせる。
「人間たちよ! 転生体が恐ろしいか! 神が恐ろしいか! だが思い出せ! 神の脅威に晒されたとき、救ってくれたのは誰だったかを!」
果たして、全ての転生体が畏怖の対象となるのか。
「転生体たちよ! 人間が憎いか! 神が憎いか! だが思い出せ! 傷を負って生死を彷徨っていたとき、手当てをしてくれたのは誰だったかを!」
果たして、全ての人間が憎悪の対象となるのか。
「いま一度問う! 人間は、転生体と手を取り合えないのか! 転生体は、人間と手を取り合えないのか!」
誰かがその答えに気づき、離れた場所にいる誰かを見た。無言のまま伝播していく解に、人間と転生体はそれぞれの顔を見合う。
「絶対にそんなことはない!」
何故ならば破壊の限りを尽くされた『オフィール』がここまで再建されたのだから。誰に強制されるわけでもなく、自らの意思で協力し合って復興を進めてきた。
この都市自体が証となる。
「すべての転生体を恐れる必要などないはずだ! すべての人間を憎む必要などないはずだ! 皆、平穏の日々を望んでいるはずだ! 小さな幸福を噛みしめ、穏やかな時間を仲間たちと過ごすことを望むはずだ! 何が違う! 何も違わないだろう! 人間も転生体も、抱く願いは同じだ!」
当たり前のこと。当然のこと。誰もが知っていながら目を逸らしていた純然たる事実。
拳を降ろし、一転して静かな声で語りかける。
「誰かに不幸を押し付けて一部の者だけが享受できる平穏など断じて認めない。喜びも悲しみも希望も絶望も、皆で分かち合わなければならない。俺は『オフィール』を破壊した。それは皆に痛みを強いた。心に深い傷を負わせた。身を裂くほどの痛みであったはずだ。それに耐えて欲しいというのはあまりに身勝手な願いであるということもわかっている」
――殺してしまった人よりもより多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように。もう傷つく人がいなくなるように。
誓いのために多くを殺した。多くを失った。
けれど、どうしても譲れないものがある。
「それでもなお皆に願う。どうかその痛みに耐えて欲しい。怒りのまま、憎しみのまま、相手を損なうことだけはしないで欲しい。その代わり、俺は皆に誓う。もう二度とこのような痛みを味合わせはしないと。もう二度とこのような惨劇を繰り返しはしないと。この都市にいる限り、皆の生活は守ることを誓う」
だからこそ黒神輝は此処に立つ。
手にした機械鎌を掲げて新たな誓いを打ち立てる。
「一部の者に痛みを強いる『オフィール』は滅んだ! よってこの都市は生まれ変わらなければならない! 新たに誕生したこの都市を
それは――誰もが願いを持てるということ。
何物も染めず、何物も染めない、誰も侵し侵すことのできない透明な希望を持てるということ。
「ここから始めるんだ! 希望も絶望も全て皆で分かち合い、皆が望む平穏を目指して歩み行く! 共に歩こう! 共に築こう! 希望に満ちた温かな日々を目指して!」
歓声が、咆哮が、蒼天を貫く。
転生体は喝采を、人間は怒号を、多様なる叫びが都市を震わす。
黒神輝を王と認める者。
黒神輝を王と認めない者。
歓迎と拒絶が渦を巻く。
「――黒神輝はこの『ファブロス・エウケー』を統べる王となることを宣言する!」
かくして――此処に新たな王が君臨した。
贖罪のブラックゴッドⅡ ~集え飽くなき願いの元に~ 柊 春華 @hiragishunka
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